水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(132)

2012-12-27 17:54:18 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

寒いし、歳もおしつまっているし、木曜日だし、見学者ゼロと思っていた。

が、一組二名の来場があり、感激した。近隣市にお住まいのサイクリストで、遠出した帰り道、だったそうだ。

アンケート用紙にも記入していただけたし、ご満足いただけた、と思う。

今年の解説おさめの日に見学者があって、ちょっぴりホッとした。
一年全体を振り返ると、少々マンネリ気味に流れたきらいがあったかもしれぬ、とも思う。

来年にむけ、心せねばならぬ! 






水車模型製作(2)

2012-12-25 09:14:22 | 模型制作
水車の模型を製作する、と宣言して、もう一か月が過ぎてしまいました。

順調といえば順調、解決せねばならぬ課題ばかりといえばそのとおり、が偽らざる現状です。

写真をアップしようか、とも思ったのですが、まだはやい。やめておきます。

今何をやっているか?

模型の模型をボール紙で作っています。
経過など思いつくまま列記しておきます。

・ 正14角形を書くのに苦労すると思ったのですが、あっさり書けてしまいました。
・ 水受け三枚を一つのセットとするハコと称するモノを、まず作らねばならないのですが、それ二つとクモデ(自転車でいうところのスポーク)の組み合わせをつくりました。

・ ここまでやってきて、模型の本体を材料を硬質塩ビとして、作ることができそうな気がしてきました。
・ 今度は工作道具にどんなものがあるのか、新年早々にでも探索に出かけようと思っています。例えば、3ミリ角の棒があるとして、それの横に、1ミリ*3ミリの穴をあける道具として、最適な道具はなにか、というようなことを考えているわけです。


生来、せっかちのあわて者なのですが、人生の最後ぐらい、ボケ防止を兼ねて、のんびり・じっくり、手仕事に励んでみよう、と言い聞かせています。


論語(269)

2012-12-21 09:48:33 | 論語
升堂矣、未入於室也(先進第十一の15)

堂に升(ノボ)れり、未だ室に入らざるなり

堂=宮殿の表座敷
室=(宮殿の)奥座敷

宮殿の表座敷にまでは入ったが、まだ奥座敷にまでは到達していない。

技芸などの上達程度が、ハイレベルにあることを表現する比喩として、使われる。


そもそも、孔子が弟子の子路に対して言った言葉。

子路の瑟(シツ)の演奏を聴いた孔子が、(うっかり(冗談ぽく(私見)))私の門人とは思えない演奏だ(奚為於丘之門)と言ってしまった。
それを知った他の門人が子路をけなすので、上のようにフォローした。


漢字の総数はどのくらいなのだろうか?、五万か十万字か?
それに対して、論語に出てくる漢字の数は、(なんとなくだが)千か二千か、というところだろう。

何が言いたいか?

「論語」が、漢字を学ぶ手ほどきとしても重視されていたことが最近になってやっと理解できてきた、ように思える。
個々の字の持っている意味合いの奥深さを、だんだんに知ることができるようになっているように思えるからだ。
読み進めれば進むほど、白川静の偉大さに、圧倒されている。




論語(268)

2012-12-19 09:30:07 | 論語
不言、言必中有(先進第十一の14)

言わず、言えば必ず当たる(ことあり)

孔子の、閔子騫(孔子の弟子)に対する評価。

閔子騫は、普段寡黙で(存在感がないが)、何か言うときには、その内容が的を得ている。


紹介されている事例が次、

魯の国で、新しい、大きな倉(長府)が作られた。それを見た閔子騫は、「古いのでよかったのではないの?どうして新設する必要があるのだろうか」と言った。


このことだけをもって、閔子騫の、人間としての素晴らしさが表われているとは、とても思えません。

もっと、なんというか、うなるような事例を示してもらいたい。

論語(267)

2012-12-17 11:25:16 | 論語
若由也不得其死然(先進第十一の13)

由のごときは其の死を得ざらん

由(=弟子のひとり、子路のこと)
得(エ)る=希望して求めたものごとを手にいれること

したがって、上の意味は次、

子路の場合は、自分で求めるような(安穏な)死にはならないでしょう。

孔子につきしたがう、弟子たちを一言で表現すると、次のようになるのだそうだ。

閔子騫:如=和らぎ敬う態度を備えている人。
子路:行行如=剛強なる態度が勝る人
冉子、子貢:侃侃如=厳正強直なる人

行行如と侃侃如の違いは、厳正さを備えるかどうか、であるらしい。

子路は、強引に突っ走る傾向にあった人らしい。このためか、やはりか、戦に巻き込まれて亡くなったそうだ。


昨日の選挙結果は、得票比率と獲得議席比率の差が大きく異なることがある、という小選挙区制度の典型的結果だ。
このため、たぶん、おもってもみない人が出てきて、とんでもなく突っ走り、マスコミにあおられ、政界を引っ掻き回すことだろう。

一票を投ずる我々が心せねばならないことはなにか。
大勝で復権した政党の下野期間の勉強成果と、大敗で下野する政党の次に向けた精進振り、に注目せねばなるない。
仕組み、ということでいえば、中選挙区制度などへの変更を模索する前に、現制度をとことんつきつめることが大切だ。
まずは、違憲状態と判断された、票の格差をなくす努力を本気になってやるのは誰か、に注目すべきだ。


論語(266)

2012-12-14 09:24:48 | 論語
未知生、焉知死(先進第十一の12)

未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。

私(孔子)は、まだ生がなんたるかわかりません。ですから、(このような人間にとって)死がなんたるかわかるわけがありません。


弟子の季路が孔子に対して次のように聞いた。
死者に仕えるような仕事をしたいと思っているのですがどうでしょうか(問事鬼神)?

孔子の答えが次、

生きている者に対しての仕え方がなっていないのに、どうして死者に仕えることができるでしょうか。

これを聞いて、季路がさらに次のように聞いた?

「死」ってなんでしょうか?(敢問死)

これに対する答えが上。


今週の頭、ある葬儀に参列した。また、今年は、受け取る喪中はがきが一段と多くなったような気がする。
「死」を意識せざるをえない年齢環境だ。

がしかし、死とか死後の世界とかに思いをめぐらす時間があるなら、今日一日を精一杯生きなさい。

そのように孔子が言っている、と解釈しようと思う。

解説員として(131)

2012-12-13 17:01:58 | 解説員日記
今日の午後、解説当番であった。

快晴だが、少々寒いためか、野川沿いの散歩者は皆無、に近し。

例によって見学者ゼロと思い、模型制作のための、計測に時間をかけた。

そのあと、読書。古い、松本清張の短編集。この人は、やはりすごい、と再確認。

15時すぎ、一組(4人)の見学者あり。若いアイルランド女性を含む。


今日も客なし、なんて、油断していると、こういうことになる。一気に目が覚めた。

満足してもらえたか、不明だが、いくつか反省点あり。
缶バッジを八つも買ってくださった。

管理の方と、商売しているわけではないが、客がくるとうれしいし、物が売れるとうれしい、と笑いあった。


論語(265)

2012-12-11 08:56:02 | 論語
回也視予猶父也、予不得視猶子也(先進第十一の11)

回、予(ワレ)を視ること猶(ナオ)父なり、予(ワレ)視ること、猶子なるを得ず

回(顔回のこと)は、私(孔子)をあたかも父親のようにしてくれましたが、私は、(顔回のことを)我が子のようにはしませんでした。


この節も、顔回の死に関連した孔子の考えを書いているのだが、よくわからない。

孔子の門人たちが、顔回の葬儀を手厚くとりおこないたい、と孔子に進言したが、孔子は「それはならぬ」と言った。しかし、門人たちは、それに逆らって、立派な葬儀をした。

それを受けた孔子が、上のように言った。
そして、さらに続けて、「私ではなく、みなさんなのですよ」(非我也、夫二三子也)

疑問
・ かわいがっていた回のために、立派な葬儀をしたいという弟子たちの進言をなぜ拒否したのか?

・ 「非我也、夫二三子也」の本意が、立派な葬儀をした実質的主催者を指摘しているのか?

孔子も、我々と同じく、矛盾を抱える普通の人だ、と考えていいのでしょうか?

論語(264)

2012-12-07 09:00:08 | 論語
非夫人之為慟、而誰為慟(先進第十一の10)

夫(カ)の人の為に慟(ドウ)ずるにあらずして、誰が為に慟(ドウ)ぜん。

夫(カ)の人=顔回を指すらしい。


これも顔回の死に際する孔子の言葉。

あの人の死を惜しんで悲しむことができないとすれば、誰が亡くなっても嘆き悲しむことはないでしょう。


実は次回も(つまり、4節連続して)顔回の死に関する話だ。
孔子にこれほどまで期待されていた人とはどんな人だったのであろうか?


論語(263)

2012-12-06 10:18:18 | 論語
噫天喪予(先進第十一の9)

噫(アア)、天は予を喪(ホロボ)せり


顔回が亡くなったときに孔子が漏らした言葉。

なんということでしう。私はもう何もする気になりません。


昨日、歌舞伎の名優が、道半ばで夭折した。さぞや無念だったであろう。
彼からは、血が伝統を受け継いでいる、という凄味がいつも出ていたように思う。
まったく惜しい人が居なくなった。


ひるがえって、いたずらに馬齢を重ねるわが身が疎ましい。

せめて、つれあい、にだけは、「噫天喪予」(イテンソウヨ)と嘆いてもらえるよう、日常を正さねば。

論語(262)

2012-12-04 09:12:34 | 論語
以吾従大夫之後、不可徒行也(先進第十一の8)

吾、大夫の後に従えるを以って、徒行(トコウ)すべからずなり

私(孔子)も高級官僚のはしくれですから、歩くことはできません(移動は必ず車でなければなりません)。


儒教の権威主義的性向が表れた文章だ、と感じます。


顔回が亡くなった時、その父親が孔子に対して次のような願いを出した。

「先生(孔子)のお車を解体し、椁(カク)の材料にさせていただけないでしょうか?」

椁=棺の外側

顔の家は、椁を作る金をひねり出せなかった。しかし、見栄を張って、椁を作り出したいがために、孔子に対し、(暗に金を無心するために)上のような表現で頼んだ。

それに対し、孔子は次のように答えた。

「私の息子の鯉(リ)が亡くなった時、私は椁を作らず棺だけにしました。そのとき、私の車を棺に作り替えてまでして歩こうとは思ってもみませんでした」

そして、上の文章に続く。

孔子が言いたいのは、

「見栄を張るなら、親族の葬式よりも今を生きる自分のために」ということなのでしょうか。

それとも、そこまでは言っていなくて、顔回のおとうさんの言い方にカチンときただけ、と解釈すべきでしょうか。
その場合は、「無理して見栄を張るのはやめましょう」とだけ、言いたかった、と解釈できます。

ただ、儒教が支配階級に都合よく使われた種が、こんなところにあるように思えてなりません。

終わりよければ・FCTOKYO

2012-12-01 19:12:13 | 雑感(3)スポーツ
今、FCTOKYO最終戦から、帰ってきたところです。
審判が、かなりホーム有利の判定をしてくれたように思えました。

今年も、味スタの試合はほとんど見ました。しかし、ずーっと、パッとしませんでした。
でも、今日の試合は来年の爆発を期待させるもので、満足です。

10番が、もしかしたら、開眼したかもしれません(自分が目立ってはダメなのです)。
4番、7番のボランチコンビがばっちりでした(この二人が自信を持つと、とんでもなくチームは強くなるように思います)。
そして、あの13番が、ちょっぴり顔を出したのですが、いい動きをしました(来年大活躍しそうです)。

あとは、守備の粗雑さを改めることと、前線の思い切り、が課題でしょうか。


それにしても、全日本チームの要、二人を擁するガンバ大阪がJ2に降格となりました。
そのうちの一人は、去年まで、FCTOKYOを背負っていた選手です。
おかしな監督を起用すると、あんなに強かったチームが、こんなに簡単にガタガタになることがわかりました。
サッカーのチーム作りはガラス細工作りのように繊細な神経を必要とするようです。その点からいえば、全日本チームに現監督を起用した日本サーカー協会にはハナマルを上げましょう。


まあとにかく、コテコテFCTOKYOファンとしては、終わりよければすべてよし、です。
来年も、Jリーグサッカーを楽しもうと思います。