水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

寄席

2008-08-26 11:01:13 | 雑感(1)日常
 先週末、新宿末広亭に行った。家人が、「まだ行ったことがない」ことを知ったからだ。かくゆう本人も、実は40年振りぐらいだ。
冥土に行く前に、まだ見たことが無い/行ったことがない、をひとつでも減らそう、ということだ。

 テレビに出てくるお笑い芸人に比べ、落語も色物も数段レベルが上、よく稽古している、と感じた。

 しかし残念ながら、寄席としての昔日の迫力は感じられなかった。客層が年寄りが多いからか、客の入り(80%ぐらいか)が少ないからか。どうもそうではないように思う。
 ひとつは話の内容。落語の話の内容に、吉原とか大川(墨田川)とか船頭とか、が多い。今、時代小説すら、読む人がすっかり減ったそうだが、江戸時代の下町風景の話をしても、ついていける人はいないのではないか。だいたい、話す人が櫓はおろか竿すらも見たこともないのではないか。トリの噺家が、何人もの客に眠られてしまっては、トリ失格でしょうに。
特に古典話は、現代人にも受け入れられるよう、一工夫もふた工夫も必要なのではないだろうか。

 もうひとつは支援者の不足。もらった出演者リストに小さく「平成20年度文化芸術振興費補助金」と書いてあった。国の補助金をもらわなければ、寄席を維持できない、ということだろう。しかし、これでは権力に対する批判はできない。寄席の衰退~消滅は避けられないかもしらぬ。

 封建制の江戸時代、庶民芸能が盛んであったのは、それが権力に対する批判、あるいは毒の発信場であって、庶民の支持を受けていたからだ、と思うのだ。

 
 このように、さびれゆく伝統芸能を実感した日であった。せめてオノレのみでも、残り少ない人生を衆論に決して流されず、常にへそ曲がりを貫こう、との思いに至った。

 

ペルガモン(2)

2008-08-20 10:16:11 | ペルガモン展関連
 ペルガモンとは、紀元前の、三世紀から二世紀にかけて、現トルコ国東端に栄えた都市、もしくは国の名前。十九世紀ドイツ人によって発掘・研究された。ベルリンに同名の博物館があり、発掘品および復元品が展示されている。

 紀元前5000年前頃、チグリス・ユーフラテス川沿いに発生した古代ペルシャ文明は、紀元前3000年前頃発生した古代ギリシャ文明と、何千年にもわたって、近東地域でせめぎあった。
 このせめぎあいのひとつの決着が、アレキサンダー大王の東征、すなわち、ギリシャ側(マケドニア)によるペルシャ併呑、ペルセポリス破壊。アレキサンダーの死後、この大国は四つに分割されたのだが、そのひとつがペルガモン。他の三国は、マケドニア、シリア、エジプト。
 こののち、これらの国々は古代ローマ帝国に飲み込まれた。


 む~ん、なかなか奥が深い。ペルガモンという名(現在はベルガマ)のトルコ東部地域に限定した遺跡を研究することによって、古代のペルシャ、ギリシャ、ローマの歴史を概観することが可能だ、ということだろう。

高校生用の歴史参考書から、勉強しなおしたほうがよいかもしらぬ。


 

ペルガモン(1)

2008-08-18 10:46:46 | ペルガモン展関連
 「中近東文化センター付属博物館でボランティアガイドに挑戦しよう」という標語に魅かれ、三鷹ネットワーク大学(NPO法人)開設の、「博物館案内人養成講座」受講を申し込んだ。400字の志望動機が必須であった。

 数日前、受講予定者決定の通知をもらえることができた。定員に満たなかったのではないか。
九月に一回、十月に五回の講座を受講すると、11月から来年5月まで、中近東文化センター付属博物館のボランティアガイド(ヘレニズムの華ペルガモンとシルクロード、発掘者カール・フーマンと平山郁夫のまなざし)をさせていただけるらしい。

 この講座では、プロによる博物館案内指導があり、その受講が来年1月から再開される「水車」(そもそも、このブログの主題である)の解説に役立つような気がする。期待大だ。

 ただし問題は、古代のギリシャ/ローマについての歴史・文化についての知識が、自慢ではないが、皆無だということ。恥ずかしながら「ペルガモン」がなんたるか、さえ知らない。

 これでは、あまりにもみっともないので、そろそろ予習を開始する。そして、来年5月まで、中近東文化センター付属博物館との係わりについて、事の顛末をこのブログ上に書きとめることにした。

みみずのたはごと(15)迎火

2008-08-13 09:43:06 | 三鷹・文学
 「今日は盆の初なり」

蘆花著自然と人生、p188に出てくる一節である。次のような描写もある。

「川辺には、其処此処に火燃ふ。其一に行きて見れば、八十余りの老婆線香を取り、熟々と燃ふる火を眺めてありき。-------。死者知るなきか。夕風の「否」と囁く声を聞かずや」

 東京五輪前まで、このような光景を見ることは珍しいことではなかった。我が家もやった。でも、今では、日本中探しても、なかなか見ることが難しいのではないか。

ご先祖に なにを報告 迎火かな

 五輪開催で、東京/日本は激変した。たぶん、北京/中国も激変するだろう。五輪開催が、かの国にとって、どんなに悪くても、功罪半ばで済むことを願う。


 それにしてもどういうわけか、実況を見る競技は負け、見ない競技は勝つ。

どれもこれも勝ってもらいたいので、実況を見ないことにした。
つらい我慢だが、野口のつらさに比べたらなんでもな~い。

みみずのたはごと(14)立秋

2008-08-08 10:59:33 | 三鷹・文学
 暦は、昨日立秋だった。「残暑」なんて云うのもおこがましいほどの暑さだ。明日の予報気温も35度だから、まだしばらくこの暑さは続くのだろう。

 
 蘆花は明治45年における立秋の頃の様子を書いている。(みみずのたはごと下p85)明治天皇の崩御が七月三十日だった、そうだ。
・東の方を見ると、空も喪装をしたのかと思われて、墨色の雲が東京の空をうち覆うて居る。(p83、7/30)
・欝陶しく、物悲しい日。(p83、7/31)
・今日から五日間お経をたてると、云いつぎが来た。先帝の御冥福の為。(p84、8/1)


そして、8/8、立秋の日の書き出しが次。

「八月に入って四五日、フランネルを着るような日が続いた。小雨が降る。雲がかぶさる。北から冷たい風が吹く。例年九月に鳴く百舌鳥が無暗に鳴いたりした。薄い掻巻一つでは足らず、毛布を出す夜もあった。ーーーーー、寒暖計は八十二三度を越えず、涼しい南風が朝から晩まで水の流るるように小止なく吹いた」

 八十二三度、ということは、摂氏で27度ぐらいか。旧暦ではないかといぶかしんだが、新暦だった。

同じ立秋でも、このような年もあるのだ。この年の陽気は少々平年値からずれていたのだろうか。






みみずのたはごと(13)夕立雲

2008-08-06 09:56:18 | 三鷹・文学
 三鷹では大雨にならないのだが、このところ雷雨による、いたましい人身事故が続く。特に、昨日の東京での下水管補修工事現場での被災は、プロ中のプロが携わっていたはずなのに、衝撃的だ。

 今朝の新聞によると、気象庁は「十分な監視をしていた。技術的にはこれが限界だ」そうだ。前線に伴う広域な界雷なのであるから、熱雷とは異なる注意喚起ができたでしょうに。及び腰、って印象。

 工事元請幹部は、「安全管理には問題なかったと思う」ときた。本当に、このように発言したのだろうか。はらわたが煮えくり返る。

 新聞に示された断面図をもとに計算してみると、水深が0.2mから0.6mに増えると流速は二倍以上になるはず。仮に、元が2m/sの流速だとすると、少なくとも5m/sぐらいにはなる。とすると、0.6mの流水の水圧は限りなく1トン/m2に近いと推定される。流されることは自明の理。
朝の時点で、現場サイドが工事を強行した、本当の理由はなんだったのでしょうか。

 蘆花の書く、次のような情景を過去のものとしないよう、我々個人も観天望気をおろそかにしてはならない。自然は思っても見ないことを仕掛けてくる。

「畑のものも、田のものも、林のものも、園のものも、虫も、牛馬も、犬猫も、人も、あらゆる生き物は皆雨を待ち焦がれた。「おしめりがなければ、街道は塵埃で歩けないようでございます」と甲州街道から毎日仕事に来るおかみが云った。「これでおしめりさえあれば、本当に好いお盆ですがね」と内のオンナもこぼしていた」(みみずのたはごと、上p158)

 水災犠牲者のご冥福を心より祈る。合掌。

三鷹市長メルマガ(11)

2008-08-04 11:49:50 | 三鷹・市政
 三鷹市長メルマガ112号が配信された。市長は、地域防災力の強化推進を目指しておられるようだ。ありがたいことです。

 最近の犯罪例を見ていると、日本の戦後文明の熟乱期が終わった、と感じる。熟れきって、腐り始めたのではないだろうか。

 というのも、蘆花著、みみずのたはごと下p103で次のような記述を読んだからだ。大正元年に書かれた文章だが、極めて人間社会らしい、プリミティブな混乱だ。これなら、現象そのものを理解できるし、対策の立て方も容易だ。

「京王電鉄調布上高井戸間の線路工事がはじまって、土方人夫が大勢入り込み、鏡花君の風流線にある様な騒ぎが起こったのは、夏もまだ浅い程の事だった。娘が二人辱められ、村中の若い女は震え上がり、年頃の娘をもつ親は急いで東京に奉公に出すやら、無銭飲食を恐れて急に酒樽を隠すやら、土方が真昼間甲州街道をまだ禁菓を喰わぬアダム同様無褌の真っ裸で横行闊歩、夜はどのような家へでも入り込むので、未だかつて戸締りをしたことがない片目婆さんのあばら家まで、あわてて掛け金よ釘よと騒いだりした。それも工程の捗ると共に、何時しか他所に流れて往ってしまった」

 
 最近の現象はなにがなんだかわからない。たぶん、だれも、何が起こっているのかわかっていないのではないか。ギリシャやローマ、あるいは中国でもいいや、ひとつの文明について、その末期の社会世相を分析すると、今に通じるヒントが得られるように思う。