旅限無(りょげむ)

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草野心平記念文学館での講演会

2006-05-31 14:16:24 | 著書・講演会
■2006年5月28日、福島県いわき市の草野心平記念文学館で講演会を開催しました。お題は『チベットになった『坊っちゃん』』の書名そのままでしたが、草野心平さんも大正10(1921)年から5年間、中華民国のミッション系大学の嶺南大学(福建省)に留学した体験を持ち、日本語講師を務めたというので、そ80年後に中国青海省での体験を下敷きにして「言葉と文化」をテーマに講演をするという事になったのでした。

■選りにも選って、日本海に強力な低気圧が3箇も並んで福島県全体に暴風雨警報が出される、猛烈な荒天のお日和(ひより)に当たってしまいまして、天然記念物のモリアオガエルが生息するような奥深いところまでお出かけ下さった皆様には、申し上げる感謝の言葉もございません。視聴覚機器の最終調整をしようと、早々と会場に向った講演者自身が乗っている自動車も、ワイパーブレードを最速で動かしても視界が悪いほどの豪雨を衝いて走ったのでした。近くにダム湖の有る小高い場所に建っている草野心平記念文学館からの眺望は素晴らしく、好天に恵まれたなら新緑に輝く初夏の風景が存分に楽しめると言うのに、市内の数箇所で土砂崩れが発生するような嵐に見舞われてしまいました。

■ポスターやチラシで広報して頂いた上に、地元新聞ばかりか全国紙の地方面でも大きく取り上げて貰って、記念館が開館して以来の大入り満員になるのではないか?という前評判が立ったとかで、結構な手応えを楽しんでいたのですが、行楽日和どころか、場所によっては避難の心配をしなければならないような大雨でした。文字通りの「車軸を流すような雨」の朝、期待と予想を裏切って閑古鳥が鳴くかも知れないなあ、と少々心細くなっておりましたが、親族やら知人やらが、バスを仕立てて集まるちょっとしたお祭騒ぎにもなりましたし、洪水も土砂崩れも物ともせずに稚拙な講演会に興味を持って参加して下さった皆様もおられまして、何と会場に90人近い人々で埋まったのであります!

■全国的にも名が通っている文学記念館なのですが、案外、地元の人々は「いつでも行ける」と油断してなかなか足を運ばないと言うのが何処の文化施設も同じように頭を悩ます大問題のようですなあ。企画展や大小の催し物を考えている学芸員の方々の悩みは深く、意味も判らないままに「小さな政府」を実現しようと邁進している今時の日本では、文化施設の閉館や統廃合が乱暴に進められているそうですから、何処の施設でも「税金の無駄遣いだ!」という本末転倒の暴論に耐えているようです。税金を無駄にしているのは、立派な文化施設を利用しない納税者の方なのですが……。

■準備は出来ています、と言われて会場を覗いて見ると、座り心地の良さそうな椅子が70脚、整然と並べられていました。これまでの経験から割り出した数なのだそうですが、地元の老人パワーを甘く見ては行けませんぞ!と強気のセッティングを要求しまして、施設に備えられている全150脚を並べて貰いましたが、ちょっと窮屈なので最終的には120脚程で落ち着きました。控え室で知人からのお祝いを受けながら、茶やコーヒーを飲んでお喋りしている内に開場10分前となりました。雨は小降りになっていたとは言っても、会場まで1時間も2時間も掛けてやって来る人は少ないだろうなあ、と内心では不安を抱いて入場して見ましたら、大盛況!お役所仕事の悲しさで、冷房切り替えは来月とかで、90人の人間が詰め込まれた場所には弱い暖房が入っていたのでした!……こういう体質は改善しないと、リピーターを逃がすでしょうなあ。

■地平線報告会や四国松山の正岡子規記念博物館で未熟な「芸」を見せられた皆様には感謝申し上げつつ、心よりの反省を重ねました結果、今回は生意気に「資料」を用意したのでした。拙著『チべ坊』の133頁に極一部だけ掲載した「文字対応表」の全部を縮小コピーした物、そして、万葉仮名の「あいうえお」、変体仮名の「あいうえお」を配置してB4の紙1枚にしたのが資料1。それから資料2として、チベットの位置を示しつつ、アムド、カム、ウ・ツァンの3大方言が使われる地域を示す地図と、「50音図」が来た道を示すユーラシア大陸の地図を配した、同じくB4の紙を作りました。こんな大それた物を開場前の椅子の上に配ったりすると、どんなにややこしい話を聞かされるのか?と早々に帰ってしまう人が居るのではなかろうか?と、これまで配るのを躊躇していたのが愚かな話でありました。

■現代の日本人をバカにしては行けませんなあ。チベットの専門家でもなく、言語学に強い興味を持っているわけでもない一般的な日本人でも、「あいうえお」や「教育」、そして「文化」に無関心でいるはずはないのです。ついつい、歪んだイメージでとらえられがちなチベットを熱く語り過ぎて、せっかく講演を聴こうと集まって下さった皆さんが、多過ぎる情報で消化不良を起して不快な混乱状態になってしまう傾向が見られましたので、ますます、専門的な知識を押し付けるのは拙(まず)いと勝手に決めていたのが愚かでした。と言うわけで、今回の講演会は、「あいうえお」だけにテーマを絞ったのでありました。


 ①2006年は『坊っちゃん』100周年で、1998年は能海寛の100周忌。
 
 ②1400年目の出会い

 ③チベット語と日本語

 ④言語教育と民族問題

 ⑤膠着語の廻廊

■話があちこちに飛び散らないように、こんな道標(みちしるべ)も資料に書き加えて置きました。だんだんと専門的な話になるような順番になっているので、③まで語り尽くせれば良いかなあ、ぐらいに思っていたのですが、今回の聴衆は予想を遥かに上回る吸収力と貪欲さを持っておられまして、最後の質疑応答の時間に⑤の説明を要求されて、少々言葉足らずではありましたが、恙(つつが)無く用意していた材料は消化したのでした。実質的な講演時間は1時間20分、質疑応答が15分、やはり一番の人気はビデオ映像に残した我が生徒達の「輝く瞳」でありましたが、最後にブログに書き込まれた元生徒からの「手紙」を紹介しましたところ、会場には感歎の声が上がりましたなあ。

■来月も某所で同じ内容で話をせよ!という御依頼が有りましたが、出来るだけ多くの場所で、もっともっと多くの日本人に中国青海省の山奥で起こった出来事を知らせねばならないなあ、と改めて思っております。御参加下さった皆様にには、この場を借りまして厚く御礼を申し上げます。

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生徒からコメントが来た!

2006-05-31 10:32:33 | 著書・講演会
■4月29日みどりの日、思いもよらないコメントがブログに書き込まれていました。拙著『チベット語になった『坊っちゃん』』に登場したチベット人学生本人からの物です。既に、何人かの読者からは感動を共有して頂いたコメントが寄せられていますが、当事者といたしましては、事態の急展開におろおろするばかりでありました。既に、コメントをくれたアガンジェ君とは個人的なメール交換を始めておりまして、留学仲間が一緒に写っているスナップも届き、拙著に登場した生徒達の6人が、現在、日本の大学に留学している事が確認出来ました。6人の内4人が、『坊っちゃん』のチベット語訳に挑んだ「試みの7人」に入っていた事も分かりました。

■拙著をお読み下さった方々には印象深いと思いますが、5年間も日本語を古い方法で学んだ結果、自分の名前を日本語表記で書けずに困っていた生徒も、送られて来た写真に写っておりまして、立派に留学生達の先輩として貫禄を出しているのが分かりました。拙著を手に入れて「徹夜で」読み終えた後、急いでコメントを書き込んでくれたアガンジェ君は、クラスごとに分担してリレー形式で『坊っちゃん』を翻訳した時に、何の因果か、最も翻訳し辛い箇所と悪戦苦闘しなければならない巡り合せになったグループのリーダー格でした。あの「松山は二十五万石の城下町と言っても…」という一節を、チベットの伝統的な度量衡に換算して翻訳して見せた連中です。

■コメントを読んでから、すぐに手元の記録写真と名簿を確認して薄れ掛けていた記憶を呼び戻すのは簡単でした。授業中に与えた名前のカタカナ表記から「ア」の字を落としていたアガンジェ君の名前を見た瞬間に、どの生徒だったかの検討は付いたのでした。その後、メールで留学中の仲間の名前を丁寧に列挙して送ってくれた文面には、いとも慣れた書き方で全員のチベット名を見事なカタカナで書いてくれております。拙著で何度も指摘した通り、「てにをは」の適確さは下手な日本人学生よりも優れていますし、既に失われつつある日本語の敬語表現も自在に使っているところに、チベット人の矜持を改めて感じました。

■文法学を集中的に学んだ私のチベット語能力など、まったく太刀打ち出来ないレベルにまで達している彼の日本語は、私が学校を去った後も「日本語の種」を大切に育てる努力を続けていた証拠だと確信しました。当然のことながら、種を撒くのは誰でも出来ますが、それを育てて芽を吹かせ、更に根気良く大きくする努力はなかなか出来る事ではありません。「早く再会したい」と書いてくれる生徒達と、本当に膝を交えて旧交を温めながら語り合えば、きっと、「先生のチベット語は下手ですから、全部、日本語で言って下さい」などと言われるのでしょうなあ。嬉しいやら、気が重いやら…。

■アガンジェ君が率いていた「試みの七人」は、拙著の中でも最も読者を笑わせたり感心させたらしい事件の中心的な役割を演じたのでした。学校と親交の有る日本人が来校した時、滞在していた来客用の宿舎を「襲撃」して日本語で筆談をやって見せた連中が居たのですが、その先陣を切ったのがアガンジェ君達のグループだったのを、懐かしく思い出します。ノン・フィクションなので、最初からウソは書いていないのですが、本の中から飛び出すように登場人物本人から、思い掛けない連絡を貰うと、どうにも現実味が無くてどぎまぎしてしまうものですなあ。

■生徒達の授業風景や翻訳の様子を撮影した貴重なビデオ映像が有りまして、その中に4年前のアガンジェ君達の姿が写っています。極少数の人々にしか披露していないのですが、拙著に興味を持って下さった方々の応援を得まして、ぼちぼちと日本のあちこちで生意気にも「講演会」を開く事になりました。5月20日には、『坊っちゃん』100周年で様々なイベントが開催されている四国松山の子規記念博物館で午後2時から、同月28日は福島県いわき市の草野心平記念文学館大ホールにて午後2時から、どちらも無料です。講演会では『坊っちゃん』翻訳の様子や、『防人の詩』の書き取りテスト風景、そして、生まれた初めて日本語に接したチベット人学生が驚異的な速度で五十音図を習得する(まるでヤラセのような)映像を公開します。

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「少子化」について

2006-05-25 10:26:05 | 社会問題・事件
■今週は小学校の先生方が社会保険庁に大いに感謝しているのではないでしょうか?社会保険庁という所は、馬鹿高いコストを掛けて年金保険料を集めるのが仕事なのですが、勝手気ままに無駄遣いして元本を虫食いだらけにするわ、誰も読まない啓蒙用パンフレットをこれまた馬鹿高い単価で印刷してどっさり破棄するわ、ろくな事をしない役所として有名ですが、民間の損保会社から親方を迎えて建て直しを始めていたのだそうです。

■威勢は良いけれど、中身の無い思い付きと思い込みで暴走する総理大臣が「官から民へ」などとひどく抽象的な事を繰り返しているので、社会保険庁の村瀬民間長官も、「納付率」を上げろ!などと命令するから、お役人はすぐに「率」を上げる最も簡単な方法を考えたというわけです。理工系の学力が弱体化している元凶は小学校で算数嫌いになる傾向が強いことでしょうが、いくら「100ます計算」で鍛えても、「分数」「割合」「百分率」が出て来ると単なる計算力では太刀打ち出来なくなって、中学の「関数」で頭の中が真っ白になり、高校での「微積分」など外国語よりも縁遠い不思議な話でしかなくなってしまいます。

■今回の社会保険庁の誰かさんがやってくれった下手くそな数字のトリックは、何よりの教材となるに違いありません。「分母」と「分子」の関係が、これほど分かり易く露呈した例を他で探すのは難しいくらいです。村瀬長官は「納付率」と言わずに、「納付金額」を増やせ!と指示すれば、「分母」を減らして「率」を大きくするなどという馬鹿馬鹿しい誤魔化し工作は出て来なかったわけですから、具体的な金額と「率」との関係が、実に良く分かります。小学校の先生方は大急ぎで社会科と算数とを合体させた副教材を作るべきでしょうなあ。生徒がげらげら大笑いし始めたら、しめたものですぞ!消費者金融や闇金などの生々しくも恐ろしいネタを小学生に語るのは、健全な成長には害が有るでしょうから、今回の社保庁事件こそ、子供にも分かる最良の教材になるでしょう。

■民間企業ならこんな姑息(こそく)な事はしない、という人も居るようですが、そうとも言えないようです。


結婚相手を紹介する会員サービスの広告で、会員以外と結婚、婚約した人数も含めて「成婚」の実績数として記載したのは誇大広告にあたる――。公正取引委員会は19日、結婚情報サービス大手の「サンマークライフクリエーション」(東京都新宿区)、「オーエムエムジー」(大阪市)の2社に、景品表示法違反(優良誤認)で排除命令を出した。2社の表示とも、会員以外と結婚、婚約した人数が実際の半分以上を占めていた。

民間業者は「統計を使ってウソをつく方法」に長けているものです。予備校業界でも、合格率を知りたくて大手予備校の模擬試験に集まる受験生の中から、成績優秀の「赤の他人」を一方的に「特待生」にして名簿に載せてしまうという手法を編み出しました。受験本番でこの奇妙な特待生が合格すると、「我が校の生徒が合格」という計算になって、合格率がアップするわけです。退学したり転校したりしたした元生徒も計算に入れているかも知れませんし、世の中には注意しないと騙される「統計数値」がごろごろしているのでしょう。


……異性会員を紹介する「サンマリエ」を運営するサンマーク社は05年11、12月の雑誌広告で、05年1~9月の実績を「成婚者数3478人」と記載。しかし会員同士の成婚は約950人で、約1600人は会員以外との成婚、約800人は会員同士で交際しているだけだった。また「会員数3万8015人」と表示したが、実際の「サンマリエ」会員は約2万人で、中高年対象の紹介サービスや、結婚情報提供のインターネットの会員も含めた人数を表示していた。

■本当に結婚出来ずに悩んでいる人達にとっては、ウソでも成婚率が高い方が希望の光を与えて貰えるのでしょうが、やはりウソは行けませんなあ。「惚れ薬」の類の変な薬品や石や金属、お札や占い、何にでもすがり付こうと思う心は、偽装された統計数値くらい許してしまうかも知れませんなあ。少なくとも本当に結婚した会員が存在するのですから……。


一方、「オーネット」のオーエム社は、05年4月以降の新聞、雑誌の広告で、89~04年の実績として「オーネットで成婚された方は延べ13万人」などと記載。だが会員同士の成婚は約6万5000人で、残りは会員以外だった。同社は注意書きで「会員外成婚者含む」と記載していたが、その人数は明記していなかった。両社は公取委の指摘を受け表示内容を改めている。
毎日新聞 - 5月19日

それでも、人の弱みにつけ込んでの商売はサモシイ心が見えて嫌な感じです。これは当てずっぽうの占いや予言などが果たしている気休めの効果も無い詐欺商法なのでしょうなあ。官も民も、算数レベルで数値を誤魔化しているようでは、先の大戦争と同じ過ちを繰り返すことになりそうです。心配だなあ。

■でも何とか結婚しようと思って詐欺に引っ掛かるほど努力してる日本人が沢山いるというのは一つの希望です。「少子化」と一言では括れないさまざまな事情と原因が絡まり合っている中で、結婚の機会が巡って来ない、出会いの少ないサービス残業やら格差社会が蔓延しているのも大きな原因でしょう。しかし、「子供の世話にはならん!」と頑張って戦後の日本を作って来た人たちの跡継ぎとしては、預貯金に利息は付かないし、年金も幾ら積み立てても役人が何処かに撒き散らして元本が心配になるし、日本の景気を底上げした中国経済もバブル崩壊が近いとも聞くし、何より原油価格の高騰が100円ショップ全盛の日本を直撃したら、買える物が無くなってしまうかも知れません。

■「少子化」には、出生数の減少という一面と、「子供を少なくする」つまり、幼い命を無駄に散らしてしまう事件の多発も計算に入れねばならなくなりそうです。若い女性の妊娠中絶が密かに激増中だとか、せっかく生まれた小さな命を虐待して奪ってしまうなど、親子関係自体が成立しない社会の恐ろしさを感じるこの頃であります。秋田県の連続幼児死亡?事故・事件には、地方の村おこし運動や、中途半端な地方の都市化など、難しい問題が絡んでいそうで、間も無く明らかになる真相を知るのが怖いような気がします。


豪憲君が殺害された事件から1週間の24日、豪憲君の遺体が発見された現場には、地元住民ら多くの人が訪れ、豪憲君のめい福を祈った。現場近くの親類宅を訪れる途中に立ち寄った同県八峰町、農業金平ツル子さん(70)は、遺族らが手向けた花束の前で手を合わせた。金平さんは「安らかに眠ってほしいです」と話していた。豪憲君の通っていた藤里小の児童たちのショックも癒えていない。同級生の女児は、帰宅しても外で遊ばなくなった。事件を報じるニュースを見て、「(犯人を)やっつけてやる」と激しい怒りを口にする児童や、「僕は大人になるまで生きられるのかな」と不安そうに母親に質問する児童もいるという。
読売新聞 - 5月24日

■ペットや近しい人の死から、子供達は死を学び、弔いの文化を継承して行くものですが、妙に清潔で人工的な今の社会では、暴力アニメの大量殺人映像の軽薄で実感の無い「死」がはびこってしまっていますから、老いた人から順に寿命を全うして世を去って行く世の中が見えなくなる一方で、凶悪犯罪の被害者となって殺害される子供達の増加は、死を受け止める方法を模索している最中の子供達自身を困惑させるでしょうなあ。大人たちはそんな子供に対して敢然と「お前は絶対に殺されないし、死なない」と言い切って見せねばなりません。まずは、生きている子供を「減らさない」努力をしたいものです。

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松山講演記録 其の六

2006-05-24 19:34:35 | 著書・講演会
■飛行機などは、「空の舟」と優雅に訳して通用させていますが、「飛行船」とどうやって区別するのでしょう?北京語で、機関車を「火車」と言うのをそのまま意味を取って「メ(火)ンコル(車)」と言いますが、自動車を「汽車」と言うのを訳す時には、「オラ(機械)ンコル(車)」にしたようです。日常会話では「舟」を表わす伝統的な単語を使っているのですが、『坊っちゃん』冒頭は、「汽船」と「艀」を区別しないと、坊っちゃんが意味も無く船から船に乗り移るだけになります……。「同じ仕掛けだから、自動車と同じように火の車にしたら?」と提案したのですが、「それではまるで船が炎上しているみたいだ!」との理由で却下、心配して部屋を覗きに来た担任の先生も参加して、ああだこうだと議論が続きました。この先生は、もう一人の先生と共同で『坊っちゃん』第一部を翻訳した経験を持っているので、いっそう議論に熱が入ります。最終的に、「汽船」はどうなったか?『チベ坊』に答えが書いてあるので、どうぞ読んで下さい。

■勿論、講演会の会場では結論を紹介したのですが、驚きのあまりか、高尚な話と誤解されたか、誰も笑ってくれませんでした。講演会の後、松山市内の「ジャズ・ギャラリー」という素敵なバーで打ち上げの2次会をしていた時に、「松山市民を代表して」あの場面で笑わなかった事を詫びて来た青年がおりましたぞ!本当は衝撃的ではあったけれど、十分に面白かったそうです。詫びる必要などまったく無かったので、こちらの方が恐縮してしまったのですが、面白かったと聞いて一安心しました。

■元生徒のアガンジェ君がチベット語版の『坊っちゃん』を朗読している場面が続いて、このチームが大変な苦労をしたエピソードを幾つか紹介したところで、丁度、時間となりました。最後に、そのアガンジェ君がブログ『旅限無』に書き込んだ生徒側から見た『チベ坊』とも言える長い文章の一節を読み上げて、「色町の団子、旨い旨い」などのエピソードも紹介したのですが、ここでは少し笑いが取れました。講演会の実質的な企画者だった松山北高校のK先生が〆の御挨拶をして下さり。元生徒達が松山を訪れてくれたら嬉しいなあ、と仰って下さいました。やり残した『坊っちゃん』の翻訳を完成するのに松山が最適の地であるのは間違いありません。我が生徒達が道後温泉で坊っちゃんを見習って騒々しく湯船で泳ぎ、翌日言ってみたら「チベット人泳ぐべからず」などと札が下がっていたらどれほど面白いでしょう。

■翌日、その道後温泉で朝風呂を楽しんでから、子規博物館を再訪して今度は展示物を拝見しました。講演会の裏方を務めてくれた学芸員のW君が、一つ一つの展示物を説明してくれました。まるでエライ人になってしまったような待遇でした。それにしましても、子規を生み育てた松山が持っていた江戸以来の文化の力、それを象徴する驚くべき人脈と血脈には圧倒されました。貴重な直筆や精巧なレプリカが並び、重い病に苦しんだ短い一生に子規が書き残した膨大な「文字」と絵がたっぷりと見られた至福の時を過ごしました。展示物の中に、正に漱石が松山に上陸した時期に撮影された松山港の写真が有りました。大きく引き伸ばしてパネルになっている松山港の風景を、翻訳したチベット人学生達にも見せて上げたいなあ、としばらく考えながら見とれていました。砂浜の沖合いに「汽船」が二隻並んで停泊して煙を吐いていて、艀もちゃんと浮いています。船を見送りに来た人が浜辺に立っている長閑(のどか)な写真です。

■松山に来たら是非とも行きたい所は何処ですか?と前もって尋ねられていたので、迷わず「ロシア人捕虜の墓地」と答えておきました。子規博物館でたっぷりと子規山脈に触れた後、K先生の車で松山大学御幸キャンパス裏に位置する来迎寺さんの墓地の奥に、綺麗に整備された公園のような場所に98の墓石が整然と並んでいました。墓石の一つ一つにはまだ枯れていない可憐な花が漏れなく備えられていたのには仰天してしまいました。巡洋艦?ペレスウェート号艦長だったボイスマン大佐の胸像も立派でした。英語だけでなくロシア語の説明が書かれている表示板も行き届いた感じがします。何でもゴルバチョフ書記長が来日した際に、松山か長崎のどちらかを訪問するという事になり、この墓地に来るのではないか?と期待が高まったのだそうですが、残念ながら幕末にロシア艦が来た長崎に決まったのだそうです。負け戦の記念物みたいなものですからなあ。ちょっと問題だったかも知れませんね。

■松山の捕虜収容所は日本で最初に作られた収容所で、ハーグ条約発行直後に起こった日露戦争を国際法に則って立派に戦い抜き、捕虜に関する条約も遵守して世界に日本の「文明」を誇示し、悲願の不平等条約の改正を実現する!という深謀遠慮の拠点だったのです。この墓地に関しては、松山大学が創立80周年を記念して2003年に盛大なフォーラムを開催した成果を一冊の本にまとめています。成文社刊『マツヤマの記憶 日露戦争100年とロシア兵捕虜』2000円という本です。K先生から贈呈して頂いたので、少しずつ読んでいるところですが、これは支店ブログ「雲来末・風来末」に詳しく紹介した方が良い本です。徐々に要点をまとめて記事をアップして行こうと思っております。

■司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』がNHKでドラマ化されると言うので、秋山好古・真之兄弟の生家が復元されている所を訪ねました。敷地内には秋山好古さんが創建したという柔道場も移築されていますが、何と今も青少年を鍛えている現役の施設なのだそうです!それから松山城を訪ねようという計画でしたが、飛行機に乗り遅れる恐れが出て来ましたので、松山市の前景を見下ろす楽しみは後日ということにして、漱石と子規が共同生活をした愚陀仏庵を見学してから飛行場に向かったのでした。市内を走り回って下さったK先生の愛車から、何度も「坊っちゃん電車」とすれ違いました。レトロな路面電車が元気に走る松山市内の風景は、何ともいえない風情が有ります。東京都が廃止し切れず残った荒川線がどこか物寂しいのに比べて、松山の路面電車はのんびり元気です。「坊っちゃん電車」は『坊っちゃん』の中で「マッチ箱みたいな汽車だ!」と毒づかれた汽車の形を模した可愛いデザインです。その愛らしい姿を見かける度に、我が生徒達が「マッチ箱と汽車はぜんぜん似ていないぞ!」と抵抗したのを思い出し、笑いがこみ上げて来ました。実物を見ても、「やっぱりマッチ箱より大きいぞ!」と言い張るのだろうなあ。おしまい。

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松山講演記録 其の伍

2006-05-24 18:46:15 | 著書・講演会
■次の映像は、2001年12月29日の記録です。2箇月前に「あいうえお」をおっかな吃驚書いていた新入生達が、第10課「これは 古い 庭園です」の新出単語を教師よりも先に読み上げる様子と、属格助詞の「の」をチベット語文法と対応させる説明を受けている様子、そして早口で教科書を音読する訓練に耐えて大声で読んでいる様子が続きます。まあ、語学の授業としては地味なシーンではありますが、どうしても耳で聴いて頭で覚える勉強法に慣れているので、生徒達は教科書の字を真剣には眼で追わない癖が付いていたのを、「仮名文字を読め!」としつこく指導した結果、画面に出て来る生徒達の眼は教科書を凝視しているのです。

■古い形式の日本語授業を受けていた先輩達は、ろくに教科書を見ようともしないで鸚鵡(おうむ)のような音読をしていたものですが、新入生は「チベット語と日本語は兄弟だ!」の指導で、仮名文字にすっかり馴染んでしまったわけです。日本語の「あかさたなはまやらわ」に当たる字母群が30箇も有るチベット語の方が、遥かに「音」の種類が多いので、日本語の仮名文字から音を拾うのは簡単なようです。とは言うものの、チベット語には存在しない「いきしちにひみいりい」から「おこそとのほもよろを」までの文字を覚えるのには、最初は絶望的な気分で取り組む決心が必要なのでした。チベット語はサンスクリットと同じように、一つの「字母」に記号を付けて母音を変化させるので、「あいうえお」を並べて書く時には「あ」だけ覚えていれば済むのです。ですから「50音」と言われると、直ぐに「多過ぎる!」と不満を言います。

■逆に、日本語がチベット語と同じ表記法を採用していたら、万葉仮名の時代から「あかさたなはまやらわん」の11種類の文字を工夫するだけで仕事は終わっていた事になります。従って、日本語の仮名文字が多過ぎる!と勝ち誇って文句を付けるチベット人達の文字が、もしも日本語と同じ方法で作られていたら、単純計算で30掛ける5で150種類の文字が生まれていた事になりますなあ。それに加えて、チベット語の文字体系は1セットで済むのに、日本語は平仮名と片仮名の2種類有る事も変だ!無駄だ!余分だ!と文句が出ます。これはチベット人学生が無知を晒して恥を掻くだけの話で、サンスクリットの51字母全てを写し取るために、30文字では足りずに外来語専用の特殊なチベット文字を21種類作っているのです。生徒達の多くはこの密教経典などにしか出て来ない21の特殊文字を全部読めるわけではないのですが、一目で「外来語」だと分かる目印にはなります。まるで日本人が文中に片仮名を見つけた時のように……。

■ホワイト・ボードを使って、チベット文字の「あ」を大きく書いて、母音記号の付け替えをして見せてから、「お」字の上に小さな○を加えて、「オーム」を作ります。これがオウム真理教の看板やバッヂに使われた文字だと思い出した方も多かったようです。この事も『チベ坊』には文字表と一緒に説明してあるので、既にお読みの参加者は再確認が出来たというわけです。ホワイト・ボードをステージの端に片付けて、再びビデオを再生しますと、会場に音楽が流れます。それがさだまさしの『防人の詩』というわけです。語学学習がある程度進んだ段階で、機械を通した音、例えばラジオや電話から聴こえる音に違和感を覚えるものです。これを克服する為と、日本語の歌を口ずさめれば、学習効果も上がるかと思って選んだのがこの曲でした。日本からCDを送ってもらって教室で聴かせ、「おしえてー」で一時停止、「くださいー」でまた停止という具合に書き取らせます。

■会場で紹介した映像は、既に1箇月が経過した段階のものなので、詳細なチベット文字と両仮名文字との対照表を作っている生徒が居たり、『防人の詩』を全部チベット文字で書き取った物を所持している生徒も記録されています。これは毎回実施した小テストなので、B4の紙を4等分した用紙に自分の名前をチベット文字と片仮名で書き、その下に毎回変わる聞き取り課題を正確に書いて提出するというものです。ですから、音が流れている間にどんな手段や奇策を使っても良いことになっていました。「提出せよ!」の指示が出るまでに、せっせと指定された仮名文字に変えれば良いのです。前回のテストは音と文字が正しい場合には、全部○で囲まれているので、それを蓄積しながら生徒達は正しい『防人の詩』の全文に到達して行くのです。暢気に構えていたやる気の無い連中も、周りがもの凄い勢いで仮名文字を書き並べて行くので、あまり白い所が多いと面子が無いと思うようで、それなりに50音図と格闘していました。

■だんだん、『坊っちゃん』が近づいて来ますが、松山の皆さんにはもう少し辛抱して頂いて、2002年1月7日に実施した新入生達が『防人の詩』をチベット語に翻訳した様子を見て頂きました。中国各地の大書店で買い集めた各種の「日漢大辞典」から、一冊ずつ各自が手に取る瞬間から見て貰いました。こんなに立派な物を手にするのは初めてだ!と皆の顔が輝きます。最初の「あいうえお」から2箇月半、先輩達は既に『坊っちゃん』と格闘していた同じ研究室で、新入生達が黒板を使って翻訳の共同作業をします。生まれて初めて日本語を辞書の中で探す場面は、「あいうえお」の特訓の成果で何の問題も無く「教える」を引っ張り出します。黒板には日本語の『防人の詩』の詞の下にどんどんチベット語が並んで行きます。

■いよいよ『坊っちゃん』登場です。映像は2001年10月23日の物で、登場ずるのは2年ほど、北京語版の日本語会話教科書を棒暗記させられる授業を、何度も教師が交代したり、途中で長期間の「休講」「自習」を強いられていた連中です。それまで積み上げた中途半端な知識と見当外れのプライドを捨てさせるのに苦労しましたが、それらも無駄にはならずに「50音図」を勉強し直してからは、めきめきと日本語の腕を上げたのでした。ビデオには、坊っちゃんが四国松山に上陸する場面をチベット語に訳す大騒ぎの様子が記録されています。『チベ坊』には冒頭の、


「ぶー…」といって、汽船が止まると、艀(はしけ)が岸を離れた。


を訳すのに、「機械が物を言うのか?」から始まって、「ぶー」という擬音語はチベット語に無いぞ!まで、難問珍問が続出する様子を書きましたが、講演会では「汽船」の翻訳に苦労する場面だけを紹介しました。仏教経典に出て来ない機械の名前を翻訳するのは基本的には不可能ですから、新しいチベット語を工夫しなければなりません。自分達に馴染んでいる物の中から似たような物を選び出して、そのイメージを重ねるように新語を作るか、少し長くなっても説明的に新しい概念を表現するか、どちらにしても大変な仕事です。現代のチベット語には、北京語から音を貰ってそのままチベット文字で表記する中途半端な「外来語」が沢山存在しますが、意味を写し取った単語も有ります。自分達で工夫した物も有ります。

松山講演記録 其の四

2006-05-24 14:51:45 | 著書・講演会
■オウム真理教事件がチベット留学を決意した最も大きな理由だった事をお話しして、オウム集団が看板やバッジに使っていた文字はチベット文字だった事。麻原教祖が宣伝用に使ったダライ・ラマと並んで撮った写真が、その後は北京政府のダライ・ラマ攻撃の材料に使われている事。改革開放政策で中国国内の学校は独立採算制を押し付けられて、留学生を受け入れて金稼ぎをしようとしている事。など『チベ坊』で詳しく書いた話を短く説明しました。今でも、分裂騒ぎを起こしたりするほど、元気と言うのか危険と言うのか、オウムの残党は無くなりませんが、まだチベット仏教に関する日本人の無知につけ込んだ商売をしているのか、新しい「商品」を開発しているのか、教義の中身は分かりませんが、チベットに多少でも感心を持っている限りは簡単に忘れるわけには行かない大きな問題です。

■オウムを巨大化させたのは間違いなくテレビだったのは明らかで、その件に関してすっかり過ぎた事のように、同じ過ちを繰り返しつつあるように見える最近の心配事について深入りせずに、ホワイト・ボードと写真映像を使ってチベットの地理について簡単な説明に移りました。祁連山からアムネマチェン山までの間がアムド、その南がカムで、ラサを中心とした地域がチベット自治区という位置関係になりまして、これがそのまま「三大方言」の分布状態と重なるという事などを話ながら、中華人民共和国の輪郭線を描いて、そのど真ん中に丸く囲んで「青海湖」を示す、黄河の上流部分がS字型に屈曲して東に向かうところと青海湖とに挟まれた場所、そこチャプチャなのだと説明しましたが、うっかりチャ・プチャはモンゴル語で「二つの川(の合流点)」という意味だと考えられている事を言い忘れてしまいましたぞ!

■でも、「青海湖」の現地名は「ツォ・ゴンボ」でこれはチベット語、別名は「ココ・ノール」でこれはモンゴル語、どれも「青い海(大きな湖)」を意味していて、これを漢訳したのが「青海(チンハイ)」だ、という説明は丁寧にしておきました。祁連山の北側がシルクロードだとは付け加えませんでしたが、昔から民族が入り乱れて支配権を奪い合った場所だという事は納得して頂けたようです。清朝の領土を相続したと主張した中華民国に併合され、中華人民共和国の人民解放軍に解放された話は省略しました。時間に余裕が有れば、アルタン汗とダライ・ラマの関係や、今のダライ・ラマの実家と先代パンチェン・ラマの生家が割と近い所に在る事なども話したかったのですが、これを始めるとどんどん『坊っちゃん』から遠ざかって行きますので、早めに話題を学校生活に戻しました。

■チャプチャの地を少しでも身近に感じて貰おうと、写真を14枚選んでCD-Rに取り込んで置いたのを巨大スクリーンに映写して頂きました。1枚目は青海湖を背景として立つ講演者のアホ面!或る参加者が「とても風景に馴染んでいらっしゃいましたね」と後で仰いましたが、あれは褒めて頂いたのだと、勝手に解釈しております。青海湖には大きな魚が沢山生息している事を紹介して、そこからチベット人の宗教観へと話を広げました。つまり、鳥葬や水葬で死者を弔うチベット人は、これを究極の「布施」「施餓鬼」として執り行うので、布施をした相手の鳥や魚を食べてしまったら、儀式の意味が無くなってしまうというお話です。これも『チベ坊』には少し詳しく書いて置いた事です。

■続いて青海湖畔の草原に群れる羊達、チャプチャ近辺の荒れ始めている疎(まば)らな草地の羊達、石投げ紐を回転させる牧民の写真。運動会の開催中に撮影した学校の全景写真と名誉校長パンチェン・ラマの帰りを待つ寺院風の事務所の写真。その後が、『坊っちゃん』の対訳原稿をせっせと書いている講演者の様子、そして日本語中心で額を寄せ合って翻訳している生徒達の姿、という具合に写真を紹介したのでした。

■本来ならば、ここでサンスクリット・悉曇(しったん)・漢字・カタカナ・チベット文字の対照表を使って「50音図」の起源をお話しするところですが、会場が広過ぎて手製の表が使えないので、次に用意していたビデオ映像で説明する事になりました。それでも、チベット語と日本語には「あいうえお」が存在し、北京語には無いこと、「てにをは」も同様の関係になっている事だけは口頭で説明しました。更に残念だったのが、我が師の声で読み上げられるチベット語の「あいうえお」のカセット・テープを用意していたのですが、突然聞かされた日本人は混乱するだけだろうし、基本の30文字を紹介したり文字の組み合わせ方などを説明し始めたら、まったくの「チベット語入門」授業になってしまいますから、これも省略。

■講演会の後半はビデオ映像が主役、つまり我が生徒達が巨大なスクリーンに登場します。最近、ブログに書き込みをしてくれた元生徒のアガンジェ君の姿を多めに編集した20分物のビデオ映像なのですが、一時停止をしながらあれこれと解説を加えて行くと、結構な大演説になってしまいます。最初に映し出されたのは、2001年10月23日に新入生達が生まれて初めて日本語に接する映像です。2時間連続の授業で、最初の1時間はサンスクリットからチベット文字が生まれた経緯と、同じようにサンスクリットから日本語の「あいうえお」の体系が作られた事を示す板書をする様子が、短く編集されています。母音の順番がそっくりなので、歴史的な背景を知らないとテレビのヤラセ番組のようでもあり、騙そうと思えばチベット人の異常な言語能力を宣伝する事も出来そうな映像です。

■生まれて初めて黒板いっぱいに書き並べられた日本語の50音図を大きな声で読み上げるチベット人、同じ時間枠の中でランダムに指差されたカタカナを見事に読み上げるチベット人、そして、チベット語の文字の組み合わせ方に似せて説明した日本語の濁音・拗音を、割と正確に予想して読み上げて行くチベット人……。素朴で大きな声が教室に響く映像を、参加者達は、何故かとても懐かしい物を久し振りに見たように感じたそうです。続く映像は、これまた懐かしい?「いろは歌」を一文字ずつ聞き取って紙に書き出しているチベット人です。仮名文字が一回ずつ出て来る「いろは歌」を生徒達はぜんぜん知りませんから、必死になって教科書やノートの50音図から音を拾い出しては紙に書いて行きます。勿論、生まれて初めて見る文字ですから一画ずつ丁寧に書いています。しかし、彼らの習字が丁寧なのは、それだけの理由ではありません。

■彼らの母語であるチベット語の文字は、始めから仏教の御経典を書く為にだけ開発された文化ですから、文字=神聖な物なのです。最近の日本人は皆恥ずかしくなるような仮名文字が画面にアップで映し出されました。この映像に衝撃を受けた方も多かったようです。

松山講演記録 其の参

2006-05-24 08:13:35 | 著書・講演会
■講演会では詳しく紹介できなかったのですが、子規に多大な影響を及ぼしたとも言われている天田愚庵さんについて、もう少し紹介しておきます。

安政元年(1853)7月20日生まれ。磐城平藩家臣、甘田平太夫の5男。
幼名甘田久五郎改め天田五郎
明治元年(1868)15歳で戊辰の役に出陣。城下消失し平城陥落の戦
乱で父母妹行方不明となる。

以後、家族を探して全国を遍歴すること20年。その間に山岡鉄舟の知遇を得、その縁で清水次郎長と出会い養子に迎えられる。

明治10年(1878)滴水禅師に依り得度、鉄眼と号す。
        京都清水坂に庵を結び、愚庵と号して漢詩と万葉
        調の和歌を作る。
        
明治25年(1893)春。清水坂の庵を正岡子規と高浜虚子が訪ねる。

明治26年(1894)養父の次郎長死す。彼岸の入りの9月20日、父母
        菩提と衆生結縁の為、西国33箇所の巡礼に出発。
        伊勢・熊野など33の霊場を巡り12月21日の冬至、
        93日の旅から戻る。
        
明治の『奥の細道』と讃えられる『順礼日記』を完成、漢詩26篇と和歌33首を収める名著。

明治30年(1898)京都産寧坂の愚庵に桂湖村が長期滞在。
湖村に庭の柿15顆と松茸を託して病床の子規に贈る。
子規から返礼が無いので湖村宛の手紙に催促の一首を
記す。子規から6首の返歌が届く。

明治37年(1905)1月17日、伏見桃山で没す。享年51。

■昭和41年の秋に、有志の協力で伏見桃山に残っていた庵を、現在のいわき市松ヶ丘公園内に移築し、子規が食べた柿の木も一部移植されています。いわき市には「愚庵会」が有り、会報の『沙羅の木』の発行と来年1月17日に「愚庵忌」を開催する事が決定したそうです。勉強会を開こうという案も有るようです。移築された庵の前には立派な銅像も完成しております。巨人の子規に関してあれこれ書いていたら切がありませんので、このくらいにして置きます。さてさて、講演会の話に戻りますが、日本に留学している元生徒から松山に出発する直前に届いたメールにとても気になる一節が有りました。


……休憩の時間や彼らと一緒に外食するたびに、私はチベット人だから、生活習慣や民俗、言語などすべてがあなた方がイメージしている中国人とまったく違いますよってよく言っていますが、チベットのことを詳しくご存知の方はあまりいません。あるとしても彼らのイメージ中のチベットというのは高い山かダライラマを代表するチベットのお坊さんに過ぎません。……

何気なく読んで返事を書いたメールなのですが、ずっと頭の隅に貼り付いて松山まで引き摺って行ってしまったようです。

■「神秘の国」「仏の国」「ヒマラヤ」など、NHKの特集番組や民放テレビの「冒険」番組が日本人に与えるチベットのイメージには、非日常の驚異と不思議が溢れています。まるで異界のような扱いなので、そんな人達の中に混ざって暮らしていた体験をどう語り出せば良いのやら……。「我が師」「我が友」「我が生徒」皆チベット人ですから、チベット人に取り囲まれて学校生活を送ったお話は、日本の学校生活と実質的には何も変わりません。確かに、滞在していた場所は標高2800メートルなので軽い頭痛に襲われる人もいますし、冬季は零下30度になる時も有るので風邪もひきます。空気が薄いのでチベット人に誘われるままにバスケット・ボールなどやると、口から心臓が飛び出しそうになって生命の危機を感じたりもします。恐ろしく乾燥しているので、金属に触れる度にびっくりするような音を立てて放電ショックを受けます。

■勿論、青海省は中華人民共和国内の最も貧しい所ですから、衣食住の不自由を数え上げたら切が有りません。そんな四方山話をする為に、正岡子規記念博物館の4階に立派な会場を準備して頂いたのではありません。演題が「『坊っちゃん』はチベット語になっても面白い」と決まっていまして、ステージには巨大な紙に麗々しく大きな文字で掲示されていました。最終目標は、チベット人の生徒達が翻訳作業を通して『坊っちゃん』をどんな風に面白がったのか?を参加して下さった皆さんに伝える事です。

■『チベ坊』という本が文芸書なのか、ノンフィクションなのか、教育関連の本なのか、はたまた言語学のフィールド・ワーク報告なのか、今も評価が定まらないのは、夏目漱石の『坊っちゃん』とチベットが結び付く異様さが原因です。この変な組み合わせに隠されている「必然性」を講演を聴いた方々が納得して下されば、大成功というわけなのですが……。

松山講演記録 其の弐

2006-05-23 07:47:29 | 著書・講演会
■5月20日午後2時からの講演という企画なので、早めに会場に入って資料の映像や音源の再生などの確認作業をしました。子規記念博物館は4階建ての立派な建物で、道後公園の北の端に位置しています。講演会場となったのは4階の大ホール!主催の朝日新聞総局が連休明けの2週間という短い期間で参加者を募集したところ、100人以上の申し込みが有ったと聞いていたので気圧されてしまいました。講演者が逃げ出して行く不明では多大な迷惑が掛かりますし……。虚仮の一念、当たって砕けろ!と乗り込んだものの、さすがに会議用の長机に3脚ずつの椅子が整然と並べられている壮観な会場に立つと、口の中が急速に乾いてしまいました。

■台湾の北を進んでいた台風1号が広東省を水没させて、さらに北上して温帯低気圧になった日ですから、気象庁の1週間予報では、大雨に大風、飛行機が欠航したらどうしよう?と心配したくらいですから、遠方から参加予定だった人の中には早々と計画を変更した方もいらっしゃったようです。でも、実際には時々薄日が射す天気になりまして、市内から参加して下さった人の中には開場1時間も前から博物館内に入っておられた熱心な方もおられたのには、恐縮してしまいました。

■さすがに会場が予想以上に広いので、手製の文字対応表を示しても後ろ半分の席からはゴマ粒が並んでいるようにしか見えないので、苦渋の選択で掲示を断念したり、子規博物館の学芸員のW君と映像資料や音源資料の「出番」を打ち合わせながら器材の調子を見たりしている内に、緊張感が高まりました。何度も講演内容を練り直してみたものの、特にチベットに関して研究しているというわけでもない一般の皆さんに対して、どうして『坊っちゃん』がチベット語に翻訳されたのか?を1時間半で御理解頂く妙案は浮かびません。知り合いの中で講演活動をしている人を思い浮かべても、チベット仏教の研究家やチベット地域の旅行案内をしている人ぐらいしか、チベットを主題にした話をしている人が居ませんし、そこに『坊っちゃん』が絡むのですから、こんな変な講演会は他では絶対に聞けませんぞ!

■しかし、喋る方としましては、何をどんな順番でお話すれば良いのやら、毎回迷うのですが、これまで新聞や雑誌の取材を受けた経験を基にしまして、前半は翻訳に至るまでの「予備知識」をお話して、後半にビデオの記録映像を使って実際の翻訳授業の様子を説明するのが良いと思われます。何度も質問された「どうしてチベットに行ったのか?」「どうして翻訳したのが『坊っちゃん』でなければならなかったのか?」から説き起こして、チベット人が日本語を異様な速さで習得できた理由を納得して貰うというのが前半のメニューです。要は『チベ坊』の帯には「奇跡の物語」という宣伝文句が書かれているのですが、チベット語と日本語との類似性と歴史的な関係を理解すれば、奇跡でも何でもないんだなあ、と理解して貰うのが前半の目的なのでした。

■講演会場となったのが正岡子規記念博物館なので、福島県と子規とのちょっとした関係を紹介して御挨拶としました。いわき市出身の天田愚庵という漢詩と和歌に長けた武家出身の人がおりまして、子規に多大な影響を与えたという歴史が有るのです。この天田さんは戊辰戦争で焼け出されてから20年間も放浪生活を送ったんだそうです。彼の文才と人柄を愛した人々の中に山岡鉄舟が居て、その縁で清水の次郎長親分と知り合い、何と養子になっています。次郎長親分の一代記を書いたのが愚庵さんで、その『東海遊侠伝』が無ければ、広沢虎蔵の浪曲も東映の時代劇も、その後のテレビ・ドラマも作られなかった事でしょう。放浪中、禅宗のお坊さんとして出家し、京都の清水坂に庵を結んで暮らしてた時期が有りまして、何とそこをまだ元気だった正岡子規と高浜虚子が訪ねています。食いしん坊の子規は、そこの庭に植わっていた柿が大のお気に入りだったらしく、病に臥せるようになった子規に愚庵さんは柿の実を15個送って上げましたが、感想も御礼も書いて来ないので、愚庵さんはちょっと腹が立った。


まさをかは まさきくてあるか かきのみの
      あまきともいはず しぶきともいはず
      
■子規は元気かなあ?でも、柿の実が甘かったとも渋かったとも言ってこないけど……という意味でしたが、この歌が添えられた手紙を受け取った子規は慌てて返歌を送って来ました。


みほとけに そなえし柿の あまりつらん
      我にぞたびし 十あまり五つ
      
柿の実の あまきもあらぬ 柿の実の
     渋きもありぬ 渋きぞうまき

柿は届きましたよ。仏様にお供えした余り物だったんだろうなあ、甘いのも渋いのも有ったけれど、渋柿の方が旨かったなあ、ぐらいの意味でしょうか?

■和歌や俳句こそが「声に出して読みたい日本語」なのですが、戦後教育を受けると気に入った歌の100首や200首が口をついて出て来るような日本人にはなれませんなあ。悔しいことです。手紙にさらさらと「うた」を書き添える余裕も深みも無い日本語文化はもう駄目かも知れませんなあ。携帯メールなどで俳句を送り合っても、「横書き」ですから、これも困ったものであります。御挨拶代わりの子規の歌を紹介した後、いよいよ本題に入りました。

松山講演記録 其の壱

2006-05-22 07:41:50 | 著書・講演会
四国松山市の皆様には、大変にお世話になりました。お陰さまで、無事に講演会が盛会の内に終了しました。関係者とご参加頂いた皆様には、講演者の非力を反省しつつ、厚く御礼申し上げる次第でございます。
既に、現地の朝日新聞愛媛版の5月21日付け紙面で、小さいながらも講演会の記事が掲載されています。23日の同紙面に詳しい記事を掲載しようと、担当の優秀な記者さんが、現在、原稿を練り上げているところです。

■夏目漱石の『坊っちゃん』によりますと、松山という場所は野蛮な土地で、腹黒い人間がうようよしていて、食い物と言ったら「色町の団子」以外に旨い物など無い!というような所らしい……。しかし、聞くと見るとでは大違いと申します通り、松山空港に降り立ちまして、出迎えを受けてからの2日間、講演会に市内の文化的な観光に、美味しい物をシコタマ御馳走になって再び空港を飛び立つまで、誠に楽しく充実した時を過ごして参りました。従いまして、漱石の『坊っちゃん』には、「この物語は完全なるフィクションである」とデカデカと但し書きを付けねばなりますまいなあ。

■講演開始前の打ち合わせを兼ねて昼に食べたのが、鯛素麺と鯛めしが並んだお膳で、講演会が終わって「ふなや」で慰労会が催された時には、有名な川席料理に感動しました。丁度、『週刊現代』最新号に「文士が愛した温泉宿」という特集が掲載されておりまして、夏目漱石の欄には「ふなや」さんの名が有ります。


清流の流れる1500坪の広大な日本庭園では結婚披露宴も行える。大浴場は50人が入れる広さ。昭和天皇も宿泊したことがある。

と簡単な紹介文が添えてあります。川席料理というのは庭園内を流れる渓流風の川に庵のような座敷席を互いの視界に入らないように点在させて、清流のせせらぎを聞きながら食事を楽しむという恐ろしく贅沢な趣向です。障子を開ければ、今なら新緑、秋には紅葉を楽しめます。ちょっと「ふなや」の宣伝めいてしまいましたが、本当に漱石がここを愛用していたのなら、『坊っちゃん』を書いた創作力は意地悪く表現すれば正に天才的です。川席に運んで貰える料理は、3段の引き出し状に盛り付けられた煮物、焼き物、飯物で、更に氷を満たしたガラス容器にお造りが載った一品も付きましたなあ。

■愛媛の地酒も何種類か出して頂きまして、冷酒にぴったりの端麗味が五臓六腑に染み渡りましたぞ。勿論、食事の前にはちょっとぬるめの道後の湯に浸かっていましたから、酒も料理もいっそう美味であったのであります。他にもロール・カステラ風のタルトという銘菓や、庶民的な「じゃこ天」というのも有りました。これはガンモドキとそっくりなのですが、季節ごとに水揚げされる縮緬雑魚をすり身にしてあるので、実に風味豊かで飽きない味でしたなあ。「…ぞなもし」の方言は消えた松山ですが、昔ながらの海の幸を堪能して暮らしている場所なのであります。

■松山と言えば必ず訪ねなければならない道後温泉、入浴料400円と手ぬぐいと石鹸のレンタル料が50円なので、500円玉を握って浴衣に雪駄履きの気楽な格好で行きました。男湯(女湯も同じかどうかは不明)の壁には富士山ではなくて、鷺の姿が描かれているのです。これは昔から道後温泉の薬効を知っていた野生の鷺が傷を負うと湧き出す湯に足を入れて治していたという伝説がモチーフなのだそうです。神様の石像を載せて大きな石の台が湯船の中央に突き出ておりまして、万葉歌人の山部赤人さんが道後温泉を讃えた歌を彫り込んで有ります。そして、『坊っちゃん』100周年を意識してか、壁に大き目の木札(きふだ)が打ち付けて有りまして、洒落の効いた事が墨で書かれています。


「坊っちゃん泳ぐべからず」

■チベット人学生と『坊っちゃん』を翻訳した時に、松山の悪口を並べながらも、この温泉だけは絶賛して詳しく描写されているのを、生徒達が興味津津で訳した事を思い出しながら、大き目の木札を見上げました。チベットにも温泉が湧き出している所は多いのですが、そこはチベット医学に基づく湯治場なので、日本人のように料理や風景を楽しみながら浸かる温泉とは大きく違うものなのです。体を洗う習慣の無かったチベットでは、日本のような温泉文化は発達しませんでした。我が生徒達は、坊っちゃんが湯船で泳いで叱られたという話に非常に驚いたものです。日本語の先生としましては、温泉の利用方法を説明するために、入り口から脱衣所、洗い場と湯船、壁には絵が描かれている事などを黒板に略図を書きながら話さねばなりませんでした。

■『坊っちゃん』には背中を流してくれるサービスも書かれているのですが、その料金を現代の中国人民元に換算して「安い!」と盛んに羨ましがっていたのが女子学生達だったのは何故だろう?男子学生達は、綺麗なお湯の中で「泳いでみたい」と言っておりましたなあ。

人もすなる講演会なるものを…

2006-05-20 12:34:54 | お知らせ
■世の中は、捨てる神あれば拾う神あり、と申しますが、拙著『チベ坊』を拾って大切に思って下さるご奇特な方がいらっしゃいまして、有りがたい事に、講演会なるものを開いて下さる運びとなりました。連休初日の4月29日に、本に登場していた生徒本人からブログに書き込みが舞い込むという椿事が発生しまして、ノンフィクション作品とは申せ、少々、出来過ぎとも思える物語の印象も無きにしも非ず……という恐れも有ったかと気にもなっておりましたが、事実はノンフィクション本よりも奇なり、とでも申しましょうか、事態は拙著に書いた夢や希望が実現する方向に進んでいたのでございます。

■講演会のお話が進みまして、いよいよ期日が近づいて来たなあ、と記録映像の編集や、講演でお話する内容の整理などを始めたところに生徒からのコメントが来ましたので、後援者の中からも「是非、この話も入れて下さいな」との御希望で、さてさて、講演会のツカミに置くべきか、最後の盛り上げに使うべきか、などと贅沢な悩みを楽しんでおります。『坊っちゃん』をチベット語に翻訳している記録映像には、その生徒が写っているのですから、編集作業を忘れて画面に釘付けになって困っております。昨年1月に地平線会議で発表の機会を与えて頂きまして、とんとん拍子に本の出版が実現したのは年末でした。新聞社の取材でも、ブログ読者のコメントでも、「その後の生徒達はどうなった?」と問い詰められて答えに窮しておりましたが、生徒自身からの「草原に撒かれた日本語の種は育っている」との書き込みを読んで、あまりの事に呆然自失、感謝や喜びの言葉を忘れておろおろするばかりであります。

■5月20日の日曜日午後2時より、四国松山の正岡子規記念博物館などという、由緒正しい子規ファンにとっては聖地にも等しい場所を汚します。どうかファンの皆様にはご容赦をお願い申し上げます。と同時に、お近くの方は「どんな野郎なんだ?」と見物にいらっしゃって下さい。無料ですが朝日新聞松山総局に参加御希望の方はちょっと申し込んで頂く事になっております。さて、どんな交流が出来ますやら、楽しみなような、怖いような……。

■5月28日の日曜日は、同じく午後2時より、福島県いわき市の草野心平記念文学館にて、講演会を開催いたします。カエルの詩で有名な草野心平さんは、若い時に上海に語学留学してその後は日本語講師を務めたのだそうです。誰かさんと同じような事をしてのですなあ。勿論、両者を同格になど扱っては行けません。文学館では、有名な作品をパネルにして展示してありまして、その前に立つと同時に心平さんご自身の声で朗読が始まります。晩年、ご自身の朗読を熱心に録音して音源を保存すうる努力をした成果です。有名な「カエル語」の詩も楽しめますぞ。ちょっとアクセスに難がある立地なのですが、心平さんの生家と心平さんが愛したモリアオガエルの生息地の近くに建設したので、これは仕方が無いのです。

■国語の教科書にも作品が掲載されていたので、随分と遠方からも見学者がいらっしゃるそうですなあ。偉大な詩人を記念した文学館ですから、あまり大きな恥は掻きたくないものです。草野心平記念文学館を訪れたいと念じておられた向きは、この機会にどうぞお運び下されば幸いです。新緑の季節、小高い文学館からの風景はなかなかのものですぞ。有名な湯本温泉郷、否、今年封切られるハワイアン・センター(今はスパ・リゾート・ハワイアン)も近いですから、沢山の人に来て欲しいなあ、と主催者も申しております。そう言えば、四国松山も名湯の道後温泉が有りまして、日本三大名湯の二つで『チベ坊』の講演会をするわけですなあ。後に残るは有馬温泉だけだ!と別に力むこともありませんが、中国奥地で起こった出来事を多くの人に知っていただ機会が増えることを念願しております。

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最近の気になる数字 其の弐

2006-05-19 19:27:47 | 日記・雑学
■お話変わって駐車場の問題が気になったので、ちょっと数字を引用して考えて見ます。

大阪市で同和対策事業を巡る不正が噴き出し……大阪府警は解放同盟支部長で、暴力団とも関係がある財団法人理事長を業務上横領容疑で逮捕した。財団は市開発公社の委託を受け、30年以上JR大阪駅近くの公社直営駐車場を独占管理…15年前から財団が駐車料金収入を3分の1程度に過少申告していたことを知りながら、公社職員が財団の収入報告を捏造…財団は年1億円前後の利益を得て、理事長が一部を流用。…民間病院に対する巨額の補助金の不正支出…1968年度以降投入された補助金と無担保融資は312億円…未返済のまま破綻。

■謂われ無き差別に苦しんで来た地域住民の生活基盤を整備して、差別が作った負の遺産を解消しようと、「地域改善対策財政特別措置法」が作られたまでは良かったのでしょうが、「逆差別」現象まで起こって2002年に法律は失効して同和対策事業は終了しているのだそうです。高級官僚達が今でも生き甲斐にしている「特別会計」と同じで、法律に従ってどぼどぼと流れ込んで来る大金を好き放題に使う味を知ったら、なかなか止められるものではありません。公営の「駐車場」がこんな悪の温床になっている一方で、駐車場の利用料金を惜しんで日本の狭い道路は違法駐車の車で使えなくなっているそうです。


駐車違反の通報や苦情に関する110番は、95年の約30万件から2005年には約65万件と倍増したが、取締り件数は逆に250万件から3割以上も減少。
駐車車両が絡む交通事故は昨年1年間で8536件起き、死者は100人以上。……全国の駐車違反の摘発数は約150万件。3大都市圏や県庁所在地では約90万件。

■摘発数が減ったのは刑法犯の認知件数が200万件にもなって、お巡りさん達は駐車違反の切符を切って回る暇が無くなったことが理由だそうですが、車検制度を悪用した汚職が無数に潜んでいるように、「車庫証明」制度にもウソが山ほど有るでしょう。駐車場など無い人にでも車を売り付けたい企業が居て、車が無ければ生活出来ない場所に敷地いっぱいの家を建てて売る業者も居ます。もっと遡(さかのぼ)れば、米国を目標に戦後の復興を進めていた役所の技官達が、モータリゼーションの普及速度を読み誤って「首都拘束道路」という傑作を残したのを筆頭に、奇怪で不便な都市計画を進めた結果でもありましょう。警察の手が足りないのは、人員を増やさないまま週休二日制度を導入したからでしょうし、その皺寄せが未解決の重大犯罪の山となって現れて、それを誤魔化す為にマスコミが騒がないような小さな犯罪は放置されることになりまして、同時に駐車違反の摘発も減ったという事でしょうなあ。

■そこに「バレなきゃ良い」という倫理観の消滅減少が加わったのですから、大都市の商店街は違法駐車のメッカとなったのでした。噂によりますと、大阪の違法駐車が日本一多くて悪質なのだそうですなあ。まさか公営駐車場を市民が嫌っていたからではないでしょうな?交通事故を起こすと、当事者が在籍していた教習所に連絡が入って、所轄の警察署ではこの統計をずっと取っているそうです。それでも、出身者が悪質なドライバーばかりだからという理由で閉鎖に追い込まれた教習所の話はあまり聞きませんなあ。駐車違反を犯した場合も、出身の教習所に通知が行くのかどうかは知りませんが、これからはそんな事になるかも知れません。

■とは言っても、高校卒業記念のように春休みに「短期教習」コースで免許を取って喜んでいるお兄ちゃん達を見ていると、車は玩具じゃないよ、と言って上げたくなる事が有ります。野蛮なコンピュータ・ゲームで「高度なドライビング・テクニック」を磨いたようなガキンチョが、本物の車に乗ってあちこちでタイヤを鳴らし、文字通りの爆音を発してエンジンを噴かしているのは誰の責任なのでしょう?揚句の果てに、一般車両を巻き添えにして事故を起こしたり、大事故を起こして道路を閉鎖させてしまったりするようですなあ。何より困るのは、アホな兄ちゃんが下手くそな運転で、同乗している同年代の遊び仲間を引き連れて死亡事故を起こす事です。間も無くトヨタが名実共に世界一の自動社メーカーになるのですから、ドライバーも世界一を目指さねばなりますまいなあ。

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最近の気になる数字 其の壱

2006-05-19 19:27:07 | 日記・雑学
■5月14日の讀賣新聞朝刊第一面に米地球政策研究所理事長のレスター・ブラウンさんの投稿論文が掲載されました。ワールド・ウォッチ研究所を設立して『地球白書』を毎年出している方です。


中国の食肉は米国の2倍近く、鉄鋼は2倍以上。
中国の経済が年率8%で成長し続ければ、2031年には個人所得が現在の米国並みになる。……
世界の穀類総収穫量の3分の2相当を、推定14億5000万人の中国人口が消費する。
紙類の消費量も、世界総生産量の2倍。
中国人4人のうち3人が車を持てば、総数は11億台。現在の世界総台数は8億台。
日量9900万バレルの石油が必要になるが、現在の世界総生産量は日糧8400万バレル。

世界の穀物相場は暴騰し、石油資源を巡って大戦争が起き、森林資源は消滅する。大気汚染と水質汚濁は日本周辺に押し寄せる。その頃、日本の人口は減りに減って6000万人ほどで安定しているかも知れませんが、間違いなく生命線のシー・レーンは断ち切られ、海底資源は好き放題に奪い取られていることでしょう。小泉総理は「あとは野となれ山となれ」の引退気分で日本の環境技術を向上させて世界に貢献しようと言い出しましたが、原発の増設と後始末をしなければならないのに、クリーン・エネルギーにどれほどの予算と人材を使えるのでしょう?


欧州の4000万人が住宅用電力を風力発電で得ている。
2020年までに地域人口の半分、1億9500万人が住宅電力を風力で賄う。

貧困根絶の為の予算は、①小学校教育の普及、②最貧層の子供達への学校給食、③小児病の基礎医療、④全世界の女性の為の産科医療と家族計画、これらを達成する為に年間680億ドルの追加支出が必要となる。

地球環境回復の為の予算は、①地球の森林の回復、②漁獲量の回復、③過放牧の撲滅、④生物学的多様性の保護、⑤水資源の利用効率の向上、⑥地下水位の安定、⑦河川流量の回復、これらを達成する為に年間930億ドルの追加支出が必要となる。

社会的目標を達成し、地球環境を回復させる新たな計画の為に、合計1610億ドルの支出が求められる。

世界は今、年間9750億ドルを軍事目的に使っている。

米国が4920億ドルの軍事支出を流用し、新計画のための1610億ドルを全額負担してもなお、他の北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国とロシアと中国を合わせた軍事支出を上回る金額が手元に残る。

■こういう机上の計算は以前から発表されているのですが、世界の軍事費は増加の一途を辿っていて、何処かの軍需産業大手が倒産した!という話はぜんぜん聞きませんなあ。日本は建前上は武器を輸出できない事になっていますが、実際にはいろいろと戦争に必要な物品は売っているのです。それでも大型の武器の完成品を売らない限り国の主幹産業にはなりません。平和利用を目的とした技術を発展させる努力が肝要なのですが、それもあまり明るい未来は見えないようです。


今後5年間の科学技術政策「第3期科学技術基本計画」、5年間の予算総額25兆円。1期の17兆円、2期の25兆円を上回る。……日本の大型ロケットH2Aの打ち上げ成功率を90%にするなど273の課題目標。

工学系を中心に理工系を目指す生徒は…1990年代に比べると志願者は半減。

読み書き算盤の「読み書き」が崩れ、とうとう病膏肓(こうこう)に達して日本の子供達は「算盤」も投げ出してしまいました。少子高齢化対策もどこか的外れな思い付きの政策に無駄な税金が投じられているようですが、借金を重ねて科学技術の振興に予算を付けても、有能な若き研究者の数が減り、たまに見つかったら皆米国に留学でしょうなあ。理系の論文はほとんどが英語です。そこで思い付いたのが小学校からの英語教育!やっぱり問題の核心が見えていないのですなあ。


一般の国立大学法人は収入の約5割強が国からの運営交付金。文系単科大だと7~8割……毎年1%ずつ削減されることが決まっている。…名古屋大が今年3月、200億円を目標に基金を設けたほか、三重大や九州大など多くの大学が寄付金の受け皿となる基金を設立。……米国最強の集金力を持つハーバード大の寄付総額は594億円(04年度)。東大の約6倍。米国では学長ら経営陣が積極的に寄付募集にかかわり、寄付募集の専門スタッフを抱えている。

■日本の大学でも「大学の自治」を守ろうと声を上げますが、欧米諸国とは違った歴史を持っているので、東大を中心とした学閥が、お役人の匙加減で決まる補助金や交付金を求めて政治力を発揮したりするようなので、「法人化」などと言っても、欧米の大学のような大人の教育機関になるには、まだまだ時間が掛かるでしょうなあ。

5月17日の罠 其の弐

2006-05-19 13:57:12 | マスメディア
■何もしてくれない日本政府を尻目に、欧州から米国を行脚している横田老夫婦の執念とガッツは敬服するしか無いのですが、「人道問題」を利用したい米国政府も同調してくれて、その勢いで韓国に乗り込んだ拉致被害者家族会に対して、韓国政府は冷淡でしたが、世論が動き出す手応えは得られたようです。しかし、その横で米軍の不信感を増すような事ばかり政府がやっていてはどうしようも有りませんなあ。ホワイト・ハウスで横田夫人とブッシュ大統領が膝を交えて会見したのも束の間、日本を外して北朝鮮との関係を一挙に改善してしまう可能性を見せている米国は、もしかしたら、悪いのは間抜けな日本政府だぞ!と責任を全部押し付けて見棄てるためのアリバイ作りだったりしたら、目も当てられません。そして、横田さんが韓国から「凱旋帰国」する日に合わせるように、大ニュースが流されましたなあ。

在日本大韓民国民団(民団)中央本部の河丙オク(ハビョンオク、「オク」は金へんに玉)団長と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の徐萬述(ソマンスル)議長が17日午前、会談を持ち、和解に向けた共同声明を出すことになった。在日朝鮮人・韓国人社会を支える両組織のトップ同士の会談は初めて。結成以来、50年以上にわたって対立してきた両団体が友好関係の下で、新たな歩みを始めることになる。……朝鮮総連や民団は結成以来、在日同胞のための権利擁護の運動などに取り組んできた。東西冷戦を背景とした北朝鮮と韓国の南北対立の歴史があったが、00年6月の初の南北首脳会談が実現して以降、融和が進んだ。

■流血事件まで起こして対立していた両団体が仲直りするのは目出度い事でしょうが、選りによってこの日でなければならなかった理由が有るはずです。どちらの団体も北朝鮮と韓国の両政府からの指示によって動いているのですから、露骨に言ってしまえば干上がりかけている総連の財布と民団の財布にパイプを通して、これまで通りに平壌に対する経済的な援助を続けましょう、という事ではないでしょうか?つまり、韓国政府は北朝鮮を絶対に見棄てない!というメッセージです。


…朝鮮総連や民団の一部の地方組織では、首脳会談による南北共同宣言が出た「6・15」記念日や、民族が解放された「8・15」式典などを共同で開催する動きも出ていたが、中央本部同士の共催は実現していなかった。05年の「8・15」式典の共催を民団側が呼びかけたものの、朝鮮総連側が応じなかった。……
毎日新聞 - 5月17日

■そんなに最近まで仲が悪かったのが、横田さんが韓国のマスコミに大々的に取り上げられている間に、どうして急に握手することになったのでしょう?民団は今まで続けて来た脱北者の援助を停止すると言うし、総連から3分の1が脱退したと言われる在日の人達の怒りや拒否の意思表示が、これで帳消しになってしまうでしょうし、拉致事件を解決するために民団とは協力し、総連には圧力を掛けるという被害者家族会の動きも止められてしまうでしょう。この「歴史的和解」の大ニュースが、横田さんの帰国に関する報道を小さくしたのは間違い無いわけですが、奇妙な事に日本の警察も、どうしてこの日なのか理解に苦しむ特ダネを用意していましたぞ。


警視庁と千葉、神奈川県警の捜査本部は17日夕方、耐震強度が不足している事実を知りながらマンションなどを販売した詐欺の容疑でマンション販売会社ヒューザーの小嶋進社長と木村建設の木村盛好社長らを逮捕した。……小嶋ヒューザー社長は神奈川県藤沢市のマンション「グランドステージ藤沢」の強度不足を知りながらマンションを販売。捜査本部では強度不足を知りながら販売した行為は「不作為の詐欺」にあたるとして逮捕に踏み切った。同様に木村・木村建設社長に関してもサンホテル奈良に強度不足があるのを知りつつ工事代金を受け取っていた。
テクノバーン - 5月18日

■「17日の夕方」というのは、横田さんが成田空港に降り立って、米国訪問で疲れ切って体調を崩してしまった夫人に出迎えられる時刻とぴたりと一致しています。ちょっと、出来過ぎた話ですなあ。「17日午前中」には歴史的和解、「同日夕方」には耐震偽装事件の逮捕劇、こんな大ニュースに挟まれたら、横田さんの帰国はどんどん扱いが小さくなります。もしかしたら、日本の次期総理大臣は米国からの指示で拉致問題を棚上げし、基地移転費用は天井知らずに上乗せされ、靖国参拝も禁止されて何も自主的には出来なくなる危険性が有りそうですなあ。

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5月17日の罠 其の壱

2006-05-19 13:56:44 | マスメディア
■北朝鮮に関する国際問題、偽札・麻薬・偽タバコ・拉致・核兵器開発と並べて、どれが一番大きな問題かと選択を迫られれば、世界の主要な国々は迷わず「核兵器問題」だと答えるのですから、偽札を締め出され、麻薬が摘発され、偽タバコも悪評が流され、せっかく取り込んだ韓国の世論が拉致事件に目を向け始めたら、一番大事な問題を世界が忘れないようにするに決まっています。

北朝鮮に詳しい日本政府筋は19日、北朝鮮北東部の咸鏡北道花台郡のミサイル実験場周辺で、長距離弾道ミサイル「テポドン」の発射準備とみられる動きがあると明らかにした。同筋は在日米軍などの情報として、先週からミサイル実験場周辺でトレーラーなど車両の動きが活発化しているとして、テポドンを発射する可能性があると指摘した。また、ソウルの関係筋は「衛星情報で、咸鏡北道のミサイル実験場付近で先週から活発な動きがあるが、実際にミサイル発射にまで至る動きであるかどうかは分からず、注視を続けている」とした。共同通信 - 5月19日

■麻生外相は、「かなり以前から知っていた」と記者会見で胸を張ったそうですが、正確に言えば「かなり以前から米国から教えて貰っていたよ」ということでしょうなあ。自慢じゃないけれど、日本が独自に情報を集められるはずもないし、逆に米国から貰った機密情報を駄々漏れさせているのが日本です。最新号の『週刊文春』が今年2月23日に発覚したウィニーによる機密情報大量漏洩事件の中身を報じています。フロッピー290枚分と言う前代未聞・驚天動地の大量漏洩の中身が列挙されています。よくぞこれだけの重要機密を個人パソコンに取り込んでいたものと、呆れ果てるばかりです。そんな恐ろしい物を自宅に持ち帰って、一体、どんなファイルを探し回っていたのか、機密情報満載のパソコンにウィニー・ソフトをダウン・ロードしてせっせとあちこちの「情報」を取り込んでいたのを、誰も気付かなかったというのですから、絶対に日本が軍事大国になどなれっこありません!

■漏洩した機密情報の中に、日本の海上自衛隊と米海軍との間で使用される「コールサイン」に加えて、無線通信の周波数一覧表が入っていたのだそうです。恐ろしいのは緊急事態になった時に重要な指示を伝達しようと思ったら、強烈な望外電波で狙い撃ちされて船も飛行機も、各部隊も共同作戦行動が取れなくなるという事態でしょうなあ。拉致被害者家族が運営している「しおかぜ」放送が、使用している周波数を狙い撃ちする望外電波に困っている話が有りましたが、何だか嫌な予感のする小さな出来事ですなあ。ウィニーでばら撒かれた自衛隊の機密情報を北朝鮮が収穫していない筈は無いし、「使わせて貰いますよ」というメッセージではないでしょうな?!


18日付のニューヨーク・タイムズ紙は米政府高官や外交筋の話として、ブッシュ大統領の顧問らが、朝鮮戦争休戦協定に代わる平和協定締結交渉の開始を軸とする、新たな対北朝鮮政策をまとめ、大統領に進言したと報じた。大統領は、約半年間中断している、北朝鮮の核問題を巡る6か国協議に北朝鮮が復帰することを条件に、新政策を承認する見通しという。同紙によると、この政策は、6か国協議と並行させながら、平和協定の締結交渉を行うという内容。交渉には朝鮮戦争に直接関与した米国、中国、北朝鮮、韓国の4か国が加わる。日本とロシアは参加しない。読売新聞 - 5月19日

■小さな記事ですが、「日本とロシアは参加しない」の一言に、米国の苛立ちと怒りが透けて見えるような気がしてなりません。在日米軍基地の移転費用が、80億ドルで話が着いていたのに、急に100億ドルに跳ね上がったのが今年3月の審議官級協議の席だったとか…。「差額の20億ドルは、機密漏洩の損害賠償分だ!」と言われなかったのでしょうか?『キーン・エッジ』という名の日米共同統合指揮所演習の中身が新聞に掲載されたのが、ウィニー事件の直後でしたから、溜まった米軍の怒りが「20億ドル上乗せ」の形で爆発したとしたら、「日米同盟さえしっかりしてれば万事が上手く行く」と言っていた小泉外交の唯一の拠り所が吹き飛んでしまいますぞ!


北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん=失跡当時(13)=の父滋さん(73)らは17日夕、めぐみさんの夫とみられる韓国人拉致被害者金英男さん=同(16)=の母崔桂月さん(78)らに会うため訪問していた韓国から帰国した。羽田空港で記者会見した滋さんは「韓国で拉致問題に対する関心が非常に高まっている。予想以上の成果を上げることができた」と語った。滋さんは「関心を一過性に終わらせず、永続させる必要がある」と強調。拉致被害者の家族会などは、今月末に東京で開く集会に崔さんらを招待する。北朝鮮でめぐみさん夫妻と同じ集落で生活していた拉致被害者蓮池薫さん(48)と、崔さんら家族が面会する可能性もあるという。 
時事通信 - 5月17日

歴史は続くよ何処までも 其の参

2006-05-19 08:33:47 | 歴史
■箕子朝鮮の後は、衛氏朝鮮が100年弱続いたそうですが、これを滅ぼしたのが漢王朝の武帝で、「楽浪郡など4群」を設置したぞ、と漢籍に書いてあります。紀元前108年の事だそうです。しかし、漢王朝の弱体化につけ込んで、朱蒙という人が高句麗を建国します。紀元前37年から延々と668年まで頑張っていたのですから大したものですなあ。高句麗滅亡の大事件には、我らが大和朝廷が関わっているのですから、日本は随分と新しい国という事になります。391年には広開土王という英雄が現れて大活躍した記録は石碑に刻まれていますが、高句麗は313年に楽浪郡を滅ぼして漢族を追い出してしまいます。この事件は朝鮮族から見れば「民族の独立を回復」という事になりますし、漢族側から見れば「反乱」という事になりますから、楽浪郡に歴史に基点を置くチャイナの歴史学からすれば、高句麗はずっとチャイナの支配下に有ったんだ、という事になりますし、朝鮮族からすれば、楽浪群が有った時期が特殊だったんだ、という事になります。

■後漢の末期、いよいよ『三国志』の時代が始まろうとする頃、公孫康という人が遼東半島に帯方郡を設置してほぼ独立、このお陰で三国の大乱から隔てられてた朝鮮半島は、半島の三国時代を迎えました。この辺りの駆け引きに日本の北九州が巻き込まれ、大和朝廷の謎の創成期が重なっています。その後、高句麗がチャイナの南北朝時代にのし上って、大いにチャイナの歴代王朝を苦しめます。あの隋王朝が滅んだのも、対高句麗戦争に失敗したからだと言われているくらいです。日本でもお馴染みの半島の三国時代が始まるのは、西暦346年の百済建国と、356年の新羅建国からです。最終的に新羅が半島全土を掌握するわけですが、決して単独で勝ち残ったわけではなく、唐の「遠交近攻」戦略を見事に利用した結果でした。

■大和朝廷と縁の深かった百済を滅ぼしたのが660年で、怒った皇太子時代の天智天皇が唐と新羅の連合軍に戦いを挑んだのが「白村江の戦い」で、見事に完敗。大和朝廷は鎖国防衛体制を整えて臨戦態勢に入って大騒ぎしている間に、668年、南北からの挟み撃ちに遭って、さしもの高句麗が滅ぼされます。その勢いで新羅は同盟関係を結んでいた唐を裏切って独立したのでした。とは言っても、長い間の同盟関係から唐の文明と技術力、文化の高さを知り尽くしていた新羅は、唐と友好関係を維持して唐風の国造りに励んだようです。

■唐王朝自身が高句麗に接していた鮮卑族が南下して建国した国なので、半島を統一した新羅も付き合い易かったようです。長安で花開いた仏教文化の中に、優れた「新羅僧」が何人も出て来ますし、その中には仏教文化を取り入れ始めたチベット王国からの留学生に協力した新羅僧なども居ましたなあ。百済からの大量の難民を受け入れた日本も、新羅の隆盛は受け入れなければならず、遣唐使を送るにも新羅の沿岸を利用できないのは不便なので、仲良くし始めます。新羅時代に今の朝鮮半島の文化習俗の基盤が出来上がって、苗字もチャイナ風になって定着したそうです。本家の唐がいよいよ衰退して、「五代十国」の動乱が始まる頃、高句麗が滅んだ場所に震国という国が生まれ、渤海という名前に変わります。どうやら白頭山の大爆発によって弱体化した後、契丹の侵略によって滅んだとも言われていますが、この渤海が何故か日本が大好きで、名産の美しい毛皮をお土産にして平安京に頻繁にやって来ました。

■どうやら渤海国の狙いは、日本に協力して貰って新羅を南北から攻め滅ぼそうという事だったらしく、日本側は白村江の大敗を忘れていなかったので、この要請は拒否し続けていたようです。918年に王建という人が高麗を建国して、935年、とうとう新羅は高麗に滅ぼされて朝鮮半島の主が交代しました。というわけで、「新羅が唐の東部を占領した」という林教授の主張は、唐の最盛期に国際国家として多くの商人や留学生を受け入れていた頃、平和的な交流を続ける拠点として作った居留地を「占領地だ!」と解釈したか、唐王朝の末期に起こる大動乱に、新羅が少しばかり介入するポーズを取ったのを拡大解釈したかのどちらかではないでしょうか?

■どちらにしても、欧州で発展した近代国家の国境という考え方とは、まったく違う支配領域に対する感覚を持っていた中華思想による王朝時代に、無理やり占領地域や国境を設定しても議論は平行線を辿るしかない事は確かでしょうなあ。それは、清王朝を檀家信者だと思って付き合っていたチベットが、いつのまにか中華民国の領土に取り込まれてしまったように、時代の区切りを無視した欧州仕込の国境線を悪用するのは問題をややこしくするものなのです。

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