水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(293)

2017-07-31 14:44:48 | 懐風藻
772 来めやとは思ふものから 蜩のなく夕暮れは立ち待たれつつ
題しらず
読み人しらず

来るのではないかしら、とつい思ってしまうので、ヒグラシが鳴く夕暮れになると、そわそわ浮足立って待ってしまいます。


こう都市化が進行してしまうと、セミの鳴き声も聞くことが少なくなってきます。

最近は、ヒグラシはおろか、アブラゼミさえ、聞くことがマレになってきました。

今日は、珍しくアブラゼミを聞きました。

あすからいよいよ八月ですね~。
ちょっと前までの暑さがもどるのでしょうか?
考えただけでうんざりです。

古今集(292)

2017-07-27 19:59:30 | 古今和歌集
741 ふるさとにあらぬものから 我がために人の心の荒れてみゆらむ
題しらず
伊勢

私からみると、あの人の心は、まるで昔の都のように、荒んでみえます。


この歌から話が離れますが、2020の五輪後、東京は、日本はどうなるのでしょうか?

1964を境に、東京は激変しました。

たぶん、今度もものすごい変わり方をするのでしょうが、人心は著しく異なっているように感じます。

あのころは、ずっと、正直だったように思います。

2020まで、なんとか生きのびて、どんな変わり方をするのか見てみたい。

古今集(291)

2017-07-24 11:09:46 | 古今和歌集
754 花がたみ めならぶ人のあまたあれば 忘られぬらん かずならぬ身は
題しらず
読み人しらず

花籠のなかに入れられたたくさんの花のなかのひとさしであるわたくしは、花籠を受け取った方からみれば、数の内に入っているわけがありませんよね~。


「花がたみ」は確か、謡曲にあって、天皇になる人に恋い焦がれていた女性が、都にまで天皇を追い求めていく話であったような~~~~。
世阿弥作であったか?

なんて、ひょんなことを思い出すと、世阿弥が日本書紀や古今和歌集などの古典を熟読していたに違いない、と気づくのです。

このように、大昔の天才も古典を読んでいたに違いないと気づくと、私の今のやっていることも、人間として必ずしも無駄ではなく、アリかなと勇気づけられるのでした。

古今集(290)

2017-07-20 11:19:59 | 古今和歌集
727 あまのすむ里のしるべにあらなくに うらみんとのみ人のいふらん
題しらず
をののこまち

海人が住んでいる兆候もないのに、なぜか「浦がみたい」と人がよってきます。


これが直訳ですが、こうではないのでしょうね~。


私がなんの関心も示さないので、ついにあなたは「恨みます」とおっしゃたのですね。そう聞きました。


こんなふうな訳でいいのでしょうか?


小野小町をよく知るわけではありませんが、この歌から感じるのは、ずいぶんと気位の高い女性ですね~、ということです。

それとも、言葉遊び的に詠んだ歌なのでしょうか?

どうもこの辺の男女間の機微について、センスがないものですから、よく理解できません。



古今集(289)

2017-07-17 10:26:03 | 古今和歌集
587 まこもかる淀のさは水 雨ふればつねよりことにまさるわが恋
題しらず
つらゆき

真菰を刈ることで有名な淀川の沢では 雨が降れば水量が増えます。それと同じことのように思えるのですが、わたくしの恋心も、雨が降ると強くでてくるのです。


雨と恋心とは、この時代、関係あり、であったのですね~。


九州、その他での豪雨とは真逆の、関東での少雨傾向は深刻にならないのでしょうか?

過日、野川が干上がっている、と友人に聞きました。

全国にまんべんなく降ってくれればいいのに、片方では大災害、もうかたほうでは水不足を心配する。

自然をコントロールしようとする、われわれに問題があるのでしょうね~。

古今集(288)

2017-07-13 15:35:13 | 古今和歌集
584 ひとりして物を思へば 秋のよの稲葉のそよといふ人のなき
題しらず
みつね

ひとりウツウツとしているのに、あなたは私のことをぜんぜんわかってくださらないのですね。


この人は、かまってもらいたいのですかね。
相手の人が、 近寄りがたく感じ、遠慮しているかもしれないのに。

和歌、特に古代のそれは、序詞や枕詞の意味合いを解釈するのが難しい。
この歌では、「秋のよの稲葉」は序詞であって、「収穫直前の稲穂が出す、サワサワとした音のように」とでも解釈するのであろうか?
その音と、思い人からのちょっかいとが、どうして関係するのか、理解できないのです。
このへんの微妙なニュアンスがわかると、古代の歌がより深く理解できると思うのですが。

古今集(287)

2017-07-10 08:50:03 | 古今和歌集
773 月夜にはこぬ人またる かき曇り雨もふらなん わびつつもねん
題しらず
読み人しらず

月夜だと、どうしてもあの方が、ひょっとおいでにならないか、と待ち望んでしまいます。どうせのことなら、一転にわかにかき曇り、雨でもざーざー降ってほしいものです。うら寂しくても寝ることができるからです。


時節柄、こんな歌を引っ張り出して、ちょっと無神経であったかもしれません。とういのは、
九州での、豪雨とそれにともなう水害が、とんでもない状況だからです。

婚約発表をひかえた皇室は、やはり、たいしたものだと思います。

それにひきかえ、テレビワイドショーの節操の無さは、毎度のこととはいえ、どうしたことでしょう。
視聴率が高いからやる、とでもいうのでしょうか?

それとも、あの大震災があまりにもひどすぎたので、我々がマヒしてしまっている、とでもいうのでしょうか。

一夜にして一切の財産を失うなんて~~~~、命あってよしとすべきなのでしょうか?
とにかく言葉がでません。テレビも見ません。

古今集(286)

2017-07-06 11:02:43 | 古今和歌集
623 みるめなくわが身を浦と知らねばや かれなであまの足たゆく
題しらず
小野小町

ミルメ(海松布)が存在しない浜であることを知らずに、アマ(海人)がかったるい思いをいとわず、足しげくかよってきます。


歌をそのまま読めば、このように解釈されますが、無粋な私でもさすがに、そう解釈してはならない、と理解できます。
だって作者が、あの小野小町なのですから。


私が好いてはいないということをぜんぜんわからずに、あの人は足しげく通っていらっしゃるのです。


忖度できないと、このように相手から徹底的に嫌われます。しかし忖度しすぎると、今マスコミが騒ぐ政治問題のようになってしまいます。
なにごとも、ほどほど、ということなのでしょうか。

古今集(285)

2017-07-04 09:38:42 | 古今和歌集
770 わが宿は道もなきまで荒れにけり つれなき人を待つとせしまに
題しらず
僧正へんじょう

来てくれるはずのあなたをお待ちしている間に、我が家は道もわからなくなるほど荒れてしまいました。


庭の雑草取りに悪戦苦闘しています。二株づつ植えた、ミニトマトとシシトウも、ちょっと油断すると雑草に覆われます。

この方面のセンスのなさ、というか結局、興味がないのでしょうね~、我ながら。