■2006年5月28日、福島県いわき市の草野心平記念文学館で講演会を開催しました。お題は『チベットになった『坊っちゃん』』の書名そのままでしたが、草野心平さんも大正10(1921)年から5年間、中華民国のミッション系大学の嶺南大学(福建省)に留学した体験を持ち、日本語講師を務めたというので、そ80年後に中国青海省での体験を下敷きにして「言葉と文化」をテーマに講演をするという事になったのでした。
■選りにも選って、日本海に強力な低気圧が3箇も並んで福島県全体に暴風雨警報が出される、猛烈な荒天のお日和(ひより)に当たってしまいまして、天然記念物のモリアオガエルが生息するような奥深いところまでお出かけ下さった皆様には、申し上げる感謝の言葉もございません。視聴覚機器の最終調整をしようと、早々と会場に向った講演者自身が乗っている自動車も、ワイパーブレードを最速で動かしても視界が悪いほどの豪雨を衝いて走ったのでした。近くにダム湖の有る小高い場所に建っている草野心平記念文学館からの眺望は素晴らしく、好天に恵まれたなら新緑に輝く初夏の風景が存分に楽しめると言うのに、市内の数箇所で土砂崩れが発生するような嵐に見舞われてしまいました。
■ポスターやチラシで広報して頂いた上に、地元新聞ばかりか全国紙の地方面でも大きく取り上げて貰って、記念館が開館して以来の大入り満員になるのではないか?という前評判が立ったとかで、結構な手応えを楽しんでいたのですが、行楽日和どころか、場所によっては避難の心配をしなければならないような大雨でした。文字通りの「車軸を流すような雨」の朝、期待と予想を裏切って閑古鳥が鳴くかも知れないなあ、と少々心細くなっておりましたが、親族やら知人やらが、バスを仕立てて集まるちょっとしたお祭騒ぎにもなりましたし、洪水も土砂崩れも物ともせずに稚拙な講演会に興味を持って参加して下さった皆様もおられまして、何と会場に90人近い人々で埋まったのであります!
■全国的にも名が通っている文学記念館なのですが、案外、地元の人々は「いつでも行ける」と油断してなかなか足を運ばないと言うのが何処の文化施設も同じように頭を悩ます大問題のようですなあ。企画展や大小の催し物を考えている学芸員の方々の悩みは深く、意味も判らないままに「小さな政府」を実現しようと邁進している今時の日本では、文化施設の閉館や統廃合が乱暴に進められているそうですから、何処の施設でも「税金の無駄遣いだ!」という本末転倒の暴論に耐えているようです。税金を無駄にしているのは、立派な文化施設を利用しない納税者の方なのですが……。
■準備は出来ています、と言われて会場を覗いて見ると、座り心地の良さそうな椅子が70脚、整然と並べられていました。これまでの経験から割り出した数なのだそうですが、地元の老人パワーを甘く見ては行けませんぞ!と強気のセッティングを要求しまして、施設に備えられている全150脚を並べて貰いましたが、ちょっと窮屈なので最終的には120脚程で落ち着きました。控え室で知人からのお祝いを受けながら、茶やコーヒーを飲んでお喋りしている内に開場10分前となりました。雨は小降りになっていたとは言っても、会場まで1時間も2時間も掛けてやって来る人は少ないだろうなあ、と内心では不安を抱いて入場して見ましたら、大盛況!お役所仕事の悲しさで、冷房切り替えは来月とかで、90人の人間が詰め込まれた場所には弱い暖房が入っていたのでした!……こういう体質は改善しないと、リピーターを逃がすでしょうなあ。
■地平線報告会や四国松山の正岡子規記念博物館で未熟な「芸」を見せられた皆様には感謝申し上げつつ、心よりの反省を重ねました結果、今回は生意気に「資料」を用意したのでした。拙著『チべ坊』の133頁に極一部だけ掲載した「文字対応表」の全部を縮小コピーした物、そして、万葉仮名の「あいうえお」、変体仮名の「あいうえお」を配置してB4の紙1枚にしたのが資料1。それから資料2として、チベットの位置を示しつつ、アムド、カム、ウ・ツァンの3大方言が使われる地域を示す地図と、「50音図」が来た道を示すユーラシア大陸の地図を配した、同じくB4の紙を作りました。こんな大それた物を開場前の椅子の上に配ったりすると、どんなにややこしい話を聞かされるのか?と早々に帰ってしまう人が居るのではなかろうか?と、これまで配るのを躊躇していたのが愚かな話でありました。
■現代の日本人をバカにしては行けませんなあ。チベットの専門家でもなく、言語学に強い興味を持っているわけでもない一般的な日本人でも、「あいうえお」や「教育」、そして「文化」に無関心でいるはずはないのです。ついつい、歪んだイメージでとらえられがちなチベットを熱く語り過ぎて、せっかく講演を聴こうと集まって下さった皆さんが、多過ぎる情報で消化不良を起して不快な混乱状態になってしまう傾向が見られましたので、ますます、専門的な知識を押し付けるのは拙(まず)いと勝手に決めていたのが愚かでした。と言うわけで、今回の講演会は、「あいうえお」だけにテーマを絞ったのでありました。
①2006年は『坊っちゃん』100周年で、1998年は能海寛の100周忌。
②1400年目の出会い
③チベット語と日本語
④言語教育と民族問題
⑤膠着語の廻廊
■話があちこちに飛び散らないように、こんな道標(みちしるべ)も資料に書き加えて置きました。だんだんと専門的な話になるような順番になっているので、③まで語り尽くせれば良いかなあ、ぐらいに思っていたのですが、今回の聴衆は予想を遥かに上回る吸収力と貪欲さを持っておられまして、最後の質疑応答の時間に⑤の説明を要求されて、少々言葉足らずではありましたが、恙(つつが)無く用意していた材料は消化したのでした。実質的な講演時間は1時間20分、質疑応答が15分、やはり一番の人気はビデオ映像に残した我が生徒達の「輝く瞳」でありましたが、最後にブログに書き込まれた元生徒からの「手紙」を紹介しましたところ、会場には感歎の声が上がりましたなあ。
■来月も某所で同じ内容で話をせよ!という御依頼が有りましたが、出来るだけ多くの場所で、もっともっと多くの日本人に中国青海省の山奥で起こった出来事を知らせねばならないなあ、と改めて思っております。御参加下さった皆様にには、この場を借りまして厚く御礼を申し上げます。
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雲来末・風来末(うんらいまつふうらいまつ) テツガク的旅行記
五劫の切れ端(ごこうのきれはし)仏教の支流と源流のつまみ食い
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■選りにも選って、日本海に強力な低気圧が3箇も並んで福島県全体に暴風雨警報が出される、猛烈な荒天のお日和(ひより)に当たってしまいまして、天然記念物のモリアオガエルが生息するような奥深いところまでお出かけ下さった皆様には、申し上げる感謝の言葉もございません。視聴覚機器の最終調整をしようと、早々と会場に向った講演者自身が乗っている自動車も、ワイパーブレードを最速で動かしても視界が悪いほどの豪雨を衝いて走ったのでした。近くにダム湖の有る小高い場所に建っている草野心平記念文学館からの眺望は素晴らしく、好天に恵まれたなら新緑に輝く初夏の風景が存分に楽しめると言うのに、市内の数箇所で土砂崩れが発生するような嵐に見舞われてしまいました。
■ポスターやチラシで広報して頂いた上に、地元新聞ばかりか全国紙の地方面でも大きく取り上げて貰って、記念館が開館して以来の大入り満員になるのではないか?という前評判が立ったとかで、結構な手応えを楽しんでいたのですが、行楽日和どころか、場所によっては避難の心配をしなければならないような大雨でした。文字通りの「車軸を流すような雨」の朝、期待と予想を裏切って閑古鳥が鳴くかも知れないなあ、と少々心細くなっておりましたが、親族やら知人やらが、バスを仕立てて集まるちょっとしたお祭騒ぎにもなりましたし、洪水も土砂崩れも物ともせずに稚拙な講演会に興味を持って参加して下さった皆様もおられまして、何と会場に90人近い人々で埋まったのであります!
■全国的にも名が通っている文学記念館なのですが、案外、地元の人々は「いつでも行ける」と油断してなかなか足を運ばないと言うのが何処の文化施設も同じように頭を悩ます大問題のようですなあ。企画展や大小の催し物を考えている学芸員の方々の悩みは深く、意味も判らないままに「小さな政府」を実現しようと邁進している今時の日本では、文化施設の閉館や統廃合が乱暴に進められているそうですから、何処の施設でも「税金の無駄遣いだ!」という本末転倒の暴論に耐えているようです。税金を無駄にしているのは、立派な文化施設を利用しない納税者の方なのですが……。
■準備は出来ています、と言われて会場を覗いて見ると、座り心地の良さそうな椅子が70脚、整然と並べられていました。これまでの経験から割り出した数なのだそうですが、地元の老人パワーを甘く見ては行けませんぞ!と強気のセッティングを要求しまして、施設に備えられている全150脚を並べて貰いましたが、ちょっと窮屈なので最終的には120脚程で落ち着きました。控え室で知人からのお祝いを受けながら、茶やコーヒーを飲んでお喋りしている内に開場10分前となりました。雨は小降りになっていたとは言っても、会場まで1時間も2時間も掛けてやって来る人は少ないだろうなあ、と内心では不安を抱いて入場して見ましたら、大盛況!お役所仕事の悲しさで、冷房切り替えは来月とかで、90人の人間が詰め込まれた場所には弱い暖房が入っていたのでした!……こういう体質は改善しないと、リピーターを逃がすでしょうなあ。
■地平線報告会や四国松山の正岡子規記念博物館で未熟な「芸」を見せられた皆様には感謝申し上げつつ、心よりの反省を重ねました結果、今回は生意気に「資料」を用意したのでした。拙著『チべ坊』の133頁に極一部だけ掲載した「文字対応表」の全部を縮小コピーした物、そして、万葉仮名の「あいうえお」、変体仮名の「あいうえお」を配置してB4の紙1枚にしたのが資料1。それから資料2として、チベットの位置を示しつつ、アムド、カム、ウ・ツァンの3大方言が使われる地域を示す地図と、「50音図」が来た道を示すユーラシア大陸の地図を配した、同じくB4の紙を作りました。こんな大それた物を開場前の椅子の上に配ったりすると、どんなにややこしい話を聞かされるのか?と早々に帰ってしまう人が居るのではなかろうか?と、これまで配るのを躊躇していたのが愚かな話でありました。
■現代の日本人をバカにしては行けませんなあ。チベットの専門家でもなく、言語学に強い興味を持っているわけでもない一般的な日本人でも、「あいうえお」や「教育」、そして「文化」に無関心でいるはずはないのです。ついつい、歪んだイメージでとらえられがちなチベットを熱く語り過ぎて、せっかく講演を聴こうと集まって下さった皆さんが、多過ぎる情報で消化不良を起して不快な混乱状態になってしまう傾向が見られましたので、ますます、専門的な知識を押し付けるのは拙(まず)いと勝手に決めていたのが愚かでした。と言うわけで、今回の講演会は、「あいうえお」だけにテーマを絞ったのでありました。
①2006年は『坊っちゃん』100周年で、1998年は能海寛の100周忌。
②1400年目の出会い
③チベット語と日本語
④言語教育と民族問題
⑤膠着語の廻廊
■話があちこちに飛び散らないように、こんな道標(みちしるべ)も資料に書き加えて置きました。だんだんと専門的な話になるような順番になっているので、③まで語り尽くせれば良いかなあ、ぐらいに思っていたのですが、今回の聴衆は予想を遥かに上回る吸収力と貪欲さを持っておられまして、最後の質疑応答の時間に⑤の説明を要求されて、少々言葉足らずではありましたが、恙(つつが)無く用意していた材料は消化したのでした。実質的な講演時間は1時間20分、質疑応答が15分、やはり一番の人気はビデオ映像に残した我が生徒達の「輝く瞳」でありましたが、最後にブログに書き込まれた元生徒からの「手紙」を紹介しましたところ、会場には感歎の声が上がりましたなあ。
■来月も某所で同じ内容で話をせよ!という御依頼が有りましたが、出来るだけ多くの場所で、もっともっと多くの日本人に中国青海省の山奥で起こった出来事を知らせねばならないなあ、と改めて思っております。御参加下さった皆様にには、この場を借りまして厚く御礼を申し上げます。
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