寡作の小説家、小山清の短編を読んでいたら(「犬の生活」、短編礼賛、ちくま文庫)に、井の頭公園の状景が描写されていた。たぶん、昭和20年代前半であろう。
標記は次のような表現の中にでてくる。
「池には鳰(にお)がいる。可愛い鳥である。小粒で臆病気で、人の気配がすると、すぐ水にもぐる。」
「鳰」は国字だ。水に(すぐ)もぐる鳥、という意味がよくあらわされている、と思う。にお(にほ)は「カイツブリ」の古名。「鳰の海」は琵琶湖のこと。古来、多数の、和歌や俳句が読まれてきた。
漢和辞典を引くと、カイツブリの漢字は難しい。鳥ヘンに辟、同じく鳥ヘンに虎、と書く2字なのだそうだ。パソコン上の漢字検索で見つけられなかった。とにかく、これらの字から、あの「カイツブリ」を想像することは出来ない。
前回に続きまた、国字の良さを実感してしまった。
夕時雨 鳰の浮き巣を 見に行かん
恐れ多くも、芭蕉の句をもじりました。確か、元の句は、五月雨に ~~~、でした。
勿論、琵琶湖にではなく井の頭池に、近々、鳰を確認に行くつもりです。
標記は次のような表現の中にでてくる。
「池には鳰(にお)がいる。可愛い鳥である。小粒で臆病気で、人の気配がすると、すぐ水にもぐる。」
「鳰」は国字だ。水に(すぐ)もぐる鳥、という意味がよくあらわされている、と思う。にお(にほ)は「カイツブリ」の古名。「鳰の海」は琵琶湖のこと。古来、多数の、和歌や俳句が読まれてきた。
漢和辞典を引くと、カイツブリの漢字は難しい。鳥ヘンに辟、同じく鳥ヘンに虎、と書く2字なのだそうだ。パソコン上の漢字検索で見つけられなかった。とにかく、これらの字から、あの「カイツブリ」を想像することは出来ない。
前回に続きまた、国字の良さを実感してしまった。
夕時雨 鳰の浮き巣を 見に行かん
恐れ多くも、芭蕉の句をもじりました。確か、元の句は、五月雨に ~~~、でした。
勿論、琵琶湖にではなく井の頭池に、近々、鳰を確認に行くつもりです。