水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

名画

2007-11-29 09:55:30 | 雑感(1)日常
 昨日は、家人と山種美術館で名画を堪能した。
名画といわれる作品は、どれも、やはりそれだけのことはある。まず、細部にわたって、手を抜いていない。そのためか、すきがない。そして、そんな絵の前に立つと、なんともいえない迫力を感じる。「うまい」を越えたなにかを持っている。たいしたものだ。

 最近、どんどん出不精になり、電車とか繁華街とかに縁が薄くなっているのだが、混雑していない美術館で最高級の芸術を見ることができ、満足。

 帰り、九段から東西線神楽坂駅までぶらぶら歩き、高校に通った約50年前を懐かしんだ。ところどころにほんのわずか残っている昔の風情を発見し、心が弾んだ。一方、この激変はなんだ、とも思う。自分が活動した50年は、歴史的にみて、特殊な激変を生んだ50年なのだろうか。それとも、今から50年後の老人も、同じように「激変の50年」を感じるのであろうか。

 神楽坂は、裏道のほんの一部を除いて、観光客向け飲食街になってしまっていた。心底、「芸術は永遠」を理解できた。

しんぐるま、思いつくまま

2007-11-27 09:10:35 | 水車解説関連
 ・現在の三鷹市の中心は、明治中期まで、荒地で生産性の極めて低い、誰も見向きもしない土地であった。大沢の人々は、今でこそ行政区画の関係で、三鷹駅の方向を見ざるをえないが、本来、甲州街道沿いの調布や府中との関係が深かった。
しんぐるまの客筋からも、これは明らかである。すなわち、昭和8年時点において、この水車に精米・精麦を依頼する顧客の居住地は、地元大沢が1/4にすぎず、ほとんどが現在の府中市内、現在の町名でいうと、白糸台、小柳町など、旧字名でいうと、染屋、車返、人見など、であった。

 ・しんぐるまの工場としてのすごさと、住居の地味さとはかならずしも整合しない。このへんは事業の厳しさを反映しているのだろう。

 昭和8年の年間売上総額は331円32銭で、精麦量は115石であった。
大正3年の価格表によると、精麦35銭/1石、割麦3銭/1斗である。すべてを割麦までやったとしても、上の精麦量からは70円程度の売上があがるにすぎない。

あとの約260円の売上の中身はなんだったのだろうか。精米・製粉による売上ということか。あるいは、蚕の売上も入っているのか。

 一方、約330円は、今の貨幣価値で100万円程度と考えられる。食料は自給できたとしても、これが、10人を超える家族を支えるベースとして、十分な現金収入だったのであろうか。

・当時随分と恵まれていたであろう峰岸家ですら、上のようなのだ。
現代に活きるわが身の幸せをかみしめ、感謝を忘れず、身をひき締めねばならぬ。 

出山横穴墓群8号墓

2007-11-26 09:26:44 | 三鷹・歴史/地史
 しんぐるま の対岸(野川の左岸)には湿生花園が整備され、段丘崖の樹林帯・がけ下の水田・わさび田など、里山の風情を楽しむ工夫が施されている。

 その一角、段丘崖の中腹に横穴墓(7群、63基)が散在し、そのうちの8号墓が保存・公開されている。

 墓前域から発掘された須恵器から、この墓が造られた時代は7世紀、と推定されている。7世紀といえば、大化の改新や壬申の乱の時代だ。また、あの高松塚は700年頃の造成らしい。なんと、ちょうどそんなころ、ここ大沢にも、これほどまでの墓を作る力をもった人々が生活していた、ということだ。
もっとも、段丘の上、天文台の中などでは、縄文遺跡や旧石器遺物も発見されているから、この大沢一帯は一万年ぐらい前から人間の生活が連綿と続いてきている地域だ。

 公開されている墓は、奥行き約5m、入り口幅・高さとも約1m、最奥部幅・高さとも約2mで、床は全面玉石(おそらく、直線距離約5kmの多摩川の河原のものであろう)で敷き詰めてある。
 説明パンフレットに「横穴墓の位置する高さは、東京パミス(軽石層)の高さと関係するようです」とある。
東京パミス層は、武蔵野ローム層中に挟まる他の火山(古富士火山?)を起源とする火山噴火物である。東京パミス層の数メートル下には、地下水が豊富な武蔵野礫層がある。墓の底を東京パミス層の高さにしたのは、武蔵野礫層の地下水の影響がでて、墓の内部環境が悪化することを恐れたからだ、と考える。
生活の知恵だろうが、賢い、とつくづく思う。

 また、墓前域から出土した須恵器とは次のようなものだ。

1 土器(野焼き、800度程度で焼いた縄文・弥生時代の焼き物)の長い時代のあと、半島から伝来した、穴釜で焼成する陶器。陶をスエとも読む。須恵を陶と書き替えたほうがよいのではないか。全国で1000基以上の古代穴釜跡があるらしい。
2 意識して釉薬は使用していないが、焼成中の灰が自然にかかるものもある。
3 焼成温度は1100度位だったらしいが、燻しを強く施し、強度を得た。おそらく、強還元状態を作ったのであろう。陶土の違いや還元状態の違いによって、色の微妙な違いが表れた。
4 古代土器は現代陶器の「素焼き」と同じ(焼成温度約700度)だ。しかし、焼成温度が1100度程度ということであれば、須恵器は備前焼と同じ、現代陶器と変わりはない。

 
 しんぐるま を含め、大沢周辺は歴史や文化に親しむ地域への整備が着々と進行している。8号墓付近の民家(明治初期建造か?)が市の管理下に入ったし、天文台の古い官舎(大正初期建造)も保存対象になったようだ。興味の対象が尽きることがなく、楽しみだ。






解説員として(24)

2007-11-24 20:36:14 | 水車解説関連
 今日の午後、解説当番であった。二三日前からの寒波の影響が朝まで続いたようだが、午後は小春日和。おだやかな半日だった。

 共に当番に当たっていたH氏がおいでにならなかった。何か事が発生したのではないかと、心配だ。
管理の担当は、まじめそうな芸術家を目指す学生さん。はじめてまだ半年ぐらいらしいが、一生懸命だ。若いうちに、この種の民俗文化財に深く接することは、有意義なはずだ。

 見学者の総数は、幸いなことに、一人で対応できる範囲内だったので、見学者には大きなご迷惑はかけなかった、と思う。若干、説明を急いだグループもあったが、お許しいただける範囲内だったはずだ。

 総計10グループ、総人数20名ぐらい、であったろうか。みなさん、お楽しみになったようだ。記憶に残った会話のいくつかをメモる。

・「私、製粉会社に勤めているのですよ」とお嬢さん
 「ここの装置は会社の装置の原点じゃないの」とその母上

 「会社の方々に是非ここを宣伝してください。面白がっていただけるにちがいありません。私たちも教えていただきたいことが山ほどあります。」


・「調布飛行場が近くなのですね」と初老の男性。

 「はい、すぐそこですよ。戦闘機・飛燕のエンタイ壕が保存されていますよ。」

 「ええっ~、本当?どこどこ。すぐ見たい、行きます。」


・「近藤勇の墓が近くにあるのですか?」と若い男性。

 「はい、竜源寺にあります。この辺は子供のころの勇が遊んだエリアに違いない、と思っています。」

 「へえ~、勇が子供のころ遊んだところか~。ロマンがあって、いいですね。」


・「うちの主人、三鷹一中なのよ」と中年女性。

「私も一中です。(竜源寺の住職、全明先生は社会科の先生だった?)とご主人に伺っててみてください。懐かしがるかもしれません。もっとも、私よりかなりお若そうだから、ご存じないかもしれませんが。」


帰り、東に向かう自転車の正面の空に、月が昇ってきた。久しぶりに見る、見事な満月だった。






 

サッカーの話

2007-11-22 10:39:44 | 雑感(3)スポーツ
・昨夜の五輪代表決定戦をテレビ観戦した。「点をやらない」ことに意志を統一したと思われる戦略は見事だった。立ち上がり直後の神がかり的防御も、ゆるぎない意志統一があったからこそできたことだと思う。
五輪出場決定、おめでとう。

・地元三鷹高校が全国大会に出場を決めた。昔山田監督がバレーボル部を全国レベルに押し上げたことを思い出す。よい指導者とひたむきな生徒たちとのマッチングがうまくいったのだろう。これもおめでとう。

・今シーズンのFC Tokyoは全体にかんばしくなかった。一時はJ2陥落を心配したほどだ。
監督更迭・何人かの選手解雇らしいが、これもやむおえまい。川崎戦に象徴的に現れた(と思う)のだが、対戦相手の調査をやっているのか、それをやっているとすれば、その結果をちゃんと活用したのか。組織上、風通しがよくないのかもしれぬ。
 来シーズンも味スタでの試合は見に行くつもりだから、是非クレバーな試合を見せてほしい。

 
 東京オリンピックのとき、サッカー観戦の面白さを知り、その後しばらくの間駒沢球技場での観戦が多かった人間にとって、近頃のサッカー環境(技術、戦術、ピッチ、テレビ画面などなどすべて)は夢のようだ。
トヨタカップ、天皇杯、高校サッカー、と目白押しの暮れは、テレビを独占しそうだ。しかられぬよう、気をつけねばならぬ。

 

しんぐるま、ブログ上での解説(15)

2007-11-21 08:38:03 | 水車紙上解説
生活の維持

「土蔵とそれに続く倉庫には峰岸家が保有していた、さまざまな道具が展示されています。水車の運転・修理と精白・製粉に関わる道具とともに、日常の暮らしに関係する、ある意味懐かしい、道具類もたくさんあります。

 これらは、「単調」という言葉の対極にある、当時の、自然と共有した日常生活を彷彿させるものです。しかし、その一方、あれだけの装置を保有した水車業だけでは、かならずしも裕福な暮らしを成り立たせることは困難であった、とも想像させるものです。

 なぜなら、自給のため、と考えられる、農耕・製茶・漁労・家畜に関わる道具のほか、養蚕・製糸・紡織の道具も多数残っているからです。
養蚕は、地区全体としても盛んであったようですが、昭和10年代に行われた国による用地買収(飛行場用地)により桑畑がなくなり、衰退しました。

 当時は、現代のような富を貪る風潮はなかったに違いないのですが、それでも、これら多彩な道具をそろえておかねばならないほど(水車だけでは生活が苦しい)、日常生活の維持は厳しかったと考えます。」


総括

 「ここまで全体を見て回っていただいたわけですが、ご感想はいかがでしょうか。

 古い、といっても、母屋の建築年代は わずか200年前、1810年ごろにすぎません。また、今残っている水輪は1954年に製作されたものです。

 肝心の動力源の水は流れていませんし、水車小屋(覆屋(さや))は1970年ごろ建て替えられたものです。
 このように、古さという観点からは、驚くほどのものではありません。

しかし、水車の回転運動を杵や碾き臼の運動に転換する機構を、木材で、これほどまで完璧に残している施設は、全国的にも、今ではとても珍しいのだそうです。

しかも、この母屋は現在では市内最古の建築物となり、注目されるようになっています。市も保存・維持に積極的に取り組んでいます。
 
 これを機会に、時々足をお運びください。」
     

地域防災計画(5)し尿処理対策

2007-11-20 09:48:18 | 三鷹・市政
 きのうの記事で、パブコメ受付中の三鷹市地域防災計画震災編(素案)はよくできている、と書いた。
いくつかの根拠はあるのだが、ここでは、最も注目していた、し尿処理についてメモっておく。市のさらなる努力を期待して!!

 
 想定避難者数62637人が排出する、し尿は毎日87688リットル(一人、1.4リットルと仮定するらしい)にもなる。これに対処するために、まず市は、避難者100人に1基の災害用トイレを備蓄する。現在までに、総計344基が備蓄されたようだから、あと、280基あまりの備蓄が必要ということだろう。

 発災後数日間は、上水も下水も使えないであろうし、収集車もくることは期待できないから、たとえ避難する必要のない人でもトイレには困る。このため市民に対し、携帯トイレの備蓄を呼びかける計画だ。これは非常に大切だ。

 発災後数日経過すると、市によって、仮設トイレがあちこちに設置される計画だ。だいぶ落ち着いてくる。
計画では、その際、「女性への配慮を行う」と明記している。

 気に入った!

 観光地や繁華街などで、女性用トイレの大混雑を見かけることが多い。改善する気があるのかと、かねてより疑問をいだいていた。

 この際、三鷹市防災計画において、仮設トイレ設置に関し、「女性への配慮」を徹底的に追求してはいかがか。
必ず、他の自治体が後を追う、先進的な、し尿処理の震災応急対策ができるはずだ。
そして、それは、平時の諸施設におけるトイレのあり方を、大きく改善するきっかけになるとも思う。

 


 

 


地域防災計画(4)文化財

2007-11-19 10:46:05 | 三鷹・市政
 パブコメ受付中の三鷹市地域防災計画震災編を、やっと流し読み終わった。
神戸の大震災以降の各地での経験が生かされているのだろう、とてもよくできている。

 この計画が実際に発効するのは、平成20年4月以降、と予定されているようだ。震災直後の緊急対策は、この計画に基づいて実施されるだろうから、たとえ平成20年3月以前に震災に襲われたとしても、発生する混乱は小さいだろう。市役所を頼りにしていい。ただし、震災直後の三日間は自分で凌ぐ努力が必要だ。

 この計画に問題があるとすれば、予防計画に関連する部分かもしれない。なぜなら、予防対策を実施する前に震災に襲われ、あとになってホゾをかむことがおこりうるからだ。


 震災直後の緊急医療対策では、トリアージが採用されるようだ。当然だ。
これは、医師が、患者を並び順に診察・治療するのではなく、まず予診によって優先度、というか重症度を判断する、というものだ。

 平等意識が極端にいきわたってしまった今の日本には、このトリアージの考え方を、もっと一般に導入しなければならない、と思う。

 例えば、文化財だ。市内の各種文化財の震災対策は、第2部災害予防計画第2章地震被害の軽減・防止第7項指定文化財等の安全対策、に基づいて推進される。

しかし、対策を講じる前に、世の中に二つとない貴重な文化財を失うこともありうる。そのような場合、次の世代に対し、「計画はたてたけど間に合わなかった」、「予算がなかった」などといいわけするのか。
「アレは失ったが、コレは守れた」ぐらいはいい残したいものだ。

 愚見は、市内文化財の安全対策に関する優先順位をつけ、その順にしたがって、一日でも早く対策を講じるべき、だ。
この種の順位付けは、雑音に妨げられ、なかなか進められなかろうが、だれかが勇気を出して、エイヤーッと、やらねばならぬことだ。

 ちなみに、第7項指定文化財等の安全対策 に示されている、主要な対策は次のようなものだ。

・耐震診断を行い、耐震性の向上を行う(この言葉使い、気になる)
・文化財防災点検表の作成
・防災計画の作成
・防災訓練の実施

 お金を必要とするのは、耐震工事だけだ。完璧を望まなければ、ボランティアを募ることにより、耐震診断も、文化財防災点検表の作成も、防災計画の作成も、すぐいしかもただで、できるように思うが、いかが。甘いか。



 

地域防災計画(3)風水害編

2007-11-14 09:46:32 | 三鷹・市政
 平成17年9月4日の集中豪雨によって、三鷹市内も被害を受けた。被害件数は244(床上浸水122、床下浸水64、地下室浸水57、がけ崩れ1)、たぶんこのほか道路冠水被害もあったろう。

 地震と異なって、水害の発生地域はある特定の場所に限定される。特に三鷹市のような、平地河川の谷頭部しか存在しない地域では、市内全域で水害が発生することは絶対にない、といってよい。

 このような地域特性に基づくと、地域防災計画風水害編素案には違和感を覚える。借り物文章ではないか、と思えてならない。

 計画のなかでさかんに、浸水ハザードマップをつくる、といっているのだが、そもそも、そのようなモノを前提として、地域防災計画風水害編がつくられるべきではないのか。本末転倒だ。

 
 昨日の被害想定の話で、書き忘れたのだが、被害想定の数をなぜ、あんなに細かくあらわさねばならないのか。例えば、避難者数が62634人だそうだ。確かに計算の結果はそうなったのだろう。しかし、予測誤差はものすごく大きいはずだ。不思議でならない。いっとき、誕生日をマルメル話がマスメディアを賑わせたが、これこそ、マルメなければならない。

 まあとにかく、我々はあの想定結果を次のように理解しておくべきなのであろう。

「三鷹市が大地震にみまわれたとき、最悪、およそ次ぎのような事態が発生する可能性を否定することはできない。

・千棟ぐらいの家が全壊する可能性があります。
・火災が発生して、延焼すると大変です。万を越える家が燃えるかもしれません。
・当然死傷者もでることでしょう。総計数千にのぼることもあるかもしれません。
・市民の3割ぐらいが、避難を余儀なくされる場合もありえます。

市の備えは、これに基づいて計画立案実施される。」


 風水害についても、まずこのような被害想定があってしかるべきだ。

 

 

 

地域防災計画(2)被害想定

2007-11-13 11:56:14 | 三鷹・市政
 パブコメ受付中の三鷹市地域防災計画は面白い。という言い方は問題か。
とにかく被害想定はショッキングな内容なので、以下にその概要をメモる。

 前提1 市面積:16.5km2、夜間人口:171612人、建物棟数:43628(内非木造6637)
 前提2 想定地震(もっとも被害が大きくでる場合) 
震央:多摩直下、規模:M7.3、発生時:冬18時、風速:15m/sec

 被害(全域震度6弱)
・建物全壊数 878(内、非木造41、がけ崩れによるもの29)
・出火件数 13
・消失面積 3.82km(23.2%)
・消失棟数(倒壊含) 11694(26.8%)
・死者数 71(火災による者45)
・負傷者数 1730(内重傷者228)
・避難者数 62634(36.4%)
・震災廃棄物 60万トン
・停電率21.4%、通信不通率19.7、ガス供給停止率0%、断水率29.5%

 上のような状況がわが身に降りかかるのだ。

 市民100人のうち36人は避難者になる。
市内住宅100棟のうち、27棟は焼けてしまう、電気がこない家21、電話が通じない家20、水の出ない家30。
不思議なことに、といってよいのかあたりまえなのか、ガスは100%大丈夫らしい。
そして、なんといっても、震災廃棄物の量が、現在の年間廃棄物量の10倍だ。本当に腰がぬけてしまうほどの量だ。どうするんじゃ。

 こんなんだったら、いっそ死んだり、大怪我をして人様のお世話になるほうがよいかもしらぬ。
 それにしても、五体満足で震災を経験するということは、大変なことだ。なんとかがんばり、できればよそのかたの支援にまわるようになりたいものだ。なんといっても市役所様、どうかよろしくお願いします。

 

しんぐるま、ブログ上での解説(14)

2007-11-12 09:43:48 | 水車紙上解説
土地利用

 「このパネルは、しんぐるま周辺の土地利用変遷を示すものです。

 一番下は20年前ごろ、すなわち1990年ごろ、の土地利用ですが、ほぼ現在の状態と同じ、と考えられます。赤は都市的土地利用、つまり図に示された範囲のほとんどは住宅地だ、ということを示しています。図中で大きい白抜きの部分は調布飛行場です。
 
 真ん中の図は、70年ぐらい前の土地利用図です。図全体が黄色っぽくなっていますが、畑地であることをあらわしています。また、図中の下、左から斜めに右に走る赤い線は甲州街道に沿った集落を表します。

 上の図は明治末、つまり、およそ100年前の土地利用です。緑色の部分が広いですが、これは森林であることを示します。
 この図のさらに100年ぐらい前、しんぐるま が設置されました。そのころの土地利用は、この図とほぼ同じであったことと想像されます。子供時代の近藤勇が遊んだころの土地利用、と考えても間違いはないでしょう。

 これら三枚の土地利用図を比較すると、このしんぐるま周辺の土地が、最近の100年間で、もっとしぼると、1940年ごろからの50年間で、劇的に変わったことがわかります。

 そして最も大切なことは、このように周辺が劇的に変化するなか、しんぐるま だけは、200年前の姿と機能を維持し続けてきた、ということです。これは、決して、並の努力でなしとげられることではありません。
その辺を是非ご理解いただきたい、と強く思うのです。」

 つづく

解説員として(23)

2007-11-10 18:17:53 | 水車解説関連
 今日の午後は解説当番であった。
東京文化財ウイーク中で、多数の人出が予想されたからであろう、解説は三人体制であった。

 しかし残念なことに、昨夜から雨が降り続き、肌寒い。
午前の見学者はゼロだったそうだ。
午後も見学ないでしょうね、なんて話していたが、閉館間近に、1グループ2家族がおいでになり、ほっ。
子供さん連れで楽しそうに過ごされていった。仲間が対応した。

 とりとめのない話をしていたのだが、今まで聞いたことのない話をいろいろ聞くことができた。記憶に残った話を四つほど。

・一期目就任直後、したがって、5年ぐらい前か。清原市長が、公務のついでという様子で、見に来たことがあるそうだ。
ぎょうぎょうしくないのがいい。

・一週間ぐらい前、アメリカのなんとかテレビの取材が入ったそうだ。あちらでの放映は来春とか。
いよいよ国際的になってきた。ICUやアメリカンスクールが近くにあるから、外国人の見学は必ず増える。彼らに対するちょっとした配慮を準備しておくことが肝要。三鷹市の名を国際的に高める絶好の素材だ。

・女性芸術家でタレントでもある人が見学にきたそうだ。
玄人好みの見学施設だと思うので、この種の人々の見学も増すことだろう。

・市内小学校の見学をいくつも担当した人によると、同じ公立学校でも、学校ごとに雰囲気がまったく異なるそうだ。
その原因はなんなのだろう。管理者か、先生か、地域性か。俗に言う、伝統、に繋がるものなのか。



地域防災計画

2007-11-07 11:08:06 | 三鷹・市政
 現在、市の地域防災計画の素案が公表され、確か月末までパブリックコメント受付中だ。

 直感的な愚見がいくつかあるのだが、それを提出するには、事前に素案をじっくり読み込まねばならぬし~~。めんどくさいし~~。むにゃむにゃ。
 
 最も気になること。

 しんぐるま の母屋は築後200年以上経過し、今では三鷹市内最古の貴重建築物だ。しかし、今関東大震災クラスの地震に襲われたら、これは確実に倒壊する、とほとんどの人が思っているはずだ。

・倒壊させていい、とするのか、それとも、倒壊させない、とするのか?
・現在、震災予防対策をもっているか?
・震災後の復旧については、それが現実のものとなったあとで考えればよいのか?

 公表された地域防災計画素案は、このような疑問に答えているであろうか。

 大地震が発生すると、個々の人々の生死、食えるかどうか、寝られるかどうか、など民生安定が第一の優先事項になる。
文化財などは、二の次三の次、まったく忘れ去られる運命にある。

 それでいいか?いやいやちょっと待て。
事後になったら、忘れ去られる運命にあるからこそ、今、地域防災計画の中で市内文化財がどのようにあつかわれているかを、チェックしておかねばならぬ。
後世の人々に後悔させないために。

やっぱり素案を読もうか。自宅のパソコンからアクセスできるのだし。


 

しんぐるま、ブログ上での解説(13)

2007-11-06 08:47:45 | 水車紙上解説
近代製粉

「しんぐるまのオーナーであった峰岸氏は、よく「篩は水車屋の魂」とおっしゃっるそうです。
ネットを覗くと、製粉には、古今東西どこでも固有独特のノウハウがあったらしいことが判ります。例えば、イギリスのネットでみかけた、近代製粉工程説明文を要約すると、下のようになります。

1 表皮(brown outer skins)の除去
 内部の白い身、これを粉にするのですが、その部分を砕かぬように、表皮だけを除去します。
 一般に玄小麦を冷却されている鉄製の二つのロールの間に投入します。ロールの回転速度は互いに異なります。またロール表面には溝が刻まれています。

2 篩い分け(1)
 篩い機(plansifter、上を最も粗い目とした、篩いを何段も重ねたもの)に、1の工程を済ませたものを入れ、篩います。

3 粉砕
 2の工程を済ませたものを、各篩目ごとに粉砕します。

4 篩い分け(2)
 3の工程を済ませたものを、精製装置(purifier)に入れます。空気を流すことによって、表皮部分を吹き飛ばします。中身より表皮の比重が小さいので、これができます。

表皮が混じると見栄えは悪いし、焼いたパンの質も悪い、そうです。

 峰岸氏が手で篩っている映像を見たことがあります。粉の中に混入している表皮部分を取り除く作業だったのでしょう。
余人の真似を許さない、まさに名人芸というべき手加減だったに違いありません。」

     つづく

石臼

2007-11-05 10:23:01 | 水車解説関連
 日曜日の昼、ハイビジョンで放映される、「関口なんとかの中国鉄道紀行」は面白い。メインキャスターの魅力が時間を追ってどんどん増す。たぶん画面を通して、彼が見聞を広めることによる、彼の、人間性の幅というか奥行きというか、成長を感じるからに違いない。

 昨日は黒竜江省から内モンゴル地域だった。いかにも寒そう。日本の真冬に近い。

 ある農家を訪れ、年取ったご主人と話している画面で、面白い発見。
そのご主人は、昔石臼作りの職人だったそうだ。見せてやろう、ということで、庭に立てかけてある直径1mぐらいの石臼のかたわれ(たぶん、上石)をみせてくれた。

 なんと、6分画なのである。異常に感激してしまった。なぜか?

 しんぐるま の石臼は6分画で、東日本型といわれている。西日本の石臼は8分画で、これらの違いは日本国内の東西で明確らしい。

 とにかく、石臼の東日本型が中国東北地方に繋がっていることが判った。文化の流れは、一般に、西から東、であるから、たぶん6分画のルーツは、東日本型よりも中国東北地方の石臼の方に近いのだろう。
では8分画は長江あたりから日本にやってきたのだろうか。

「石臼分画の違いのルーツをたどる」という、ロマンティックな課題を抱えてしまった。インドかペルシャかエジプトか。はたまた中国国内か。