水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

三鷹市の環境保全

2007-12-28 11:58:16 | 三鷹・市政
 過日のエコツアー時に、三鷹市発行の冊子 平成18年度環境保全のあらまし をちょうだいした。前文の最後に、「施策の実施状況をお知らせするため、年次報告書としてまとめたものです。多くの方々にご覧いただき環境について考えるきっかけとなれば幸いです」と書かれていることでもあり、通読した。メモしておきたいことは次。

・総ページ数100だが、59ページ以後は環境関連条例・要綱の条文のみ。
なぜ、「あらまし」を述べる冊子に条文をつける必要があるのかわからん。紙の無駄ではないか。

・三鷹市が環境面で何に力を入れ、何をしようとしているか。訴えるものがなにもない。全体を網羅的に書いているつもりなのか、典型的な官僚的文書と思う。

・「市HPにより、環境啓発をわかりやすくお知らせしています」とp55にあるが、市HP上でそれを発見できなかった。

とても考えるきっかけになる冊子とはいえない。こんな冊子でお茶をにごす組織なんて、ちょっとたるんでいるのではないか。心配だ。

・施策の実施状況を、数値目標に対する達成率で評価しているようだ。達成率が小さい(つまり、立てた計画ほどには実態がついていっていない)課題、三つについて、感想をメモる。

地下水汚染
 p27に示された表によると、平成17年度中に、30の井戸の水質を調べたら、28で環境基準を超えていた。汚染物質はテトラクロロエチレンと硝酸性窒素。平成16年度には、120の井戸を調べ、35が環境基準を超えていた。

で、文章は、「地下水汚染の未然防止を図るため、規制や指導を行っていきます」とあるのだが、肝心の汚染井戸、もしくは、汚染地下水についての記載がまったくない。
いたずらに不安をあおりたくない、という思惑があるのかもしれぬが、汚染の現状とそれに対する施策の実施状況は示しておくべきではないか。環境基準を越えたら即汚染、というつもりはない。しかし、深刻な汚染でないなら、それを示しておくべきだ。

緑地面積
 目標が平成22年度市民一人当たり8m2であるのに対し、実績は、16年度4.28、17年度4.30である。高すぎる目標だったのではないか。達成できなかったらどうするのか。

二酸化炭素排出量
 問題は、上の話と同じ。目標、18年度28299トンに対し、実績は、16年度38102トン、17年度33716トンである。やれないことをやるやるといってもしょうがないでしょう。地球全体の話として極めて深刻といわれているが、先進国こぞって、他人事。したがって、国も他人事。都も、市も、そして我々も。
旗が振られた方向に全体を動かしたいものだ。なんか、うまい手がないものでしょうか。これを書いてる本人も他人事か。

武蔵野

2007-12-27 13:42:31 | 三鷹・歴史/地史
 しんぐるま の、都指定有形民俗文化財としての正式名称は、「武蔵野(野川流域)の水車経営農家」である。

 だいぶ前の解説員講習会で、講師から、三鷹市の強い要請により、カッコ付きで「野川流域」を入れた、と聞いたことがある。確かに、このような名称の中に、カッコ付きの言葉が入るのは普通ではない。が、全国一の有名自治体を隣に持つ三鷹市の複雑な心境もよくわかり、その時妙に納得した。

 しかし一方、ではなぜ、都は「武蔵野」を頭につけることに拘ったのか。
最近、その根拠らしいものを見つけた。

 三鷹市史・史料・市民の記録編(p46)に、昭和14年当時の三鷹村字一覧が載せられている。大字が14。そして、大字、大沢には、字が9。
なんと、そのひとつが、武蔵野 なのである。む~ん、納得。

 つまり、理解はこうだ。当時の、しんぐるま の住所は、三鷹村大字大沢字武蔵野、のはず、と。

 武蔵野市史によると、1889年、吉祥寺・西窪・関前・境の四ヶ村に井口新田飛地を加え、武蔵野村ができた、そうだ。

 どっちが古いのだろうか。ひいきの引き倒しになりそうだが、「武蔵野」は、大沢での字名の使われ方のほうが、武蔵野村の起源よりずっと古いに違いない、と信じよう。

解説員として(25)

2007-12-24 14:45:20 | 水車解説関連
 今日(12・24)の午前、解説当番であった。暮も押し詰まってきてはいるものの、天気が快晴であるせいか、午前だけで、10名を越える見学者があった。風が強くなってきたが、午後の見学者はもっと多そう。

 野川沿いのハイキング、サイクリング、ランニングなどの途中で立ち寄られる方々が多い。いつものごとく、皆さん一様に感嘆してくださり、解説のしがいがある。

メモっておきたいことは次。

・サイクリングの途中に立ち寄られた方に、
「どちら方面からおいでですか?」
「百合丘から」
「うひゃ~、すごいですね」
「20km。どうということないですよ。サイクリングははまりますね。最近は一回100km以上です。このあいだは多摩川の上まで、その前は、江ノ島までと思っていたのですが、結局大磯まで行っちゃった」
「お怪我のないように!」

・管理担当のT氏が江ノ島にヨットを所有なさり、40年を超えるキャリア持ちであることを知った。
潮気を完全に失った人間にとって、なつかしくも、うらやましい話をさせていただいた。まさかこんなところで、東京オリンピックのころのヨット界の話ができるとは思ってもいなかった。


・帰り道、いやに警官が多いな、と思っていたら、警察署の前で、警官が突然道路に飛び出し、乗用車を止めた。「なんですか?」と運転者。「シートベルト着用義務違反です」と警官。手前の見張り役からの連絡かな。
歳末警戒が厳重になっていると、実感。

そうしたら、次の交差点で、東電の緊急車両が、サイレンを鳴らして、赤信号を突破しようとした。ところが、青信号側の乗用車二台が、その緊急車両の前を強引に突っ切ってしまった。もうすこしで、惨事が発生するところ。クワバラクワバラ。

年寄りは年末の街中をウロウロするものではない。


解説員連絡会(5)

2007-12-22 19:01:46 | 水車解説関連
 先週の土曜日(12/15)は、三ヶ月に一度開催される解説員連絡会だったが、欠席した。
昨日、議事録等が送付されてきた。メモっておくことは次。

・1月1回、2月2回、3月3回の解説当番日が割り振られた。穴を開けぬよう気をつけよう。

・日程未定だが、2月に研修会が開かれるようだ。リフレッシュ目的だろう。大切なことだ。出席せねば。昨年、消火訓練をやったことを思いだした。今年もやるのかな。

・2月から3月にかけて歴史・文化財講座が開催されるらしい。これは聞いておきたい。

・今年度の見学者数は、11月までで、6437名だそうだ。昨年度の総数は確か約7800人だったから、これを越えられるだろうか。これからの、冬季の見学者数はめっきり少ないはずだが、どうせなら、少なくとも8000には達してほしいものだ。

・ボランティア解説員の増員は21年度に予定しているらしく、20年度は現員(登録数48)でやるつもりらしい。




イタリア歌曲観賞

2007-12-19 10:55:00 | 雑感(1)日常
 昨夜は、友人の誘いを受け、ナマのイタリア歌曲を、生まれて初めて聞かせていただいた。彼が所属する声楽同好会のクリスマスコンサートが府中の森芸術劇場で催された。なんの教養もないのに、ノコノコ出かけたのはいささかおこがましかったか。

 皆さん、年季が入っているように感じられ、声量も豊かであった。

 これで、イタリア語が解せて、歴史・民俗・宗教など、歌の背景を知っていれば、もっと楽しく聞けたにちがいない、と思った。

 聞きながら、とんでもない方向に思考が展開した。
イタリア人が長唄を歌ったら、とか、フランス人が八木節を歌ったら、とか、ロシア人が勧進帳を演じたら、どんなもんだろう、などと。

 西洋の歌を日本人が歌いこなすのは、並の苦労ではあるまい。
 たとえば、モンゴル出身の相撲取りが引き起こす物議は、根本に、民族性というか、そんななにかが関係しているように思うのだ。日本人相撲取りは、始めから下駄をはいているようなもので、「しきたり」を感性的に抵抗なく受け入れられようが、外国人はそうはいかない、理性で理解する努力をしなければならない。

 歌曲でもそうだ。ただ、イイ声が出せる、だけでは、駄目。歌の言語を自由にあやつることと、歌の背景である文化に対する造詣の深さ、が、そこらの歌と芸術としての歌の違いになるはずだ。

 機会を与えてくれた友人の魅力ある人間性は、上を背景にするような追求によって構築されてきたのだ、と合点できた。

 

エコプロダクツ2007

2007-12-18 10:56:18 | 雑感(5)その他
 先週の土曜日(15日)東京ビッグサイトで催されている「エコプロダクツ2007」に行った。

 実は三ヶ月に一度催される、大切な水車解説員連絡会議の日であったのだが、そちらを欠席した。そのわけは、

 中学校時代の同級生が三鷹駅前周辺住民協議会の役員で、「エコプロダクツ2007」視察を企画した。参加応募者が少なそうと予想されたため、急遽「枯れ木に花」役を引き受けたのだ。他に二名の同級生も参加した(大沢および八王子在住)。参加総勢は30名ぐらいか。

 おかげさまで、何十年ぶりかのバス遠足気分に浸ることができ、視察は上の空、仲間内盛り上がり、非常に楽しかった。不真面目な印象を与えたかもしれず、主催者に対し、少々申し訳なかったか。

 この視察行で感じたポイントは次。

・市役所職員(環境対策課か?)が一人同行し、行きの車中で市の環境行政について概要を説明してくれた。あれもこれも説明しようとする熱心さは判るが、話が散漫になってしまったのは残念。
「平成18年度環境保全のあらまし」という小冊子が配布されたので、じっくり読もうと思う。

・イベントの主催者は、産業環境管理協会および日本経済新聞、とあったが、国それも経済産業省が後ろ盾のイベントであることは一目瞭然。さまざまな業界を代表する、おおくの企業に参加を促し、それぞれが誇る「エコプロダクツ」を宣伝させた、ということだろう。

・かねがね、条件がそろえば、太陽光発電装置を自分で組み立てたい、と思っており、そのために必要な資料の収集を心がけた。今はまだ高価すぎ、手が出せない。果たして、生きているうちに、自分で手がけるぐらいに安くなるであろうか。

 



三鷹市長メルマガ

2007-12-17 10:37:15 | 三鷹・市政
 何日か前に「三鷹市長メールマガジン」に登録しておいたら、今日(昨日かな?)配信されてきた。登録をはずさない限り、これから、自動的・定期的に配信される。

 市長・幹部の目が行き届いている、とは思うものの、なかなか好感のもてる組み立てである。ありとあらゆるところへの目配りを欠かすことのできない担当者の苦労は並であろうはずがなく、その努力に敬意を表したい。

 今回(当然のことながら、はじめて見たのだが)の内容で印象に残ったことは次。

・市長は、1970年代後半の学生時代から、三鷹市政に参画なさってきたのだそうだ。こりゃ~年季が入っている。
・播磨上月出身の総務課長が、戦国時代における郷里の状況紹介をしている。郷里に対する思いがにじみでていて、いい文章だ。
・市長の最近の行動を日記風に羅列紹介している。市政中枢の動きの一端を垣間見ることができ、興味が尽きない。

 メルマガというものがこんなにも面白いものだとは思ってもいなかった。総理とか都知事とか、他のメルマガも覗いてみようか。


 

老い

2007-12-14 18:29:18 | 雑感(1)日常
 今日、散歩の途中、道の真ん中に棒立ちになっている男性を追い抜いたとたん、「すみません」と声を掛けられた。なんのことだかわからなく、とりあえず、「はい」と答えると、彼は「そこに行きたいのだけれど」と、20mぐらい先の建物を指差した。

 多少言葉のやりとりの後、彼が歩けなくなっていることがわかり、手を貸し、ソロソロと目的の建物まで行き、用は済んだ。

 話はそれだけなのだが、手を貸すまでの数分間(長くて10分)の自分の心のありようが、なんとも情けなく、自戒を込めてメモっておくことにした。

 「手を貸す」行動を起こすまでの数分間、手を貸したあとのこと、つまり、自分では解決できない状況になった場合、を考えた。そのような場合、交番までつれていこう、それが駄目なら、通りがかりの人に声をかけ、110番をしてもらおう、と決め、しかるのち、彼に近寄り、手を貸した。

 今、思い返すと、すぐに対応できなかった自分が恥ずかしい。この行動をおこすまでの数分間に不測の事態が発生していたらどうしたのだ。若かったら、何も考えず、即座に手を出したと思う。
そして、あの数分間の「躊躇」を「老い」のなせること、と考えるのはいかにも寂しい。

水車の歴史

2007-12-11 11:20:14 | 水車解説関連
 あちこちのサイトを覗いているうちに、水車の歴史(History of Water Wheel)という短文(3000語位、A4、4ページ)を見つけた。文書を直接プリントアウトした後の操作を誤り、もどれなくなってしまった。このため、みっともないことに、出所を明らかにできないのだが、興味を引かれる内容なので、下にメモる。

・歴史上、初めて水車が言及されたのは古代ギリシャの作家、Antipaterの詩の中。
製粉作業をする若い女性が、水車の出現によって、その労苦から開放される、と言っているのだそうだ。

・初期の水車は水の流れに対し水平。紀元一世紀ごろ、垂直型が出現した。

・紀元四世紀、ローマ帝国支配化の南部フランスに、16台の水車を用いる製粉工場が存在した。

・中国でもヨーロッパとほぼ同じ時期から水車が利用された。

・中国で刃つきの臼石(edge runnner)が現れたのは紀元五世紀。ヨーロッパにそれが現れたのは、それから800年後。

・イングランドでは、十世紀ごろは、水車製粉工場は100箇所未満であったのが、1086年には5624箇所になっていた。十二世紀には潮流利用の水車も出現した。

・中世後期になると、鉱山での水車利用が盛んになった。

・1500年ごろまでの製粉臼の直径は平均72インチであったが、「大きいものがよくはない」ことがわかり、平均48インチが標準となった。
(約、180センチと120センチだ。どっちもでかい。)

・古代ローマでは、小麦粉は七種に分けられ、富者は白い小麦粉、貧者は黒い小麦粉を食した。黒パンの品質は、別名「犬パン」とも呼ばれるほど劣悪で、食して死ぬこともあった。黒粉の混入物は、もみがら、わら、石、泥、のほか、菌(fungus ergot,smut)など。

・中世では、アヘンがパンの一般添加物であった。
(本当かいな。ちなみに原文は、opium was a common additive in bread in the middle age)

・地球温暖化や諸物価の値上がりで、水車がカムバックするかもしれない。

 

 

築地市場

2007-12-08 12:22:17 | 雑感(1)日常
 昨日は、家人のお伴で築地市場に行った。思い起こすと、三回目だ。一回目は父親につれられて、約55年も前だ。子供に見せておきたい現実社会のひとつであったのだろう。威勢のよさに度肝を抜かれた、との記憶が強い。
二回目は所帯をもってすぐ。寒くて早く帰りたがり、それ以降、買い物に声をかけてもらえなくなった。

 三回目の今回は、朝7時半から2時間ぐらい市場で過ごした。
印象に残ったことは次。

1 働いている人々を含め、年配者の多さが非常に目立った。昔の活気とは異なるような~~。
 当然といえば当然だが、少子高齢化の影響が、首都のメイン市場にまで及んでいることを目の当たりにすると、ショックは小さくない。自分自身が沈滞化の一翼を担っているのを忘れているわけではないのだが。

2 観光地化が進んでいる。
 早い時間帯は外国人。聞こえる主要な言語は英、中、韓。その他の言語も三つぐらい聞いた。みなさん、案内図片手に、興味深げに、歩き回っている。
9時ごろになると、国内の主婦層が加わる。なんとなく、観光バスできたな、とわかる。
 このような観光客目当ての食い物屋がやたらにある。なぜそう思うかというと、一人前二千円~三千円の握りずしをうりにしている店が多いのだ。仕事でここにくる人々が朝食に使う値段ではないでしょうに。
 さらに行列ができる店が何軒かあって、これにも驚いた。市場に来るプロがこんな店にはいるわけがないのに。摩訶不思議。

3 豊洲への移転がもめているようだが、ここの建物群全体の老朽化をまのあたりにすると、移転は緊急を要することと理解できる。
 都民のための最重要市場が地震によって大きな被害を受けると、都全体の復旧や復興が著しく停滞せざるをえないだろう。素人目にも、この市場の地震による被害がとんでもない規模になるに違いないと感じる。

みたか生涯学習プラン2010

2007-12-06 11:42:26 | 三鷹・市政
 ボランティア解説員として楽しませていただいている、しんぐるま が三鷹市政の中でどのような位置づけなのだろうか。一度はきちんと理解しておくべきと思い、標記タイトルの文書を市HP上で読んだ。以下にメモる。

1 標記プランは三鷹市に基本構想を生涯学習の視点から整理した計画で、「緑と水の基本計画」、「次世代育成支援行動計画」などと並ぶ行政基本計画のひとつ。

2 計画期間は平成17年度から平成22年度。今年度で前期終了、来年度から後期。

3 標記プランは次に示す五つの重点事業で構成されている。
・三鷹ネットワーク大学
・ITを利用した生涯学習の推進
・エコミュージアム事業の推進
・地域子供クラブの設置
・総合型地域スポーツクラブの設置

3 上のみっつめ、「エコミュージアム事業の推進」は次の五つの項目に分かれる。
・地域文化財の調査研究
・ボランティアの養成と活動支援の充実
・子供エコミュージアムクラブ
・エコミュージアムモデル事業
・コアミュージアム(地域博物館)の整備

4 上のよっつめ、エコミュージアムモデル事業が「しんぐるま」

 しんぐるま の整備。しんぐるま に関し、「市民ボランティアの養成・活動支援」および「市と市民による協働管理・運営」。
 
 
 しんぐるま はエコミュージアム事業のモデルという位置づけだ。行政施策の対象として重視されている、ということ。
足を引っ張らぬよう心せねば。

 
 コアミュージアム(地域博物館)の整備というのが、後期から始まる計画になっているが、標記プランを読んだだけでは、なんのことかさっぱりわからなかった。


 

上円下方墳

2007-12-05 11:16:30 | 三鷹・歴史/地史
 昨日の夕刊(東京新聞12/4)に、「天文台構内古墳」が上円下方墳であることが確認された、とあった。全国で四例目の確認で、七世紀の東国の古墳の再考を迫るほど、重要な意味を持つのだそうだ。一辺28.5mの方墳の上に直径18mの円墳が乗っている。高さが約2.2m。(円墳の高さか?全体の高さとしては低過ぎないか。)

 千人をはるかに越えるであろう集団の上に君臨している人間でないと、こんな墓に入れるはずはない、というのが素直な感想。

 府中市西府町で、2003年に発見された「武蔵府中熊野神社古墳」に酷似しているそうだ。四例のうち他のふたつは、奈良の「石のカラト古墳」、沼津の「清水柳北1号墳」。

 確か、武蔵陵も上円下方墳のはず、と記憶していたので、調べたら、四陵墓とも、やはりそうだった。大正天皇陵は、一辺27mの方墳の上に直径15mの円墳が乗っている。ただし、高さは10m。

 歴代天皇の陵墓の大多数は円墳で、ついで前方後円墳が多いのだそうだ。上円下方墳は、武蔵陵のほか、伏見桃山陵(明治天皇)、天智・持統両陵墓以外には見当たらないらしい。


 今まで何回か書いたことがあるが、人見街道は中世以前の時代、極めて重要な幹線道路であったと思っている。「天文台構内古墳」の存在は、この考えをさらに補強するうれしい材料だ。

 一言で言えば、関戸の渡し(多摩川渡河の重要位置)に関係する「武蔵府中熊野神社古墳」から約10km離れた「天文台構内古墳」を含む大沢地域が、地理的に極めて重要な位置であったはず、とするもの。

2007-12-03 12:32:04 | 三鷹・歴史/地史
 しんぐるま の部材の多くは、欅、白樫、松である。入手の容易さ、硬さの違いなどを理由として、巧妙な使い分けられ方がされている。何度見ても見飽きない。

 庭には、樹齢300年は越えるであろう欅の大木を筆頭に、立派な白樫なども生えていて、行くといつもこれらを見上げたり、なでたりして、楽しんでいる。

 
 12/2発行の市報の中に欅のことを書いたコラム(みたかいきもの図鑑第13回)を発見。興味深い内容だったので、下にメモる。

1 農家では、南側に欅を、北側に白樫を植える。落葉樹である欅は、夏、日差しを和らげ、冬、日差しを受け入れる。常緑樹である白樫は冬の季節風を防ぐ。

2 欅の木部は建築材や臼に利用され、葉は堆肥の材料として最高級。

3 古語「ケヤケキ木」がなまって、けやき、という名になった。「ケヤケキ」とは、主として、「普通とは異なった」、「尊い、秀でた」の意で用いられた言葉。
大昔、欅は 槻(ツキ)と呼ばれていた。

3 欅の字のつくり、挙は、「人が両手でモノを差し上げた様子」を示す。樹形がそのような形。