水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(158)

2012-01-31 09:27:14 | 論語
詩書執礼、皆雅言也(述而第七の17)

詩、書、執礼、皆、雅言なり


孔子の言葉づかいについて、言っているのだが、雅言(ガゲン)をどのように解釈するか。

① ただしき言葉
② 常にいう言葉

①の解釈だと、
孔子は、詩、書、礼式などすべての場において、標準語(または文語)を用いました。

②の解釈だと、
孔子は、詩、書、礼式などすべての場において、地方語(または口語)を用いました。

どちらも捨てがたい。
強調しようとするところが、権威のおおきさにあるか、親しみやすさにあるか、の違いが解釈の違いにつながるように思うのですが。

個人の趣味としては②を取ります。宮沢賢治の魅力に通じるような気がするからです。





解説員として(102)

2012-01-30 19:59:21 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

見学者ゼロ。

持参した本の読書と居眠り、で終わった。

持参した本は、
講談社文芸文庫、戦後短編小説再発見15、笑いの源泉

難しいものばかりで、よく理解できなかった。

特に、花田清輝著、伊勢氏家訓 は、解説によると、風刺的語り口のいっそう手の込んだ、ほとんどアクロバットのような例、なのだそうだが、まったく歯が立たず、もどかしく読んだ。

それもあってか、爆睡してしまったようだ。

伊勢氏家訓として、次の文が紹介されている。

「前きろめきものに構いて知音すべからず。悪き事をも面打にいいて教訓する人は真実大切なり。気に合わぬことをいうと思いて眉をひそむる、愚痴の至りなり」

しごくまっとう。

論語(157)

2012-01-27 09:12:45 | 論語
加我数年、五十以学易、可以無大過矣(述而第七の16)

我に数年を加え、五十を以て易を学べば、大過無かるべし


これには、誤字がある、とか、種々の解釈があるらしい。

が、ここでは、素人らしく、文章を素直に読むことにした。たぶん間違っている、とは思うが。

すなわち、これは孔子が47~48ごろの言と考える。すると、


私(孔子)は、あと数年たって50歳になったら、占いをやろうと思います。

それなりに年輪を重ねたので、(予言等に)大きく間違うことはないでしょう。


いいたいことは、易(吉凶禍福を占うこと)は若い人が追及する問題ではなく、老人の学問、だということ。




論語(156)

2012-01-25 09:05:17 | 論語
不義而富且貴、於我如浮雲(述而第七の15)

不義にして富且つ貴きは、我において浮雲(フウン)のごとし


四字熟語で、「不義富貴」や「浮雲富貴」などの表現で知られた、孔子の言。

「義」=自らの行動を考えたときに、人間としてはずかしくない、と断言できるようなこと

「浮雲」=風まかせの雲のように、たよりないこと

もし、私(孔子)が、人間としてはずかしい行為によってリッチになったり、ステイタスがあがったりしたとしても、しょせんそれは、あやうい一時的なものにすぎない。


このところ、プロ野球選手の米リーグ挑戦ポスティング報道が賑やかだった。
テレビで彼らの会見報道を見、他の選手に比し、ダルビッシュのただ物でなさ、に感じ入った。

たぶん彼は、「義にして富且つ貴き」を目指し、「浮雲」とは正反対の、地に足の着いた人生をおくれるのではなかろうか。

解説員として(101)

2012-01-23 16:51:49 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

寒いし、天気予報も夕方から雨、といっているし、午前の見学者はゼロだったそうだし、そうこうしているうちに、雨がジャバジャバ降り出すし、電気ストーブにあたりながら、ボケッとしていたら、いらっしゃったのです。奇特な方が。

こちらの話を聞いてくださる、というのは苦手な様子だったので、極力聞き役に徹することとした。

お話の概要が以下、

・杉並区にお住まい。
・昔は中央区にお住まい(江東区のある地名を言ったら、川向うではない、と気分を害された。江戸っ子のプライド傷つけたようだ)
・伊勢湾台風を原因とする高潮対策事業の実施により、お父上の造船会社を閉鎖
・終戦直後には、米軍の将校がウチに船(モーターボート)を置いていた。アメリカの菓子をもらったものだ。
・今は防災製品を作る会社をやっている
・心臓手術後のリハビリで毎日歩いている。
・歩く場所を決めるのが難しいし、楽しい。
・今日は12000歩、歩いた。2時間。竜源寺の前からバスに乗ろう。

・ギア(万力)のかみ合わせが、なかなか凝っている。面白い。
・この大きさだったら、10馬力なんてもんじゃないよ。
・なかなかいい見学ができた。

ご満足いただけたようだ。


ごまめの歯軋り(4)

2012-01-21 12:52:35 | ごまめの歯軋り
久しぶりに、このカテゴリーで書いておきたくなった。

ある時期から、原発事故に関する政府発表、マスコミ報道を信用していない。

この国のトップVIP達の「知らしむべからず」の態度がみえみえになって、絶望したからだ。


このところ、SPEEDIの結果を米軍に知らせていた話が出てきて、いままた愕然としている。

予測結果は首相官邸にも提出されたが、官邸職員が、首相/官房長官に報告しなかった、そうだ。

この話、本当だろうか?
本当であったら、この官邸職員は、公務員法違反どころではない、国益に反する重大犯罪を犯したことになる。

責任は徹底的に追及されなばならない。江戸時代だったら即切腹でしょう。でも、たぶんこのままウヤムヤになるのだろう。

そもそも、SPEEDIの基本は拡散方程式の数値解析のはずだから、理論的にはどうってことはないシミュレションモデル。
何百億円なんてかかるはずないし、かかったとすれば、コンピューターの容量を大きくするため。

こんなものにこんなに金をかけながら、計算結果を、なぜ、対策に活用しなかったのか?
予測結果に基づいて、現地調査をしておけば、汚染砕石の拡散なんておきるはずがなかった。

原子力政策に携わってきた人々から、まだ懺悔すら聞こえてこない。
シレーッとした顔をテレビ見るにつけ腸が煮えくりかえる。

たぶん、事に当たって、雁首そろえて、右往左往していただけではなかったか?

無能人間の集団に占拠されているらしい、この国の中枢の今を想像すると、心の底から、腹が立って、おさまりがつかない。


論語(155)

2012-01-18 11:04:42 | 論語
求仁而得仁、又何怨乎(述而第七の14)

仁を求めて仁を得る、又なんぞ怨みん

公冶長23(昨年9月に記事にした。兄弟譲り合い、どちらも帝位につかなかった話)とつながっていて、彼らは、仁をつらぬいたのであるから、互いに憎み合うことはないですよ、と言っている。

衛という国で、帝位を巡って親子が争っている場に、もしかしたら孔子が介入するのではないか、と弟子が心配したが、それは杞憂であった、というオハナシ、と想像する。

つまり、仁を貴ぶ孔子は、仁にはずれるような人を決して助けることはしないはずだ、と弟子たちは理解した、といいたのだろう。



論語(154)

2012-01-16 09:47:24 | 論語
不図為楽之至於斯也(述而第七の13)

図らざりき、楽を為すことのここに至るとは。

孔子が、おいしいものを食べることさえ忘れて、韶(ショウ)という名の音楽にのめりこんだときがあった。

そのとき、発した言葉。

音楽がこんなにまで人間の心を揺さぶるものであるとは、思ってもいなかった。


確かに、今回の震災報道を見ていると、音楽家の活動が、被災者に勇気を与えるものであることがよくわかる。

孔子がのめりこんだ、「韶」とは、どのような音楽であったのだろうか。素朴な疑問1.

人間以外の動物は音楽に反応しないのであろうか?素朴な疑問2.

植松三十里(3)

2012-01-13 10:52:11 | 植松三十里
彫残二人(チョウザンフタリ) 中央公論新社 2008年9月初版

林子平(三国通覧図説や海防兵談などの著作を発表し、松平定信により、蟄居刑を受け、その受刑中に死亡)を主人公とする小説。

版画の彫師、お槇という女性を横糸にしてからませ、子平の志の高さや先見性を浮き彫りにする筋立て。

中山義秀賞受賞作。もちろん、読み物小説として見事な出来栄えだ。

が、さらに言えば、松平定信にもうすこし国際感覚があればよかったのに、という読後感を覚えさせ、深みも十分。

定信は林子平を、世の庶民を惑わす扇動者とみなした。が、もし、林子平の意を汲み、国境線の確保に尽力していれば、尖閣や竹島など今隣国から問題にされることなど、ありえなかった、かもしれない。

蟄居中に、「親もなし、妻なし子無、版木なし、金もなければ死にたくもなし」との句を残したそうだ。

「お槇」は作者の創造、と想像するが、自らの目的にまい進する男に、吸い寄せられてしまった人生を、どのように感じる女性であったのであろうか。

オウムに関連した潜伏から出てきた女性と、ついつい重ね合わせてしまうのでした。

論語(153)

2012-01-12 09:55:21 | 論語
子之所慎、齋戦疾(述而第七の12)

子の慎むところ、齋(サイ)、戦、疾。

先生(孔子)が、用心する問題は、物忌み、戦(イクサ)、そして病気です。


戦と疾とについては理解できるが、物忌みを、もっとも気を付ける問題とすることは理解しにくい。

が、これを、斎戒沐浴、とすると、例えば、神社に詣でる時に手を洗う、ことも含まれるであろうから、現代日本でも日常目にすることだ。

「齋」を神仏先祖に対する敬意を表すことと理解しておこう。

儒教の、固苦しさや七めんどくささの多くは、この「齋」に関係する。

最近、水を飲むしぐさ、をとやかく言う見解がインターネット上を走っているようだが、島国根性の悪い発露か。
度し難いものだと思う。

解説員として(100)

2012-01-09 15:05:24 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

解説はじめ。

外気に比べ、建物内部は著しく寒く、解説をなるべくはしょることにした。

見学者は、確か、4組。

担当した見学者二組は、いずれも、小学生低学年を伴ったご家族。

最初の見学者は、近隣市から。開場時間前から待っておいででした。

二組目は、北海道から、冬休みを祖父母のもとですごすためにおいでの小学生。

どちらも、聡明なお子さんで、会話がはずみ、こちらも十分楽しませていただいた。

たぶん、楽しんでいただけた、と思う。

歴史を実感する機会を、小さいうちにしておくことの大切さを肝に銘じ、マンネリに陥らず、一回一回、心を新たに、説明しなければ、と思った。

論語(152)

2012-01-08 10:45:26 | 論語
富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之(述而第七の11)

富にして求むべくんば、執鞭(シツベン)の士といえども、吾これをなさん。

人間としてどう生きるか、ということと、金もうけとを両立させることはむずかしい。

上で孔子が言っていることは、富を得ることを追及することが、人間として立派に生きることと一致することであるなら、運転手(執鞭の士=馭者)であろうが、なんでもやりますよ、と言っている。


たぶん、仁を追及した結果が富を生むのであれば、孔子は、満足なのだ、と思う。

民に富が集まる世界は歓迎するが、一部の守銭奴に金が集まりつつある、今の世界は問題だ。

ガラガラポンが起こるような気がしてならぬ。

論語(151)

2012-01-06 20:19:06 | 論語
必也臨事而懼、好謀而成者也(述而第七の10)

必ずや事に臨みて懼(オソ)れ、謀(ボウ)を好みて成す者なり。

弟子の一人が、孔子に、「先生、もし先生が軍隊を指揮するとしたら、どのような人を手元にお置きになるでしょうか?」と質問したのに対して答えたもの。

どんなことがあっても、直面する問題をあなどらず、じっくり考えて行動に移す人

参謀の必須条件ですよね。

この文の前に、手元に置きたくない人を、次のように表現している。

暴虎馮河、死而無悔者

暴虎馮河(ボウコヒョウガ)、死して悔い無き者

虎に素手で向かっていったり、黄河を渡渉したりするような無謀をやって、死んだとしても悔やむことをしない人

凡人は、どちらかというと、思慮が足りず、無謀を犯し、失敗し、負け惜しみを言って、自らを慰めますなあ。

論語(150)

2012-01-03 10:40:42 | 論語
於是日也哭、則不歌(述而第九の9)

この日に於いて哭すれば、すなわち歌わず。

この日=葬儀の日
哭=大声をあげて悲しむこと

孔子は死者に対する儀礼を大切にした。儒教の特質のひとつだ。

孔子様は、どなたの葬儀であっても、葬儀のあとに歌など歌ってはしゃぐことはなかった、と言っている文章。

「哭」に対して「泣」という字がある。こちらは、声をあげずに、涙を流し悲しむこと。


隣国トップの葬儀をテレビで見ていると、まさに「哭」。儒教色が濃い、と感じる光景だ。

日本の葬儀は、どちらかというと、「泣」が好まれる。「ぐっとこらえて」とか「しめやかに」とか。

だから、あの哭(ナ)きぶりに違和感を感じるのだ。


さてさて、内憂外患。この国にとって、非常に厳しい一年が始まる。政治家さん、テレンコしている暇はないぞ。

やりました、FCTOKYO

2012-01-01 17:29:06 | 雑感(3)スポーツ
こいつあ、春から、ごきげんじゃ!

本日、天皇杯サッカー決勝を、テレビ観戦しました。

勝ちました。完勝です。気分いいです。

過去の記事をたどったら、平成10年9月25日を最後にFCTOKYOに関する記事を書いていませんでした。

この間、決して見放していたわけではありません。味スタの試合はほとんど見にいっていた、コテコテファンです。

チームとしてのドンゾコ状態の試合をいくつも見ましたから、J2優勝を決めてからの、ノビノビサッカーの心地よさはなんともいえませんでした。

ここで、監督が代わるそうです。チーム編成も大きく変わることでしょう。

どのようなな試合をするチームになるか、今からわくわくします。

今年も、大いに楽しませてもらうつもりです。


それにしても、NHKB1は、昨夜から今夜にかけて、サッカー一色、という思い切った番組編成をしてくれた。
大変結構!さぞや、サッカーファンが増えることだろう。