水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(205)

2016-06-30 10:48:29 | 古今和歌集
929 風ふけどところも去らぬ白雲は 世を経ておつる水にぞありける
音羽の滝を読める
みつね

風が強く吹いているのに、全く動かない雲があります。と思ったら、それは滝として落ちている水でした。


なんとも、つまらない歌ですが、プロの歌人・凡河内躬恒の歌ですから、なんか意味があるのでしょうね~。
想像するに、たぶん、白雲=ふわふわして定まらない心、と解釈すればいいのではないでしょうか。

意訳
あちこちから、ああでもないこうでもない、と声がかかっていて、どれもおいしい話であるのに、(あの人)は思い込んだら筋を通す人なのですね~。


そんな人にわたしもなりたい。


古今集(204)

2016-06-27 10:52:33 | 古今和歌集
877 おそくいづる月にもあるかな あしびきの山のあなたも惜しむべらなり
題しらず
よみ人しらず

月がなかなか出ておないですね~。山のむこうがわで月が去るのを惜しんでいるのかもしれません


現代とちがって、電気のない時代の夜は月のあかりがたよりでした。
この歌は、月の出時間が、前日に比べ一時間ばかり遅れる十六夜にでも詠んだものでしょうか。

月の出が待ち遠しいからでしょう、日によって次のような呼ばれ方をしていたそうです。

17日:立待ち月
18日:居待ち月
19日:寝待ち月
20日:更け待ち月

風情があって、おだやかで、いいですね~。

古今集(203)

2016-06-23 10:39:42 | 古今和歌集
夕されば蛍よりけにもゆれども ひかり見ねばや人のつれなさ
寛平の御時きさいの宮の歌合のうた
紀とものり

夕方になると、(あの方がきてくださるのではないかと、)蛍以上に燃え上がっているのですが、蛍のように光で自分の気持ちをあらわせないものですから、どうもあの方は、わたくしに冷たくなさいます。

む~ん、歌を解釈すると、作者は女性、とおもうのですが、ちがうのですね~。
女性の気持ちを詠った、のでしょうか?

蛍二十日に蝉三日。
今頃から、来月初めごろまでが、蛍狩りの季節ですね~。

ホーホーほーたるこい、こっちのミ~ズはあ~まいぞ、なんて歌はもう廃れてしまったのでしょうか?

風呂上り 親の背越しに 蛍狩り

おそまつ!

古今集(202)

2016-06-20 14:28:45 | 古今和歌集
896 とどめあへず むべもとしとは言はれけり しかもつれなく過ぐる齢(ヨハヒ)か
題しらず
詠み人しらず

(年齢を重ねるということは)おしとどめることはできないですよね~。そのうえどんどん過ぎ去っていくわけですが、よくも「年」を「疾(ト)し」と言ったものです。


自分の好きで年齢を重ねることはできません。
あっと、気が付いたら、世の中に不要な人間になってしまっているわけです。


例によって、かの失言の多い、財務大臣また、言葉尻をつかまえられたみたいですね~。
「悪気はなかった」というでしょうが、やはり、「下々の生活に対する配慮が足りない」と思われてもしかたないでしょう。


このような方々に国のかじ取りをおまかせしている、私たちの脳みそをを笑うべきでしょう。

古今集(201)

2016-06-16 05:58:16 | 古今和歌集
867 紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る
題しらず
よみひと知らず

一本の紫草があるために、武蔵野に生える草はすべていとしく思えます。


三鷹市内の古い小字(コアザ)に「武蔵野」があった、とう話を聞いたことがありますが、いまでは、住みたいまち一番・武蔵野市で全国区です。
その地名は、紫草とセットで、古今集の時代から、全国区であったのですね~。

最近、つくづく感じるのですが、武蔵野市の街づくりは、あかぬけています。センス抜群です。
それに比べ、三鷹市側は、残念ながら、がっくりと落ちます。
その違いを、予算の潤沢さの違いにむすびつけることもできましょう。
しかし根本は、首長の興味・熱意のありかたの違いにあるのではないでしょうか?

目立つ街づくり、と、目立たない街づくり、といいたいのですが、どうでしょうか?
心ならずも四期目を引き受けてしまった市長さんに、もうすこしのご尽力を熱望します。

古今集(200)

2016-06-13 10:04:28 | 古今和歌集
151 いまさらに山へかへるな 郭公 こえのかぎりは我がやどに鳴け
題知らず
詠み人しらず

(こんなにうまくなった)いまごろになって山に帰るなんて言わないでください。どうかこの周りで鳴きつくしてください。


夏歌、と分類されていますが、気持ちが離れつつある男をうらめしく思う女性の歌でしょうか。


ホトトギスは、肉食で、しかも毛虫を好むそうだ。
過日、チャドクガにやられ、一週間ほどひどくカユイ思いをした人間にとって、たのもしいかぎりだ。

もうこれで何回目でしょうか。チャドクガにやられるのは。
学習をゼンゼンしてず、はずかしい。


古今集には、ホトトギスを詠った歌が多い。万葉集や新古今でも同様らしい。それほど身近にいたのでしょう。

古今集(199)

2016-06-09 10:29:21 | 古今和歌集
600 夏虫をなにかいいけん 心から我も思ひにもえぬべらなり
題しらず
みつね

灯火に飛び込んでいく、夏の虫を笑ったものですが、なんということか、わたくしも(恋という)火によって燃え尽きそうです。


「飛んで火に入る夏の虫」の原型は、もう古今集の時代からあったのですね~。


某国首都のトップに関する報道のヒステリックさかげんは、いささかげんなりしてきた。
与党と裏での取引は済んだ、との話がまことしやかに、いわれているようですし、マッチポンプのガス抜きなのでしょうか。

我を忘れて、火の中に飛び込んでしまい、化けの皮がはがれた、ということでしょう。

私たち選挙民は、次の選挙の時に後悔せぬよう気を付けねばならない、ということです。おわり。

マスコミは、巨悪を追ってください。



古今集(198)

2016-06-06 10:18:56 | 古今和歌集
160 五月雨の空もとどろに 郭公 なにをうしとか夜ただ鳴くらん
ほととぎすのなくをききてよめる
つらゆき

梅雨時の、空もとどろかんばかりのどしゃぶりの中、しかも夜だというのに、 ほととぎすが鳴いています。なにを心配しているのでしょうか。


今日の月齢は確か、新月。ということは、旧暦では5月1日ですか。
そして、昨日関東地方で入梅のもよう、と発表されました。

「五月雨」は、もともと、梅雨の雨をいうのですが、つい忘れがちです。(五月雨を集めて早し~~~~~)

上の貫之の歌から感じるのは、「五月雨」って、梅雨末期のザンザ降り、を言っていた、ということです。

旧暦での解釈をおろそかにしがちですが、注意せねば。

ついでに「五月晴れ」。
今では、新暦五月中に現れる、移動性高気圧に覆われた好天を、いいますが、もともとは、梅雨時のシトシト雨の合間にほんのちょっと現れる「晴れ間」
をいうのですよね~。

うっとうしい数十日が続きますが、元気を失わぬように生活しようと思います。






古今集(197)

2016-06-02 11:05:20 | 古今和歌集
713 いつはりと思ふものから 今更にたがまことをか我はたのまむ
題しらず
よみ人しらず

(あなたのおっしゃることは)真実ではないとは思いますが、今更どなたを信じればいいというのでしょうか?


東京都の知事さんに対する庶民の気持ち、ってこんなものではないでしょうか?
世の中の政治不信を一層大きなものにさせた、この方の罪は重い。

しかしながらだ。それにしても、一方的にたたくのはいかがなものか?
これって、いじめでしょう。
子供の世界で「いじめ、やめようよ!」と勇気ある行動をとると、今度はその子がやられる、という話だが、それと同じ。
いいかげんにしてほしい。

天下のテレビマスコミが、そろいもそろって、ヤイノヤイノ言うことはないでしょう。
もうすこし、報道機関らしく、品性をもった、報道態度を示してほしい。
こんなときに、「あのかたのいいところ」を特集するぐらいの、勇気ある報道機関はないものか?