水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

栄枯盛衰

2009-01-30 09:20:49 | 雑感(1)日常
 最近読んだ本、「人は死んだらオシマイよ」(山田風太郎、PHP文庫、2006年)、のP80に次の文がある。

「栄枯盛衰は世の習いで、それについての価値観もがらっと一変するのは、これまた世の習いである」

 この人が書いた戦中戦後の日記を、テレビで朗読していたことがあり、どのような人か気になっていた。その名言集としてまとめた、上の本はなかなか読ませる。

 気に入った文章のいくつかを、下にメモる。

「日本は面白い国でね、もし東京裁判がなければ、東条英機も死刑になってないで、まだ生きてるよ。寿命のある限りを尽くしてね。~~~~~そんなふうに、日本では前代の者を滅ぼさないで、必ず使うんですよ。中国なんか前代の者は皆殺しだからね」(P70)

「日本がいま経済大国となり得た最大の理由はこういう非情無神経な新陳代謝が可能であったせいともいえる」(P76)

「日本人が独創性のないことについて、どうやら根は深いようだから、一朝一夕には矯正できないかも知れない」(P90)

「そもそも日本の復活そのものの原動力は、何よりもまず、すぐれたものにケンキョに学ぶ、という日本人の柔軟性でした。~~~~~日本人はこの特性を失ってはいけません」(P133)

「みんな、日本が破産状態になるとか何とか脅すけど、太平洋戦争の敗北のときでさえしのいだんだから、あれに比べりゃ、いまはコップの中の嵐みたいなもので、破滅状態にはならんと思う」(P175)

「もしもあのとき?過去をふりかえるとき、人はしばしばこんな興味にかられるが、しかしすぐに苦笑とともにそれを捨ててしまう。すんだことは、選択がきかないからだ」(P117)

「う~ん、人生とはひと言でいうなら「偶然」だな。だいたい、人類が発生したのが偶然らしいんだがね」(P142)

「ぼくは威張るのも嫌いだけど、威張られるのも嫌いでね」(P158)

「私は座右の銘など持たないのだが、強いていえば、「したくないことはしない」という心構えだ」(P162)

 
 シンクロする部分が多く、それが意外に感じる本であった。

ペルガモン展ボランティアガイド(12)

2009-01-26 08:26:20 | ペルガモン展関連
 昨日の午後、中近東文化センターでの解説当番だった。
水車当番が午前(13時)で、なんということか、かけもち。スケジュール設定ミス。30分早く上がらせていただく、というご迷惑を掛けた。

 総計50名程度の来館者であったか。

 トルコ、しかもペルガモン遺跡に行く旅行者は極めて少ないはずだが、なんと、そこに行かれた方々の見学が目立った。たいしたものだ。

 前にも書いたが、始めに展示の意図を説明すると、喜んでいただけるようだ。

また、付けヤイバの、ヘラクレス結び、で何回も盛り上がった。

 歩き回る方は、だいたい、なにか問題を抱えている。昨日も、若い男の子が、やたらうろうろするので、「なにかお探しですか?」

「はい、卒論で、刃について和洋比較をしたのですが、教授が、写真がないか、というのです。いろいろな博物館に行ったのですが、見つけられません。ここもないので、どうしようかと考えているところです」

「む~ん。私の知る限り、ここにもないですね。受付を通して学芸員の先生に相談してはどうでしょう。」

 その後のフォローはしていないが、さてどうなったか。
卒論に悩む学生さんを、なにか頼もしく感じるのは、こちらの年齢のせいか。ご本人は「ひとごと、だと思って!」と、お怒りになろうが。

解説員として(38)

2009-01-25 18:16:57 | 解説員日記
 今日、1/25、午前、解説当番であった。

近来にない快晴で、つい、七中横の崖の階段に出てしまった。富士山の眺めが素晴らしいはずだからだ。案の定、丹沢山塊の後ろにひかえる、純白の富士山をたんのうした。証拠の写真を示す。望遠で撮りたかった。

 午前中の見学者は総計15名程度であったか。ほとんどの方が深大寺方面へのウォーキング途中で立ち寄り。

 小学生の娘さんお二人を伴ったご家族のほのぼのとした雰囲気がもっとも印象に残った。5年生のお姉さんは理解していただけたようだが、一年生の妹さんにはちょっと難しかったかもしれぬ。この辺、今後、検討しておくべき課題だ。

 一般に、いつものことだが、江戸時代末期製作の木製全自動製粉機にくると、みなさん、びっくりなさって、ウナル。それを見るのが、なんとも楽しい。

 午後には、団体の見学が入るらしい。三鷹ネットワーク大学で、三鷹通(つう)養成講座が開かれており、その一環だそうだ。午後当番は大変であろう。

 

回想の明治維新

2009-01-23 11:00:49 | 雑感(5)その他
 標題は最近読んだ本(岩波文庫、メーチニコフ著・渡辺雅司訳・1987年発行)の題名。

 1874年(明治7年)から、ほんの1年半の間、日本に滞在したロシア人の書いた本だ。帝政ロシアから尾行者がつくほどの危険人物で、天才的な語学才能を有し(日本語も含め15ヶ国語ペラペラ)、いわゆるお雇い外人ではなく、日本の明治維新に強い興味を持ち、それを見に来た男だ。

 とにかく、明治維新は土着革命だ、日本人は雑種民族だ、機敏で外からの感化を受けやすい、機知に富みひょうきん、文学・書道好き、などなどその観察眼たるや瞠目に値する。今でも、決して古くなく、実に面白い。メモりたい文章はいくつもあるのだが、ここでは次を紹介するにとどめる。

「日本ではほとんど太古以来、たとえ権力者が変わろうと、国民教育の組織化は、つねに政府の主要関心事であった」(p231)

「国民教育を国家の最重要課題と見る習慣は、政治発達のごく初期において、すでに国民意識のなかに深く根をおろすまでになっていた。だからこそ、つづく千年間にどんな恐慌と激動が襲ってきても、日本は、なおも迷信と暴力の暗黒時代にあったロマンスーゲルマン系ヨーロッパを尻目に、しっかりと自分の足で立つことができたのである」(p247)

 昨今の世界の激変について、マスコミが騒ぎ、それによって浮き足立つ向きも出てこようが、上のような、民族固有の特性ついての観察があることを意識しておくことも大切だ。
日本はヤワではない、ということ!
 

ヘラクレス結びは本結び

2009-01-20 09:42:08 | ペルガモン展関連
 前回、ヘラクレス結びと呼ばれる結びが、俗にいう、固結び(本当は、本結び、というらしい)であることがわかり、な~んだ、となった。しかし、これが結構奥深い。

 装身具など、装飾品の線細工にもこの結びをよく見かけるが、これを、もとにさかのぼると、ヘラクレス結びにたどりつく。なぜなら、古代ギリシャ・ローマでは、ヘラクレスにちなんで、この結びをお守り、としたからだ。

 そんなことを調べていたら、大昔、ある会議である外人が「それはヘラクレスの決定だ」なんて発言したのを思いだした。その時は、知ったかぶりして、「そうだ、そうだ」なんていったのだが、あれは、どうもギリシャ神話に元を取った、西欧人の常套句らしい、と今気づき、恥ずかしくて顔がほてってきた。

 とにかく、ヘラクレス結びの背景を、とりあえず、次のところまで調べた。

①ヘラクレス結びは、昔も今も西欧では「お守り」だ。
②ヘラクレスはエウルステウス王(Eurystheus)から、12の難題をつきつけられた。
③この故事から、極めて困難な難題に立ち向かうとき、西欧人は「ヘラクレスの挑戦」ということがあるらしい。
④難題のひとつに、ネメアン(Nemean)ライオンとの戦いがあった。このライオンの皮は刃物を通さないので、ヘラクレスは棍棒で殴り失神させ、絞め殺した。
ヘラクレスは、この後、兜の代わりに、この皮を被った。
⑤この皮を被ったときの結び目が、本結び、すなわち、ヘラクレス結びであった。
⑥かくして、ヘラクレスの強さにあやかり、ヘラクレス結びを「お守り」として使うようになった。
 
 いろいろなところでよく見る、ヘラクレス像が、なぜ棍棒を持ち、なぜライオンの皮を被っているのか、わかったような気がしてきた。恥ずかしながら、今頃です。

 しかし、今度は次のような疑問が沸いてきた。
今回の展覧会では、パキスタンで発掘された紀元後数世紀の、菩薩の姿にヘレニズムが影響している、と説明する。その種のひとつに腰紐の結びが固結び(すなわち、ヘラクレス結び)であること、がある。
これはちょっと早計ではないか。古代ペルシャ/インドでは固結びは無かったのだろうか。この辺をきっちり押さえた後、あの菩薩の腰紐の結びはヘラクレス結び、といわねばならぬのだろう。

 いやいや、ちょっとこだわりだすと、分からないことだらけになる。適当に、適当に!
 

 

ペルガモン展ボランティアガイド(11)

2009-01-18 17:45:15 | ペルガモン展関連
 今日は、終日ガイド当番であった。午前中は少なかったが、午後特に、講演会があったのだが、そのあと、どどっと見学者が増え、右往左往した。話かけない人がどうしても出てしまうが、これは仕様がないかな、と思う。

 展示企画の意図を、第一室では、「アレキサンダー、カール・フーマン、ペルガモン」、第二室では、「ヘレニズム、ガンダーラ、平山郁夫」をキーワードとして示し、全体をなるべく簡単に説明するようにしている。学芸員から、特に注意もないので、しばらくこれで通そうと考えている。
個々の展示物については、こちらから積極的には説明せず、質問に答える形で対応している。
日曜日は、プロはほとんどいらっしゃらないようだから、これでよさそうだ。

 今日は一組のみ、「説明しましょうか?」、「必要ありません。結構です」、とのやりとりがあった。プロを見抜けず、失敗。

 菩薩立像の腰紐の結びについて、カタログに、わざわざ、「ヘラクレス結び」と書いてある。どうみても固結びなので、だいぶ前から、どのような結びなのか、とワイワイ騒いでいたら、学芸員がその研究をなさった方の論文のコピーを見せてくれた。なーんだ。やはり、固結びだ。本結び、が正式名称らしいが。
ちょっと騒ぎすぎたかも。家に帰って、グーグルで検索したらすぐに出てきた。

とにかく、古代ギリシャでは、本結びが特別な意味を持つ結び方であったらしい。


ペルガモン展見学

2009-01-17 13:21:29 | ペルガモン展関連
 昨日、大学時代の友人が、中近東文化センターを見たい、というので同行した。

友人は65歳以上割引、こちらは市民割引で入った。

ボランティアガイドをやっていることを隠していたが、こちらの顔をご存知の方がいらっしゃり、ばれた。

 無理やりお願いし、Nさんの説明を受けた。シリアでの発掘に参加なさるほどの、古代中東文化に造詣の深い方であった。企画展のみならず常設展の解説もお願いしてしまった。
カフェ・ロータスを利用するつもりであったが、閉館時刻直前まで、展示物見学を堪能した。

 こちらの知らない話をたくさん聞かせていただけたし、もちろん、友人のほうも、「使っていない脳が動いた気がする」、と満足気であった。

 友人も感じたようだが、展示物についての知見が自分よりレベルが上の人の説明を受けながら見学することはとても大切だ。質疑応答を通じ、全く別な視野を開くことができるのだ。

 これからは、ガイドがある展覧会では、必ずお願いしようと思っている。
一方、ガイドサイドの心構えとして大切なことは、決して見学者の邪魔になってはいけない、ということだ。Nさんは、この点でも見事であった。見習わねば。


 

ペルガモン展ボランティアガイド(10)

2009-01-11 18:26:27 | ペルガモン展関連
 今日の午後(実は、午前もだったのだが、所用があって、午後のみとさせていただいた)、ガイド当番であった。

さすが日曜日だ。午後だけで、見学者数は50人を越えたようだ。それでも50人だ。静かなものだ。

 ある同僚が、質問された時のみ話をする、とおっしゃったのを聞き、見学者と、どのように接するべきか、迷う一日であった。
 ここの見学者はプロもしくはセミプロらしき人が多い。このような方々は自らの世界に入り込んで、展示物をご覧になるから、蝿みたいな素人ガイドなんかに声を掛けられると、まず不快感をあらわになさる。こんなときはすばやく退散する。
 しかし一方、素人にとっては、最初に展示コンセプトを聞くか聞かないかは大きい。展示全体の印象が全く異なるはずだ。
 だから、我々にとっては、個々の見学者を 素人であるかないか、判断を的確にすることはとても大切だし、いい勉強だ。ひそかに、なんとか、百パーセント見抜けるようになりたいものだ。

 展示物の一部が変更された。劣化対策の一環だろうが、目玉ともいうべきいくつかがしまわれていた。この時期の見学者はちょっと損をすることになる。
このような展示替えは、一般的なのだろうか。もしそうだとすると、ひとつの展覧会について、展示替えごとに見る人が見学者として、本当のプロなのだろう。

  

解説員として(37)

2009-01-09 17:39:35 | 解説員日記
 昨年の5/26以来の、しんぐるま当番日である。

 なんということか、昨日の時点での天気予報は雪。朝外を見ると、雪ではなかったが、冷たい雨。

 管理担当の方が、「今日はお客さんはないですよ」とおっしゃる。
二人でこたつ(これが、電気がついているかどうかわからないほどぬるい。漏電などを心配し、火気厳禁の施設だ。寒い寒い)にもぐりこんで、とりとめのない四方山話で終わった。

 見学者ゼロ。五日に再開されたが、見学者ノートによると、昨日までの見学者は、一日当たり、十人未満。

 半年間の休館中に、建物の北の壁がきれいになった。また、写真で示したように、屋根の一部も葺き替えられた。

 写真といえば、こんな話もある。
昨年の2月3日が大雪で、その日解説当番で、「しんぐるま」周辺で何枚かスナップ写真を写した。そのうちの一枚を「まちづくりフォトコンテスト」に出すことにした。

 腕最低、道具下(ゲ)、ただただ雪景色が珍しかろう、という作品。

 ちょっとずうずうしすぎるか、と思ったが、まあいいや。話の種じゃ。
乞う、ご期待。

初詣

2009-01-05 10:47:57 | 雑感(1)日常
 ほろ酔いで 願い事かよ 初詣

 本年最初の、おそまつ、一句である。
アルコールを入れながら、おせちと雑煮を食べ、受け取った年賀状を見て・返事を書く。その後、投函しがてら地元の神社にお参りする。
我が家の元旦の決まりごと、だ。

 いつも思う。人様になにかを頼むときは、シラフで行くのが礼儀でしょうに、日本の神様・仏様は、酒気帯び・酩酊をお許しになる。本当に寛容だし、ありがたい。が一方、こんなにへろへろ酔っ払っていては、さすがの神様も、俺の願いを聞きとげなさるまい、とも覚悟している。
この辺のいいかげんさは、ヤオヨロズの神を戴く、日本人固有の宗教観に根ざした特性なのだろう。

 新年早々、三つの宗教の聖地が錯綜するエルサレム近傍で、殺し合いが一段とエスカレートした。一神教同士の争いの宿命なのかもしれないが、なんとかならないか。

 一方、この国の派遣切り問題も、一刻もはやくなんとかしてほしい。どこかに狂いがきているとしか思えない。

 首相は、国民の安寧と国家の繁栄を祈念なさったそうだ。やれることから、さっさとやってください。お願いします。