水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

グリーンパーク野球場

2007-04-30 14:03:15 | 雑感(4)思い出
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 ある方に「多摩のあゆみ」(季刊雑誌、スポンサーは多摩信用金庫か?)のバックナンバーを少々いただき、ときどきペラペラめくっては楽しんでいる。多摩地域の歴史・民俗・文化などに関した研究成果の発表の場となっていて、素晴らしい雑誌だ。

 97号(H12年2月)を見ていたら、「多摩の軍用線・軍需線」というタイトルの文の中に、中島飛行機武蔵製作所と武蔵境駅を結ぶ線も書かれているのを見、下を思い出した。

 戦後、この武蔵製作所跡地の一部が野球場になり、グリーンパークと呼ばれていたのだ。線路は三鷹からつながっていたような気もするのだが・・・。この野球場には、父に連れられて、何回かプロ野球を見に行った。
覚えているのは、名古屋の西沢が巨人の中尾からホームランを打ったこと、巨人の千葉の打撃ホームや守備位置が、子供心にも、へんちょこりんに感じたこと、弱い国鉄の新人として出てきた金田の球が、とてつもなく速かったこと、ぐらいか。杉下とか大友とか、見たような気もするが、はっきりしない。

ぎっくり腰

2007-04-24 17:24:33 | 雑感(1)日常
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
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 先週の土曜日、「ぎっくり腰」をやってしまった。洗面台の前で、体を立て直した瞬間だ。日曜日の夜、会合があって出席したが、しんどかった。本日、急ぎでもないのにまたまた外出し、どうしようもなくなり、帰り道途中、整体院に飛び込んだ。

 忘れもしない、今から30年以上も前、駒沢の国立東京第二病院の前でバスから降りたとたん、腰に激痛が走り、歩けなくなった。塀伝いに病院に行き、そのまま入院したのだ。シモの世話まで看護婦まかせの絶対安静を命令され、どうなることかと不安だったが、いわゆる「ぎっくり腰」という診断が出て、1週間でめでたく退院。
生まれて以来初めての入院であった。

 今回は2回目、何日か前から予兆はあったのだが、たかをくくり、罰が当たってしまった。治療には健康保険が効くそうで、今日の費用は500円であった。ずいぶんと楽になった。明日もお願いすることとした。

 前回の「ぎっくり腰」を、当時、若者から壮年への身体変化の合図と考えたのだが、今回は、いよいよ老年への合図か。寂しいことです。

有形民俗文化財(3)

2007-04-19 10:52:59 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
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 都庁のHP上で、文化財情報検索画面をみつけた。これによると、都内の有形民俗文化財の総計は17である。内訳は、既述の冨士塚が2、舞台があきる野市・奥多摩町で計4、屋敷が八王子市・青梅市で計2、生活用具が杉並区・新島村で計2、図・額類が瑞穂町・御蔵島村で計2、養蚕・ノリ・瓦などの生産用具類3、小笠原島村の石切り場、そして三鷹の新車、である。
 残念なことに、上述の検索画面上には、解説や写真が示される事例が少ない(5例/17例)。倉庫や収蔵庫に眠らせている物が多いのではないの?

 画面を概観した印象は、有形民俗文化財として指定されるものの定義幅がとても広いこと、また、そのような中で、三鷹の新車が他と著しく異なり、「あるがまま・いつでも機能させられる形」で保存努力されていること、であった。後者は、宣伝強化の動機付けのひとつになる。



有形民俗文化財(2)

2007-04-18 11:15:55 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
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 千駄ヶ谷の冨士塚のほかにも東京都は、冨士塚を有形民俗文化財に指定しているらしい。調べてみると、清瀬市中里にある、通称、中里冨士塚と呼ばれるものらしい。1825年築造、1985年指定だ。比高約10mで、九十九折の登山道もあるらしい。信者団体である中里冨士講中が所有する資料類も付帯して文化財指定を受けているようだ。

 清瀬というと、小学校1年生のとき学校から行った病院を思い出す。学校で実施したツベルクリン検査の結果、精密検査を要する、となって、清瀬にある大きな病院に行ったのだ。ほとんど何も覚えていないのだが、清瀬、という地名と、学校からバスで行った(とても珍しいことだった)ことのみが記憶にある。そして、精密検査の結果が、なんでもなかった、ということを。

有形民俗文化財

2007-04-16 10:37:48 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)
 
 東京都が指定した有形民俗文化財は、ここのほかにどのようなものがあるのであろうか。全部で10~20程度存在するらしいのだが、最初に指定を受けたのは、鳩森八幡の富士塚らしい。指定年1981年。江戸時代後期、富士山信仰が盛んで、江戸近郊のあちこちに人工の小山が作られ、そこを富士山に見立て、お参りしたようだ。箱庭のスケールを大きくしたもの、を想定すればよいのだろう。信仰の意味もあったろうが、近隣観光地というか、遊び心が多分にあったのではないか。鳩森八幡の富士塚は、1789年築造(伝聞)であるものの保存状態がよいようだ。千駄ヶ谷鮫ケ橋四谷切絵図の右下隅にも、富士山マークと「冨士」という字が示されている。
 JR千駄ヶ谷駅の裏手あたりにあり、登山可能であるらしい。そのうち、プラプラ行ってみよう。

砂を噛む

2007-04-14 10:08:00 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
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 子供のころ、ご飯の中に砂粒が入っていることがあり、それを噛み、不愉快な思いをしたことがたびたびあった。なぜご飯に砂が入っているのか、不思議だったのだが、水車の解説員としての勉強によってはじめて、この砂の源を下のように理解した。これで正しいか?
 大麦の精白には、新車(しんぐるま、ここの水車の固有名詞)の場合、約65kgの杵で20時間(10時間*2回)を要した。さらに、十分な精白をするために、水をかけて柔らかくしたり、搗き砂をいれたそうである。
 この搗き砂が最終製品に混じってしまったに違いない。

 話は変わるが、「砂を噛むような思い」と言う時の砂は、そもそもこのご飯に混じった搗き砂のことを言ったのであろうか。また、新しい疑問が出てきてしまった。

解説員として(7)

2007-04-12 19:49:39 | 水車解説関連
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日の午後は解説当番であった。おだやかな気候であったが、来場者数は少なく、15~20名であった。記帳記録を見ると、最近の週末一日あたりの来場者数は、100名を越えている。
 今日、対応した来客の中で、お二人が印象に強く残った。一人は、大学の教官だそうで、御自身の授業カリキュラム立案のために、この付近を自転車で、お回りになっていたようだ。この施設が気にいったようで、学生を連れてくる場合についての相談をするために、市役所に行っていただくようにお願いした。
 もう一人は、仕事上着の胸に「~~銘木」と書いてある方であったのだが、案の定、水車に使われている、素材としての木材についての関心が深かった。特に横芯の磨耗防止アテ木が気に入ったようであった。
 お二人に共通することは、なにか考えることをかかえて、ここにきて、なにかひらめいたらしいということだ。来場時の思案中の顔から、お帰り時の晴れやかな顔への変化は劇的ですらあった。こちらもうれしくなってしまう。

著名人との遭遇(3)

2007-04-09 09:42:35 | 雑感(4)思い出
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
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 小学校高学年のある時、たまたま通りに出たとたん、真っ白なランニングシャツとパンツのランナーが目の前をビューンと走り抜けた。白いはちまきと胸の日の丸がやけにあざやかだった。見ていた人が「山田敬三だ」と教えてくれた。彼のボストンマラソン優勝が1953年だったらしいから、たぶん、その直後、三鷹での大会に招待されたのだ、と想像している。
 山田敬三からずっと遅れて後続のランナーが走り抜けたのだが、山田が、一人のみ強烈に輝いていて、網膜に焼き付けられた。オーラを発散していたにちがいない。
 中学に入ってから、学校まで毎日走って通学したこともあったが、もしかしたら、山田を見た印象が誘因となっていたのかもしれない。友人の自転車に三人分の荷物を載せ一人伴走、二人が走った。狐久保、新川、そして今は教育センターのある付近に中学の通用門があって、そこまでの約2kmのコースだ。走るごとに、タイムが早くなるのが楽しかった。このような時に、よい指導者にめぐり合うと、別の人生があるのだろう。
 しかし、走った道路は、今車があふれ、とても人間が走れるような環境ではない。

ナンバ歩き

2007-04-04 10:01:42 | 雑感(1)日常
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 週に何回か、気が向いた時、散歩をしている。5kmを1時間かけてといったところだ。
その際、古武術家・甲野善紀氏が提唱する、ナンバ歩きを試みることにしている。手足同側歩き、だ。もう半年以上続けているが、まったくできない。小学校のころの体育の時間、必ず何人かの手足同側歩きがいて、先生に怒られたっけ。江戸時代までは、腕を振らないで走っていた、と聞いたこともある。この歩きが身体に負担を掛けないのだそうで、マスターしたいとと思い、始めた。
 甲野氏の書いたものはなかなか面白い。西洋式の身体鍛錬法ではなく、明治維新で失った伝統的体捌きを追求している人だ。最近では、NHKテレビでも放送されるようになった。気に入っているのは、家元然としないこと、弟子を取らないこと。権威面を極端に嫌う人ではないかと、想像している。
 武者修行中のつもりで、ナンバ歩きを試行錯誤する、暗中模索の散歩はそれなりに楽しい。

解説員として(6)

2007-04-01 14:56:06 | 水車解説関連
(三鷹市にある、民俗文化財水車経営農家、の概要については平成18年10月2日からの20回で説明した。これからは、多少視野を広げ、折々に興味の引かれる問題について記述する.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 今日の午前中、解説当番であった。気持ちのいい陽気で、管理人のSさんが「今日は多いぞ」と予想したとおり、忙しかった。解説を聞くことなく、待ちきれずに出て行かれる方々も多かった。もしかしたら「解説を期待していたのに」との思いの方もおられたのではないか、と心配した。解説員2名だったのだが、今日の経験に基づくと、2名での対応可能数の上限は、3時間あたり、20組、人数で100名、とみた。今日の午後は3名のようだが、たぶんてんてこまいになるに違いない。
 行きがけに、大沢橋から野川沿いに上がったのだが、桜満開。素晴らしかった。上流の野川公園や武蔵野公園はもっと素晴らしいに違いない。桜が散った後でも、おそらくこの風景のおだやかさは、常に人々の心をなごませるはずだ。