水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(187)

2016-04-28 09:49:33 | 古今和歌集
120 わがやどにさける藤波 たちかへりすぎがてにのみ人の見るらん
家に藤の花さけりけるを、人のたちとまりて見けるをよめる
みつね

すぎがてに=過ぎる+難い

我が家に咲いた藤の花を、道行く人々が見てくださるのですが、(たぶん、その美しさにゆえでしょう、)通り過ぎてはたちどまって、じっくりごらんになっています。


この季節は、花が次々と咲き、きれいですね~。
加齢のせいでしょうか、咲き誇る花々を、しみじみとした心境でながめられるようになった、きょうこのごろです。

古今集(186)

2016-04-25 10:31:59 | 古今和歌集
129 花ちれる水のまにまにとめくれば 山には春もなくなりにけり
やよひのつごもりがたに、山をこえけるに、山河より花のながれけるをよめる
ふかやぶ

川面に浮いている花をおいながら、上流に向かったのですが、まだ木についたままと思っていた上流でさえ花は散ってしまっていました。

とめくる=尋め来る

今日を旧暦では三月二十日ごろでしょうか。ですから、弥生のつごもり、というと、あと十日、五月連休ごろ、ということになります。
そんな季節における京都周辺の山の風景を詠った歌です。

ちょっと、出歩きたくなる季節になりましたか~。
その前に、庭の草むしりをせねばなりません。

古今集(185)

2016-04-21 11:26:34 | 古今和歌集
1013 いくばくの田を作ればか ほととぎす しでのたおさを朝な朝な
題しらず
藤原としゆき朝臣

どれだけの田んぼを作ればいいのですか、ホトトギスさん、そんなに、「シデノタオサ」とせかさないでください。

シデノタオサ=垂幣の田長=田植えを指揮するリーダー


街路のツツジのつぼみも大きくなってきた。いよいよ今年も田植えの準備で忙しくなる季節の到来だ。


しかし一瞬にしてすべてが無に帰した、熊本での被災者のみなさんの心の内をおもんぱかるに、なんともやるせない春だ。

それでも時計は動く。わが身のこととし、日々を緊張してすごさねば。

古今集(184)

2016-04-18 11:25:41 | 古今和歌集
1093 君をおきてあだし心をわがもたば 末の松山浪もこえなん
陸奥歌(東歌)

あなたをさておいて他の人に心をよせる、なんてことをこの私めが持つなんて、末の松山を浪が越えるようなことで、決しておこりえません。


末の松山=末松山宝国寺(多賀城市)


あの東日本大震災を越えるような津波が発生した、とされる貞観地震(869/7/13、M8.4)のときでさえ、末松山宝国寺の寺域に津波が到達することはなかった。
つまり、津波が末の松山を越えることは決してありえない、という前提でこの歌が詠まれている。


この貞観地震を前提に、福島など東北の原発の施設設計がなされていれば~~~~、と随分言われたものでした。だんだんぼやけています。原発も次々に稼働されていきます。


そして、今度は熊本です。
理科年表で、貞観地震の次の地震には、次のように記載されています。

「878/11/1、M7.4,関東諸国:相模・武蔵が特にひどく、5~6日振動がとまらなかった。公私の屋舎ひとつも全きものなく、地陥り往還不通となる。圧死多数。京都で有感」(伊勢原断層が動いたのでしょうか?)

なにがいいたいか?

この国に住む限り、常在戦場。一瞬にして難民になる覚悟を持っていないと!

被災地の復興にむけた活動に、できるかぎり協力するぞ!

古今集(183)

2016-04-14 11:53:19 | 懐風藻
428 今幾日 春しなければ うぐひすも物はながめて思うべらなり
すももの花
つらゆき

春もあと何日かで終わってしまいます。それを共に惜しんでいるかのように鶯も物思いに沈んでいるようです。

「うぐひすも物か」の部分に「スモモ」を読み込んだ歌なのだそうだ。

不思議なことに古今和歌集には桃の歌がない。
それで、やむをえず、本当は桃の花を詠った歌を載せたかったのだが、上の歌を載せることにした。
スモモと桃の区別はつけることができますので、ご安心を。


昨日、友人の案内を得て、中央道釈迦堂博物館に行った。
まさに桃源郷!桃の花が満開でみごとなものでした。釈迦堂PAに車を止め、徒歩で外に出ることができるようになっていてまことに便利。


万葉集19巻に、次のような歌があるそうです。

春の苑(ソノ)、紅にほふ桃の花、下照る道に 出でたつ少女(オトメ)

少女がいればよかったのでしょうが、まさにこのような状景でした。

古今集(182)

2016-04-11 11:09:33 | 古今和歌集
93 春の色の至りいたらぬ里はあらじ さけるさかざる花の見ゆらん
題しらず
よみ人しらず

春がやってくる気配は、どこでも同じように感じるのに、同じ花であっても、咲いているものと咲いていないものとがあります。


たとえ同じ種類に属する花であっても、年齢、植えられた場所、などの違いによって花の咲く時期が微妙にずれる。
しごく当然の状景を詠った歌、と解釈されます。


本当は、花にたとえて人間のことを詠っているように感じます。

同じ才能を持っていても、それが表に出てくる時期は人それぞれ、といいたいのか、それとも、少女から娘への変化を詠いたいのか?







古今集(181)

2016-04-07 09:47:53 | 古今和歌集
731 かげろふのそれかあらぬか 春雨の降る日となれば袖ぞぬれぬる
題しらず
よみ人しらず

なんだかよくわからないけれど、春雨が降ると袖が濡れてしまうんですよね~。


これだと、なにがなんだかわからない。

ここはどうやら、「降る日と」を「古人」と読むらしい。
そうすると、

どうやら、あの後姿は、昔のあの方に違いない。そう思ったとたん、涙がにじんできちゃいました。


この歌では、「かげろふの」と「春雨の」は、意味のない、ごろ合わせの言葉と、理解しておくほうがよいようだ。


このように、技巧に走りすぎた歌はどうも苦手だ。
古今集編纂責任者のつらゆきさんは、気に入っていたのでしょうかね~。


古今集(180)

2016-04-04 10:06:57 | 古今和歌集
85 春風は花のあたりをよぎてふけ 心づからやうつろふとみん
春宮(トウグウ)のたちはぎ(帯刀)の陣にて、桜のちるをよめる
ふぢはらのよしかぜ

(桜が散り始めました。)風さん、どうか桜をよけて吹いてくれませんか。桜が風の力ではなく、自分の意志で散っているのかどうか確かめたいのです。


桜と潔さ、の関係がもうこのころから言われていたのでしょうか。それも、宮廷武官の詰所で詠まれたものです。興味深い歌です。


今年はまだ花見に行っていません。今日、と思っていたのですが、あいにくの雨。明日ですかね~。