水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

エツ病

2008-07-31 16:35:32 | 雑感(1)日常
 くだらん時代小説を読んでいたら、「謁」の字の偏を日にした字があって、エツと読ませ、会話の中に「エツ死が出そうな陽気だぜ」と使われた。

 なんだ?意味判らず。

 大字典をめくり、「暑気に中り死ぬこと」であることを知った。例文として漢書「民乃多エツ死」とあった。日射病による死のことだ。ちなみに、国語辞典、古語辞典には出てない。

 江戸時代に、こんな言葉が本当に使われたのであろうか。直感、小説家の趣味の域と感じた。
しかし、現代では英語のheatstroke,sunstrokeをそれぞれ熱射病、日射病と直訳しているわけだから、英語を使わない江戸時代、日常的に「エツ疾」、「エツ死」が使われていたのかもしれぬ。

 どうでもいいや。とにかく、江戸時代だって夏は暑かった。今は冷房機がある。暑さにげんなりしていては恥ずかしい。古人に笑われる。

スランプ

2008-07-29 09:52:24 | 雑感(1)日常
 確か囲碁のことを書いたはず、と過去に遡ったら、去年の6/7に書いていた。

当時に比べ今は、碁会所に行く機会がずっと減り、もっぱらインターネット碁だ。朝7時から夜12時まで、自分の都合に合わせて、いつでも相手を見つけることができる。たまに、管理者ではないか、と思わせる、凄腕が相手をしてくれることもあり、あきさせない。

 しかし最近、ひどいスランプに陥っている。生意気にも、そう思っている。
勝てないのだ。先月には10連敗もしてしまった。四ヶ月トータルでは、52勝61敗だ。カッカカッカを通り越して、ショボグレている。弱いから負ける、とはわかっているものの、グヤジー。

 敗因分析をやっているつもりだが、まだまだ甘いのだろう。碁会所に行って、稽古をつけてもらう必要があるかも。見ている世界がまるで異なるプロに、指導碁をお願いする必要ありか。

 勝碁は暑気払い対策としては最高。ただしその一方、負けた後の、ひどい暑さも覚悟せねばならぬ。

 とにかく、もうちょっと強くなりたい。
このスランプを抜け出せば、ちょっとは強くなっている、と信じたい。弱いくせに生意気にも。


  


みみずのたはごと(12)みみず

2008-07-23 08:59:57 | 三鷹・文学
 蘆花はなぜ、標記を本のタイトルにしたのだろうか。
新刊予告(下p205)の出だしに次がある。

「著者が過る六年間田舎に引込み、みみずの真似して、土ほじくりする間に、折にふれて吐き出したるたわ言共をかき集めたものなり」

「たはごと」を蚯蚓が吐き出す土にたとえたのだろう。 
そういえば、次のような文もあった(下p73)。

「土を穿ち、土を移し、土を平らし、土を積む。彼らは工兵の蟻である。同じ仕事する者でも、農は蚯蚓である。蚯蚓は蟻を恐れる」

 
蚯蚓とも、蟻とも異なる自分はなににたとえればよいのだろうか。直感はキリギリス。冬が怖い。

辞書をめくっていて、蚯蚓、が夏の季語であることを知った。そこでお粗末即興、

蚯蚓鳴く 夜は寝苦しく 枕抱く 

三鷹市長メルマガ(10)

2008-07-22 09:14:17 | 三鷹・市政
 標記111号が配信された。

 環境対策課長が、柏崎の海水浴場での、中越沖地震体験をお書きになっている。M6.8、震源深度17km、の地震を、震央から、たぶん、20km以内の海岸で体感した、貴重な話だ。

 水中で泳いでいた子供さん方は、「その瞬間はまるで海ごと揺れているみたいだった」そうである。水中での縦波(確か、伝播速度は1.5km/秒だっけ)体験談だ。面白い、といっては失礼か。親御さんがたが居られた砂浜の揺れから、一呼吸置いて海水が揺れたはずで、なんて想像が際限なく膨らむ。

 文章全体が、「必ず来るといわれている東京大地震」に対する我々の対応を考える上で大変示唆に富んでいる。
 発震後我々はまず身体の安全を確保する。実はその後が大変なのだ。時間経過とともに次々と難問が発生するからだ。寸刻の休みなく、ひとつひとつの最適解を、迅速にしかもロスを最少に求め続けなければならない。

彼の話は、震災緊急対応シミュレーションの状況設定としても、十分に役立つのではないか。

 とにかく、彼のような人が市役所中枢に居る間は、彼らの眼が入ることによって施策に血が通うはずだから、市が打ち出す防災施策を信じてよい、と思う。


 

みみずのたはごと(11)嫌いな虫類

2008-07-18 11:07:07 | 三鷹・文学
 最近、あるところで蝮に遭遇し、肝を冷やした。たまたま手に持っていた竹棒でしとめたが、その時の自身の狼狽ぶりを思い出し、今なお実に不愉快。

 蘆花も、蟷螂、イモリ、蛞蝓、シャクトリ、等と共に、蛇が嫌いだったようだ(みみずのたはごと、上p216)。子供時代、熊本での経験などを長々と書いている。たぶん蘇峰のことだろう、兄の蛇嫌いについても書いている。

蝮についても、次の文がある(p218)。

「彼の郷里では蝮をヒラクチと云う。ある年の秋、西山に遊びに往って、唯有る崖を攀じて居ると、「ヒラクチが居ったぞう」と上から誰やら警戒を叫んだ。其時の魂も消え入る様な心細さを今でも時々思い出す」

 そして、いつものことだが、この小文も締めの文章がなんともいえず含蓄に富んでいる。

「「世の中に這入りかねてや蛇の穴」とは古人の句。--------、彼は蛇を嫌う権理がないばかりでなく、蛇は恐らく虫に化って居る彼自身ではあるまいか。-------。好きなものが毒になり、嫌いなものが薬になる。好きなものを食うて、嫌いなものに食われる。宇宙の生命は斯くして有(タモ)たるるのである。好きなものを好くは本能である。嫌いなものを好くに我等の理想がある。「天の父の全きが如く全くす可し」。本能から出発して、我等は個々理想に向かわねばならぬ」

 無毒の蛇に比べ、動きが極めて緩慢な対象に対し、なぜあれほどまでしゃかりきになってしとめにいってしまったのか。上の蘆花の文がきちんと頭に入っていて、咀嚼されていれば、別の行動を取ったはず。今、自己嫌悪の極みだ。

みみずのたはごと(10)夏の頌

2008-07-16 08:47:45 | 三鷹・文学
 このところの暑さはなんだ。
あまりの寒さにへこんでいたのは、ついこの間のことだった。こんどは、暑さにもうへきえきだ。

 蘆花は暑さを苦にしなかった、ようだ。標題の小文が上P187にある。ナツのショウ、と読んでいいのか。訓読みがあるのか?夏を讃える、の意であろう。出だしは、次ではじまる。

「夏は好い。夏が好い。夏ばかりでも困ろうが、四時春なんか云う天国は平に御免を蒙る。-------。排外的に立籠めた戸障子を思い切り取り払う。子面倒なな着物なんか脱いでしまう。ーーーーーーーー。大抵の客には裸体若しくは半裸体で応接する。」

そして、p190に、次の文があった。本当は、夏が好き、ではないのか。微妙。

「夏は自然のヤンキーズムだ。而して此夏が年が年中で、正月元日浴衣がけで新年御目出度も困りものだが、此処らの夏はぐずぐずするとさっさと過ぎてしまう位なので、却ってよいのである。」


 ぶつぶつ言わずに気合を入れて、この暑さを乗り切ろう。

メジロ(2)失敗

2008-07-15 09:39:51 | 雑感(1)日常
 先月23日の記事にメジロのことを書いた。早速、餌付けをこころみたのだが、失敗した。
 写真は、うまくいっていたころの、エサだ。夫婦でよく食べてくれた。

 あるときから、ぱったり声が聞こえなくなり、営巣に入ったかと期待した。しかし、今日覗いたら、巣はすっかり荒れていた。残念だが、完全な失敗と認めざるをえない。営巣にも入れなかった可能性が高い。

 たぶん、他の鳥に勢力圏を奪われ、身の危険を感じ、移動したのではないだろうか。
なぜなら、①庭にやってくる鳥は少なくなく、その種類も、カラス、ハト、スズメのほか三種ほど、名を知らぬ鳥を見た。②メジロは庭にやってくる鳥の中で一番小さく、いつも脅されていたように感じられた、からだ。

 がしかし、それもこれも、たぶんこちらの人間に責任がある。
人間がエサを出したり、ウロウロすることによって、彼らの生活圏が他の鳥の目にさらされるようになったのだろう。

家人に言わせると、「デリカシーに欠ける人がこんなことをやっても、成功するわけがない」だ。

 それにしても、どこに行ったか。安全な生活の場を見つけたにちがいない、と信じている。 

先祖

2008-07-11 20:19:03 | 雑感(1)日常
 最も古い親友(こちらが5歳のときからで、こちらの勝手な思い込みかも)のメールマガジンは本当に素晴らしい。月に数回配信され、たくさんの花の写真を楽しませてもらっている。とにかく、このまま埋もれさせるにはもったいないほどのメルマガなのである。

 全体の構成は、お友達が加わったりして、すこしずつ変化させているようだが、最近加えられた、ご先祖の事跡を訪ねる企画には眼を見張った。素晴らしい。
 疑いようもないほどの非常に珍しいお名前だから、本元は、保元・平治の乱に名が出てくる有名な武将で、約900年前にまで一気に遡れる。
連綿と続いてきた家系に対する責任感から、お始めになったのだろうと想像している。さすが、というか、出足の内容からしてすごい。
今後の展開が非常に楽しみだし、うらやましい。

 ひるがえって、己の先祖は?どれほどまで遡れるのであろうか。

 40年位前に大叔父が調べた、家系図の写しがあることを思い出し、引きずり出してみたら、一番古い人は5代前で、文久2年に71歳で亡くなっていた。約200年前か。ありふれた家ですな。

 一方、上の友人は、少なくとも20代は続いてきた、由緒ある、たいへんな家の御当主ということだ。2の20乗の枝分かれですぜ。
いつものことだが、ちょっと気づくのが遅すぎる。反省!

 

  

 

企業戦士

2008-07-10 11:17:03 | 雑感(1)日常
 企業戦士なんて言葉が流行ったのはいつだったか。

 子供が幼稚園から小学校まで、多摩ニュータウンで生活した。周囲はほとんど同年代の家庭で、種々の面倒事はあったが、今となっては、思い出すことは楽しいことばかりだ。
婦人達に比べ、男共の交わりは、確かに少頻度だった。しかしながら深かった。それはたぶん、通勤の行き帰りのちょっとした会話や団地総出の諸行事での共同作業などから、互いに親近感が醸成されたのだと思う。

 中に何人か、毎日朝星夜星の通勤をしているにもかかわらず、レクリエーション大会では必ず大活躍する、エネルギー満ち溢れたスターが居た。つくづく、世の中にはなにをやっても人様より抜き出る人、がいることを認めざるをえなかった。

 たぶんあの時代、そんな人々を企業戦士と呼んだのだろう。

 今なお現役で活躍なさっていた、そのような企業戦士(と思い込んでいるのだが)のお一人の訃報が入った。
走って走って走りぬいた一生ではなかったか。ちょっと早すぎる。残念。

 心よりご冥福を祈る。合掌。

  

神田川上流懇談会(5)

2008-07-08 09:22:31 | 雑感(2)ボランティア活動
 先週の火曜日(7/1)、標記会議が開かれ、出席した。前回が1/10であったから、半年振りだ。

 話が前後するが、あと二回(10~11月、来年1月)開催され、お役御免となる。ここにきて、この会議がなぜ、なんのために設けられているのか、よくわからなくなっている。早く、自分のスタンスを確立しておかねば。

 会議での主要な話題は次のとうりであった。

1) 今年度河川工事の概要
 都サイドから、今年度実施される主要工事、12箇所について、概要が説明された。河道拡幅工事とそれに伴う橋の架け替えが目立った。
配布された資料を眺めていると、50mm対応としての河川工事は、終わりに近づいているな、と感じる。特に、環七通り下に設けられた、延長4500mの、トンネル状洪水貯留池の存在は圧巻だ。今夏、これを機能させるような大雨があるだろうか。

2) 流域7自治体の神田川関連事業
 武蔵野・三鷹・杉並・中野・豊島・新宿・文京の順に、自治体が実施している事業の概要が報告された。武蔵野・三鷹では雨水浸透促進事業、区部に入ると、洪水対策(警報機、防水版、高床住宅助成など)事業に力が入るようだ。
 また、市民サイドからは遊歩道、行政サイドからは河川管理道路としての需要が高い、河道沿いの道路整備が急がれているように感じた。

3)済美公園の計画
 地域住民も参画して、練り上げられた、親水型河川公園の計画概要が説明された。
結構な計画であることに異存はないが、雨が降ったときの下水道から排出される水をどうするのか。みなさん、そのことを十分認識なさっているのに、誰もそこに触れることはない。不思議な議論であった。

4)降雨時の下水道水質
 前回の会議で、下水道局が、詳細な状況説明をした。その際、市民委員サイドから、降雨時の臭気被害の深刻さが指摘された。さらに、降雨時、河川に出る直前の下水水質データを開示するよう要望も出た。
 しかし、今回、下水道局から、「公表を差し控える」との回答が出、座はすっかりしらけた。都は、合流式下水道の抜本改善に向けた貴重な一歩になるかもしれなかった機会を逃した。

5)市民活動
 神田川を愛する市民の方々が種々の活動をなさっている様子が紹介された。
ブルーギル、ブラックバスなどの外来魚の増殖はかなり深刻なようだ。

6)洪水ハザードマップ
 都サイドが、都市型水害対策を説明なさった機に乗じ、何ヶ月か前に各戸配布された、三鷹市の洪水ハザードマップのできのよさを宣伝した。
しかし、この種のマップを「配布して終わり」、ではいけない。どのように利用すべきか、まで啓蒙すべきではないか。



七夕

2008-07-07 16:21:52 | 雑感(1)日常
 「七夕」をなぜ、「たなばた」と読ませるのか?三鷹市長メルマガ最新号、編集後記に刺激され、辞書をペラペラめくった。

 「たなばた」は、本来「棚機」であるらしい。「棚」は神殿の神に近い座であって、そこでのはたおり(機織り)を「棚機」と称した。したがって、古い歌などに出てくる「棚機津女」は、神様の布を織る巫女さん、のこと。

 一方、「七夕」は、本来やはり「しちせき」と読ませるもので、中国から伝来した、五節句(1/1、3/3、5/5、7/7、9/9、陰暦)のひとつ。
過日、大宮神社の乞巧祭(きっこうでん)準備を、たまたま興味深く見学したのだが、これがなんと、技芸向上を願う、本来の「七夕」(しちせき)行事らしい。

 中国からの渡来文化と日本固有文化とがごちゃまぜになった結果、「七夕」を「たなばた」とあて読むようになった、と理解すべきか。いつ頃、こんなことになったのだろうか。江戸時代か?もっと前か?

今ではしかも、新暦7/7の行事としてしまった。梅雨の真っ盛りに、星なんて見られないでしょうに。これでは、当然、古来からの由来・伝承なんて吹っ飛んでしまう。まあ、ゴチャゴチャにするのは日本人の得意とするところ、とは思うものの、少々やりすぎかも。

 とにもかくにも、こんなことを知らなかったの、と笑われそうだ。恥ずかしいことこの上ない話だ。

 

大宮神社

2008-07-02 14:09:18 | 雑感(5)その他
 昨日は、神田川上流懇談会の第四回会合だった。前回は一月だったから、半年振りだ。そのことについてはおいおい書く。

 会議が開かれた場所は、杉並区堀の内、善福寺川取水施設と称する施設だ。
神田川・善福寺川・妙正寺川で氾濫が起きそうになった時、環七通りの地下に建設された巨大なトンネル状貯水池、に水を流し込む目的の施設だ。

 地図を見たら、大宮神社に近いことがわかり、井の頭線永福町駅から、ブラブラ歩くことにした。

 大宮神社は約千年前に創建され、応神天皇を祭る神社だそうだが、立派だ。

 鳥居に続く、表の参道は細く、いかにも古く、味があった。東京のへそ(重心の意、なのだろうか)、と書いたのぼりがやたらに立っていて、源義家公鞍掛け松があったり、材木屋さんの古い豪壮な町家があったりで、思いがけず楽しいひと時をすごした。

 もう一年前になるか(確認したら、去年の六月はじめだった)、人見街道(三鷹市役所前の通り)が、府中の大国魂神社とこの大宮神社を結ぶ街道だ、と書いた。そんなこともあって、一度は自分で見ておきたかった所のひとつでもあった。

 この古道は、上の参道から、善福寺川に下り、川を渉り、熊野神社、堀の内妙法寺を経由して中野坂上方面に抜ける。今でもこの道は健在で、細く、くねくねしていて、昔の状況を彷彿とさせてくれた。

 それにしても、小学低学年の頃、大宮神社には遠足で来たはずなのだが、残念ながら、記憶を呼び起こす事象に遭遇することはなかった。


みみずのたはごと(9)蘆花

2008-07-01 10:59:54 | 三鷹・文学
 なぜか、ずるずると蘆花にはまっている。確か、海野弘著、武蔵野を歩く、を読み、「余は雑木林を愛す」なる言葉に引き込まれた、5月中旬だったか。

 上の文を、図書館で借りた本の中に見つけた。講談社・日本現代文学全集5、1980発行版、のP313だ。自然と人生・自然に対する五分時・雑木林、の中に。

 「余は斯雑木林を愛す」は、六行目。その前の文は、
「丘は拓かれて、畑となれるが多きも、其処此処には角にしきられたる多くの雑木林ありて残れり」だ。

 そのとうり。昭和20年代後半であっても、三鷹にもこの種の雑木林があった。その林中での集団遊びは、今でも鮮明に思い出せるほど、刺激的で楽しかった。
このような子供時代に受けた刷り込みが、今、「雑木林」なる言葉に、敏感に反応させるのだろうか。

 ところで、蘆花は、なぜ、蘆(あし)の花なんて、つまらぬペンネームを用いたのだろうか。上の文の数ページ後(P319)に「蘆花」と題した小文があり、ヒントを与えてくれる。

文頭は、「「蘆の花は見所とてもなく」と清少納言は書きぬ。然れども其見所なきを余は却って愛するなり」だ。

 自分の文才を卑下し、謙遜して、蘆花と名乗った、と理解できる。

そして、この小文も、最後の文章が素晴らしい。

「余が堤上に立ちて、暫く憩える時、遥かに一発の銃声響きしが、やがて鴫百舌鳥の類にや、魂ギる(たまぎる)様に鳴きつれて、ばっと余が頭上を過ぎ、忽ち蘆花叢中に入りぬ。あとは静更に寂として、唯限りなき蘆花のショウショウとして風に鳴るあるのみ」(残念ながら、ショウショウの漢字見つけられず)

 情景を容易に思い浮かべさせる、すごい文章力。しかも無駄がない。