旅限無(りょげむ)

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教育基本法改正の年 其の弐

2006-12-28 14:55:32 | 教育
■今回の「イジメ」や「未履修」は、文科省が作り出した制度や通達が、現場の実情をまったく無視していたことから起こった問題です。従って「教育問題」を報道機関が取り扱う場合には、「心」や「家族」などの極めて個人的な事項を大きく取り扱うのは感心しませんなあ。行政は法律を根拠にして制度を定めて権力を行使するものなのですから、国家の主権を持っている国民としましては、「法律」と「制度」を常に監視しなければならないのです。主権在民を保障する役割を辞任するジャーナリズムは、行政・司法・立法の三権が何をやろうとしているのか、十分な情報を国民に提供しなければなりません。

■こう考えて来ますと、吊るし上げの対象を特定し易く「絵になる」取材も簡単な校長先生イジメを熱心に報道するよりも、もっと大きな精力を傾けて「法律」と「制度」の変化と実態を説明しなければならない事になります。勿論、新しい「法律」をじっくりと解説しようと思っても、肝腎の有権者(視聴者)が、「ああ、面倒臭い!もっと面白い番組は無いかなあ?」とチャンネルを変えて逃げてしまうという現実が有るでしょう。でも、万一の一大事が起こった時に、国民全部が「エッ?知らなかったぞ!」と後悔することの無いように、心有る視聴者のために多少面倒臭い話になろうとも、十分な情報を提供する番組を作り続けて貰わないと、大変な事になってしまいます。

■昔は「大本営発表」という典型的なヤラセと情報操作の歴史が有りましたが、今は、面白ければヤラセでもガセネタでも構わない、そんな気分が強まっているような気がしますなあ。長々と前置きを書いてしまいました。ここからが本題です。すべての大手新聞社が12月16日の朝刊に『教育基本法』の全文を掲載したはずですが、これを熟読した「有権者」が何人居たでしょう?それが心配なので、『旅限無』はしつこく読み込んでみたいと思うのです。将来、平成18年を振り替える時、この法律改正が大きな意味を持つような予感がするからでもあるのですが……。


1889年2月11日、『大日本帝国憲法』制定。
1890年10月30日、『教育勅語』発布。

■「憲法」が先で「教育勅語」が後!この順番を忘れては行けませんぞ。では、史上初の敗戦を経験した後の日本はどうだったのでしょう?


1946年、「教育刷新委員会」設置。『日本国憲法』公布。
1947年、『教育基本法』施行。
1948年、『教育勅語』の「排除」「失効」を衆参両院で決議。
1956年、「臨時教育制度審議会設置法案」が廃案。
1958年、『学習指導要領』改訂で、「手引き」が国家基準に。
1977年、『学習指導要領』改訂で、「君が代」を国家と明記。
1984年、「臨時教育審議会」発足。
1989年、『学習指導要領』改訂で、日の丸掲揚・国家斉唱義務化。

■敗戦の翌年、当時の田中耕太郎文部相が「教育基本法の制定を考慮」と発言したのは、新憲法公布の前!どうしてでしょう?その理由を知るには、米軍による占領政策の歴史を紐解かねばなりませんから、今回は割愛します。でも、今もアノ戦争に関する研究は続けられていること、そして、ソ連が崩壊して初めて発見された重要な書類が大きな意味を持って歴史を書き換えた事などは、決して忘れては行けません。それはさて置き、ここでも『憲法』が先で『基本法』が後に決っている点を忘れないようにしましょう。

■日本が独立を回復したのは1951年のことでした。内容がどうであれ、その時に「憲法」を改訂するのが国家として行なうべき当然のの仕事だったはずなのです。「平和憲法」を本気で大切にするのなら、「世界平和を実現する使命」を自らが宣言するのも良かったでしょうし、「核兵器の廃絶」を国家の目標としても良かったはずです。しかし、敗戦後の占領状態、その混乱の中で英文から「翻訳」された憲法が不磨の大典となってしまいました。右から左まで、正に幕の内弁当のような人材が寄り集まった自由・民主・党というキメラみたいな政党が、内部抗争を続けながら政権与党であり続けるためには、「憲法」を変える!変えない!という実に無責任で空疎な議論が偶に湧き出しては、直ぐに消えて行ったものでした。

■そこで官僚達は優秀な頭脳で考えたのでしょう。『学習指導要領』というちっぽけな「手引書」を限り無く「法律」に近付け、教育現場を完全に支配した上で『教育基本法』を改訂した後なら、『憲法』の改正もなし崩しに実行できるぞ!と。憲法草案が煙幕のように発表されたかと思ったら舞台から消え、本当の主役は『教育基本法改正案』だったと気が付いた時には、「教育問題」が見事に「イジメ問題」「未履修問題」「教育委員会問題」に解体されて、「絵になる」人物が順番にテレビ画面に登場しては、恥を晒して消えて行きましたなあ。
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