水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(235)

2012-08-31 08:59:46 | 論語
鞠躬如、勃如、躩如、襜如、翼如、怡怡如、踧踖如(郷党第十の4)

鞠躬如(キクキュウジョ)、勃如(ボツジョ)、躩如(カクジョ)、襜如(センジョ)、翼如(ヨクジョ)、怡怡如(イイジョ)、踧踖如(シュクセキジョ)

孔子の宮中での態度。

鞠躬如=身をかがめてうやまうこと
勃如=顔色を変えること。緊張すること
躩如=衣を整えること。
襜如=足をめぐらし、避けて敬をなすこと。
翼如=左右の手を伸ばし、鳥のような形をとること
怡怡如=わわらぎ喜ぶ態度
踧踖如=恭敬する顔


いろいろ書いてあるのですが、わざとらしくて、うさんくさくて、興味ひかれるところがありません。

まあ、要は、人様に失礼のないよう細心の注意を払え、ということと解釈することとします。

論語(234)

2012-08-30 10:16:46 | 論語
勃如、躩如、襜如、翼如(郷党第十の3)

勃如(ボツジョ)、躩如(カクジョ)、襜如(センジョ)、翼如(ヨクジョ)

孔子が接待役を務める際の態度。この四種の態度を守れば、客は満足して帰る(賓不顧矣=客は後ろを振り返らない)、そうだ。

勃如=顔色を変えること。接待役をいいつけられたら、緊張しなさい、ということか。
躩如=衣を整えること。客にあいさつをするときは着物の乱れがないように。
襜如=足をめぐらし、避けて敬をなすこと。客から客への移動の際、失礼のないように、ということか。
翼如=左右の手を伸ばし、鳥のような形をとること。ある役目から次の役目に移る際の移動を堂々とせよ、ということか。

接客に際しては、誠心誠意を忘れるな、ということだ、と思うが、さて、上の四種の態度が、具体的にどれほど大切なのかわかりません。

とても、孔子のようにはなれん。

しかしそれにしても、大使の車にいちゃもんをつけるような人が出てくるとは。
なんでもあり、の国・民族なのですね~。
あの国でこそ、なんとか、論語を小中学校で叩き込んでいただけないものでしょうか。


論語(233)

2012-08-27 10:19:44 | 論語
侃侃如、如、踧踖如、與與如(郷党第十の2)

侃侃如(カンカンジョ)、如(ギンギンジョ)、踧踖如()シュクセキジョ)、與與如(ヨヨジョ)

前節に続いて、孔子の振る舞いを言っている(しばらく続く)。

侃侃=厳正剛直の意。侃侃諤諤(カンカンガクガク)=誠心を尽くして議論すること
=和らぎ敬う顔
踧踖=恭敬する顔
與與=威儀のよろしき顔

孔子は誰に対しても失礼のないような態度をとった。すなわち、年少者に対しては誠心を尽くし(侃侃如)、年長者に対しては尊敬し(如)、高貴の方々に対しては、うやうやしく意義深く(踧踖如、與與如)ふるまった。

フランクリーもいいのだけれど、こういう振る舞いも忘れてはならないように思う。特に、小中学校の先生に対する、最近の社会一般人の態度はいただけない。踧踖如とまでは言わないが、せめて、如で接するべき、と思う。

論語(232)

2012-08-24 09:14:10 | 論語
洵洵、便便(郷党第十の1)

洵洵(ジュンジュン)=信実の顔
便便(ベンベン)=弁舌の優れているさま

孔子の、時と場にふさわしい言動の見事さについて、次のように言っている。

郷党(村、郷里)の親しい仲間といっしょにいる時は、ペラペラしゃべらず、まるで言葉をしゃべれないような無口に徹し、洵洵とした態度をとる。
が、一たび、朝廷などの公式行事に参加するような場合は、言わねばならぬことを言う。それも、節度をもって、だ。


普通の人は、これとは逆の言動をする。気の置けない仲間といるときは、くだらぬことをペラペラしゃべるが、上位の人間がいるような場に入ると、借りてきた猫状態となる。

もういい年なのだから、心せねばと、つくづく思う。




解説員として(121)

2012-08-23 18:44:03 | 論語
今日の午前、解説当番であった。
朝から、猛烈な暑さで、自転車に乗るのもおっくうなほどだった。

見学者は、当然のことながら、ゼロ。
正確には、都内私学の中学生が一人。夏休み課題としてこれを選び見学済。今日は写真を撮りたい、とのことだった。

本日は障子の張り替え作業日。解説員有志5~6名、市職員2名で行われる作業にお手伝いとして参加した。
結局10時から14時過ぎまで、それにかかりきり。きれいに張り替えられた。
張り替え作業は完了できた。


午後の解説当番の方が無断欠勤。
よくないことですよ、これは。いろいろな人に迷惑がかかる。
帰るまで(14時すぎまで)に、二組の見学者。いづれも小学低学年連れ。彼らも、夏休みの宿題対策らしい。
市職員や、障子の張り替えにきていた方が対応していた。

今日は暑さで、いささかへばった。みなさん大丈夫だったであろうか。

論語(231)

2012-08-22 18:19:55 | 論語
唐棣之華、偏其反而、豈不爾思、室是遠而(子罕第九の32)

唐棣(トウテイ)の華(ハナ)、偏(ヘン)として其れ反せり、豈(アニ)爾(ナンジ)を思わざらんや、室(シツ)是遠し。

古代の詩だそうだ。意味は次。

唐棣(トウテイ)の花が咲いたが、花のそれぞれがそっぽを向いている。あなた(奥さん)のことを思わないわけではないが、ちょっと遠くに離れすぎたもんで。


この歌に対する孔子の感想が次に述べられる。

(本当は)奥さんのことを思ってはいないのですよ。真剣に思っていれば、距離なんてなんてことありません。


なんで、唐突にこんなことを言うのだろうか。
もしかしたら、前節と関係があるのかもしれない。

遠くにいる奥さんのことを真剣に思うように、「権」について考えればなんとかなる、と解釈すべきかもしれない。

よくわからない。
ただ、申し訳ないが、孔子の感想より、示した「古代の詩」のほうが味わい深い。

論語(230)

2012-08-20 10:11:26 | 論語
可與共学、未可與適道
可與適道、未可與立
可與立、 未可與權(子罕第九の31)

與(トモ)に共(トモ)に学ぶべし、未だ與(トモ)に道に適(カナ)うべからず
與(トモ)に道に適(カナ)うべし、未だ與(トモ)に立つべからず
與(トモ)に立つべし、未だ與(トモ)に權(ハカ)るべからず

学=人としてどう生きるべきか考えること
道=人としての生き方を実践すること
立=自らの実践を社会に広める立場を得ること
權=差引見計らって、丁度のところを考えること

キーワード四つを上のように解釈したが、さて、これでいいか?

いずれにしても、孔子は最後の「權」を重視していた、と解釈できる。


おのれの主張を声高に主張している隣国も、当然、落としどころを見極めようとしているわけで、知力や胆力で負けてほしくない。


論語(229)

2012-08-16 18:37:04 | 論語
智者不惑、仁者不憂、勇者不懼(子罕第九の30)

智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(オソ)れず


論語を読んでいると、あの国で論語が生まれ、周辺に広がった理由がよくわかる。

自らを律する教えを徹底しなければならないほど、激しい生存競争繰り返される地域なのだ。
ぬるま湯につかりきった、今のこの国が相手にできるほどヤワではない。
ネチッコク、適当な喧嘩ができないなら、早いとこ尻尾をまかざるをえまい。

敷地境界争いは、しんどい。

智者+仁者+勇者が、今のこの国に 居てくれるであろうか? 居てほしい。祈る思いだ。

論語(228)

2012-08-14 09:43:18 | 論語
歳寒、然後知松柏之後彫也(子罕第九の29)

歳(トシ)寒く、然る後松柏(ショウハク)の彫(シボ)むにおくるるを知る。


有名な四字熟語のひとつ、歳寒松柏(サイカンのショウハク)の原典だ。

例年にもまして寒い時期であっても緑を保つ松柏(のように生きたいものだ)と、解釈していた。

上の元文を読むと、次のような解釈となる。

例年にもまして寒い時期になってはじめて、残っている緑が松柏のみであることがわかります。
(逆境になってはじめて、人間の価値の大きさがわかるものです)


政権党から、逃げ出す人々があとを絶たない。
はやいとこ泥船から逃げ出せ、ということだろうが、そのさもしい精神は見るに堪えない。
逃げ出すなら、まず、議員資格という特権の放棄からはじめてほしい。

あの政権党の中にも、一本ぐらい、真の松柏があってもいいように思うのですが。甘いでしょうか。


なお、
柏=ひのき(中国では)であって、かしわ(和読み)ではない。

論語(227)

2012-08-13 10:46:02 | 論語
不忮不求、何用不臧(子罕第九の28)

忮(ソコ)なわず求(モト)めずば、何をもって臧(ヨ)からず

忮=そこないもとること。聴き従わぬこと

人様のおっしゃることに耳を傾け、人様に無理強いしないようにしていれば、よくないことには決してなりません。


孔子の弟子、子路の座右の銘であった、この言葉について、孔子は次のように言った。

是道也、何足以臧(是の道や、何を以って臧(ヨ)しに足る)=この、子路の考え方でいくと、よいことがおこるようにするにはどうすればいいのですかね。

ネガティブに考えず、ポジティブに行動しましょう、ということでしょうか。


それにしても、テレビでの五輪中継を見ていると、隣国の国々の方々の言動から、儒教を連想することはとてもできません。

自己主張が激しすぎるから、己を抑える儒教が必要であったのか、海を渡ってこの国にきて、この国風に儒教が変質してしまった、のか。


解説員として(120)

2012-08-09 15:07:39 | 論語
今日の午前、解説当番であった。

見学者は、二組計6名。いずれも、小学校低学年が主役。

大人になって、ふっと思い出してくれればいいな、なんてムシのいい思いで話をしたが、さて、どうであったろうか。

いつものことだが、子供より、親ごさん、や祖父母のほうが興味深々。

どちらも、特別公開に申し込む、とおっしゃっていた。


縁側に、ドイツ語主体(仏語、伊語まじり、英語はほんの少々)の小冊子が三部おいてあった。

極めていいかげんな解釈だが、スイスの水車同好協会の機関誌(年一冊発行)で、スイス全国の協力公開施設ガイド(2011版では127箇所)したものだ。

管理の方によれば、三鷹市の水車に協力いただいている、Ko先生が、仏語通訳をつけ、外人さんをおつれになったそうで、そのとき、このパンフを置いていかれたそうだ。


機械遺産になっているし、すぐ近くにICUもあることだし、ここも英文パンフはつくっておくほうがよい。

このように市に提言すると、通常答は「外国人見学者の数はどれほどか?」と問い返される。

この問答は、ニワトリ/タマゴ論争にして、話をぼかそうとする常套手段。
外人見学者が多いから英文パンフをつくるのか、多くの外人に見てもらいたいからパンフをつくるのか。
当然、後者でしょう。
三鷹に外からたくさんの人がきてくれるよう努力しなければ・・・と思うのです。


論語(226)

2012-08-06 10:31:06 | 論語
衣敝縕袍、輿衣狐貉者立而不恥者(子罕第九の27)

敝(ヤブれたる)縕袍(ウンボウ)を着て、狐貉(コカク)を着たものと立ち会っても、恥ずかしく思わない人


ボロボロのドテラを着た状態で、毛皮を着ている人と立ち会えば、普通は気おくれするものだが、そうならない人もいる。(それは弟子の由だよね)

凡人にはこうはいかない。特に東京では誰もが、第一印象としての服装は決定的な作用をする(と思って行動している人が多いのではないか)。

「浮世は衣装七分」と言いたい。

しかしその一方、「衣ばかりで和尚はできぬ」、も真である。

人間の本質を見抜く眼力をどのように身につければよいのか。

新人解説員講習

2012-08-05 10:29:09 | 水車解説関連
昨日、新人解説員講習に参加した。

現地で、解説の概要を把握することが目的で、おのれの経験をみなさんに披瀝せよ、とのことであった。

受講者数は4。少々さびしい。募集がかかったとき友人に声をかけたのだが、断られてしまった。


体験を話した解説員は、おのれのほかは、大ベテランのKさん。さすが、そつなくお話になる。

こちらは、このブログの解説員日記から、二・三の記事を抜きだし、話をした。

5~6年前の自分を思い出し、「初心忘れるべからず」と肝に銘ずることができた。


また、見学者が喜ぶ話題をいくつか、ブラインドカードにし、アットランダムに選んでもらい、ペラペラしゃべろこともした。
気に入っていただけたか、効果があったかどうか、は不明。
が、年寄りとしての最小限の義務(若手に引き継ぐという行為)は果たせたのではないか。






解説員として(119)

2012-08-02 18:26:36 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。
家の中から眺めて感じる暑さほどは暑くなかった。常時吹く風のせいだ。

ウェーン。ついに今日も見学者ゼロ。これで、六連続じゃ。
お祓いにいくべきか、迷い始めた。

読んだ本、白川道、 道徳不用 俺ひとり、幻冬舎
夕刊紙に連載した世相評論。
すっかり牙が抜けた。凄味がない。

管理担当者1名が今日から交代。前任者は確か2か月のみ勤務であった。面白くない仕事かもしれぬ。

市担当者2名がきて、不用品整理に汗を流す。ご苦労様でした。