旅限無(りょげむ)

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冗談も過ぎるとホラーになる 其の伍

2012-03-11 14:21:59 | 政治
■日本中が「あれから1年」と呟きながら過ごす日が巡って来ました。関東地方は冷たい雨を気まぐれに落とし続けていた雲が切れて、悲しい記念日のために僅かでも日差しを贈ってくれたかと、天の慈愛が鎮魂の心を穏やかに包み込むかのような空模様になりました。空のもっと上の方では3月7日に巨大な太陽フレアが発生して地球の磁気圏で磁気嵐が荒れ狂うかも?と心配されていましたが、幸いにも全地球測位システム(GPS)などの衛星システムに障害は起こらず、通常よりも低緯度の地域でもオーロラが観測されたと天文ファンには嬉しいオマケが付いて太陽風は収束したようです。1年前に大津波が襲って長大な防潮堤を破り多くの町を壊滅させた上に「絶対に安全だった」原子力発電所をぶっ壊してしまったその1年後に、太陽からの強烈な磁気が宇宙の津波のように押し寄せて各種のIT機器を狂わせるような宇宙災害が起こらなずに済んで何よりでありました。

■何の顔(かんばせ)あってか、一向に進まぬ震災からの復興を横目に民主党政権は追悼式を主催するのだそうですなあ。心臓バイパス手術を無事に終えられてリハビリ中の天皇陛下が強く希望されて件の追悼式に参列される由。同席する野田ドジョウ総理を筆頭に名前だけの三権の長、その後ろに金魚のウンコ同然に居流れる民主党議員の面々は、陛下の病状に対して何の責任も感じていないのでしょうか?震災・津波・原発事故の発生直後から、両陛下が御高齢かつ万全の体調でもなかったはずなのに3月30日の東京都武道館に避難していた被災者の皆さんへのお見舞いから始まって4箇月もの間、岩手、宮城、福島、栃木、茨城、千葉、東京、埼玉の8都県に散らばる避難所をお回りになったのは、もしかすると現政権の無能無策ぶりに失望しておられたからなのかも知れないのに……。

■もれ伝わるところによりますと昨年3月11日、皇居内での御公務を終えられた後、宮殿の執務室に入られた直後に震災に遭われた陛下は、執務を中断することなく各地の被害状況を知ろうと努められ、翌12日には羽毛田信吾宮内庁長官を通して菅アルイミ首相に「被災者と災害に対処している人々へのお気持ちを」お伝えになった由。当の菅アルイミ前首相はと言えば、外国人からの怪しげな政治献金問題を追及されてシドロモドロの答弁を繰り返していた最中に、大震災が起こり原発がメルトダウンしたのをモッケの幸い、渡りに船と大いに利用して献金疑惑など無かったかのように獅子奮迅の大活躍で震災・原発事故への対応を大混乱に陥れ、国民を見棄て日本国を滅亡の縁に追い込んで行ったのでありました。

■震災5日後の16日に、御自身で推敲(すいこう)を重ねた「お言葉」をビデオメッセージにして発表されたのは、菅アルイミ前首相から為政者として国民を慰め安心させて元気付ける「言葉」がまったく語られることがなく、官邸に籠もって「原発に凄く詳しい」と空威張りを続けてスタッフを幼児のように怒鳴り散らしているという悲しくも恥ずかしい政府の実情を誰かからお聞きになったからではなかろうか?「やるべき事はやった」などと意味不明な自画自賛の空疎な言葉を残して官邸を去るまで、菅アルイミ前首相から歴史に残る国民の魂を奮い立たせるような「言葉」は、ただの一度も聞かれなかったのでありました。国民に語り掛ける「言葉」を持たない首相を先頭に、思いつきで被災地巡りをしていた多くの大臣や議員達も、後々のアリバイ作りか選挙運動の一部としか考えないちょっと不便な「視察」旅行を繰り返したようにしか見えなかったからこそ、両陛下は被災者の前に膝を付き、胡坐をかいたままの若者にも非礼な口調しか使えない困った人にも真摯に耳を傾けて歩かねばならなかったのではなかろうか?などと、今更ながらに想像してしまうのであります。

■今となっては真偽不明の「電力不足」による計画停電に関しても、13日に東京電力が「原発の有り難味を骨身に沁みさせてやろう」と国民を脅迫したとしか思えない計画停電を一方的発表すると「国民と困難を分かち合いたい」とのお気持ちから15日から御所での「自主停電」を始められたのでした。誰かさんの選挙区は停電していないぞ!などと不平等な停電計画に文句が出ている間も、御所のある千代田区は計画停電の対象地域とはなっていない事実を陛下がどのようにお考えになったかは存じませんが、御所は率先して計画停電「第1グループ」の強制停電に合わせて電気を一切使わなかった由。当時、週刊誌が節電啓蒙担当大臣とか何とか言う役所に就いていた蓮舫議員の大きな自宅では盛大に照明を輝かせてドンチャン騒ぎをしているとのスクープ記事を掲載していたのを憶えておりますが、東京電力は計画停電を4月30日まで続けるぞ!と根拠は不明ながら1箇月半もの不便を国民に押し付けたのでしたが、福島原発が奇跡的に復旧したわけでもないのに計画停電は予定よりも早く終了したのでした。反原発派からは「本当は電気は足りている」との声が上がっていたのでしたが、今に到ってもあの計画停電は必要だったのか、正しかったのか、誰も検証していないようですが、陛下の御判断で御所の「自主停電」は4月30日まで続けられたのだそうです。東京電力から一言、謝罪や挨拶があったのかどうか寡聞にして知りません。

■政権交代以来、稚拙で強引な国会運営を続けている民主党政権は国民に大いなる御迷惑を掛けているのは勿論ですが、「自主停電」の御不便に耐えながらも憲法に定められた国事行為は遅滞無くお続けになられた陛下は、文字通りに国民と共に国難に立ち向かっていたことになります。隣の大きな国からエライ人が来て、急に天皇陛下に会いたいなあ、と言い出してクラッシャー小沢が一肌脱いで慣例破りの会見を「国事行為だから」と憲法を曲解して強制したこともありましたが、憲法の定める国事というのは国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命すること、内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命すること、国務大臣その他の官吏の任免を認証すること、国会を召集すること、法律や条約を公布すること、栄典を授与すること、大使の信任状を認証すること、外国の大公使を接受することなどのことで、「国際親善を目的とした国賓のための公式晩餐、その他外国要人、在京外国大使などのための御引見や午餐」は国事行為ではないのだそうですなあ。憲法に詳しいはずのクラッシャー小沢は大恥を晒してしまったのでした。

■その「国事行為」には、それぞれの事項に関する閣議決定の書類が毎回作られて、閣議後に陛下のお手元に届けられるまして、陛下は実に丁寧にごお読みになってから厳かに御署名・御押印をなさるのだそうです。従いまして下手くそな国会運営が原因で閣議が遅れたり、事務作業に手間取ったりして夜遅くに書類が御所に届くことが、特に民主党政権になってから増えたと聞いております。どれも変わらぬドングリの背比べとしか思えぬ大臣の交代も馬鹿馬鹿しいほど頻繁に行なう民主党政権に付き合って、夜の認証式が何度も行なわれたのであります。国事行為ではなくても国会開会式には毎回御出席になりますし、宮殿内での各種儀式も臨まねばならず、相手だどんな無能であったも内閣総理大臣の親任式もあれば、最高裁判所長官の親任式、認証官任命式、外国特命全権大使の信任状捧呈式、勲章親授式など平時でも非常にお忙しい陛下に対して現政権は大変な御迷惑を掛け続けていると申せましょうなあ。

■序に3月9日に米国で行なわれた追悼式典でオバマ大統領が発表した声明は犠牲者に哀悼の意を示して「想像を絶する喪失に対し、並はずれた不屈の精神で立ち向かった日本人の努力に感銘を受けている。日本人の努力を鑑(かがみ)としたい」と述べた由。「日本人」の中に民主党の政権や議員が含まれているかどうかは定かではありませんが、少なくとも「日本政府の努力」とは言わなかったようです。徐々に明らかになっている原発事故後の菅アルイミ内閣の無能ぶりに米国政府が苛立ち、不信感を募らせて腹を立てた様子から考えてオバマ大統領の口から現政権を賞賛する言葉は出ないでしょうなあ。


2万人近くの死者・行方不明者を出した東日本大震災から1年を迎えた11日、政府主催の追悼式が同日午後、国立劇場(東京都千代田区)で営まれる。天皇、皇后両陛下、野田佳彦首相ら三権の長、被害が大きかった岩手、宮城、福島の被災3県の遺族代表ら約1200人が参列。震災発生時刻の同2時46分、参列者全員で黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈る。
 追悼式では、黙とうに続いて、首相が被災地の一日も早い復興に引き続き全力を挙げる決意を表明。その後、天皇陛下がお言葉を述べられ、最後に遺族代表が復興を誓う。陛下は心臓の冠動脈バイパス手術を受け療養中だが、時間を当初の半分に短縮して出席される。
 国会議員や地方自治体関係者、民間団体代表らのほか、ルース駐日米大使ら各国大使も参列。自然災害による追悼式を国が主催するのは初めて。
2012年3月11日(日)5時46分 時事通信  

■間も無く3月11日午後2時半になります。ちょっと早いですが、黙祷を捧げましょう。

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