水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

解説員として(32)

2008-03-31 18:33:14 | 解説員日記
 昨夜からの雨は「昼には止む」との予報どうりであった。
今日は、解説当番日。午後から、多少日は出たが、肌寒い一日であった。見学者記名帳をみると、最近の週末は200人近くの見学者があるというのに。この天気では今日は見学者がきてくれるであろうか~~~。管理担当のT氏と、「場合によると、ゼロ人かもしれませんね」。

前回書いたが、やはり、どうも天候に見放されている。

 結局、見学者は4組、総計8人であった。そのうち、受け持ったのは、2組、5人。
印象に残ったのは次。

 フィンランドの若者3人。一人は、ICUの学生さん。あとの二人は、その人を頼り、きのう来都した観光目的客。

 閉館時間直前だったので、ゆっくり説明ができず、残念。木工設備の精緻さに感動してくれ、「クレバー」を連発。気持ちよかった。

 ICUの学生さんは、江戸後期の歴史を勉強するつもりだそうで、渡辺京二(2/27の記事に書いた)のことを話したら、「まさに、その視点からの日本史を整理しようとしている」とのことだった。時間があれば、もう少し面白く議論できたかもしれぬ。

 それにしても、日本文化の根幹についての、おのれの無教養さに、我ながらガックリきた。「たたみ」や「こたつ」を外国人向けにうまく説明できないのだ。大いに反省。次の機会のために勉強するぞ。か~ツ!



防災マップ/浸水ハザードマップ

2008-03-27 09:32:37 | 三鷹・市政
 最近、標記の地図が配布された。ポストに入っていたから、たぶん市によって配布されたのだろう。

 とてもよくできている、と思う。がしかし同時に、その一方で、はたして市民のどれほどが、この地図に示された情報を自分のものとして咀嚼するであろうか、とも思う。

 おそらく、このマップを重宝に思って使うのは、市や警察や消防の職員に違いない。折角各戸配布したのだから、一般市民にも、使い方を伝授し、防災意識を高める努力をしていただけないであろうか。

 例えば、防災マップを使って、震災後の行動を、被災程度別に、シミュレーションしておくと、一朝事が起きたとき、とても役立つはずだ。
また、浸水ハザードマップ上で浸水被害発生の可能性が高い、と示された地域周辺住民にとって、浸水被害の予防や事後対策のための準備は不可欠だ。もしも市が、「浸水被害の可能性情報は出しましたよ」というところから一歩踏み出し、「なにを、どのように、」備えるかを、住民と共に議論してくれれば、これほど心強いことはない。
 
 折角作った見事な防災マップ/浸水ハザードマップを一片の「画餅に帰」さないために、市によるあと一押しを期待する。作った図の宣伝を、議員・小中学校・町会・住民協議会・商店会などあらゆる階層の組織を通じ、徹底的に追求してみてはどうだろう。

御鷹場

2008-03-24 10:23:03 | 三鷹・歴史/地史
 御鷹場(本間清利著、埼玉新聞社発行、1981年、240ページ)からの抜書き。

・綱吉による「生類憐み令」(1687年(貞享4年)発令)は、家康以来の鷹場制度を崩壊させた。
・江戸城から、五里以内を将軍直属の鷹場とし、その外側を御三家(東は水戸、北は紀伊、西は尾張)の鷹場とした(南は海)。
・吉宗は、将軍になるとすぐ、1716年(享保元年)、鷹場復活の準備を始めさせた。
・尾張家鷹場の当初領域はよくわかっていない。三鷹地区は1719年に組み入れられた。1744年(延享元年)時点での尾張家鷹場領域は、「北は掘兼・福原・大井、南は小金井・国分寺・三鷹、東は志木・宗岡・内間木、西は福生・拝島、に及ぶおよそ20キロ四方」であった。
・1822年時点での境界杭場所書には44の村名が挙げられている。このうち、現在の三鷹市領域内の名は四つ。大沢村、大沢新田、野崎新田、井口新田。そして、上石原村。
・鷹場の管理者は「鳥見役」とよばれ、尾張家武士が就任した。下役に有力農民が任ぜられ、「鷹場預り御案内役」と呼ばれた。
・「この案内役も多分に警察的な職分を行使していたようである」(p171)


 近藤勇の生家、宮川家は、この「鳥見役」もしくは、「鷹場預り御案内役」に近い立場ではなかったか、というのが作業仮説的私見だ。なかなか確証に到達できないでいる。

解説員として(31)

2008-03-20 14:39:12 | 解説員日記
 今日の午前中、解説当番であった。昨夜からの土砂降りが続き、天気予報も、終日雨、だ。折角の彼岸中日も外出には不向きな一日。

家人に、「水車に行く日は天気が悪いわね」と、送り出された。

案の定、見学者はゼロ。管理担当のI氏と、とりとめのない話をし、時間をつぶした。
午後当番の方々との交代時に、H氏が、二小・二中のご出身であることを知った。やっと、解説員仲間のなかで、五~六十年前の話が通じる人と出会えた。子供時代を三鷹で過ごした方が、どういうわけか、非常に少なく、寂しい思いをしていたので、うれしかった。

 出がけに家人が言った言葉が気になったので、調べたら次のような結果となった。

・解説当番の日が雨、であった割合は、0.32(10回/31回)
・東京における、日降水量が1mmを越える日の平均年間出現割合は、0.27(99.2日/365日)

 家人の感覚は、どうも間違ってはいなそうだ。99.2を引っ張り出した理科年表は2001年版、という割引材料があったとしても、だ。
なぜなら、日降水量が10mmを越える日を選ぶと、その平均年間出現数は43.1日(割合にすると、0.18)にすぎないのだから。

解説員連絡会(6)

2008-03-15 12:08:41 | 水車解説関連
 今日の午前、水車解説員連絡会に出席した。
事務方から示された、主要な内容は以下のとおり。

・母屋修復(北側壁面)、機器整備等を目的とした予算案が、今月末の議会で承認されそうになってきた。修復工事を始めると半年ぐらいは施設閉鎖せざるをえない。ついては、5月末までの解説予定表をつくった。

割り当てられている日程でOK。

・2月末までの見学者総数は7664名、昨年同時期の数値に比し、一割強の増。解説に対する評判も極めて良好で、感謝している。

気を抜かず、頑張るべえ。

・水車創設200年事業の開催を考えている。時期はおそらく来春。ホタルの里などを巻き込み、意義あるものにしたい。協力をお願いする。

長く、水車に係わってきた、M氏から、「修復も含め、これまでにない大事業だ。事務方のご苦労もたいへんだったことだろう。ありがとう」の言葉があった。ちょっと感動した。

・今年度は、いろいろ事業をやった。取材も多かった。

 3月5日付け、読売新聞武蔵野版に出た記事のコピーを解説員仲間から分けていただいた。「三鷹市が、水車復活に向けた事業を本格化させるようだ」という内容。
水車は市のエコミュージアム構想の中核として計画されているから、これから、舞台の中央に出ることが多くなるだろう。結構結構。




花粉アレルギー

2008-03-14 10:33:44 | 雑感(1)日常
 30年以上も前から、世間の方々とは異なって、毎年5月中旬からの数週間、いわゆる花粉アレルギーに悩まされている。もっとも、医者に行ったことがないので、何の花粉だか知らないのだが。
自分も同じ症状であるから、今の時期、杉に悩まされる人々のつらさについても、十分理解しているつもりだ。しかし世の中、ちょっと大騒ぎしすぎではないか。しょせん、数週間の我慢ですむことではないか。

 ところがである。この数日で、アレルギー症状が出てきてしまった。目はかゆいし、涙は出るし、鼻水たらたら、くしゃみ連発、のどはイガイガ、寒気はするし。
どうして昨年まで保持していた杉花粉に対する抗体がなくなってしまうのであろうか。不思議だ。

 自分の顔を鏡で見て、人々の、マスク・ゴーグルといった重装備のわけがわかった。あれは、花粉よけ、などではなく、「みっともない顔をさらしたくない」ためなのだ、と。もうひとつは、ある種の、ファッション・流行。
アレルギー症状の人が少ない5月に、あの重装備をするのは、とても勇気がいる。「なんの伝染病か?」とか「指名手配者ではないか?」とか、いぶかしがられることを恐れるからだ。「重装備 みんなですれば かっこいい」。

 いやはや、それにしてもなんの因果か、これからは、毎年二回の花粉症に悩まされることになる。それとも、これで5月の症状が消えてくれるのであろうか。
一方、単なる、医者嫌いのやせ我慢、は変わる気配もなく、したがって、例によって医者には行かない。

解説員として(30)

2008-03-07 07:13:49 | 解説員日記
 昨日、解説当番日だった。12時ごろは素晴らしい天気であったのに、14時ごろには雲が出、肌寒くなった。
総計15人ぐらいの見学者があった。印象に残ったことは次の四つ。

・若いカップル。アツアツで、解説なんて上の空、って感じ。ご馳走様。

・天文台の若い研究者が、学生四~五人をつれておいでになった。新鮮だったらしく、皆さんお楽しみいただけたようだ。次々に質問が飛んできて、こちらも気が抜けなかったが、この年齢になって、まだこのような緊張感を味わえるとは、本当に幸せ。

・70歳ぐらいのおじさん。「「太宰」がよく来る店を、駅前で親がやっていたのですよ。このところ、新聞の取材を受けることがあってね~」だそうだ。母上の田舎の話をたっぷりなさり、「今度、孫をつれてくる」とおっしゃって、お帰りになった。

・閉館直前、若い男性がきて、「実は、テレビの12チャンネルなのですが、是非この施設を、撮影スケジュールに入れたい。どうすればいいか?」と聞かれた。
「市の生涯学習課と相談しててほしい」と答えた。すぐに電話をしていたようだが、さてどうなったか。たぶんOKが出ることだろう。

 
 「しんぐるま」が、ますます有名になりそうで、結構結構。

三鷹市長メルマガ(4)

2008-03-03 10:19:09 | 三鷹・市政
 三鷹市長のメルマガ、102号の配信を受けた。

 20年度の市予算案について、施政方針概要が紹介されている。柱は市有施設の管理強化、人材の確保・育成、福祉充実だ。いずれも大切。がんばってほしい。

 ちょっと気になったので、使われているカタカナ語を拾ってみた。

 メッセージ、サービス、スタート、セーフティネット、ビジョン、ファシリティ・マネジメント、プロジェクト、ライフライン、ネットワーク、センター。

 違和感を感じるのは、ファシリティ・マネジメントだけか。
役所が、目新しいカタカナ語を使うときは要注意だ。例えば、定員増を企図している、とか。

 それにしても、市長さん、カタカナ語の使いすぎではないでしょうか。
日本の、しかも役所の文書なのだから、もっと日本語に拘ってほしい。上のどの言葉にも、れっきとした日本語がある。
そもそも、日本人一般がカタカナ語を知らないことは、恥でもなんでもなく、あたりまえのことだ。
とにかく老婆心(爺だが)ながら、こんなメルマガ文章から、「上から目線」なんて印象を持たれてしまうことを恐れる。


 定年を一年後に控えた市民課課長の、ネクタイに関する話は味があって面白かった。単なる飾りに過ぎないしろものだが、それを締めないと許されない世界が、実社会にはある。世の男のほとんどは、彼の経験と同じような苦い思い出を持っていると、思う。


 そういえば、ネクタイを締めなくなって随分と時を経た。年を取るのは早い。