旅限無(りょげむ)

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教育基本法改正の年 其の四

2006-12-30 10:00:37 | 教育

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

■ここでやっと「教育」が出て来ます。改正前はどうだったでしょう?


 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。

■「平和」が有った箇所に「正義」が入って、「公共の精神」が加えられて「個性豊かな文化(の創造)」が削除された変わりに、「伝統を継承し、新しい文化(の創造)」になっています。欧米好みの「普遍的」という単語も削られているので、書き加えられた「伝統」が光りますなあ。でも、「伝統を継承」するのではなくて破壊する者が「新しい文化を創造」して来たという歴史的事実を隠蔽するのに苦労しているようにも見えます。そして、「…を目指す教育を推進する」というのは、「…を目指す教育を普及徹底」に比べると響きが弱くなっています。これが日本の「伝統」なのでしょうか?まあ、「普及徹底」させろ!と命令する怖い人が居たのが占領時代ですから、何となく誰が書いたのかが透けて見えるような文言になってしまったのは仕方が無いのでしょうが、折角、改正するのですから遠慮しなくても良いのに、とも思える奥ゆかしい文末であります。


 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

■「前文」の文末に、突如として「憲法」が出現するのには驚かされますが、その理由は改正前の「前文」を読めば簡単に分かります。


 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

■ここに有った「新しい日本」の「新しい」を前の段落に移して、「新しい文化」に混ぜ込んでしまっているのは名人芸!改正前の「新しい日本の教育」という文言は、「新しい日本」と「新しい教育」という二重の修飾関係を埋め込んで、戦前の日本を二重に否定する抜群の効果を持っていましたからなあ。「普遍的」を捨てて「伝統」を盛り込むには、文末の「新しい」が邪魔です。そして、「振興を図る」というところに、並々ならない政府の決意が滲んでおりますぞ!この文末を丸ごと削除してしまうと法律の「前文」になりませんし、かと言って「憲法の精神に則り」だけを消し去るのも露骨過ぎますから、「前例遵守」の官僚体質を発揮して、相当に事務的機械的に書き上げたような印象です。

■安倍総理が「憲法改正」を明言しているのですから、もしも、この『基本法』前文を新たな金科玉条とするのなら、この条文を前提として新憲法が書かれるという、奇妙な逆立ち現象が起こることになるわけです。本当に「平和憲法」を一新してしまうのなら、『基本法』の再改正が必要になるでしょうが、果たして、安倍総理大臣はそこまで先を考えているのでしょうか?今回の法律は、「我が国の未来を切り拓く」ために制定されているのですからなあ。改正前の法律は、過去を徹底的に否定する強い調子に満ちていましたから、今回の「伝統」と「未来」とを重視する法律はどうなっているのでしょう?


第1条(教育の目的)
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならない。

■主権者である国民からの付託を得て、税金を使って行なわれる「教育」行政の目的は何か?その目的が「人格の完成」であるのは、相手が子供なのですから当たり前の話で、問題はどんな人格なのか?という事になります。目標とする「心身」が規定されます。これも改正前と比較して見ましょう。


…教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならない。

■「民主的な」を挿入して置いて、後段の「真理と正義」「個人の価値」を削除しています。そして、何故か「勤労と責任」が消えているのが気になります。まさか、「ニート」やら「非正規雇用」を先送りする目的で、就職活動を支援する学校の役割を弱めてしまおうなどと画策しているのではありますまいな!?
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教育基本法改正の年 其の参

2006-12-29 11:18:30 | 教育


1995年、日教組が文部省と協調路線に転換。
2000年、「教育改革国民会議」が『基本法』見直しを提言。
2003年、「中央教育審議会」が『基本法』見直しを答申。
2004年、「教育基本法改正に関する協議会」立ち上げ。
2006年4月、『基本法改正案』を閣議決定。民主党が対案を提出。

■中曽根政権は、国鉄を解体することで関連していた強大な労働組合を消滅させましたが、教育行政分野は逆のコースを採ったようです。共産党と社会党左派が血で血を洗うイデオロギー闘争の舞台となった日教組を、ソ連崩壊を好機として骨抜きにして実質的に解体してから、『学習指導要領』という代用品を捨てて『基本法』という本丸の改訂に進んだというわけですなあ。


教職員が加入する組合の組織率が31年連続で低下し、10月1日現在で46.2%(前年比1.3ポイント)になったことが18日、文科省が公表した調査でわかった。……最大の日本教職員組合は組織率が前年比0.7ポイント減の28.8%。加入人数は29万6345人で、初めて30万人を割った。

■これは12月19日の朝日新聞に掲載された小さな小さな記事です。30万人を割った!とニュースになるのですから、日教組という組織の大きさが分かりますなあ。戦後の日本で大きな力を持った労働組合が、あちこちで根腐れを起して先細りのようです。そこには不透明な「組合費」の使途やら、政党との取引、企業との癒着など、恐ろしげな話が渦巻いているようですが、マスコミは余り取り上げないようです。教員組合の場合も、授業や学校での仕事を放り出して「政治活動」に熱中する組合員の存在を疑問視する教員が増えているとも言われているようです。ただでさえ馬鹿馬鹿しい書類書きと、困った親達への対応で、授業をやっている暇もない?ほどの人手不足に苦しんでいる現場を他の教員に押し付けて、正義の味方のような顔をして政治活動に奔走していれば、それは人気が無くなるのは当たり前の話でしょうなあ。


06年度の公立学校の教員採用試験の受験者数は16万1443人で、7年ぶりに減少したことが18日、文部科学省のまとめでわかった。前年度からの減少率は1.8%で、なかでも高校は7.7%と最大だった。文科省は「高校教員のなり手が多い一般大学の学生が、雇用状況の改善で民間企業に流れたためではないか」とみている。

■これも12月16日の朝日新聞の小さな記事です。仮に、文科省が言う通りに政府が発表している景気回復が本物で、それに反応して教員志望者が減ったにしても、優秀な人材が逃げ出している可能性は否定できますまい!就職先としての学校も一般企業と同じように大量の退職者が出る「2007年問題」を抱えているのですから、ここでの志望者減少は深刻なのではないでしょうか?そして、何よりも文科省に振り回される学校現場に嫌気が差して、大学で教職用の単位を掻き集めた生徒達が土壇場で受験しなくなっているとしたら、職場としての魅力を失った学校が見捨てられ始めたという事を示しているのかも知れませんぞ!こんな時に『教育基本法』が改正させたというわけであります。


 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

■これが「前文」の冒頭です。これを、改正前の『基本法』と比較します。


 われわれは、さきに、日本国憲法を画定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力に俟つべきものである。

■改正された「前文」には、「憲法」への言及は有りません!現行の憲法を前提にしてはいないぞ!という意味ですが、素直にそれは書かれていませんなあ。姑息です。そして、肝腎の「教育」が出て来るのはずっと後の方になっています。

教育基本法改正の年 其の弐

2006-12-28 14:55:32 | 教育
■今回の「イジメ」や「未履修」は、文科省が作り出した制度や通達が、現場の実情をまったく無視していたことから起こった問題です。従って「教育問題」を報道機関が取り扱う場合には、「心」や「家族」などの極めて個人的な事項を大きく取り扱うのは感心しませんなあ。行政は法律を根拠にして制度を定めて権力を行使するものなのですから、国家の主権を持っている国民としましては、「法律」と「制度」を常に監視しなければならないのです。主権在民を保障する役割を辞任するジャーナリズムは、行政・司法・立法の三権が何をやろうとしているのか、十分な情報を国民に提供しなければなりません。

■こう考えて来ますと、吊るし上げの対象を特定し易く「絵になる」取材も簡単な校長先生イジメを熱心に報道するよりも、もっと大きな精力を傾けて「法律」と「制度」の変化と実態を説明しなければならない事になります。勿論、新しい「法律」をじっくりと解説しようと思っても、肝腎の有権者(視聴者)が、「ああ、面倒臭い!もっと面白い番組は無いかなあ?」とチャンネルを変えて逃げてしまうという現実が有るでしょう。でも、万一の一大事が起こった時に、国民全部が「エッ?知らなかったぞ!」と後悔することの無いように、心有る視聴者のために多少面倒臭い話になろうとも、十分な情報を提供する番組を作り続けて貰わないと、大変な事になってしまいます。

■昔は「大本営発表」という典型的なヤラセと情報操作の歴史が有りましたが、今は、面白ければヤラセでもガセネタでも構わない、そんな気分が強まっているような気がしますなあ。長々と前置きを書いてしまいました。ここからが本題です。すべての大手新聞社が12月16日の朝刊に『教育基本法』の全文を掲載したはずですが、これを熟読した「有権者」が何人居たでしょう?それが心配なので、『旅限無』はしつこく読み込んでみたいと思うのです。将来、平成18年を振り替える時、この法律改正が大きな意味を持つような予感がするからでもあるのですが……。


1889年2月11日、『大日本帝国憲法』制定。
1890年10月30日、『教育勅語』発布。

■「憲法」が先で「教育勅語」が後!この順番を忘れては行けませんぞ。では、史上初の敗戦を経験した後の日本はどうだったのでしょう?


1946年、「教育刷新委員会」設置。『日本国憲法』公布。
1947年、『教育基本法』施行。
1948年、『教育勅語』の「排除」「失効」を衆参両院で決議。
1956年、「臨時教育制度審議会設置法案」が廃案。
1958年、『学習指導要領』改訂で、「手引き」が国家基準に。
1977年、『学習指導要領』改訂で、「君が代」を国家と明記。
1984年、「臨時教育審議会」発足。
1989年、『学習指導要領』改訂で、日の丸掲揚・国家斉唱義務化。

■敗戦の翌年、当時の田中耕太郎文部相が「教育基本法の制定を考慮」と発言したのは、新憲法公布の前!どうしてでしょう?その理由を知るには、米軍による占領政策の歴史を紐解かねばなりませんから、今回は割愛します。でも、今もアノ戦争に関する研究は続けられていること、そして、ソ連が崩壊して初めて発見された重要な書類が大きな意味を持って歴史を書き換えた事などは、決して忘れては行けません。それはさて置き、ここでも『憲法』が先で『基本法』が後に決っている点を忘れないようにしましょう。

■日本が独立を回復したのは1951年のことでした。内容がどうであれ、その時に「憲法」を改訂するのが国家として行なうべき当然のの仕事だったはずなのです。「平和憲法」を本気で大切にするのなら、「世界平和を実現する使命」を自らが宣言するのも良かったでしょうし、「核兵器の廃絶」を国家の目標としても良かったはずです。しかし、敗戦後の占領状態、その混乱の中で英文から「翻訳」された憲法が不磨の大典となってしまいました。右から左まで、正に幕の内弁当のような人材が寄り集まった自由・民主・党というキメラみたいな政党が、内部抗争を続けながら政権与党であり続けるためには、「憲法」を変える!変えない!という実に無責任で空疎な議論が偶に湧き出しては、直ぐに消えて行ったものでした。

■そこで官僚達は優秀な頭脳で考えたのでしょう。『学習指導要領』というちっぽけな「手引書」を限り無く「法律」に近付け、教育現場を完全に支配した上で『教育基本法』を改訂した後なら、『憲法』の改正もなし崩しに実行できるぞ!と。憲法草案が煙幕のように発表されたかと思ったら舞台から消え、本当の主役は『教育基本法改正案』だったと気が付いた時には、「教育問題」が見事に「イジメ問題」「未履修問題」「教育委員会問題」に解体されて、「絵になる」人物が順番にテレビ画面に登場しては、恥を晒して消えて行きましたなあ。
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教育基本法改正の年 其の壱

2006-12-28 14:55:02 | 教育
■NHK・FMの『日曜喫茶室』という番組で、長年テレビ業界に身を置く人達が集まって語り合ったことが有りました。その時、永六輔さんが指摘したのですが、同じニュース番組でも、ラジオとテレビは報道する順番がまったく違うのだそうです。新聞各紙が第一面に持って来る記事が違うのは誰でも知っていますが、ラジオとテレビを比較して接している人は少ないのではないでしょうか?では、どうしてラジオとテレビのニュース番組に報道順位の違いが生まれるかと言うと、「絵になる」かどうか、この一点で決るのだそうです。

■そう言われて見ますと、リモコンを手に入れたテレビの視聴者を逃がさないように必死に努力した結果、民放各局の夕方のニュース・ショーは神経質に「ジャグリング」を繰り返しても、見事な「金太郎飴」状態になってしまった理由も同じなのだと分かります。「絵になる」ニュースを中心に番組作りをしようとすれば、本来のジャーナリズムの使命を忘れて行くのも避けられないでしょうなあ。こうした視点で今年を象徴するような大騒ぎになった「イジメ問題」を考え見ますと、テレビとラジオでの取り上げ方の違いに唖然とするほど驚かされるのであります。

■福島県から始まった県知事の汚職事件では、真っ赤な嘘をイケシャアシャアと口にする知事のアップ画像がどれほど放送された事でしょう?その嘘をついている顔は、後々、真相が発覚した時には何度も繰り返し使用されて天下の晒し者にする最高の道具に変じます。政治的な権力という点で県知事とは比較にならない学校の校長先生や、ほとんど名誉職でしかない教育委員会の幹部などが、県知事や国会議員と同じような扱いで画像が放送されました。テレビの手法としては、「イジメは無かった」と言い張る校長先生や教育委員会の幹部の「絵になる」シーンの直後に、悲嘆に暮れる自殺した生徒の遺族が「絵」となって現われ、モザイクだらけで「絵」になっていない同級生が機械的に加工された声で証言します。

■こうした見世物となった「イジメ問題」が教育問題の主要な要素となって行く間に、『教育基本法』の改正案があれよあれよと思う間に衆参両院を通過して行ったのでした!確かに、学校を現場として自殺事件が起こるのは衝撃的なニュースです。しかし、考えてみると銀行を舞台とする強盗や横領の事件が「金融問題」ではないように、「イジメ自殺」問題は教育問題には直結しない可能性が有るのではないでしょうか?ちょっと、乱暴な連想なのですが……。それ以上に、演出たっぷりのテレビ映像が持っているアナウンス効果が、生命感覚が動揺する思春期の人間の群に波紋を広げて行くと、奇妙な自殺の連鎖が起こるのは誰でも知っていることでも有ります。

■学校に通う生徒が起す事件を、全部丸ごと「教育問題」に押し込んで「学校の責任」を追求するのは、一時の通快感を得られますが、元々、刑事事件を扱う権力機関でもなく、専門的な精神医療の施設でもない学校に、「教育」以外の仕事を何もかも要求するのは問題ではないでしょうか?「教育」は国家100年の大計ではありますが、国家の大事を全て背負い込むような分野ではありません。時には国際平和や環境問題さえも「教育問題」に直結する!などという議論を耳にしますが、教育によって軍事大国になるのではなく、軍事大国が先に出現してから教育を利用する事は有りますが、政府も軍部もまったく戦争を考えてもいないのに、学校教育が軍事色を強めて行って国家に戦争を決意させる事は出来ません。確かに「洗脳」という気味の悪い心理操作が存在しますが、学校がその技術を先頭を切って採用しているのではなく、学校は時代に引き摺られて行くものではないでしょうか?

憂鬱な年賀状 其の参

2006-12-20 17:14:48 | 日記・雑学
■北京での6者協議は、予想通りに実質的には米朝の2国間協議になっています。釣魚台の迎賓館で開催されている本会議とは別に、米国大使館では経済制裁に関する密談が行なわれるとかで、北京空港に到着した両国の担当者は、まるで格闘技イベントに来たのかと思えるような体格の人物でしたぞ。食糧難の北朝鮮でも、ちゃんと食べて太っている者が居るぞ!というアッピールなのでしょうか?国際金融部門の責任者だということですから、偽札・麻薬・密輸は儲かる仕事だと言いたいのでしょうか?空港内を無言で逃げ回った北朝鮮側とは違って、米国の担当者は勝ちが決っている試合に向うボクサーかレスラーみたいでしたなあ。外交交渉というよりも、怖い刑事さんと田舎ヤクザの若頭とが、取調室に入って行くようなものですからなあ。開催することに意義が有る空疎な国際会議ですから、拉致・核・ミサイルの3点セットは、何の変化もないまま、新年に持越しです。年賀状に「旧年中は……」とは書けませんなあ。

■ロンドンで起こった亡命ロシア人の暗殺事件も年越しです。おそらく真相は永久に分からないままでしょう。ロシア・チェチェン・ドイツまで広がる疑惑ですから、全貌を調査できる権限は誰も持っていないでしょう。英国の人達は日本人以上に憂鬱なクリスマスを迎えるのでしょうなあ。イスラム系の移民に神経を使っていたのに、今度は亡命ロシア人が物騒な物を持ち込んでいたのですから、楽しい気分で買い物やレストランには行けますまい。どさくさに紛れるように「ダイアナ妃」の死亡事故に関する調査報告が出されて、単なる交通事故死という事になったそうですが、ミステリー好きな国民はぜんぜん納得していないそうです。

■そんな英国では首相が汚職の疑いで取調べを受けるという史上初の椿事が発生したかと思えば、今度は懐かしい?「切り裂きジャック」が再び現われたのだそうですなあ。何だか御難続きで可愛そうです。ブレア政権の間にイラクからの撤兵は実現しそうにないし、アフガニスタンの復興も絶望的のようですし、政権末期とは言え明るい未来が見えないまま、日本よりは女性が働き易い社会制度を構築した事を置き土産にして、少しでも今の好景気が続く事を神様に祈るしかないのでしょうなあ。

■すっかり意気消沈してしまったブッシュ大統領にしても、恒例のクリスマス演説を考えるのも気が重い事でしょう。パパの友達が集まってイラク撤兵プランという、辛口のクリスマス・プレゼントを作ってくれたものの、「悪の枢軸」演説から今日までの業績を、丸ごと否定して反省しなければならないのですから、一体、どんな演説になるのでしょう?米国の兵隊さんが、後何人命を落とすのかも大問題ですが、イラクという人造国家が分裂するのか一体性を保つのかという中東の大問題が残されてしまいました。テロを撲滅する特効薬がイラク攻撃だったはずですが、イスラム過激派は何処でも元気で、クリスマスを嘲笑うテロ事件が起こる心配が有るくらいです。まさか、ブッシュ大統領が痩せ我慢の演説をしている最中に、米国本土の何処かで爆弾が炸裂するような事はないでしょうな?!

■クリスマスを家族と共に過ごそうと、米国内では、あれこれ買い込んで飛行機に乗ろうにも、液体は禁止!大荷物も禁止!薬品禁止!などと喧しいので、手ぶら同然で移動しなければなりそうです。米国の知人に向けて、クリスマス・カードを送るのにも、わざとらしいお祝いの言葉を書くのは気が引けますなあ。ニュー・イヤーがハッピーとは、とても思えません。米国生まれの「グローバリゼーション万歳」運動は、極少数の大金持ちを生み出した反面、膨大な貧困層を吐き出してしまいました。イラク攻撃を端緒とする「大中東民主化戦略」などという絵空事も、根っこは同じものです。10年遅れの米国を気取っていれば、何事も上手く行く時代ではないのに、長年の米国追随が染み付いている元気な老人が日本中を闊歩している間は、何だかんだと言いながら、米国の注文には無理してでも応じて、貿易でも戦争でもますますグローバル化して行くのでしょうなあ。

■日本の小学生に英語を強要するよりも、「教育難民」として欧米諸国に留学させてしまった方が話は早そうですし、野球でも金貸しでも、日本でちまちまやっているよりも米国に渡った方が手っ取り早いと、日本の子供達は知ってしまいましたから、「伝統と文化を尊重し」てなどいられないでしょう。知り合いに野球少年やサッカー少年が居たら、ついつい、年賀状にも「海外での活躍を期待します」などと書き添えてしまいそうですなあ。

■北朝鮮問題の先行きが見えなくなって、安部総理の唯一の売り物だった拉致問題解決に対する真摯な姿勢もだんだんボヤけて来ております。総理は自分の政権が「憲法改正」をするのだ!と大見得を切ったそうですが、拉致問題を解決してみせるぞ!とは仰らないようです。「相手が有ることなので…」と言いたいのでしょうが、憲法改正にも「相手」は居るはずなのですが、どうやら、その相手は北朝鮮よりは組し易い人達のようですなあ。まあ、年が明けても日本の政界にはマトモな野党が出現する可能性はゼロなのですから、恥も外聞も気にしないで参議院選挙を乗り切ってしまえば、憲法改正への流れはとなる事は無いでしょう。本来ならば、いくつもの世界的な大変化が起こったこの60年の間に、2度でも3度でも改正されていない方が変なのです。平和憲法護持!を主張する政党でも、更に歩を進めて「世界中から戦争を無くす」使命を国家に課すような条文を入れる努力をすべきでしたし、特定の宗教を熱烈に信仰している政党や、古めかしいイデオロギーを信じている政党からも、独自の憲法草案がどしどし発表されるのが健全な政治なのではないでしょうか?

■勉強をしない学生と同様に、憲法をまじめに検討しない政治家も、本来の義務を怠る不心得者と言えるでしょう。少年法に過度に守られた性悪な若い犯罪者や、選挙と談合と収賄しかやる事が無い政治家が、来年も日本中を騒がせるのでしょう。それでも、少しは良い事が起こる年であって欲しいものです。少しずつ、越年する課題を宿題として、ぼちぼちとブログ上で解きほぐして置こうと思っていますが、これも気の重い事ではありますなあ。何とか、身の回りに小さな幸せがやって来ることを新年に期待しておきましょうか。
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憂鬱な年賀状 其の弐

2006-12-20 16:30:29 | 日記・雑学
■食いしん坊の貧乏人が内臓脂肪を蓄えるために愛用する牛丼屋さんや食べ放題の焼肉屋さんでは、怪しげな米国産BSE牛肉が大量に供されていたそうで、何とかして「安くて安全な」牛肉を食べたい食いしん坊さん達はオーストラリア産のちょっと固い肉で我慢していたそうです。国内の畜産農家を守るために定められている関税が撤廃されれば、もっと安くたくさん肉が食べられるので、世界中から安い肉を買え!と無責任に主張している人が増えているそうです。そう言えば、昨年は時ならぬ「うどんブーム」が起きたようですが、関東に殴り込んで来た讃岐ウドンも、その粉はオーストラリ産だそうですなあ。その農業大国のオーストラリアが100年に一度の大旱魃に襲われて、一転して穀物を輸入し始めたとか……。肉も穀物も、まずは自国民に食べさせねばなりませんから、貧乏な国や大規模生産をしている特定の国から「安くて美味しい」物を買い込んで食べていると、いざと言う時には餓死する覚悟をしておかねばなりませんぞ。「新春のお慶び」を誰に書き送りましょう?

■増税の理由として、老人医療と介護の費用が足りない!という便利な話が有ります。どんな理想的な介護・医療制度を考えているのやら……。「教育再生」会議では、目くじら立ててダメ教師の追放を熱心に議論しているそうで、「教員免許の更新」がその切り札となる勢いです。しかし、免許というものは万能ではないことは、毎日毎晩、報道されている交通事故を見ていれば分かりそうなものです。自動車免許の更新が形骸化されているのは経験者なら誰でも知っていますぞ。命にかかわる免許は、本当に厳密な更新手続きを求めたいところですから、教員免許よりも自動車(バイク!)運転免許の扱いを先に考えた方が良いのではないでしょうか?

■それ以上に緊急の問題は医師免許でしょうなあ。「薬漬け」問題は深刻で、副作用も考えないで誤用するお医者さんは報道されますが、売上げアップの目的で無駄な薬やら、強烈な副作用の有る薬剤と抱き合わせの副作用を抑える薬剤もセットで販売?しているお医者さんは放置されています。病気を治すはずの病院が、新型ウィルスの培養工場になっている可能性は高いと言われていますが、この年の瀬になって「新型ノロ・ウィルス」で日本中がちょっとしたパニックです。グルメが大好きなナマ牡蠣が宿主だ!と聞いたら、何となく牡蠣フライも牡蠣鍋も食べたくなくなるのが人情というものでしょうが、ちょっと前までは「お腹に来る風邪」だと言い習わしていた病気が、ウィルスの名前が広まった途端に大騒ぎになりました。病原が何であろうと、ひどい下痢を起して体内の水分が急速に失われたら誰でも死亡します。ナマモノを食べる時には覚悟をしなければなりませんし、小まめに手を洗うのも常識の範囲です。それでも、年賀状の末尾に「手を洗いましょう」とでも書き添えましょうか?

■今のところ、交通事故死の数よりもノロ・ウィルスの犠牲者はずっと少ないようですし、勿論、北朝鮮の餓死者の数には及びませんし、戦後のイラクで爆弾や誤射で死亡したバグダッド市民よりも少ないし、電撃的な勝利の後にばたばたと死んでいる可哀想な米国の兵隊さんよりも少ないようです。それでも心配で仕方が無い人のために、「感染したら病院へ行きましょう」などとマスコミは気楽に言っているようですが、「その病院が無くなってしまったんだ!」と怒っている日本人も多いと思います。医者が居ない、病院が無い、そんな地域で暮らしている人にも、同じ放送や記事が届けられるというのは残酷な話です。年賀状よりも「引越しの挨拶状」を用意した方が良いのでしょうか?

■給料が上がらないのに、統計上の「好景気」を根拠にして増税が始まり、道路特定財源には手を付けられず、過疎の村と財政破綻目前の地方都市とを結ぶ「必要不可欠な道路」が建設され続けるのだそうですなあ。道路から見えるのは「シャッター商店街」やら、バブル時代に作られたテーマ・パークの残骸やら、外食ブームに乗って立てられたレストラン群ばかりでしょうに……。荒れた田畑や見捨てられた山林なども楽しめます。ちょっと離れた土地に住んでいる人に年賀状を書こうと思うと、何となく気が重いのは、その風景を思い出すからかも知れませんなあ。

■12月19日の午前中に、法人税も払えない半病人の銀行から自民党に対して「献金の申し込み」が有ったそうです。中川幹事長はご機嫌で、「有り難く頂戴します」とほくほく顔だったとか……。銀行から借り込んだ80億円以上の大借金を、銀行からの献金でチャラにするのが目的だそうです。それを聞いた安倍総理は、就任3箇月目で支持率が5割を切っている惨状を思ったらしく、午後になったら「やっぱり貰いません」と中川さんに言わせたそうですなあ。こういうのを「朝令暮改」と言うのです。「朝三暮四」という四字成語も有りますなあ。愚かな猿を騙す滑稽な話がネタですが、自民党は国民をサルだと思っているのでしょう。でも、猿でも怒りますぞ!
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憂鬱な年賀状 其の壱

2006-12-20 16:29:53 | 日記・雑学
■郵便局の年賀状が売れないそうです。拙ブログでも、旧暦を無視した「新春のご挨拶」の無理無体を何度か取り上げましたが、改めて、どうして年賀状が売れないのだろう?と素朴に考えていましたら、だんだん連想が広がって、この頃の世相から国際情勢までが一続きの「不快感」の中にに収まってしまいました。元旦に配達して貰うには、クリスマスの25日までに投函しなければならないそうですが、それも皮肉な話ですなあ。明るく「メリー・クリスマス」などと、意味も判らず嬌声を上げる人は多いのでしょうが、心から新年を祝って年賀状を認(したた)めている日本人が何人居るでしょう?

■郵便局と言えば、先ず頭に浮かぶのは「郵政民営化」問題です。参議院で否決されたから衆議院を解散だ!という暴挙に出た小泉前総理を追い詰め切れなかった野党・マスコミ・政治学者、そして選挙民には、最近起こった「復党問題」に対して適切なコメントなど出せません。だから、「女の喧嘩」を囃し立ててお茶を濁しているに違いない!岐阜県の人達は不愉快千万なことでしょう。県庁の出納長が自殺するような大事件が起こっているというのに、たった一人の自民党公認候補は誰でしょう?などというどうでも良い事ばかりが報道されるのですから、いい加減にしろ!とご立腹の事でしょう。その岐阜県ばかりでなく、福島県から始まった県知事の談合汚職事件に見舞われた地域や、財政破綻して「難民」が出ている夕張市、その夕張市よりも財政が悪化している地方自治体の住民が、どんな気持ちで年賀状を書くのでしょう?

■折角、小泉変人総理が議会制民主主義の原則を蹴飛ばしてくれたのですから、そもそも衆議院の議決をチェックする権能を担っている参議院が虚仮(こけ)にされたわけです。しかし、衆議院のカーボン・コピーに堕して惰眠を貪っている参議院は怒り狂うどころか、裏に回って衆参両自民党議員が談合して二院制を破綻させてしまったのでした。それなら、財政再建の一環として「参議院の廃止」が提案されねばならないはずなのに、何処からもそんな正論は出て来ませんでしたなあ。「政治は最高の道徳だ」と臆面も無く断言する政治家センセイがいらっしゃるのですから、「教育再生の根本は道徳教育だ!」と言う安倍総理は、率先して不道徳な参議院を退治してしまわねばなりませんぞ。

■戦後の日本を歪ませたのは『教育基本法』だそうです。個人に偏重した条文が諸悪の根源だそうですが、本当にそうなのでしょうか?誰もその点をじっくりと検証した形跡が有りませんが……。「公」の精神が枯れ果てたのが今の日本の宿痾(しゅくあ)なのだそうですが、それを学校の諸問題と直接結び付けるのは短絡ではないでしょうか?イジメ問題よりも、ヤラセ問題の方が「道徳」の問題に直結しているような気がしますなあ。税金浪費・公金横領・談合・不正献金などなど、これらは全部、税金を自分の縄張りに引っ張り込んで自分のカネだと勘違いしている馬鹿者達がやっている国賊的犯罪です。キックバックやら水増しやら、財政危機の声自体が随分と「水増し」されている証拠でもありますぞ。何処かで税金は大量に「余っている」のです。でも、来年からはどんどんと増税が続くのだそうですなあ。まったく、「謹賀新年」などとは悪い冗談になってしまいます。

■学校のイジメ自殺も年を越えそうです。各地の進学高校では「必修科目」も削って必死に受験勉強をしているかと思えば、同級生をイジメ殺して暇潰しをしている「勉強しない生徒」が居るようです。学校内に獲物が見付からないと、愛知県の岡崎市あたりでは高齢のホームレスを狩って遊んでいるそうであります。暴行傷害・強盗殺人・窃盗・放火などなど、これは教育問題などではありません。たまたま、労働の義務が免除された学生と言う身分が保障されている「少年」によって行なわれた凶悪犯罪です。『教育基本法』を見直すなら、この身分をすべての未成年者に保障すべきか?という根本問題も取り扱って欲しいものですなあ。少年法に守られている年代には少年院などの施設に収容され、成年になってからは刑務所を出たり入ったりしている税金で暮らしている人をどうするのか?という、これまた人権思想の偽善性を真正面から議論することにもなりますから、そんなタフな議論に耐えられる国会議員は皆無でしょうなあ。

日本語ブームは本物か? 其の参

2006-12-13 08:30:42 | 日本語
■世界中に「親日派」を得ようと画策すると、角が立ったり反発を呼んだりしますが、「知日派」をじっくりと育てて増やす工夫を粘り強く続ければ、それは目立たず反感も買わず、後に大きな成果を得られるのです。しかし、この区別を付ける眼力が日本政府には無いような気がして仕方が有りません。

日豪関係をそれぞれのサイドから眺めると、日本にラブコールを送り続ける豪州の“思い入れ”の強さに対し、日本側には熱い思いが欠けているようにも映る。しかし、現実には日本にとっての豪州の存在感は確実に増している。イラク・サマワでの自衛隊活動に対する豪州軍の支援もそのひとつ。ダウナー外相はリップサービスも交え、「日本の憲法上の制約は理解している」「真の同盟国は負担を分け合うものだ」と語った。日本が豪州に大きな借りをつくったことだけは間違いない。

■この指摘は重大です。陸上自衛隊のイラク派兵が、取り合えずは無事に終了したのは、オーストラリア軍の支援が大きかったことを日本のマスコミはあまり報道していませんでしたなあ。陸上自衛隊がイラクで何をしているのか、それを詳細に報道するのはテロの標的になる恐れが有るからという理由で禁じられていたそうですが、「非戦闘地域」なのに変な話でした。その延長線上にオーストラリア軍やイギリス軍に守って貰っている自衛隊の実態が隠されていたというわけでしょうなあ。


米国が「中国主導、米国排除の枠組み」と強い懸念を表明した東アジア共同体構想にしても、インドを含めた豪州の参加によって、米国が安堵したことは確かだ。米国は今年2月、4年ごとの国防見直し(QDR)を明らかにしたが、その中で英国と豪州の2カ国を「特別な関係」と名指しした。両国については作成過程から関与させており、時折ブリーフィングを受けるだけの日本との違いは一目瞭然(りょうぜん)である。米国がアジア太平洋地域で最も頼りにする同盟国は日本ではなく、実は豪州なのだと指摘する専門家は少なくない。「最近、政治家のキャンベラ詣でがすごい。こんなことは初めて」。キャンベラの日本大使館関係者は驚きを隠さない。日本側も徐々にではあるが、豪州の存在の重さに気づき始めた表れともいえる。豪州もまた、そこに日本取り込みの活路を見いだしている。日本としても豪州をアジア太平洋地域における重要な戦略パートナーとして関係を深め、いかに活用していくか、今後の大きな課題となろう。
9月2日 産経新聞


■「今後の課題」でしょうか?いろいろと不便と不快と不安を我慢していた老後の蓄えが終わるまでは「美しくない日本」にしがみ付いていた人達が、続々と海外に安住の地を求めて脱出中です。その数、毎年、30万人を越えているとか……。例の「シルバーコロンビア計画」の残滓(ざんし)でもあろうし、いよいよ日本はダメになるかも?と戦後の激変を体感して来た団塊の世代が実感しているのでしょうか?逃走組が選ぶ移住先の第一位がオーストラリアなのだそうですが、そこの第二言語が北京語圏になると長期計画で暮らしている人達も戸惑う事でしょう。国会議員の中にも英語の使い手が徐々に増えてはいるようですが、日本語を外交に使えるほどの見識を持っている議員さんは見当たらないような気もします。

■詐欺師は国内産で間に合っていますから、日本語で詐欺を働く外国人が増えるのは困りますが、あらゆる方面での労働者不足が起こるのは目に見えているのですから、自国語以外の言語を習得する努力を惜しまない人材が秘めている可能性を利用しない手は有りません。文科省の変な教育を受けている内に、日本生まれで日本育ちの日本人が、どんどん日本語能力を低下させるのを尻目に、日本人よりも日本語の上手な若者が続々と来日するような事になったら、文科省は喜ぶのでしょうか?それとも、大いに反省して初めて戦後教育の見直しに踏み切るのでしょうか?

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日本語ブームは本物か? 其の弐

2006-12-13 08:30:12 | 日本語

今、台湾の若者の間で日本語がブームです!日本が大好きな若者のことを「哈日族(ハーリーズー)」と言い、日本のドラマを見たり、音楽や映画に親しんだり、日本語を勉強しようとしている若者が増えているのだそうです。そこで、台湾や中国などアジア各国で今、大人気の俳優チェン・ボーリンさんにインタビューしてみました。チェンさんは日常会話でも日本語を使っているのだそうです。例えば「ありがとう、どうも、すみません、最高、すげー」など。さらに、何にでも「超」をつけて「チャオ スワン=超すっぱい」などとも使っているのだそうです。

■台湾問題を日本語という切り口から考えると、ちょっと面白い国際感覚が養われでしょう。台湾は半世紀以上も日本語文化圏に属していた歴史を持っていますし、御高齢の台湾人の中には「最近の日本語は乱れておる!」と耳の痛いお小言を言って下さる方もいらっしゃいますぞ!この軽めの記事に紹介されている「日常会話」を喜んで良いやら、ちょっと恥ずかしいやら、なかなか複雑な思いでありますなあ。


これは、台湾政府の文化開放政策にともない、90年代から日本の文化がどんどん入っていったことが原因のようです。ケーブルテレビを通して放送される日本の番組を見た台湾の人たちは、無意識に日本語を覚えてしまうのです。人気ドラマの台詞を教材にした日本語教材で日本語を勉強したり、カラオケで日本のヒット曲を日本語で歌うなどをして楽しみながら覚えているのです。チェンさん自身、日本語を勉強されていて、そのきっかけは「漢字」だったそうです。また地理的にも精神的にも身近に感じると話してくださいました。文化は言葉から。同じアジアの仲間として、お互いの文化を理解しあいたいですね。
NHK「気になることば」(2005年9月2日)

■NHKの癖なのでしょうか?最近の台湾を無理やり歴史の流れから切り離して、妙に軽く明るく紹介しようとしているようです。台湾の日本文化は途切れることなくずっと継承されていた事実を無視すると、台湾での日本語ブームの歴史的な意味が分からなくなるでしょうなあ。蒋介石が逃げ込んで来てから、日本語廃絶に力を入れた歴史も有りますが、それで根絶やしには出来ない事情が台湾には有りました。そんな台湾国内の虚虚実実の駆け引きを見棄てたのが、米国の跡追いで断行された日中友好条約の締結でした。友好条約自体は目出度い事でしょうが、相手の言いなりに台湾と断行してしまったのが問題だったのでした。「日本語が上手な外国人」という乱暴な括り方は、歴史を忘れ去ってしまう危険が付きまといますなあ。


■海外で最も日本語学習が盛んな国はどこか。それがオーストラリアであることは意外に知られていない。日本の国際交流基金が2003年に実施した調査によれば、豪州の日本語学習者数は約38万人。実数で韓国の89万人、中国の39万人には及ばないが、人口比では50人に1人と世界一である。学習者のほとんどが初等・中等教育段階の青少年であることも特徴だ。国家政策としてアジア言語の優先的学習を推し進めた結果でもある。「主眼は言語運用能力の向上というより、異文化理解や国際理解」。

■ここに出て来るオーストラリアというのが、海外の日本語学習事情の重要な要素になっています。まさかとは思いますが、オーストラリアに日本語学習者が多いという話が聞こえて来た頃、日本はバブル経済に突入しつつありました。そんな時に日本政府が打ち出したのが『シルバー・コロンビア計画』という奇怪なアイデアでしたなあ。国際版の「姥捨て山」ではないのか?!と移住先に指名された国からは直ぐに反発が起こった悪名高い、老後は海外で!というふざけた政策でした。それも忘れては行けない歴史的な事実ですぞ。


同基金シドニー事務所の長谷川雅代さんは豪州側の狙いを解説する。ブームの背景には、最大貿易相手国の言語という経済的事情を否定できないが、長谷川さんは「日本のポップカルチャー、特にアニメや漫画などへの関心が若者の間に高いことも動機」と日本の好感度の高まりを指摘した。しかし、その日本語学習者数も、最近は横ばいないし微減状態なのだという。原因は日本語教員の高齢化で退職が相次ぐ一方、予算不足から補充が追いつかないためだという。

■こうした所にも、日本政府は長期的な戦略の不在が露呈します。外国を相手にして始めた政策は、勝手に止めたら国際信義を失うことになるのです。景気の良い時には、日本語教育に協力するとの名目で、あれこれと予算を付けて教師や教材を送っていたのに、それが細って行けば日本のイメージが悪くなるのは当たり前の話です。


これについて日本側からは特段の支援申し出はないと聞いた。代わって存在感を増しているのが中国である。70年代初頭に白豪主義から多文化主義へと大きく政策転換して以降、豪州にはアジア諸国からの移民が大量に流入した。中でも中国、ベトナムなどからの華人系移民は今や80万人にもなる。シドニーをはじめ豪州の主要都市には、必ずといっていいほど中華街が形成されており、中国語が日常生活に飛び交っている。

■これは「蟻の一穴」のレベルを超えた大きな問題です。アジアを理解しようとしているオーストラリアという重要な駒が、日本語を捨てて北京語に変わって行くのですぞ!東南アジアに広がる華人社会が強い吸引力と影響力を及ぼして、北京語圏がじわじわと広がって行きます。これを大問題だと騒がないのは変ですなあ。

 
民間シンクタンク、ロウィー研究所が最近実施した世論調査によると、日本は好感度の高い国としてニュージーランド、英国に次ぎ第3位。しかし中国もまた、9位の米国を引き離して5位と日本に肉薄している。これについて豪外務貿易省北アジア局幹部は、中国が強硬に反対した日本の国連安保理常任理事国入りを豪州が一貫して支持してきたことを指摘し、「経済以上に重要なことはある。中国との経済関係は重要だが、価値観を共有する日本との関係はもっと重要だ」と日本に秋波を送った。

日本語ブームは本物か? 其の壱

2006-12-13 08:29:38 | 日本語
■日本語の最前線は出版業界と教育界でしょうか。ラジオが地味ながら孤塁を守って、新聞業界やテレビ業界が第二戦線を守っているような順番になるでしょうか?人によってはテレビが第一だ!という意見も有るでしょうが、世の中にはテレビをほとんど見ないで暮らしている日本人も、案外と多いようですぞ。しかし、それならば本を読む人が増えているのか?と言うと、年間に1冊も本を読まないという日本人が、残念ながら恐ろしい勢いで増えているという話が有ります。昔は読み・書き・算盤でしたから、「イロハ」に始まる仮名から漢字へと膨大な読書生活が始まったものですが、今も入り口は同じなのに何故か先細りになってしまうようです。もしかすると売ると、昔の手習いにあった「模倣」が廃れた事に原因が有るのではないか?などとも考えているのですが……。

■模倣が悪で、創造が善というような大きな誤解が教育界に広まって、よたよたと模倣をする段階を飛び越えて、習字を省略して「鑑賞」を始めるような流れが有りませんかな?それも明治以来の「お上から頂いた教科書」信仰みたいなものが生きているらしく、学校が読め!と命じた文章は徹底的に賞賛しなければならない不文律が有るような気がします。ところが鑑賞しなければならない教材が、古典ではなくて誰が選んだのか分からない「新作」だらけなのですから、本当に褒めて良いのかいなあ?と首を傾げたくなるような作品も紛れ込む危険が有りますぞ。

■誰が言ったか「詰め込み主義」は大間違いとかで、名文・名歌の類を暗誦する文化も廃れてしまい、好きな本や好きな文という大切な財産を持たない日本人が随分と増えたようですぞ。まあ、思わず書き写して何度も読み直したい文章に出会わないことが問題なのかも知れませんが……。


日本語を母語としない人が対象の日本語能力試験が3日、日本を含む世界48カ国で実施され、約53万人が受験した。若者の日本語ブームを背景に受験者が年々増加している中国は今年、前年比46%増の21万1591人が受験し、過去最高だった。日本国内では日本国際教育支援協会、海外は国際交流基金が年1回、試験を実施する。外国人が日本の大学に留学する際の選考にも活用される。急速な経済発展に伴い、日系企業の進出が増加している中国では、日本語ができる人材の需要が高まった。若者の就職難も続いており、「日本語ができると就職に有利」として、日本語学習がブームとなっている。

■都市部の大きな書店でないと『日本語能力検定試験問題集』は手に入らないようですので、外国人がどんな問題を解いているのかを知らない日本人が多いはずです。英語検定に準じて級が上がって行くのですが、最上級の問題を一度は覗いていることをお勧めいたしますぞ。まあ、語学の検定試験は国籍や肌の色とは無関係なので、努力した者にはそれをしていない「ネイティブ」は適わないのですから、特に日本語ばかりが危機的なのではないというのも事実です。万難を排して日本国内で英語を学び続けた人達の中にも、英米人が脱帽するほどの英語読みの達人や作文会話の名手もたくさん居ますからなあ。こういう理屈が分からない困った人が、変なナショナリズムを振り回して、「○○人でもない者が、○○語が分かるはずが無い!」などと無責任に放言したりするものです。


日本語能力試験では中国の受験者数が世界最多。今年の受験応募者数は、海外では韓国(9万3750人)が中国に次ぐが、米国が2816人、フランス1187人、英国781人と、中国の多さが際立っている。中国では04年、受験申し込みの受け付け開始から1時間もたたずに定員(約10万人)に達した。受験できず留学を先送りせざるを得ない学生が続出し批判が高まった。このため05年に中国国内の受験会場を14都市から24都市に増やし、今年はさらに29都市に拡大した。
毎日新聞 12月4日

■研修生制度などという、ややこしい仕掛けを捻り出して日中友好を急いだ経緯が有りましたが、その後始末もしないまま、不法滞在問題や違法雇用問題が日本のあちこちで起こるという「モグラ叩き」が続いています。WTOに加盟した以上、北京政府も国際的な評判を気にしますし、学生側でも危ない橋を渡らずに済むのなら、そして学習環境が整っているのなら、正規の資格試験を受けようと思うようになるのは自然の流れではあります。草の根運動として地道に日中友好に努力して来た人達には、中国の受験生が増えたのは喜ばしい事でしょうが、その裏には日本政府の失政による「失われた20年」が有る事を忘れてはなりません。この大問題は大勲位の中曽根さんにお出まし願って、詳細な点検をしなければならないのですが……。

図書館危篤

2006-12-12 17:25:34 | 日本語
■政府は維持になって景気が良くなった、と数字のマジックを使っては宣伝しておりますが、本音は弱いものイジメの予算削減と増税をするための言い訳を積み重ねているだけだという、非情に説得力の有る説も流布しております。これだけ子供殺しが連日報道され、地方自治体の財政破綻だの汚職だの、富の偏在と権力の濫用を証明する事件が頻発すれば、真面目に地道に働くのが馬鹿馬鹿しくなって、現金自動預け払い機にワイヤーを引っ掛けてみたくなったり、社会的な弱者を標的にして電話や葉書を使った詐欺でもやって、面白おかしく暮らしてみたいなあ、などと本気で考える若者が育つのも無理はないかも知れませんなあ。
 
■路上の引ったくりや振込み詐欺の標的になるのは老人や御夫人ばかりだと聞きますから、卑怯旋盤な心根の卑しい文化が蔓延しているのでしょう。それに加えて万引きと呼ばれる窃盗が増えて困っているという話も有ります。仕入れ値を押さえ少しでも値引きをして客を呼び込もうと必死の小売店が取り揃えた商品を、好き勝手に盗まれたらぎりぎりの経営をしている店などひとたまりも無く倒産でしょうなあ。その代表格が町の本屋さんだというのは、亡国を予感させる恐ろしい話です。しかも、盗み出される本というのが高価で手が出ないけれど、どうしても読んでおかねばならない名著、と呼べない使い捨て文化の代表のようなコミック本とも聞きますぞ。

■勿論、世界に冠たる漫画文化を育んだ日本ですから、何度も読み直して味わいたい素晴らしい作品も多いのですが、たった1年も持続しない話題と流行に乗っただけのコミック本が、町の書店から抜き取られて、ろくに字も読めない愚か者の目の前を一度だけ通過して後は、新型の古書量販店に持ち込まれたり、ネット・オークションに出品されるという噂であります。作品の価値ではなく、時価の交換価値だけで右から左に動いて行く本は可哀想ですなあ。昔の名著は、先輩から後輩へ、親から子へ、或いは祖父母から孫へと現物が手渡されたものでした。それは家の財産でしたから、いろいろな書き込みや赤線も引かれていても問題は無く、受け継いだ者が先人の読み方を知る大切な目印ともなっていましたなあ。自分で購入した本を読み返す時にも、以前の自分の至らなさや浅はかさを反省する便(よすが)となるので、ちょっとした書き込みをしておく人は多いでしょう。

■しかし、時は流れて大量生・大量消費の時代が続くと、物を粗末に扱う愚か者が増えてしまうようで、他人の物と自分の物との区別が付かない乱暴者も出て来てしまうもののようですなあ。


各地の公立図書館で、雑誌などから写真や記事を切り取ったり、専門書に蛍光ペンで線を引いたりするなど、図書を傷つける行為が増加している。中には、閲覧室で堂々と雑誌を切り取り、職員から注意されると「どうしていけないの」と反論する人もいる。公共の財産を傷つけてはいけないという最低限のルールを破る行為の横行に、図書館側は「社会全体のモラル低下の表れでは」とため息をついている。

■自分の物が増え過ぎると、だんだん世の中に存在する物は全部自分の物と思い込む弱点が、人間と言う欲深い生き物には備わっているのでしょうか?自分が欲しいと思った物は、その瞬間に自分の物になってしまう、何だか遠い昔に読んだ童話に出て来るような話であります。


東京都世田谷区の区立中央図書館(同区弦巻)で被害が目立ち始めたのは5年ほど前から。徐々に悪化し、資料係の越後信子係長は「最近では1日2、3件のペースで切り取りや書き込みが見つかる」と話す。
読売新聞 12月12日

■「教育の再生」だの「地方からの文化を発信」だのと、格好の良い政治スローガンが叫ばれる事も多いのですが、今、日本中の図書館が利用者の知らない所で決定した予算削減に喘(あえ)いでいるのを、こうした馬鹿者は知らないのでしょうなあ。今年度になって、多くの図書館が定期的に購入していた「雑誌」の数を大幅に削っているはずです。雑誌閲覧コーナーには、それぞれの雑誌専用の棚が設けられている図書館が多いと思いますが、最近、雑誌自体が置かれずに悲しい貼り紙が目立っていませんか?その多くは今年度の予算が執行され始めた4月や5月に、「購入を停止いたしました」というお知らせです。まさか、切り取り魔が大増殖したのに手を焼いて、その監視や補修の手間を惜しんで雑誌を減らしているわけではありますまいな?!

■図書館に行くと、その土地の文化の程度が一目で分かりますし、公務員の質も見極められるのが面白いところで、長年通っている人には、世の中の動きまで良く分かるという、非常に便利な施設が図書館です。館内に、「私語厳禁」「飲食禁止」などと書かれた貼り紙が有る所は、残念ながら民度は低いと申せませしょう。しかし、「切り取り禁止」「落書き禁止」「本を盗むな」などという紙が貼られるようになったら、そこは既に図書館の体をなしていないと考えても良いでしょうなあ。こういう貼り紙は、電車や駅構内にべたべたと貼られた「痴漢行為は犯罪です」と同じように、非常に恥ずかしい物なのですが、これを恥ずかしいと思わない連中が増えているのが実情なのでしょうなあ。図書館で本を守り、さまざまな文化活動に従事しておられる皆さんには頭が下がりますぞ。恥を忍んで貼り紙をしても、愚か者は読まないし、心ある人は悲しく情けない気分になってしまうでしょう。皮肉なものです。

■図書館に警察官が呼ばれて来るような時代にはなって欲しく有りませんが、切り取り野郎がやっている事は器物損壊の犯罪ですし、私語や飲食は迷惑条例違反かも知れませんから、それに対応するのは図書館員の職責の範囲を超えていることになりますなあ。雑務に忙しい学校で、図書館教育の基本を教え込む余裕は無いのかも知れませんが、ハコモノではない内容の充実した図書館を持っている地域は幸いです。悪名高い「ゆとり教育」プランの中には、学校を地域社会の再生の核にする!という妄想に近い計画も盛り込まれていたそうですが、その役目は学校よりも図書館が追うべきものでしょうなあ。つまり、日本が滅びるのも栄えるのも、地域の図書館が予告してくれるという事なのでしょうなあ。

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親の無念と役所の非情

2006-12-12 08:43:46 | 日記・雑学
■有名人の死去を伝える報道が、少しずつ変わって来ています。死因は究極の個人情報でもあるので、遺族の了解が必要なのでしょうが、具体的な病名を伝える場合が増えているようです。以前は、死因のほとんどが「心不全」とされていましたなあ。呼吸と心臓の鼓動が停止して死が確定するわけですから、このように報道しておけば間違いは有りません。でも、最近は死に到るまでの病歴を付け加える事が増えているようです。そうする事で、故人が最後に過ごした時を創造し易くもなり、苦しい闘病生活を送りながらも自分の仕事をやり遂げた人生に感動することも出来るというわけです。
 
■似たような例がテレビのプロレス放送にも有ります。すっかり人気が無くなって、日付が変わる深夜に放送される地味な番組になってしまって久しいのですが、夜の8時頃に放送されていた頃から、決め技は「片えび固め」ばかりでした。スリー・カウントを取るには相手を組み敷いて抑え込んでおかねばなりませんから、勝利の瞬間はこの技を使っているのは当然です。しかし、ファンならずとも、勝負を決めたのは抑え込む直前に決まった大技小技だと、誰にでも分かっていました。最近のプロレス放送では、フォールに入る直前に披露された技の名前を「決め技」として表示しているようですなあ。因果関係を極端に形式的な枠に嵌め込むと、一番大事な要素が切り捨てられて実態とはまったく違う話になってしまうという事です。

■間違ってはいないけれど、意図的に事実を歪曲して事実を隠蔽する、これは有能な官僚が得意とする常套手段なのです。


いじめ自殺を99年度以降ゼロとした統計の見直しを文部科学省が進めている問題で、「いじめが原因の可能性がある」など修正報告が続いている。うち一つは04年6月に埼玉県蕨市で中2女子が自殺した事例だ。だが、修正報告について両親に連絡はない。「なぜ死を選んだのか」。2年間、学校や県・市教委に問い合わせ、公文書公開請求をして手にしたのは、我が子の名前や住所すら黒塗りされたA4判1枚の事故報告書だけだ。

■子供のイジメが自殺や殺傷事件に発展するまでには、相当の時間が経過しているものです。誰かがそれを放置していることが問題の核心と言えるでしょう。馬鹿馬鹿しい書類作りに追われる教師達は生徒の小さな村社会で起こっている事態を観察している暇が無く、学校全体を掌握していなければならない教頭や校長は、不祥事の芽を注視するよりも、不祥事が起きていないと言い張る技術を磨いているようです。イジメ問題も新聞記事に有るように、所詮は書類の処理の問題になっているのでしょうなあ。物は言いよう、書類は書きようですから、「可能性」などという曖昧模糊とした言葉が挟み込まれればイジメは存在し、これを削ればイジメは消え去ってしまいます。つまり、日本中が心を痛める学校のイジメ問題も、結局は書類の「書き方」の問題だったのか!と合点が行きましたぞ。


蕨市内に住む父(46)と母(46)によると女子生徒は長女で、04年6月3日朝自殺した。自室に残されたノート3ページに、ゴキブリ呼ばわりされたなどと遺書を記していた。5日後、自宅を訪れた校長らは調査をまとめたらしい帳面を手に報告した。「好きでもない男子に告白する罰ゲームをさせられていたようです」同年7~8月、県と市に情報公開請求した。渡されたのはいずれもA4判1枚で似た中身の事故報告書。遺体発見状況などはあるが、学校生活の記載は無い。主たる原因欄には「不明」とあり、娘の名や住所、校長名も黒塗りされていた。県が開示した用紙は教育長名、公印まで塗りつぶしていた。1年後再び県に申請したが、結果は同じだった。

■悪質な「罰ゲーム」の事実をつかんでいないがら、「書類」の上でイジメとは扱われない、それ故にイジメ問題は無かった、という真に便利な理屈が完成しています。本当は、最初にイジメは無いはずだ!という書類作成の動機が決まっていて、規則通りに自殺事件を調査して発覚した事実を書類に列挙し、「主たる原因」という恐るべき記入項目を存分に利用して、イジメ事件そのものの重みを極限まで減少させる努力が重ねられるというわけですなあ。「主たる原因」からイジメ事件を排除してあるのですから、幾ら調査をしても「主たる原因」は大きな謎として残され、自殺に到る経緯を詳細に再現しようとしても、どうやっても埋められない空白部分が大きくなるだけでしょう。そこで、「学校は警察ではない」「生徒を信じよう」などの便利な逃げ口上が並べられれば、「主たる原因=不明」という書式が横行することになります。


両親は今回の修正報告を新聞報道で知った。蕨市によると、今回の文科省の再調査では「いじめも理由の一つと考えられるか」という項目が新設されたため、「考えられる」と報告したという。市教委は「当時からいじめも一因と認識していたが、主たる原因かは不明だった。過去の担当者の記録と当時の校長からの新たな聞き取りをもとに報告した。当時行っているので両親への聞き取りはしなかった」とする。

■文科省の誰かさんが、「主たる原因」という記入項目の名前を思い付いた瞬間に、日本中の学校からイジメ問題は消滅したのです。確かに学校は警察ではないし、教員は刑事でも検察官でもないのですから、真相を解明する能力も時間も有りません。それならば、「考えられ得る原因」とでもしておけば、どんなに小さな事実でもイジメ行為が記録されたのではないでしょうか?

 
母は事件後1年近くひきこもりがちだった。それでも行った3回の情報公開請求に「娘の死が1枚の紙だけで語られていると思うと情けなくなった」と振り返る。父も「修正報告の根拠にした記録をなぜ公開しないのか。校長が持っていた帳面はどうなったのか。当事者への聞き取りもせず、何の再調査なのか」と声を震わせる。悲劇を繰り返さないため夫婦の思いは一つだ。「子どもの自殺は1件ごと具体的に国へ報告するやり方にしてほしい。検証することでいじめ防止に生かしてほしい」いじめが自殺に関係があると修正したのは、蕨市のほか99年堺市の高1女子▽05年北海道滝川市の小6女児。
毎日新聞 12月12日

■再調査して修正まで到ったのが3例しか無い?!この数値の裏で、大切に育てて憲法を守って義務教育を受けさせようと学校に送り出し、それが直接の原因になって我が子に自殺されてしまった親達の恨みや悲しみがどれほど隠されているのでしょう?どうやら、文科省が次々と新しい書類制作を命じる度に、学校内には空白地帯や闇が広がり、それに対応する暇が無くなるように更なる書類提出が課される、そんな悪循環が続けていながら、「イジメを無くせ」と無理な注文をしていた事が、イジメ自殺の真の原因だと分かっているのに、教育行政が見直されるという話が出て来ないのは、実に不思議な話ですなあ。

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未履修問題は終わらない 其の参

2006-12-12 00:21:39 | 教育
■日本の受験生に見放されても建学の精神を下ろさずに、外国からの相当に怪しい留学生で人数を水増しして助成金を取り込もうと悪あがきする巨大な中間層が生まれ、そこから零れ落ちる無名大学は淘汰されて行くというわけです。もともと、かつての国鉄時代に急行列車が止まる駅ごとに設立された地方大学は「駅弁大学」と呼ばれましたが、その後も大学の新設は続きまして、とうとう駅も無ければ町も無いような場所に「抜群の環境」を売り物に設立された大学も多くなりました。それらの多くは、地方経済の活性化を名目にして地元選出の国会議員などが絵に描いた餅同然にゴリ押しした教育に名を借りたハコモノ行政に他なりません。それらは夕張市に並べられた馬鹿馬鹿しい夢の跡と同じ構造で生み出された「大学」と言う名の無駄な公共事業のようなものでしょうなあ。そんな新設大学を今でも認めているのが文科省というお役所です。

文部科学省が今年度中の改定を目指していた学習指導要領について、伊吹文部科学相は8日の閣議後会見で、「(今年度中の改定は)難しいのではないかと思う」と述べ、来年度以降にずれこむ見通しを示した。学習指導要領の見直しを巡っては、現在、中央教育審議会で審議が進められているが、10月に高校の必修逃れ問題が発覚し、必修科目のあり方などを改めて考え直すよう求める声が高まっていた。また、教育再生会議でも、授業時間の見直しなど学習指導要領の改定について来年1月に提言を行う予定にしており、この提言を受けた再検討の必要性も指摘されていた。伊吹文科相は「学習指導要領は法律を構成する一部とされており、教育基本法を変えようとしている時期に、現在の基本法を前提に(指導要領を)変更するのはおかしいと思う」とも述べた。
読売新聞  12月8日

■要するに、「受験に役立たない科目」を黙って履修しろ!というお達しであります。事態を放置したらどうなるかは火を見るよりも明らかでしょうなあ。先生だけは「世界史」の授業を教室で行い、生徒達はそれを無視して受験勉強をするという、恐るべき欺瞞が日本中に蔓延するだけですぞ。それを承知で「教育基本法」の改正を言い訳にして手を打たないと言うのですから、いよいよ文科省の廃止か民営化を考えねばなりませんなあ。例の文科相が書いた「お願い」作文は、東大を始めとする全国の大学にも大量に配布されたのだそうです。一体、何を考えているのやら……。

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未履修問題は終わらない 其の弐

2006-12-12 00:21:01 | 教育

(山口)県学事文書課は30日、岩国市の私立高水高校の履修単位不足が03年度から始まったと発表した。学事文書課によると、同校の履修漏れは、今春卒業した生徒が入学した03年度から行われていた。在校生のうち518人が単位不足だという。受験を控えた3年生が世界史Bを受講せずに日本史Bを履修したり、情報Aを取らずに数学2と古典の授業を受けるなどしていた。1、2年生でも情報Aではなく数学Aや古典を履修させるケースがあったという。
毎日新聞 12月1日

■絵に描いたように、一時、新聞が書き立てた未履修の手口とまったく同じです。ただ、発覚する時期が数ヶ月遅れただけで、扱いがこれだけ小さくなるわけです。これはあまり美しくもないし、卑怯千万な誤魔化しではないでしょうか?発表が教育委員会ではなく、県庁の学事文書課なのは、私立高校だからでしょうが、調査にこんなに時間が掛かるというのは、実に不思議ですなあ。


(山口県)下松市の県立華陵高の履修単位不足問題で、県教委の藤井俊彦教育長は6日の県議会一般質問で「進学指導を最優先するあまり、十分な審議がなされず、結果的に不適切な取り扱いとなった」と述べた。同校では一部の生徒が必修の「世界史A」を履修せず、選択科目の「数学C」に振り替えていたことが判明。県高校教育課によると、04年2月に翌年度のカリキュラムを決める教育課程検討委員会で「3年の理系生徒の数学の力を高めてあげたい」という意見が出たため、振り替えていた。当時の校長や教頭も同席していたという。藤井教育長は「生徒、保護者、県民の学校教育に対する信頼を著しく損なうもので遺憾。責任や問題を明らかにして厳正に対処したい」と述べ、近く関係者を処分する方針を明らかにした。
毎日新聞 - 12月7日

■これも山口県での動きです。教育委員会と校長・教頭が「談合」していたのですなあ。理系生徒の為を考えて「充分な審議」をしたからこそ、受験に不要な世界史を捨てたのでしょうに!?山口県の高校教育課の説明は支離滅裂であります。


(山口県)宇部市文京町の宇部フロンティア大学付属香川高校(浜村一穂校長、787人)が調理師免許などを持たない無資格の教員に「調理理論」などの授業をさせていたとして厚生労働省の指導を受けていたことが分かった。同省中国四国厚生局の調査で発覚。履修漏れと同様の扱いとなるため、同校は補習授業を始め、生徒や保護者に謝罪した。調理師養成施設の設置基準などを定めた指導要領では、調理理論や調理実習を指導するには、調理師であり、さらに10年以上の調理業務か調理理論の教育、研究などの経験が必要。ところが同校によると、教員2人のうち1人は調理師免許を持たず、別の1人は調理業務が10年を満たしていないなど数年前から無資格で授業を続けていた。

■宇部フロンティア大学というのは聞いた事が無い大学でしたが、ホーム・ページを見たら地方の短期大学からの格上げによって生まれた新しい大学だと分かりました。1903年に創立された香川学園が母体で、1926年に香川実科高等女学校を作り、それが1960年に宇部短期大学に発展したものの、日本中の短大で定員割れが起きた時期、2002年に宇部フロンティア大学を設立したものの、学部は「人間社会学部」一つだけだったようです。2004年には、早々と大学院人間科学研究科臨床心理学専攻を開設すると共に、宇部短期大学が宇部フロンティア大学短期大学部になって、香川高校は宇部フロンティア大学付属香川高等学校に改称されたのだそうです。中学校や幼稚園まで持っているようですから、地元では一大教育産業なのでしょうなあ。社会人教育や高校生3年生を受け容れて単位を認定する試みもしているだそうです。

■いろいろと手を変え品を変え、経営努力を続けている様子が分かります。ただ、何かと許認可が喧しい教育法人ですから、安倍総理とも何らかの関係が有るのでしょうか?


食物調理科3年の48人は昨年以降、「調理理論」と「調理実習」を受講したが、いずれも問題の教員が担当した。このため計140時間を改めて履修しなければならず、先月から補習授業を始めた。来年2月中旬には修了する見込み。同校は先月15日、臨時保護者会で経緯を説明し、謝罪した。同校は「教員資格に不備があるとは(厚労省に)指摘されるまで気付かなかった。関係者には迷惑をおかけし誠に申し訳なく、今後はこのようなことがないよう徹底を図りたい」と話した。
毎日新聞 12月5日

■本当に「教員資格に不備」が有ると気が付かなかったのでしょうか?実業系の授業に重点を置いて、各種の資格が取得できると生徒募集には書かれているというのに、教職員の資格を確認もしていないとは解せない話であります。間も無く、大学進学希望者は、大学と言う名前さえ付いていれば何処でも良い、と割り切れば全員があっさりと大学生になれる時代になります。しかし、大手の予備校が倒産を心配してる話は聞こえて来ませんし、頼りになる予備校が無い地方都市が今回の未履修問題の震源地となっているわけですから、大学受験は恐ろしい勢いで格差が広がっている証拠でしょう。つまり、一般に「大学」と認知されている所と、名前だけの大学とにくっきりと色分けされてしまっているという事です。

未履修問題は終わらない 其の壱

2006-12-12 00:20:27 | 教育
■喉元過ぎれば熱さを忘れるとは申しますが、「未履修問題」は年末になっても、実際はまだ全貌が明らかになったとは言えない状態なのです。マスコミ得意の集中豪雨報道をぱたりと止めてから、何となく問題自体が解決したような気で居ると、国家100年の計の根幹である「教育」が傷だらけの穴だらけのまま放置される事になります。一体、何が問題だったのでしょう?

福島県の富田孝志教育長が11日の県議会商労文教委員会で、高校の履修単位不足問題などの責任を取り、任期を1年残した来年3月に辞任する意向を表明した。富田教育長は自身も校長時代に虚偽の書類を県教委に提出しており、「生徒の卒業を機に3月で身を引く」と述べた。履修不足問題を主な要因として教育長が辞意を表明したのは全国で初めて。

■連続3人の県知事が「官製談合」と贈収賄で逮捕された大事件の先陣を切ったのが福島県でしたから、それを放置した県議会も針の筵(むしろ)に座らされているのでしょうなあ。実に手回しの良い事に、県知事逮捕の直前に県議会議員は「自発的に」贈収賄に関わったかどうか、議員全員にアンケート調査したのも福島県議会でありました。結果は勿論、「誰も貰っていない」という涙が出るほど立派なものでしたぞ。ところが、案の定、逮捕された前知事は、議会にも実弾をばら撒いたと取り調べで吐いたのでしたなあ。それでも、辞職した県議は1人も居ないようです。これこそ、喉元過ぎれば…の好例でしょうなあ。まさか、それの身代わりでもないでしょうが、教育長が辞任を表明したのは確かにケジメにはなります。


福島県では県立高校16校(1、2年生のみの1校含む)で未履修が発覚した。富田教育長は、福島高校校長時代の03年度に授業の実施状況報告書を偽装して県教委に提出していたことを認めている。04年度に教育長に就任したが、解決策を講じなかった。委員会終了後、富田教育長は報道陣に「未履修校の現場にいたので、けじめをつけることが必要だと考えた」と語った。同県内では、未履修問題のほか、教員の不祥事も相次いでいた。
毎日新聞 - 12月11日

■責任の取り方が昔とは様変わりした日本ですから、不祥事が発覚すると何故か頭髪が寂しくなった人を選んだかのように、必ず3人並んで頭を下げるのですが、何だかんだと言い繕ってぺこぺこしながらも「絶対に辞めない」と言い張るようになりました。教育再生会議では、教育委員会自体を廃止する案も出ているのですから、人心を刷新するためにも、こうしたケジメは大切だと思われます。しかし、未履修問題が発覚した高校は、何処も地元の名門進学校なのですから、処置を誤ると全国の教育システムの根幹が揺らぎますぞ。


8日に支給された岩手県職員のボーナスで、履修単位不足問題が発覚した県立高校の校長の勤勉手当が減額されていることが、関係者の証言で分かった。県教委は「履修単位不足が原因かはプライバシーが絡むので話せない」と、減額対象基準や減額幅などは明らかにしていない。
毎日新聞 - 12月8日

■県立高校の校長先生も、何らかの形でケジメを付けようと思っているのかも知れませんが、来年度からは未履修を絶対に許さないと岩手県は決めているのでしょうか?それは岩手県だけの問題ではなく、来年度に高校3年生になる諸君は、1年2年と時に比べて急に窮屈な時間割が強いられて当初の受験勉強プランを変更しなければならないはずです。全国の受験生がライバルとなる彼らは、自分達だけが馬鹿正直に「受験に不要な科目」の授業に無駄な時間を費やしているのではないか?と疑心暗鬼が渦巻くような事は無いのでしょうか?生徒の為に、学校の為に、と再び未履修を画策する受験の鬼のような熱血先生は大人しく文科省の指示に従うとは考え難いのですが……。


高校の履修単位不足問題で8日、青森県の県立青森北高で単位不足が判明した。毎日新聞の独自集計では、熊本県を除く675校(公立372校、私立303校)となった。
毎日新聞 - 12月8日

■まさか、こうした報道が年が明けてからも続くのでしょうか?他の大きなニュースに隠れるように、ぽろりぽろりと小さな記事で発覚するのは、集中豪雨報道に引っ掛かって吊るし上げ会見で晒し者にされてしまった校長先生や教育委員会の幹部は貧乏籤を引いてしまっただけのようにも見えて来ますなあ。もじもじ、だらだらと時を稼いで世間が未履修問題に飽きた頃まで白を切り通した者が、特別な糾弾も受けずにそっと事を処理してしまう。それで良いのでしょうか?「美しい国・日本」「教育の再生」を掲げる安倍総理のお膝元の山口県からも、この時期にぽろぽろと未履修校が出て来るのはどうしてでしょう?