水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(180)

2012-03-30 09:19:17 | 論語
この節(泰伯第二の2)は前後で内容が異なるので、二つに分け、今日は前半。

恭而無礼則労(泰伯第二の2、前半)

恭にして礼無ければ労す。

同じ文体が三つ続く。

恭而無礼則労、慎而無礼則葸、勇而無礼則乱、直而無礼則絞。

いくら恭しくふるまっても礼を失っていれば徒労だ。
いくら用心深くしていても礼を失っていればただただ怖がってばかりいることだ。
いくら勇ましくふるまっても礼を失っていれば場を乱すだけだ。
いくら正直であったとしても礼を失っていれば硬直になりすぎて余裕を失う。

礼とはなんぞや?

大字典によれば、「心に敬い行儀に則を守る道にて、人の履み行うべきもの。この道は神を祭るときことに大事」

大辞林によれば、「社会の秩序を維持し、人間関係を円滑に運ぶために守らなければならないしきたり」


振り返れば、礼を失した行為ばかりでした。忸怩たる思いです。

論語(179)

2012-03-27 09:17:36 | 論語
三以天下譲(泰伯第八の1)

三度天下を譲る

孔子が、泰伯という歴史上の人物をほめたときの、根拠。

王統を継ぐ位置にいる人間はだれしも、通常その位をめざすものだが、泰伯は、そのような立場に三度も立ちながら、王位を継ぐことはなかった。しかも、民衆は、そのことをまったく知らなかったから、称えることもしなかった。

想像すると、泰伯という人は、「君臨はするが統治はしない」ことを嫌ったし、だからといって、「権力を行使して歴史に残す事業も思い浮かばなかった」のではないか。


某国政権党の、現在のはちゃめちゃぶりは、権力を握るために絵空事公約を乱発したことが根にある。
たぶん、国会議員ポストをアガリのポストと考える人が多すぎるから、こんなことになるのだ。
今となっては、泰伯をみならって、ひっそりと消えることが正しい、かもしれぬ。

「やる」と言ったことは、しゃにむにやってくれなくては困る。できないなら、あやまり退く。


解説員として(107)

2012-03-26 16:12:26 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

冷たい北寄りの風。それでも日差しは暖かい。

見学者は一組二名。

宮城県からいらっしゃっり、お一人はこれから仙台へ、とのことであった。

想像だが、娘さんのところに、短期的に訪問なさったおかあさん、といった感じ。

可もなし不可もなし、が解説自己採点。


ぼけーっと読んでいた本(漢字百話、白川静、中公文庫)から。

日本語の華訳(普段、我々は漢字を訓読みしている。が、考えてみれば、中国人は日本読みを中国語に翻訳するわけだ)。

口(クチ)=窟底
酒(サケ)=沙嬉
年(トシ)=多失
息(イキ)=亦急

なんか、当て字、って感じですな。面白いのは、

オメデトウ=紅面的倒(日本人の正月は酒を食らって真っ赤になって、ぶっ倒れているらしい)
博打(バクチ)=抜苦気(バクチが苦気から抜け出すとはとても思えない)

古池や 蛙飛び込む 水の音=青蛙 躍進古池 水的音(鄭振鐸訳)
とても、元の雰囲気を表しているとは思えない。ポチャン、ではなくて、ドッボーンて感じ。


学校が休みになったからでしょうか、暖かくなったからでしょうか、野川からさかんに子供達の声が聞こえてきました。
こちらも、ウキウキします。

早春の 水辺に上がる 声 幼童(こえわらべ)





解説員連絡会(21)

2012-03-22 11:24:43 | 水車解説関連
3/2に実施された連絡会の議事録が郵送されてきた。最初電子メール添付で送付されてきたが、おそらく、ウイルス対策が施されているからだろう、開けなかった。
面倒になった、と思う反面、役所仕事の危機管理は徹底させねばならぬことも理解できる。

今回も欠席した。備忘のためにメモしておくべきことなどは次のとおり。

1 4~6月の当番日程決定。穴をあけぬようにせねば。

2 12月~2月の見学者数は、昨年実績の6割とか。寒さが厳しかったからだろう、とのこと。

3 3/24 民具展示報告会開催。残念!参加できない。

4 水車公園の水車を取り換える。いいことだ。

5 来年も特別公開を実施する。

6 解説員養成講座を実施する。解説員の絶対数が足りないようだ。


個人的には、少々マンネリ気味。気合を入れなおさねば!勉強、勉強!




論語(178)

2012-03-21 09:23:24 | 論語
温而、威而不猛、恭而安(述而第七の37)

温にして(レイ)、威にして猛(タケ)ず、恭(キョウ)にして安し。


これについては、二つの解釈があるらしい。
①孔子の人となりをあらわした言葉
②君子(=立派な人)はこうあるべきだ、と孔子が言った

ここでは、どっちでもいいや、ということにする。


穏やかなのだが一本筋が通っている、いかめしいのだが荒々しくはない、礼儀正しいのだが気さく。


そんな人に、ワタシも、なりた~い。



論語(177)

2012-03-19 11:03:58 | 論語
君子坦蕩蕩、小人長戚戚(述而第七の36)

君子は坦(タイラカ)に蕩蕩(トウトウ)たり、小人は長(トコシエ)に戚戚(セキセキ)たり


大物は、ゆったりとしている。小物はいつもくよくよしている。


隣の大国のトップリーダーをテレビで見ていると、「君子坦蕩蕩」を演じているように見える。
あの国では、わずかでも、オタオタするような態度(戚戚)がかいまみえたら、リーダー失格の烙印を押されるに違いない。
儒教にドップリ浸かったままだ、と感じる。

それにひきかえ、この国はどうだろう。
前首相は、キャンキャン叫びすぎて、引きずりおろされたらしい。
だから、といって、君子が出てきそうな雰囲気はない。

ジャイアンとのび太とスネオによる、バランスのとれた合議に期待すべきなのでしょうか。


ごまめの歯軋り(5)

2012-03-18 11:32:10 | ごまめの歯軋り

ときどき新聞に掲載される、福島原発の冷却水温度状況を、かたずをのんで見続けている。

一年経過して、よくぞここまでこぎつけてくれたものだ、と心底感謝している。

がしかし、この国は、今のケアを、おそらくエンドレスに、未来永劫続けなければならないのだ。
大変な重荷を背負ってしまったものだ。


そして、
原発建屋の最上階で冷却されている使用済み燃料に、「ミサイルを撃ち込むぞ」、とだれかに脅されたらどうするか?
もし、実際にやられたら、それによる爆発はたぶんヒロシマ型原爆の何百発分にも相当するのだから、国そのものが吹っ飛ぶ。
脅しに屈してお金で解決させるか?

今原発再稼働を画策している人々は、このような安全保障上の深刻さを十分承知しておられるのですよね?


国破れて山河あり、と杜甫は歌いましたが、どうか、山河壊して国家なし、にだけはしないでほしい。
今我々は歴史を振り返り、国土を持たない流浪民族の悲劇を真剣に勉強すべきだと思う。
そして、原発を再稼働させてはならぬ。


一年前に書いた記事を下に再掲する。

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「201103111446」

 地震・津波・原発の三重同時災害が、ちょうど一週間前(2011年03月11日14時46分)発生した。
あのとき、未曾有の大災害であることは直感できた。が、原発がこんなことになるとは想像できなかった。
今、茫然自失状態だ(多くの方々の訪問を受けているにもかかわらず、ブログを更新できなかった。お詫びする)。

 「194508151200」(1945年08月15日12時00分)
原爆被災を含む国土荒廃から戦後復興の長い苦難の道が始まった時刻だ。

 今回も我々は、上の数字を始点にして、原発事故という放射能災害を抱えての国土荒廃から、立ち上がる。
(天皇もそう思っておられるようで、昨日テレビでお言葉を発露なさった。)

今被災地の最前線で戦っている方々に対し、心の底から敬意を表する。

そして我々は、心の持ちようを、平時から非常時に切り替え、彼らに心を合わせねばならない。
そうしなければ、彼らは萎えてしまう。

ロディスティクス(後方支援)を徹底充実させよ!

 幸いにも、西日本は無傷だし、国力は敗戦時よりずーっといい。必ず、日はまた昇る。
それを信じ、ガンバルのだ。


 しかしそれにしても、この国の民の精神がこれほどまで劣化していること(多分に、自分に対し言っているのだが)に、これまた絶句状態だ。

このブログの本来の趣旨に沿うかどうか、おおいに迷ったが、腹に据えかねることなどを、新しく設ける標題(ごまめの歯軋り)のもとで書くこととした。

解説員として(106)

2012-03-16 14:27:20 | 解説員日記
今日の午前、ピンチヒッターで解説に入った。

冷たい空気であったが、さすがに日差しは春。梅が満開であった。このぶんだと、桜が咲くころまで梅の花をみることができそうだ。

見学者は、二組計11名。

連雀コミセン環境部ご一行8名は、地元名士たちであることを考慮し、説明した、つもり。
時間が少々押し気味であったので、ご満足いただけたかどうか、疑問。

所沢から、ハイキングにいらっしゃった三名の熟女たちは、ハイソな奥様方、といった雰囲気。
「昔、主人がここの挽き粉が気に入り、通ったものです」などの話が出たりして、楽しんでいただけたようだ。

ケーブルテレビの取材、撮影が念入りに行われていた。




論語(176)

2012-03-15 11:01:04 | 論語
奢則不遜、倹則固(述而第七の35)

奢れば即ち不遜、倹なれば即ち固なり

贅沢をあたりまえにすると尊大になるし、倹約を徹底すると品格を失い、かたくなになってしまう。


この文の次に、人間としては尊大になるよりかたくなになるほうがいい(與其不遜也寧固)、とある。
孔子は、人間形成の基本に質素倹約の徹底がある、といっている。
分をわきまえて節度ある行動を、という意味で賛成する。下品にはなりたくない。


しかし、いっとき大騒ぎした、節電ばなしはどうなったのだろうか。

テレビは、どうでもいい番組を、なぜこうも長時間垂れ流すのか?
トンチンカンな偉そうなことばかりを言っていると誰もテレビを見なくなってしまいますよ。

夜の街、明るすぎるところが多すぎませんか?そのお金の一部を復興に回そうではありませんか。

そもそも、各家庭の電気量の基本契約はどうなっているのでしょうか?全家庭が災害前より一段階減らす契約にすれば、どんなに節電効果が上がることでしょう。


あれほどの大災害や、あれほどの原発大事故を経験したにもかかわらず、この国は、上から下まで、「奢則不遜」
から抜け出せないようだ。
贅沢さに下品さを加えた、おかしな社会になりつつあるように思えてならない。

エネルギー消費を続けるという自転車操業社会になっているからなのだろうか。

おそろしいことになったものだ。

解説員として(105)

2012-03-12 14:50:35 | 解説員日記
今日の午前中、解説当番であった。

見学者は、中年男女一組のみ。

ごく一般的な説明で終わった。


管理の方から、流量を測定した結果が1.5m3/min(水車11回転/分)だったと聞いた。

直感と著しく矛盾するので、帰宅後すぐに確認した。

何が矛盾していたか?

教えられていた、水車の出力8馬力ぐらい、と、上の流量から推算される理論馬力があまりにも違いすぎる。


おおよその理論馬力が、10*流量(m3/sec)*水位差(m)で計算されるとすると、なんと、0.25馬力にすぎない。

カラ回しなのでこんなものだ、と言っていいのだろうか?

杵や碾き臼などを動かすときの、負荷増大に対応させて、どれほど水量を増せばいいのだろうか?


じっくり考えねばならない。



論語(175)

2012-03-09 09:32:35 | 論語
丘之祷之久矣(述而第七の34)

丘(キュウ)の祷(トウ)これ久し


弟子の子路が、病気療養中の孔子に対し、病気平癒の加持祈祷をしたい、と申し出たときの、孔子の答え。

私、丘(孔子は自分をいうとき、こう表現する)が加持祈祷をするなんて、かつてないことです。


言外に、やめてくれ、と強く主張している、と理解した。

加持祈祷=神仏の不思議な力を信じ、病気などの災難を除去することを願う祈り。


たぶんこのとき、孔子にこんな言い方をされたら、弟子たちは、公には、加持祈祷をできなかった、と思う。
これは、驚き、はじめて知った。
儒教を宗教の一つと考えていたが、加持祈祷をこれほど明確に否定しているので、それは間違いとしなけらばならぬ。


論語(174)

2012-03-07 10:14:29 | 論語
為之不厭、誨人不倦(述而第七の33)

之を為して厭わず、人に誨(オシ)えて倦(ウ)まず


前段に、若聖與仁、則吾豈敢(聖と仁のごときを、吾豈(ア)に敢えてせんや)とあるので、之=聖與仁。

私(孔子)は、(聖人とか仁者になろうと努力することを無理やりやっているわけではありません、ただただ、いつも)やりきった、と思えなくて、人様に、ああでもないこうでもないと、倦きることなく、言っているにすぎないのです。

これを聞いて、弟子の公西華をして、「弟子不能学也」(弟子学ぶことあたわざるなり)と言わしめた。

聖人もしくは仁者として認められている孔子だから言える謙遜言葉、ということでしょうか。

ただただ、へへーっ~、おそれいりました、でございます。

私も、無理やりではなく、楽しく喜びながら自然に、「いい夫」になろうと努力しなければなりませんでしょうなあ~。

論語(173)

2012-03-05 11:20:09 | 論語
文莫吾猶人也、躬行君子、則吾未之有得也(述而第七の32)

文莫(ビンバク)は我猶(ナオ)人なり、躬行(キュウコウ)君子、即ち吾未だ之を得ること有らざるなり。


文莫=摸(ビンバク)の略字=勉強に努力すること
躬行(キュウコウ)=実行、実践
君子=徳のある人

私(孔子)は、勉学に励むことに関しては、まあ人並だ、とは思うものの、人間として恥ずかしくない行動を実践することに関しては、まだ満足していない。

謙遜のお言葉でしょうか。ただただ、へへーっと、恐れ入ります。


しかしそれにしても、儒教発祥国、やその隣国の居丈高な行動は、とても「君子然」とは思えず、不愉快になることが多い。
そもそも、民族性情の本来が、ああだから、儒教が生まれた、とみるべきでしょうか。




論語(172)

2012-03-02 09:51:17 | 論語
子與人歌而善、必使反之、而後和之(述而第七の31)

子、人と歌いて善ければ、必ず之を反(カエ)せしめ、而して後、之に和す


孔子は、詩歌の吟詠を楽しむとき、人の歌が良いと感じたときは、必ず、「もう一回!」とおねだりし、そののちその人と唱和する。


俗人の世界でいえば、カラオケでマイク握りっぱなし、なんてみっともないことを孔子様はなさりませんよ、ということでしょうか。


「ウタウ」と読む漢字がいくつかあるが、正しく知らないので、調べてみた。

歌=楽曲に合わせ、長く声を出して、詩歌を諳(ソラ)んずること
謡=楽に合わさず、細き節なしにうたうこと
謳=吟
吟=鼻うたにうたう

ついでに、
「和」の本義は、他の声に応じ、発声で応じること、だそうな。
「オーイ」などと声をかけられたら、ウーとかハーとか、なんらかの声で答えること。
今我々が使う意味合いに、どのように変質していったのであろうか?興味魅かれる。