(「常用漢字をぶっとばせ!其の壱」のつづき)
■何はともあれ、昔は奴隷がやっていた仕事を機械にやらせるようになる事を「歴史の進歩」と呼ぶようです。日本の武士の時代に祐筆(ゆうひつ)という口述筆記専門の役目を命じられていた侍が、必ず殿様の近くに待機していました。一番有名な祐筆は信長に仕えた太田牛一さんでしょう。『信長公記』という岩波文庫にも入っている伝記を残している人です。昔は特権階級しか持てなかった祐筆が、今はワープロという機械となって誰でも手に入れられるようになったという訳です。
キーボードが嫌い、ローマ字が分からない、という人の為に、音声入力機能という実に便利な技術が開発されまして、随分賢くなりました。米国で開発が始まった頃は、「蠅が飛ぶ」という文が壁になっているという噂が流れてきまして、商品化は不可能だろうというのが大方の意見だったようです。A fly flies. つまり、名詞の「蠅」と動詞の「飛ぶ」は両方とも fly なので、馬鹿なコンピュータは混乱してしまうんだという話です。
しかし、技術は勝利しまして、名詞と動詞の区別も出来るようになったコンピュータは、とうとう人間様の方が多少言い間違えても、正しい文章を作ってくれる段階に到達しました。ですから、どんなに簡単な漢字が書けなくても、読めさえすれば機械が見事な漢字仮名混じり文にしてくれるのです。
それは丁度、昔の殿様が、「祐筆の○○をこれへ。」と呼びつけて、「ははあ、○○ただ今参上仕(つかまつ)りまして御座います。」「ふむ、△△に書状じゃ、文面はこうじゃ。……出来たか?」「ははあ、これに」という場面が、机の上で再現されるという事です。
■ですから、御主人様が読めない漢字だけは、どれ程優れたコンピュータでも書けないのです。「入力」→「演算」→「出力」という段取りだけは守らないと駄目なのです。膨大な漢字の読みを記憶するのを助けるのが「振り仮名」です。これを撲滅しようとした戦後の一勢力は、ワープロの出現で息の根を止められたのですが、御役人達は、過去の決定と通達を変更するのが大嫌いなので、「あれは間違いでした。これから振り仮名を大いに活用するようにしましょう。」とは言いません。阿辻先生は続けてこう書いていますよ。
どれほどコンピューターが進歩しても、文章の読み書きが国語力の基本であることは絶対にかわらないし、そのための基本教育がおろそかにされることは決して許されない。
ただ、手書きの時代には大きな労力を必要とした複雑な漢字が、今は機械によって簡単に書け、きれいに印刷までできるようになったことに対しても、客観的事実としてはっきりと目をむける必要があろう。
■この提案は朝日新聞の一般読者に向けて述べられているのではありません。地方代表を三人にしろ、いや二人で充分だろう、などと馬鹿馬鹿しい内輪揉めを続けている中央教育審議会の30人、それに中山文部科学大臣様、その下に従っている文部官僚の皆様方に対して注文しているのです。特に、中央教育審議会の「初等中等教育分科会」の「教育課程部会」と「教員養成部会」に所属する皆様は、こうした意見を真面目に聞かないと、またしても半世紀の大間違いを仕出かしてしまいますよ。「阿辻先生の提案には続きが有ります。
かならず手書きで書けなければならない一群の基本的な漢字群と、正しい読み方と使い方を把握さえできていれば必ずしも手で正確に書けなくてもよい漢字群、というように、漢字全体を二層の構造にわけてもいいのではないだろうか。
日常的にワープロと手書きのメモを併用している人ならば、何を今更、と腹が立つほど当たり前の提案です。況(ま)して、携帯電話を辞書代わりに使いこなしている若者達を見れば、ワープロ技術が出現した段階で、この意見が出て来なかった事の方が不思議なのです。そして、総ての「当用漢字」1850字を正確に読めて書けるように指導せよ、と昭和21年11月16日の内閣告示が出た瞬間から今まで、この字数が最高値と勘違いされてしまい、人情として五割か六割も書ければ穏当だろう、という空気が全国の学校に充満したのです。昨年も、「ゆとり教育」が吊るし上げられた際に、文部省が示す指導要領は「最低限」を示すのだ、という学校関係者にとっては寝耳に水、驚天動地の裏切り発言が有りました。
■思い出して頂きたい!小学校時代、漢字テストで満点を取れずに悔し涙を流した思い出がお有りか?泣いていた同級生が居たか?上限を定めると平均点付近に人数が塊(かたま)って、下限は際限も無く下降して行くのです。ですから、仮に1981年に「常用漢字」を定める時に5000文字としておけば、半分覚えても2500文字となったはずなのです。これだけの負荷を掛けられた生徒は、最近の調査で明らかなように、「家庭学習時間無し 四割」などという事態にもならず、週に四時間の国語授業などいう先進国中で最低の言語教育しかしていない状況も生まれなかったに違いないのです。
小学生が最も努力しなければならないのは、「総合的な学習」でも「生きる力を身に付ける」ことでもありません。只管(ひたすら)文字を覚えることです。数字を含めて、社会を支えている知の基本要素である文字の扱い方に習熟すること、この一事に尽きます。そこで必要となるのが、『声に出して読みたい日本語』などという不埒な駄本ではなく、分厚くて振り仮名だらけの教科書なのです。 声を揃えた音読と、授業で扱い切れない「名文」の自主的な黙読、これが漢字の読み能力を養います。書く能力にこそ授業と宿題は重点を置いて、筆記用具の吟味と習字の復活が必要となるのです。
マスコミが「学力低下」と書き散らしていますが、「日本語劣化」と書くべきなのです。それは戦後六十年の負債です。間も無く1000兆円になる国債残高よりも、もしかすると、こちらの負債の方が将来の日本に重く圧(の)し掛かる可能性が有ります。阿辻先生の文章の最後を全文引用しましょう。
コンピューターで文章を書くのが普通の行為になった時代に、二十数年前に定められた漢字の規格が示す「常用漢字」が、大きくゆらぎはじめてきたのは当然である。そして文化審議会国語分科会が常用漢字に対する見直しを提起した背景にも、もちろん漢字をめぐるそんな時代の変化があったのはまちがいない。
文字は文化の根幹に位置するものである。文化審議会の提起をきっかけに、私たちを取り巻く文字環境がより便利で合理的なものになるように、各方面の積極的な努力を期待したいものだ。〈完〉
■ここに出て来る「文化審議会国語分科会」が提起した報告書の内容は、以下の通りです。
常用漢字は「生活における漢字使用の目安」として1981年に制定された1945字(大日本帝国の降伏年号と同じ数というのが気になります)、印刷用の活字を想定した字体と音訓を規定したものです。
法令や公式文書は総てこの規定に従って印刷され、何よりも学校教育の現場では単なる「目安」という範囲を越えて権威となって行きました。ところが、ワープロの出現で通産省が管轄する日本工業規格(JIS)の方では、独自に第一水準漢字と第二水準漢字とを定めてしまいまして、これが6355文字で文部省管轄の「常用漢字」を陳腐化してしまいます。
漢字の数ばかりか、使用法まで規定したはずの「常用漢字」の枠外に置かれたはずの「育(はぐく)む」「応(こた)える」「関わ(かか)る」などの伝統的な用法が復活し、元々その範囲に入れていなかった人名・地名の漢字もワープロは楽々と表示する能力を持ってしまいましたから、追放したはずの「國(国)」「澤(沢)」「邊(辺)」なども続々と復活して来ました。
米国が持ち込んだタイプライターをイメージして突き進んで来た漢字政策ですから、人名は英米流に直筆「サイン」で処理しようと誰かが考えて辻褄(つじつま)を合わせたのでしょう。しかし、その英米でも既に、電気タイプライターさえも姿を消してしまっていたのですから、その大前提が完全に崩壊していたのです。
『2001年宇宙の旅』で有名なアーサー・C・クラークのエッセイの中にも「物置の何処かに放り込んである、あの忌々(いまいま)しい電気タイプライターをもう一度使うような時代になったら、私は作家を辞めるか自殺する」と書いていました。
それなのに、昔の法律を墨守(ぼくしゅ)する姿勢を変えない人々が日本の政府内と教育界にいたのです。佐藤栄作総理大臣が、自分の名前の「藤」が除外されて激怒した話は有名ですが、大阪の「阪」も岡山の「岡」も含めない「常用漢字」というのは何だったのか、後代の歴史研究家が解明してくれるでしょう。
■漢字という文字は、実に扱い難い文字であるのは間違いないのですが、文化の蓄積が千年以上も続いている以上、これを受け継いで行くしかないのです。ところが、千年以上も付き合っているこの漢字に関して、日本人は熟知しているとはとても思えない現実が有ります。まあ、本家?の中国でも、日本の真似をして「簡体字」を考案して一時は日本側も度肝を抜かれたのですが、実はこれが大失敗で、字体の簡略化は途中で取り止めとなっているのです。
世界に冠たる書道文化が壊滅する、古典との言語上の継続性が断絶する、反対理由は様々ですが、要は、識字率が低いのは漢字の画数が多いからだ、という判断が間違っていたという事なのです。
チャイナの識字率が低いのは、三年と空けずに暴動と戦乱が繰り返されて庶民が生き残るので精一杯だった歴史と、科挙制度と門閥(もんばつ)が結び付いて知識の独占体制が長く続いた事が原因です。従って、国内が長期間安定して、初等教育に税金が投入されれば、識字率は急速に上がって行くだけの話なのです。
まあ、地方に還流される教育予算が、砂漠の川の水のように、途中で消えて無くなってなかなか初等教育のインフラが整わないのは、変わらぬ御国柄なのでしょうが、識字率を上げる為の簡体字政策は、二度と採用されることはないのです。
■実は、日本も同じ間違いを犯しているのです。更に悪いことには、その間違いに気付いている人が非常に少ないのです。その間違いというのは、「画数の少ない漢字は覚え易く、多いのは覚え難い」という思い込みです。ソニーを創建した井深大という人が、晩年は幼児教育に熱心に取り組みまして、『幼稚園では遅すぎる』という本を書いてベスト・セラーになったことがあります。
そして、『機械が先生に勝った』という本も書きました。これは、自分が考案した学習機械を幼稚園に持ち込んで、外人教師と英語教育を競い合う話が中心なのですが、勿論、結果は機械が勝って目出度し目出度しという自慢話と宣伝が目的の本でした。
絵付きの磁気カードをスリットに通すとスピーカーから英単語の正しい発音が聴こえて来るという単純な機械です。米国で英語を学んでいた頃に、ベトナム難民の学友達が図書館に設置されていたこの機械を奪い合って利用していた風景を思い出しますなあ。でも、日本の市場では定着せず、機械より生の外人(質を問わず)が大好きな日本人は「駅前留学」の方を好みますようで、井深さんは草葉の陰で泣いているでしょう。
そんな本なのですが、『機械が先生に勝った』に注目すべきエピソードが紹介されていました。井深さんのお孫さんが、漢字に興味を持ったので、お爺さんの井深さんが面白がって研究者らしく、孫の認識能力を検査するのです。すると、「九」という字と「鳩」という字では、幼児は「鳩」を先に覚えるという体験をしたそうです。井深さんの解釈では、「鳩」は画数が多くて一見すると覚え難そうに思えるが、幼児の目には安定性の高い絵のように見えるらしい。一方の二画の「九」は、バランスが取り難くて覚えるが大変らしいのです。考えて見れば、たった二本の線ですが、何処で曲がって何処で止まるのかを見極めるのは大変で、大人でも形の良い「九」を書くのに苦労しているのではないでしょうか。
画数と覚え易さは関係無いという結論になりそうです。しかし、今でも小学校一年生から六年生までに習う漢字の学年別一覧表を見ると、見事に画数が順に増えて行くように並んでいます。もっと恐ろしいのは、一年生でカタカナの書き取りに重点が置かれていないのです。カタカナは漢字の部品ですから、カタカナを書くという事は、既に漢字の一部を書いている事になるのです。付言すれば、平仮名というのは、書道の中でも最も高度な草書体から生まれたのです。「楷書は何とか筆で書けるけれど、行書や草書となると、勘弁して貰いたいなあ。」と戦後教育を受けた我々の圧倒多数は言いますが、実は、平仮名は万葉仮名から選ばれた漢字の草書体です。
ということは、小学校一年生で「漢字の草書体」をいきなり習い、漢字の部品は扱わないまま、画数の少ない漢字を順に覚えて行く事になります。こうして見ると、何だかめちゃくちゃな教え方をしているのが分かるでしょう。
■漢字、漢字と何度も書いていますが、今「漢字」と読んでいるのは総て新字体に変えられた漢字の成れの果ての文字です。この新字体決定が、前述の中国簡体字運動に直結しているのです。既に絶版になって久しい、藤堂明保先生の『漢語と日本語』(秀英出版)という本が有ります。その第三章が「日本の漢字問題」です。そしてその第十一節は、「漢字教育の問題点」となっています。重要な所を抜粋します。(本当は捨てる箇所が無いんですが)
昭和二十四年四月二十八日官報の『当用漢字字体表・使用上の注意事項』に、次のように書いてある。
この表の字体は、これを筆写(かい書)の標準とするさいには、点画の長短・方向・曲直・つけるかはなすか、とめるかはねる又ははらう等について、必ずしも拘束しないものがある。そのおもな例は、次のとおりである。……
つまり、これらの細かい点については、べつに教科書活字の形を墨守する必要はないはずであった。ところが、教科書の力というものはおそろしい。いつのまにか、その字体が絶対の権威であるような錯覚を与えて、少しでもそれに合わないものは、×をつける風潮を生じてしまった。
昭和二十四年に公布された新字体が、もう少し旧来の慣習に気を配っていたなら、今日のような混乱を起こさずにすんだはずである。ところが、不幸にして、新旧死体は次のようなズレを含んでいた。
「木」のタテ棒は旧字体でははねていたのに、信じたいではとめている。「言」の上部は旧字体ではヽ印で示したのに、新事態では短い横線で示すようになった。「分」の上部は、旧字体でくっつけていた所を、信じたいではハと離して書くようになった。「雨」や「風」においても、こまかい違いがある。とくに「歩」「毎」などの新字体はまことにコッケイですらある。〉
学校での漢字の指導という営みの奥深さと恐ろしさがお分かりになると思いますが、いかがでしょうか。子供の頃に、重箱の隅を突(つつ)き回すようにして赤ペンで添削されたり、バツを付けられた経験の無い人はいないでしょう。しかし、その裏側では、こうした碩学(せきがく)から鋭い批判が浴びせられていたのでした。この本は昭和43年に初版が出て、昭和53年までに8回も版を重ねた本です。「甲骨文字」から膨大な漢籍の変遷、日本の万葉仮名から仮名文化の歴史、書道の基本的な心得、漢字を指導したり何らかの基準を定める者ならば、当然通じていなければならない課題ばかりです。文字の教育は生徒の年齢が下がるほど、重要度は上がって行く性質を持っています。小学校の低学年で、低劣な素質しか持ち合わせない教師にぶつかったら最後です。
■都内の某有名私立高校での話ですが、毎年教員用に用意している図書費が余って余って困っているそうです。年々薄くなる教科書ですが、その教科書と「赤本」と呼ばれる指導書(アンチョコ)以外は読まない教師が、命を削るような努力をしてやっと合格出来る難関校で教鞭を取っているのです。遥か上から降って来る「お上の声」に従って、読書週間だの朝の読書指導だのをしたり顔でしながら、自分では碌(ろく)な読書のしていない教師の群の中で、日本語はますます傷(いた)んで行くのでしょうなあ。
蛇足ですが、最近の朝日新聞紙上で、社会面では正しく「水を差す」と「冷水」を使っているのに、経済面や政治面では平気で「冷や水を浴びせる」と書いているのはいかがなものでしょうか?
■何はともあれ、昔は奴隷がやっていた仕事を機械にやらせるようになる事を「歴史の進歩」と呼ぶようです。日本の武士の時代に祐筆(ゆうひつ)という口述筆記専門の役目を命じられていた侍が、必ず殿様の近くに待機していました。一番有名な祐筆は信長に仕えた太田牛一さんでしょう。『信長公記』という岩波文庫にも入っている伝記を残している人です。昔は特権階級しか持てなかった祐筆が、今はワープロという機械となって誰でも手に入れられるようになったという訳です。
キーボードが嫌い、ローマ字が分からない、という人の為に、音声入力機能という実に便利な技術が開発されまして、随分賢くなりました。米国で開発が始まった頃は、「蠅が飛ぶ」という文が壁になっているという噂が流れてきまして、商品化は不可能だろうというのが大方の意見だったようです。A fly flies. つまり、名詞の「蠅」と動詞の「飛ぶ」は両方とも fly なので、馬鹿なコンピュータは混乱してしまうんだという話です。
しかし、技術は勝利しまして、名詞と動詞の区別も出来るようになったコンピュータは、とうとう人間様の方が多少言い間違えても、正しい文章を作ってくれる段階に到達しました。ですから、どんなに簡単な漢字が書けなくても、読めさえすれば機械が見事な漢字仮名混じり文にしてくれるのです。
それは丁度、昔の殿様が、「祐筆の○○をこれへ。」と呼びつけて、「ははあ、○○ただ今参上仕(つかまつ)りまして御座います。」「ふむ、△△に書状じゃ、文面はこうじゃ。……出来たか?」「ははあ、これに」という場面が、机の上で再現されるという事です。
■ですから、御主人様が読めない漢字だけは、どれ程優れたコンピュータでも書けないのです。「入力」→「演算」→「出力」という段取りだけは守らないと駄目なのです。膨大な漢字の読みを記憶するのを助けるのが「振り仮名」です。これを撲滅しようとした戦後の一勢力は、ワープロの出現で息の根を止められたのですが、御役人達は、過去の決定と通達を変更するのが大嫌いなので、「あれは間違いでした。これから振り仮名を大いに活用するようにしましょう。」とは言いません。阿辻先生は続けてこう書いていますよ。
どれほどコンピューターが進歩しても、文章の読み書きが国語力の基本であることは絶対にかわらないし、そのための基本教育がおろそかにされることは決して許されない。
ただ、手書きの時代には大きな労力を必要とした複雑な漢字が、今は機械によって簡単に書け、きれいに印刷までできるようになったことに対しても、客観的事実としてはっきりと目をむける必要があろう。
■この提案は朝日新聞の一般読者に向けて述べられているのではありません。地方代表を三人にしろ、いや二人で充分だろう、などと馬鹿馬鹿しい内輪揉めを続けている中央教育審議会の30人、それに中山文部科学大臣様、その下に従っている文部官僚の皆様方に対して注文しているのです。特に、中央教育審議会の「初等中等教育分科会」の「教育課程部会」と「教員養成部会」に所属する皆様は、こうした意見を真面目に聞かないと、またしても半世紀の大間違いを仕出かしてしまいますよ。「阿辻先生の提案には続きが有ります。
かならず手書きで書けなければならない一群の基本的な漢字群と、正しい読み方と使い方を把握さえできていれば必ずしも手で正確に書けなくてもよい漢字群、というように、漢字全体を二層の構造にわけてもいいのではないだろうか。
日常的にワープロと手書きのメモを併用している人ならば、何を今更、と腹が立つほど当たり前の提案です。況(ま)して、携帯電話を辞書代わりに使いこなしている若者達を見れば、ワープロ技術が出現した段階で、この意見が出て来なかった事の方が不思議なのです。そして、総ての「当用漢字」1850字を正確に読めて書けるように指導せよ、と昭和21年11月16日の内閣告示が出た瞬間から今まで、この字数が最高値と勘違いされてしまい、人情として五割か六割も書ければ穏当だろう、という空気が全国の学校に充満したのです。昨年も、「ゆとり教育」が吊るし上げられた際に、文部省が示す指導要領は「最低限」を示すのだ、という学校関係者にとっては寝耳に水、驚天動地の裏切り発言が有りました。
■思い出して頂きたい!小学校時代、漢字テストで満点を取れずに悔し涙を流した思い出がお有りか?泣いていた同級生が居たか?上限を定めると平均点付近に人数が塊(かたま)って、下限は際限も無く下降して行くのです。ですから、仮に1981年に「常用漢字」を定める時に5000文字としておけば、半分覚えても2500文字となったはずなのです。これだけの負荷を掛けられた生徒は、最近の調査で明らかなように、「家庭学習時間無し 四割」などという事態にもならず、週に四時間の国語授業などいう先進国中で最低の言語教育しかしていない状況も生まれなかったに違いないのです。
小学生が最も努力しなければならないのは、「総合的な学習」でも「生きる力を身に付ける」ことでもありません。只管(ひたすら)文字を覚えることです。数字を含めて、社会を支えている知の基本要素である文字の扱い方に習熟すること、この一事に尽きます。そこで必要となるのが、『声に出して読みたい日本語』などという不埒な駄本ではなく、分厚くて振り仮名だらけの教科書なのです。 声を揃えた音読と、授業で扱い切れない「名文」の自主的な黙読、これが漢字の読み能力を養います。書く能力にこそ授業と宿題は重点を置いて、筆記用具の吟味と習字の復活が必要となるのです。
マスコミが「学力低下」と書き散らしていますが、「日本語劣化」と書くべきなのです。それは戦後六十年の負債です。間も無く1000兆円になる国債残高よりも、もしかすると、こちらの負債の方が将来の日本に重く圧(の)し掛かる可能性が有ります。阿辻先生の文章の最後を全文引用しましょう。
コンピューターで文章を書くのが普通の行為になった時代に、二十数年前に定められた漢字の規格が示す「常用漢字」が、大きくゆらぎはじめてきたのは当然である。そして文化審議会国語分科会が常用漢字に対する見直しを提起した背景にも、もちろん漢字をめぐるそんな時代の変化があったのはまちがいない。
文字は文化の根幹に位置するものである。文化審議会の提起をきっかけに、私たちを取り巻く文字環境がより便利で合理的なものになるように、各方面の積極的な努力を期待したいものだ。〈完〉
■ここに出て来る「文化審議会国語分科会」が提起した報告書の内容は、以下の通りです。
常用漢字は「生活における漢字使用の目安」として1981年に制定された1945字(大日本帝国の降伏年号と同じ数というのが気になります)、印刷用の活字を想定した字体と音訓を規定したものです。
法令や公式文書は総てこの規定に従って印刷され、何よりも学校教育の現場では単なる「目安」という範囲を越えて権威となって行きました。ところが、ワープロの出現で通産省が管轄する日本工業規格(JIS)の方では、独自に第一水準漢字と第二水準漢字とを定めてしまいまして、これが6355文字で文部省管轄の「常用漢字」を陳腐化してしまいます。
漢字の数ばかりか、使用法まで規定したはずの「常用漢字」の枠外に置かれたはずの「育(はぐく)む」「応(こた)える」「関わ(かか)る」などの伝統的な用法が復活し、元々その範囲に入れていなかった人名・地名の漢字もワープロは楽々と表示する能力を持ってしまいましたから、追放したはずの「國(国)」「澤(沢)」「邊(辺)」なども続々と復活して来ました。
米国が持ち込んだタイプライターをイメージして突き進んで来た漢字政策ですから、人名は英米流に直筆「サイン」で処理しようと誰かが考えて辻褄(つじつま)を合わせたのでしょう。しかし、その英米でも既に、電気タイプライターさえも姿を消してしまっていたのですから、その大前提が完全に崩壊していたのです。
『2001年宇宙の旅』で有名なアーサー・C・クラークのエッセイの中にも「物置の何処かに放り込んである、あの忌々(いまいま)しい電気タイプライターをもう一度使うような時代になったら、私は作家を辞めるか自殺する」と書いていました。
それなのに、昔の法律を墨守(ぼくしゅ)する姿勢を変えない人々が日本の政府内と教育界にいたのです。佐藤栄作総理大臣が、自分の名前の「藤」が除外されて激怒した話は有名ですが、大阪の「阪」も岡山の「岡」も含めない「常用漢字」というのは何だったのか、後代の歴史研究家が解明してくれるでしょう。
■漢字という文字は、実に扱い難い文字であるのは間違いないのですが、文化の蓄積が千年以上も続いている以上、これを受け継いで行くしかないのです。ところが、千年以上も付き合っているこの漢字に関して、日本人は熟知しているとはとても思えない現実が有ります。まあ、本家?の中国でも、日本の真似をして「簡体字」を考案して一時は日本側も度肝を抜かれたのですが、実はこれが大失敗で、字体の簡略化は途中で取り止めとなっているのです。
世界に冠たる書道文化が壊滅する、古典との言語上の継続性が断絶する、反対理由は様々ですが、要は、識字率が低いのは漢字の画数が多いからだ、という判断が間違っていたという事なのです。
チャイナの識字率が低いのは、三年と空けずに暴動と戦乱が繰り返されて庶民が生き残るので精一杯だった歴史と、科挙制度と門閥(もんばつ)が結び付いて知識の独占体制が長く続いた事が原因です。従って、国内が長期間安定して、初等教育に税金が投入されれば、識字率は急速に上がって行くだけの話なのです。
まあ、地方に還流される教育予算が、砂漠の川の水のように、途中で消えて無くなってなかなか初等教育のインフラが整わないのは、変わらぬ御国柄なのでしょうが、識字率を上げる為の簡体字政策は、二度と採用されることはないのです。
■実は、日本も同じ間違いを犯しているのです。更に悪いことには、その間違いに気付いている人が非常に少ないのです。その間違いというのは、「画数の少ない漢字は覚え易く、多いのは覚え難い」という思い込みです。ソニーを創建した井深大という人が、晩年は幼児教育に熱心に取り組みまして、『幼稚園では遅すぎる』という本を書いてベスト・セラーになったことがあります。
そして、『機械が先生に勝った』という本も書きました。これは、自分が考案した学習機械を幼稚園に持ち込んで、外人教師と英語教育を競い合う話が中心なのですが、勿論、結果は機械が勝って目出度し目出度しという自慢話と宣伝が目的の本でした。
絵付きの磁気カードをスリットに通すとスピーカーから英単語の正しい発音が聴こえて来るという単純な機械です。米国で英語を学んでいた頃に、ベトナム難民の学友達が図書館に設置されていたこの機械を奪い合って利用していた風景を思い出しますなあ。でも、日本の市場では定着せず、機械より生の外人(質を問わず)が大好きな日本人は「駅前留学」の方を好みますようで、井深さんは草葉の陰で泣いているでしょう。
そんな本なのですが、『機械が先生に勝った』に注目すべきエピソードが紹介されていました。井深さんのお孫さんが、漢字に興味を持ったので、お爺さんの井深さんが面白がって研究者らしく、孫の認識能力を検査するのです。すると、「九」という字と「鳩」という字では、幼児は「鳩」を先に覚えるという体験をしたそうです。井深さんの解釈では、「鳩」は画数が多くて一見すると覚え難そうに思えるが、幼児の目には安定性の高い絵のように見えるらしい。一方の二画の「九」は、バランスが取り難くて覚えるが大変らしいのです。考えて見れば、たった二本の線ですが、何処で曲がって何処で止まるのかを見極めるのは大変で、大人でも形の良い「九」を書くのに苦労しているのではないでしょうか。
画数と覚え易さは関係無いという結論になりそうです。しかし、今でも小学校一年生から六年生までに習う漢字の学年別一覧表を見ると、見事に画数が順に増えて行くように並んでいます。もっと恐ろしいのは、一年生でカタカナの書き取りに重点が置かれていないのです。カタカナは漢字の部品ですから、カタカナを書くという事は、既に漢字の一部を書いている事になるのです。付言すれば、平仮名というのは、書道の中でも最も高度な草書体から生まれたのです。「楷書は何とか筆で書けるけれど、行書や草書となると、勘弁して貰いたいなあ。」と戦後教育を受けた我々の圧倒多数は言いますが、実は、平仮名は万葉仮名から選ばれた漢字の草書体です。
ということは、小学校一年生で「漢字の草書体」をいきなり習い、漢字の部品は扱わないまま、画数の少ない漢字を順に覚えて行く事になります。こうして見ると、何だかめちゃくちゃな教え方をしているのが分かるでしょう。
■漢字、漢字と何度も書いていますが、今「漢字」と読んでいるのは総て新字体に変えられた漢字の成れの果ての文字です。この新字体決定が、前述の中国簡体字運動に直結しているのです。既に絶版になって久しい、藤堂明保先生の『漢語と日本語』(秀英出版)という本が有ります。その第三章が「日本の漢字問題」です。そしてその第十一節は、「漢字教育の問題点」となっています。重要な所を抜粋します。(本当は捨てる箇所が無いんですが)
昭和二十四年四月二十八日官報の『当用漢字字体表・使用上の注意事項』に、次のように書いてある。
この表の字体は、これを筆写(かい書)の標準とするさいには、点画の長短・方向・曲直・つけるかはなすか、とめるかはねる又ははらう等について、必ずしも拘束しないものがある。そのおもな例は、次のとおりである。……
つまり、これらの細かい点については、べつに教科書活字の形を墨守する必要はないはずであった。ところが、教科書の力というものはおそろしい。いつのまにか、その字体が絶対の権威であるような錯覚を与えて、少しでもそれに合わないものは、×をつける風潮を生じてしまった。
昭和二十四年に公布された新字体が、もう少し旧来の慣習に気を配っていたなら、今日のような混乱を起こさずにすんだはずである。ところが、不幸にして、新旧死体は次のようなズレを含んでいた。
「木」のタテ棒は旧字体でははねていたのに、信じたいではとめている。「言」の上部は旧字体ではヽ印で示したのに、新事態では短い横線で示すようになった。「分」の上部は、旧字体でくっつけていた所を、信じたいではハと離して書くようになった。「雨」や「風」においても、こまかい違いがある。とくに「歩」「毎」などの新字体はまことにコッケイですらある。〉
学校での漢字の指導という営みの奥深さと恐ろしさがお分かりになると思いますが、いかがでしょうか。子供の頃に、重箱の隅を突(つつ)き回すようにして赤ペンで添削されたり、バツを付けられた経験の無い人はいないでしょう。しかし、その裏側では、こうした碩学(せきがく)から鋭い批判が浴びせられていたのでした。この本は昭和43年に初版が出て、昭和53年までに8回も版を重ねた本です。「甲骨文字」から膨大な漢籍の変遷、日本の万葉仮名から仮名文化の歴史、書道の基本的な心得、漢字を指導したり何らかの基準を定める者ならば、当然通じていなければならない課題ばかりです。文字の教育は生徒の年齢が下がるほど、重要度は上がって行く性質を持っています。小学校の低学年で、低劣な素質しか持ち合わせない教師にぶつかったら最後です。
■都内の某有名私立高校での話ですが、毎年教員用に用意している図書費が余って余って困っているそうです。年々薄くなる教科書ですが、その教科書と「赤本」と呼ばれる指導書(アンチョコ)以外は読まない教師が、命を削るような努力をしてやっと合格出来る難関校で教鞭を取っているのです。遥か上から降って来る「お上の声」に従って、読書週間だの朝の読書指導だのをしたり顔でしながら、自分では碌(ろく)な読書のしていない教師の群の中で、日本語はますます傷(いた)んで行くのでしょうなあ。
蛇足ですが、最近の朝日新聞紙上で、社会面では正しく「水を差す」と「冷水」を使っているのに、経済面や政治面では平気で「冷や水を浴びせる」と書いているのはいかがなものでしょうか?