水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(137)

2013-02-28 16:10:48 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

天気予報通り、快晴好天、春そのもの。気分いい。

第二小学校三年生のご見学。

まあまあのできか。気分よく見学してくれていたら幸いだ。

良かった点
・ 4クラスが、クラス順に時間を30分あけてきてくれた(そのように役所からお願いしたか)。
・ ひとクラスを二班のわけ、ひとつは外から、他は中から説明をする方式をとり、それぞれに解説員がついたこと
・ 生徒さんのしつけが、いきとどいていたこと。

改善すべき点
・ 最初、10時到着予定が9:45到着となって、こちらサイドの準備に若干混乱を生じた(受け入れ態勢は常に余裕をもつべし)。


それにしても、来たことのある子供の数が少なすぎる。二小区域は、ここから近いし、古くからの住民が多い。
身近の自然や文化施設に、もっと目を向けさせる教育が目指されるべきだと思います。


一般見学者は、調布市にお住まいの、80歳代男性おひとり。
「私、機械屋なんですよ。前から気になっていたんですよ。やっとくることができました」

「ぎくーっ。私のような人間の説明でことが足りるでしょうか?」

案ずるより産むがやすし。お話がはずみ、楽しげなご様子に終始した、と思う。
アンケート用紙に向かう時間が長かったので、もしかしたら、辛口コメントがいただけたかも。
「家族や友人をつれてくる」とおっしゃってくださった。

水車模型製作(4)

2013-02-27 08:40:44 | 模型制作
部材準備

作らねばならぬ細かな部材が、結構な量あって、苦労している。

写真は、いわゆる「蛇の目」と称する心臓部だ。
実は、まだ試行錯誤の途中で、本体としてどのように組み上げていくか、自分自身決められないでいるところである。

また、ある部分を作るために電動工具に頼ろうか、いやいや当初の予定通り、手作業に徹するか、非常に迷っている。

だいたいいままで何事においても、極めてせっかちな性格が災いし事を仕損じてきたのだが、ここはじっくり構えねばならぬと、ぐっと自制している。
もうすこしいい考えがうかぶかもしれぬから。

論語(284)

2013-02-25 10:28:33 | 論語
内省不疚、夫何憂何懼(顔淵第十二の4)

内に省みて疚(ヤマ)しからずんば、何を憂い何を懼(オソ)れる


司馬牛が、「君子とは?」と聞いたとき、孔子は「不憂不懼」(憂うことなく懼れること(のない人))と答えた。

それに対し、司馬牛が、「そんなことで君子といえるのでしょうか?」と聞き返した。

上はそれに対する孔子の答え。

つまり、君子たるべき人は、「常に自らを省みていて、一点の曇りもないような人」でなければならない、と言いたいのだ。

言外に、「そんな人が世の中にいるわけはないでしょう」、だから、「多少でもそこに近づくよう努力しよう」、と言っていると感じる。


過日、マスコミをにぎわした、サラリーマン川柳の中で、最も気に入った句が次。

部下にオイ、孫にホイホイ 妻にハイ

「内省疚、夫大憂大懼」の日々であります。


解説員として(136)

2013-02-21 16:03:59 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

日差しは、確実に春を思わせるものだが、肌寒い。快晴。

見学者は近隣にお住まいの熟年男性お一人。

「こんなにすごいものだとは知りませんでした。水車公園の水車がそうだ、と思っていました。家族・友人をドンドン連れてきますよ」

「お願いします」


水車公園の水車は、単なるかざりみたいなもので、水車の本体ここにあり、といったアナウンスメントの必要性を感じることがよくある。今回もそう。「見るべき水車はこっちですよ」と、目立つ札など、立てたほうがよい。
もっとも、今のような奥ゆかしさ、も捨てがたいが。


この辺は、三鷹・小金井・調布・府中の四市の境界が複雑にからみあっているところだ。

その話でも結構盛り上がった。


論語(283)

2013-02-20 09:39:51 | 論語
仁者其言也(顔淵第十二の3)

仁者其の言や(ジン)


今回も、仁について、弟子(司馬牛)が孔子に聞いた際の答え。

の直訳は、「言い出し難くして鈍ること(大字典)」とあるのだが、これを「よく吟味する」とか「ひかえめ」とか、と解釈するようだ。
つまり、「この人は仁だ」と思われる人は、その場の勢いでペラペラしゃべることなく、話をするときは、考え考え心の底から自分を表現する。外見的には、トツ弁風になる、ということでしょうか。

これを聞いた司馬牛が、「(なんだ、)仁者の言はなのですか。(つまらない)」と聞き返したのに対し、孔子は、「(本気でやろうと思ったら)、難しいのですよ。(やれるものならやってごらんなさい)」(為之難、言之得無乎)。


気分がいいと、ついつい調子に乗ってしゃべりすぎ、後悔することが多い。

常に、平常心を保って人様に接さねば、とは思うものの、こんな人は、他者かにとっては、くそ面白くもない。
凡人としては、羽目を外すカネアイが難しい、ということでしょうか。

論語(282)

2013-02-18 10:41:01 | 論語
己所不欲、勿施於人(顔淵第十二の2)

己の欲せざるところ、人に施すことなかれ

前の節と同様に、今度は仲弓という弟子が、「仁」について孔子に聞いたときの答え。


自分がやられては困ることを、人にはしないようにする。(其れが仁ということの本質です)

このほかに次のようなことも言っている。

・ 人様に対する時は、大事なお客様と考えること
・ 人様に頼みごとをするときは、神様に頼むように、(あがめること)

そして、次に書いてある言い回しの解釈ができない。

在邦無怨、在家無怨(邦にありては怨みなく、家にありては怨みなく)

・ 組織の中でも家の中でも人から怨まれることはない

・ 組織の中でも家の中でも人を怨まない

つまり、「仁を追及すれば人に恨まれることはない」と理解するのか、「人を恨まないことを追及することが、すなわち仁の追及なのだ」と理解するか?

後者を取りたいのだが、二~三の解説書をみると、どれも前者と解釈している。

語学としての勉強をきちんとやっていないために、結論を出せない。能力の限界を感じます。

論語(281)

2013-02-15 09:37:39 | 論語
克己復礼為仁(顔淵第十二の1)

己を克(セ)めて礼を復すれば仁を為す

常に、自分自身を律し、他を敬いきること。それが仁ということです。

四字熟語、「コッキフクレイ」としてよく知られる。


顔淵が「仁とはどういうことですか」と孔子に聞いたときの答え。

顔淵は、さらに続けて、「もうちょっとわかりやすく、教えてください」(請問其目)と聞いたところ、孔子は次のように答えた。

非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。

礼に非れば視ることなかれ、礼に非れば聴くことなかれ、礼に非れば言うことなかれ、礼に非れば動くことなかれ。

人様を敬う気持ちを持つことがなければ、見ること、聞くこと、言うこと、動くこと、(つまり自らの、すべての行動)をおこしてはならない。


おっしゃることはよくわかります。心のスミに留め置かねばならぬ哲学であることは認めます。
が、さて、それをワタクシメが実行できるかとなると、恥ずかしながら、お手上げです。
難しい!


湯島聖堂(2)

2013-02-14 11:45:37 | 湯島聖堂
少し前、湯島聖堂の漢文検定とそのテキストについて紹介した。

江戸時代の漢文教育の中で論語の扱いがどのようになっている知りたかった。

というのは、そもそも、論語は全20章、総計512節からなり、全部を読みぬくには相当な時間を必要とする。
初等中等教育の中に於いては、当然、論語をすべて読み切ることはできないわけで、どのレベルでどの節を取り上げたのだろうか?

さて、寺子屋テキスト初級では、論語から10節が取り上げられていて、
一番は、学而第一の3、「巧言令色、鮮矣仁」、
十番は、子路第十三の27、「剛毅木訥、仁近」だ。

このふたつから、江戸時代の初等教育で、最も大切にされていたことは、次のようなことだ、と考える。

「人間形成のうえで、人様を思いやるやさしい心(仁)を育てることが絶対必要。そしてそれは、口先だけのペラペラしゃべりやわざとらしい態度からではなく、心の底からにじみ出る行動であるはずだ」

小学校低学年の時期に、暗誦させながら徹底的に叩き込んだにちがいない。

湯島聖堂の寺子屋テキストが、江戸時代の各地で行われていたさまざまの寺子屋教育をうつしている、と考えたが、まちがいかもしれぬ。







論語(280)

2013-02-12 09:39:38 | 論語
居則曰、不吾知也(先進第十一の26)

居れば即ち曰く、吾を知らずと。

(君たちは)、いつも、人様(もしくは先生(孔子))が私をわかってくれない、と言っている。


この節は、論語中、まれにみる長文(およそ500字)なのだが、内容は次のようなもので、かならずしも、意味深いとは感じない。

上で示した言葉を口火として、孔子が4人の弟子に、その抱負を述べさせた。

子路(由)=まかせてもらえれば、弱小国を、三年以内にしっかりした国にしてみせる。
冉有(求)=上に同じ
公西華(赤)=大役に就くというよりは、その補佐として腕をふるいたい。
會(点)=自然を相手にのんびりすごしたい。

上のような抱負を聞いて孔子は、「私は會(点)に賛成だね」


孔子一門は、極めて活発な猟官活動をし、多数の高級官僚を輩出した。
が、孔子の本心は老子的生き方を好んでいた、と解釈すべきなのだろうか?
よくわからない。


解説員として(135)

2013-02-07 16:01:25 | 解説員日記
今日の午前、解説当番であった。

昨日の寒さがうそのような、うららかな日和。

寒さの底は抜け出たのであろうか?そう願いたい。

見学者は二組計三人。

一組目は、ウオーキンググループ幹事さんお二人による下調べ。

飛田給を出発地、到着地を二子玉川となさるそうで、大変な健脚グループとお見受けした。

中のお一人は、二中をご卒業とかで、竜源寺の和尚さんの話とか、ICU校内には地下壕があるはずだ、など昔話に花を咲かせた。
シングルマに是非立ち寄ってくださるようお願いした。

二組目はお一人。営業回りの途中らしく、忙しくご覧になってお帰り。
「こんなにすごいとは、思ってもみませんでした。今度ゆっくりきます」

このお言葉を信じよう。

論語(279)

2013-02-05 09:22:26 | 論語
是故悪夫佞者(先進第十一の25)

是れ故に夫(カ)の佞者(ネイシャ)を悪(ニク)む

佞者=弁才があるが、道理に関して配慮に欠ける人物

孔子は、弁舌の巧みな人を信用することをためらうことが多かった。


「是れ故に」(コレユエニ)とある話は次のようなことだ。

子路が子羔(シコウ)をある国の高官に就けたことを知って、孔子が子路に対して、「若すぎる。あの子をダメ人間にしてしまうよ」と忠告した。

子路の抗弁は次のようなものだった。

「国家には、たくさんの人民がいて、統治するために様々な仕事があります。学ぶことが書を読むことからはじめなければならない、というわけではないと思います。(実践から入ってもいいではないですか)」

それに対する孔子の感想が上。

文章からは、孔子が「ああ言えばこう言う」といった態度を嫌ったように受け取れる。
しかし、孔子の真意は、若いうちから権力の中枢に入ることの危険性を指摘することにあった、と思いたい。
「(あの優秀な)子路までもが、まだわかってない」と嘆いたのではないか。

素人の独断偏見解釈。





湯島聖堂

2013-02-01 18:47:15 | 雑感(1)日常
昨日、所要があって御茶ノ水まで出かけた。

まず、JR聖橋口改札口の様子が、昔とまったく変わっていないことに感激した。
ほとんどすべての駅が、建て替えられているなか、なんとも懐かしく、昭和の臭いをかぐことができた。

ついでに、折角論語をやっているのだから、湯島聖堂に足を向けた。ずーと昔に一回いっただけ。

聖堂斯文会という組織が、漢文を主体とした様々な講習をやっていることを知った。
パンフレットには、興味深い講座が数多く書かれていて、一瞬ゆらいだ。が、通うに遠いし、講習料がやや高めだし、あきらめた。

その替わり、漢文検定、寺子屋編テキストおよび、藩校編テキストを買い求めた。あわせて1500円。

昨年から、漢文検定を始め、好評なのだそうだ。

近い将来、昌平黌編テキストも売り出されるらしい。

検定を受けるかどうかは別に考えるとして、これらテキストの内容をブログ俎上に挙げようか、なんて考えも浮かぶ。

久しぶりに、有意義なひと時を過ごすことができた一日でした。