退而省其私、亦足以発(為政第二の9)
退(ノ)きて其の私を省(ミ)れば、亦持って発するに足れり
(上司・先輩・年長者)の前ではない場面での私行を観察すれば、その人がしっかりした自分の意見を持ち、それを発表する力を持っているかどうか、わかる。
孔子が弟子の回について評価した言葉。
孔子の前では愚者のようだが、彼の、孔子から離れた場での言動をみると、愚者ではないことがわかる、と言っているのだ。
これは大変難しい。ほとんどの人は、権力を持った人の前では従順だ。そんな場で異を唱えようなら、すぐに飛ばされる。このような状態を長く続くと、権力者のまわりはイエスマンばかり、結局「裸の王様」になるのがおち。
一方で、上のような、孔子の見解もある。
要は、人を見る目を養いなさい、ということか。
退(ノ)きて其の私を省(ミ)れば、亦持って発するに足れり
(上司・先輩・年長者)の前ではない場面での私行を観察すれば、その人がしっかりした自分の意見を持ち、それを発表する力を持っているかどうか、わかる。
孔子が弟子の回について評価した言葉。
孔子の前では愚者のようだが、彼の、孔子から離れた場での言動をみると、愚者ではないことがわかる、と言っているのだ。
これは大変難しい。ほとんどの人は、権力を持った人の前では従順だ。そんな場で異を唱えようなら、すぐに飛ばされる。このような状態を長く続くと、権力者のまわりはイエスマンばかり、結局「裸の王様」になるのがおち。
一方で、上のような、孔子の見解もある。
要は、人を見る目を養いなさい、ということか。