旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

「憲法第九条」異説と妄想 その2

2005-03-31 12:10:50 | 政治
その1の続き。

■拉致犯罪一つに関しても、最後は「九条」問題に引き込まれて、結論を言わない「慎重な対応」という魔法の言葉で商売が成り立つ気楽なテレビや新聞の業界人が、議論を滅茶苦茶にしてしまいます。視聴率商売と支持率商売の手前、「被害者家族は、全面解決など諦めなさい」「国民の総意として見棄てましょう」とは口が裂けても言えないのでしょうが、それ以外の意味は汲み取れない言い回しが横行してしまいますなあ。
 そこで、政治家もマスコミ人も学者も参加する分かり易い選挙を実施したらどうかと妄想します。

 題して『第三被曝(爆)都市宣言』選挙です。日本国内を旅すると『非核都市宣言』などという意味不明の看板が立っている風景に出っくわして、暫く意味を考えて佇(たたず)んでしまいます。これは、日本の核武装を断固として拒否する、つまり、万一国会で核武装が議決された場合には、手持ちの道具を武器として(馬具を外して振り回す沖縄のヌンチャクのように)内戦覚悟で抵抗する、という意味なのか?それとも、原子力発電の電気は、1ワットも要らない!薪とランプで暮らしています!という意味なのか?さっぱり分からないまま、風雨に晒されて塗り替えが必要なのに、何故か放置されているような大きな看板を後にするようなことがしばしばなのです。
 『第三被曝都市宣言』は、もっと単純で分かり易い宣言です。舞台となる選挙区は京都市が最適だと思います。それには明確な理由と根拠が有ります。ここを選挙区として長らく政治活動をしていた大御所が、保守・革新の両派にいらっしゃるからなのです。何故か、お二人とも朝鮮民主主義人民共和国にただならぬ思い入れが有るかのように、漏れ伺(うかが)っていることも理由になります。平和国家日本の為に最後の御奉公になりますし、万一当選して目出度く京都市が「第3被曝都市宣言」が成立すれば、二人の大御所のどちらが当選しようと、感涙に咽(むせ)んで、大向こうを唸らせる一世一代の珍妙なる歴史的演説をして下さるに違いありません。

■世界中の国々の「公正と信義に信頼して」第九条を厳守して絶対平和主義を貫くなら、非武装・無抵抗の都市に核ミサイルが打ち込まれるような場合には、人類に対する絶望のどん底で、第九条の美しさと価値を抱きしめて死ぬしかないでしょう?
 ですから、「第九条に指一本触れさせない」と頑張っている有名な方に、京都の市長選挙に立候補して頂きまして、
「戦争を放棄している日本に対して、不法にも核攻撃が加えられるならば、もう人類に絶望するしかありません。そんな地球に生きていても仕方がありません。わたくしが当選した暁(あかつき)には、広島・長崎に続く三番目の核を自らが引き受ける名誉ある地位を、私達の京都市が担うことを宣言いたします。どうか、皆さん、その時はわたくしと一緒に九条を守って殺されましょう。」
と、出馬宣言をして頂きまして、これまで奥歯に物をたっぷり挟み込んで言論商売していたような人々は、旗幟(きし)を明確にして、応援演説に駆けつけるか、反対陣営に加勢して批判を加えるかして貰えば、「本音はそこにあったのか!」と国民は、これまでのモヤモヤした気分がすっかり晴れて、『憲法』議論も本格化するでしょう。事ここに到っても、「他力本願」「責任回避」「敵前逃亡」「夢見る中年」「老醜の極み」の宙ぶらりんのオダイモクでお茶を濁すようならば、これまで書き散らした本や新聞記事、テレビ局に残っているビデオ・テープを山にして火を放ち、どこぞの山奥で謹慎の老後を過ごすべきでしょう。
 今のところ、戦力に勝(まさ)る「外交交渉力」を誇示し得る政治家や官僚は見当たりません。もしも、「外交交渉」で核攻撃を阻止できるような、卓越した能力を持っている方が一人でもいらっしゃれば、拉致問題などという単純で小さな問題など、あっと言う間に解決してしまうはずですからなあ。

案外、この宣言が本当に出そうになったら、一番過敏に反応するのが世界唯一の「原爆投下国」だったりするかも知れませんなあ。「九条」を書いた張本人が慌てるのなら、遠慮は要りません、その意味を、徹底的に議論してから、守るか変えるかを考えるべきです。

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五劫の切れ端(ごこうのきれはし) 3/29開設。仏教の支流と源流のつまみ食い
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「憲法第九条」異説と妄想 その1

2005-03-30 12:23:57 | 政治
▲気に入らない相手には、「非平和的方法」や「必要な措置」をとる、という法律を成立させ、185個の核弾頭と20基のICBM(大陸間弾道ミサイル)、合計100基のIRBM(中距離弾道ミサイル)とMRBM(準中距離弾道ミサイル)、12基のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を保有し、台湾に向けては700基(2914年には1200基の予想)の弾道ミサイルを並べている中華人民共和国。

▲18000個の核弾頭、776基のICBM(大陸間弾道ミサイル)、174機の戦略長距離爆撃機、324基のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を保有しているロシア。

▲拉致に麻薬に不審船、偽札に密輸に強制集金、2個か4個の核弾頭と150基の射程500km のノドン型の中距離ミサイル、基数不明の射程 3000km のテポドン型の長距離ミサイルを整備している朝鮮民主主義人民共和国。

▲米国の新聞博物館が、全米のジャーナリストを対象に「二十世紀最大の事件」のアンケートを実施。第一位に輝いたのは「原爆投下」で二位の「人類、月面着陸」に続く第三位は「真珠湾攻撃」

 こうした物騒な隣近所に囲まれた日の本で、やっと『憲法』に触ろうかなあ?という気運が少しだけ出て来ました。

「……日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を確認する……」

■もしも、「平和を愛さない諸国民」がいたらどうする?「安全と生存を保持」させてくれるはずの「諸国民の公正と信義」が得られなかったらどうする?「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去」する仕事に協力しないで「名誉ある地位」を占める方法など有るのか?「恐怖と欠乏」に苦しんでいる諸国民をこれまでに見つけた事は無いのか?万一見つけたらどうする?


第13条 ……生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第二項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の工場及び増進に努めなければならない。


■おそらく、この条項には隠れた補足が存在している。
「万一、国内の海岸乃至は勤務先のラーメン屋で、某国に拉致された国民に関しては、例外とする」
「万一、海外の旅行先乃至は在外公館のパーティ会場で、拉致及びテロに遭遇した場合は、諦めが肝腎である」
などの、各種例外事項が有るはずである。

そして、きっとこうした「秘密の補則」はどんどん拡大解釈されて『憲法』体系を内部から空洞化させてしまっているのではなかろうか?例えば、「有毒物質が混入した水や魚介類、油や粉ミルクを摂取して発病した場合、自己責任を言い立てて見棄てること」
 「通勤・通学電車の車内で、凶悪な狂人集団が撒いた毒ガスを吸入した場合、見棄てること」
 「巨大地震や暴風雨で被災した国民は、見棄てること」
 「冷酷な薬品会社が各種悪性ウィルスを医薬品に混入させる事件を起こした場合、被害者は見捨てること」等等。
 従って、『憲法』を改正する場合には、こうした国民に知らしめない秘密事項は、漏れなく記載して頂かなければならないが、各政党が明らかにした及び腰の草案には、これらに関連した言及は一切見当たらないのは如何なものか?。

■そして、『憲法』と言えば「九条」が必ず問題となりまして、議論は高速で空転を始めて、討議・討論・質疑・答弁・説得・反論・反証・論破・抗弁などという高度な「言葉の営み」は一切行われず、
「信仰告白」「頑固一徹」「回顧談義」「自由放言」「自己陶酔」「空理空論」「幻視幻想」「自家撞着」「論理破綻」「混乱矛盾」「結論先取り」「堂々巡り」の時間潰しが続くばかりで、そろそろ飽きてきた頃合いを見計らって、
「落涙絶叫」「ヤジ怒号」「物体飛行」「負傷者続出」「一斉退場」「審議拒否」の一連の儀式が挙行されまして、
「党議拘束」「一致団結」「初心貫徹」の表明があって、
「国対政治」「料亭密談」「電話交渉」「官僚の御説明」「トップ会談」「深夜の妥結」と進みまして、
「政治的判断」「総合的判断」「大所高所」「大同小異」の調整が済むと、
「苦渋の決断」「断腸の思い」「国を思う心」が強調されて、毎度お馴染みの「今回は見送り」となるに決っておるのですが、その間はマスコミは飯の種を得られるし、議員は地元で自慢する武勇伝を仕入れます。


第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


■従って、軍隊ではない海上保安庁の巡視船が、「国権の発動たる戦争」ではなく、自衛と領土防衛の目的で、不審船を銃撃するのは合憲でありますし、外交機密費を「正しく使って」諜報活動に努めて、某国内に拉致拘束されている国民の所在を特定して、専門救出部隊の動きと連動しながら、外交交渉を開始して、万が一、決裂してしまったら、間髪入れずに救出作戦を敢行するのも合憲ですし、『憲法』が命じている国政の義務でもあります。
 四半世紀も国民が拉致されていたのに気が付きませんでした、と馬鹿面下げて国連に相談するなど、正気の沙汰ではございません。良く出来たジョークだと大受けしなかったのは、多年のODAと個人レベルとボランティアの援助活動の賜物でしょう。

その2に続く…。

新ブログ『五劫の切れ端』開設の口上

2005-03-29 00:14:15 | お知らせ
新しいブログ『五劫の切れ端』を開設しました。ちょいと宣伝いたします。

このブログは本店の『旅限無(リョゲム)』から暖簾(のれん)分けして独立した、仏教関連の拙文をご披露するブログでございます。名前を付けるのにも、多少は知恵を絞りました。
 正直に申しまして、落語の『寿限無』という小話は、いかに日本が仏教国ではないかを証明するような作品でございまして、将来、我が子や生徒に善き仏教徒になって欲しいと切に願っておられる向きには、「声に出して」読ませて覚えさせる、というような悪趣味な子供弄(いじ)りは早々に御止め頂きたいと存じます。「寿限無」は阿弥陀さまの有り難い功徳を説いた『無量寿経』という御経からそのまま抜き取った文句ですが、「五劫の摺り切れ」には随分問題がございます。


「三千年に一度、天から天女が下りて来て大きな巌(いわお)を袖で一撫(ひとな)でする。その巌が撫でられて摺り減り切って無くなるのが一劫。五劫ともなると、それはもう気の遠くなるような年月だ」
「はー、そりゃすごい。何より天女ってのがいいね。他には?」


代表的な小話『寿限無』は、こんな風に語られるようですが、「五劫の摺り切れず」という否定形で語る場合も有るようです。落語ですから、これで大笑いして、憂さを晴らして明日の英気を養うのは結構なことでございますが、今は、「字を知ってるのは江戸っ子の恥!」などと言っていられる御時勢ではございません。
 ましてや、オウム真理教の毒ガス・テロからまだ十年しか経っていないのでございます。仏教の基本ぐらいは、きちんと頭に入れて置かないと、青春の彷徨(ほうこう)の最中に、どんな詐欺に引っ掛かかって重大犯罪の犯人になってしまう可能性も有る世の中ですので、愛する古典落語に無粋な講釈を加えます。

■ここに登場する……長久命の長助君の父親は立派です。今でも仏教国としての習慣を守っているチベットでは、子供が生まれると必ず御寺に行って、御坊様に命名して頂きます。まあ、だからチベット人やモンゴル人の名前は似たような物が多いのですが、キリスト教の『聖書』から名前を引っ張る欧米諸国も似たり寄ったりでございますから、目鯨(めくじら)立てて怒るような事ではございません。それよりも、読み難い上に訳の分からない当て字を組み合わせて、アニメ漫画にでも出て来そうな名前を我が子に付ける、日本の今時のママやパパの方がずっと心配です。
 この父ちゃんの偉さに対して、このお坊さんが行けません。仏教がインドから中央アジアを経由する間に、ヒンズーの女神とキリスト教系の「天使」のイメージが混ざり合って「飛天」という飛行物体?が想像されまして、これがチャイナの妖怪染みた「天女」と「羽衣(はごろも)」話を吸い込んで日本に伝わったので、何が何やら分からない事になってしまいました。
「天女」はチャイナの神仙思想(道教)とヒンズー系の密教が混ざり合って、仏教寺院の彫刻になったようなのですが、春は霞(かすみ)の日本では、白砂青松の風景の中に、薄絹を羽織った美しい乙女が青い空からふわふわと降り立って、松ノ木に羽衣を掛けて水浴びをするイメージが出来上がったようでございます。ですから、「天女」と仏教との間には直接は何の関係もございません。
このような面倒臭い講釈がずらずらと並ぶブログですが、お暇な時に覗いて見て下さい。

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『ローレライ』

2005-03-28 09:03:24 | 映画

■地方都市の小さめの映画館で鑑賞しましたが、立体音響の効果を堪能しました。
原作と映画が採用した歴史的な背景と事実の幾つかを列挙してみましょう。

○インド洋を経由した同盟関係に有った日独間の連絡作戦は、たびたび実施されていた。
○欧州で敗北が明らかとなったナチス・ドイツが、使い残した最先端技術を日本に供与した。
○「一億火の玉、総玉砕」の国民洗脳教育を信じて散った命を犬死にしない為に、終戦工作の中で大小のクーデター騒動が有った。
○一足先に降伏したドイツ潜水艦6隻が日本支配領域内で接収され、伊501~506として使用された。
○太平洋を舞台とする総力戦を想定していなかった大日本帝国海軍は、潜水艦の運用を誤り続けた。

要点はこれくらいで充分でしょう。「戦艦」と「巡洋艦」どころか、「戦艦」と「軍艦」の違いも分からなくても恥ずかしくない海洋国家になって久しい日本で、海を舞台にした戦争映画を製作するのは大変なことです。劇画の世界で、かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』という大作がちょっとした騒動を起こしたのも、思い出話になりました。

■歴史的な事実としては、日本の潜水艦建造技術はドイツよりも進んでいて、日本側から設計図や部品を渡していたようです。ドイツの宿敵は目と鼻の先の英国で、日本は馬鹿みたいに広い太平洋を挟んだ米国を相手にしたのです。ドイツの北海沿岸から出撃して、ブリテン島の西側に回りこんで、米国からやって来る輸送船を沈めるのと、瀬戸内海の基地を出港して北米大陸の東海岸を砲撃したり、最後は潜水艦から爆撃機を飛ばして、パナマ運河を空襲するなどという任務とは、比較のしようが有りません。 島国の日本は、一旦、「海外雄飛!」となりますと、トンデモナイ所まで出掛けて行きますなあ。

■さて、この映画の観方ですが、これはフジテレビと東宝の合作ですから、『踊る大捜査線』と『ゴジラ』が融合した娯楽作品だというのがポイントです。原作は終戦秘話の形を取った海軍物として書かれていますが、これは『ゴジラ』映画です。「円谷芸術」を堪能した世代にとっては、まだまだCGは児戯でしかございませんが、歴史上存在しなかった「イ507」は、内部で奮闘する生身の乗員とは無関係に、観客にとっては紛れもなく無敵の「ゴジラ」そのものです。急角度で浮上して来る姿は、海面を破って顔を出す「ゴジラ」と重なりますし、二回火を噴くニ連装の大砲も「ゴジラ」が吐き出す熱線と同じように見えます。実際に潜水艦が装備していた大砲は、いちいち担当兵が甲板に出て蓋を外して砲撃準備をして、潜行する前に慌てて蓋をするようになっていましたから、全ての操作が艦内から可能な「イ507」は、『海底軍艦』へのオマージュとも言えるでしょう。

■潜水艦という密室なので、画面の構成は変えようも無く、どのシーンにも既視感が伴うのは仕方が有りませんが、「ローレライ」システムの心臓部は、『エヴァンゲリオン』の汎用人型兵器の操縦席とそっくりで、体液が循環するパイプ類は『甲殻機動隊』を思い出させたりもしますから、「アニメ」作品と実写作品との間に明確な区別を求める人には、鑑賞姿勢が混乱する不快感を与えます。しかし、これは「ゴジラ」映画なので、全ては仮想現実の中での物語として楽しむべきでしょう。
モーツァアルトの子守唄は、欧州戦線で敵味方共に耳を傾けた『リリー・マルレーン』のような効果を上げますから、CGを目で楽しみ、海底に響く子守唄を耳で楽しめば、「木戸銭返せえ!」という気分にはなりません。

■しかし、もっと重いテーマを求める人もいるでしょうから、戦争の終わらせ方に関して、軍部と政府の要人が集まっている東京を第三の原爆で焼く尽くして、きちんと「落とし前」を付けておくべきではなかったか?という問い掛けに、何と答えるべきかを真剣に考えてみるのも良いでしょう。「特攻」という言い換えで、「自爆攻撃」を敢行した司令部に反抗したという理由で干されていた有能な潜水艦艦長が、「一人も死なせん」と宣言して始まる航海の中で、避けようも無く部下に「犬死」を命じる決断を迫られます。戦場とはそういう場所ですから、持って行き様の無い虚(むな)しさと怒りも感じられる作品になっています。歌にも有ったように、「勝って来るぞと勇ましく~」のつもりが、「丸太にして送り返す」のが戦争です。勲章入りの桐の空箱というのもございます。

■この作品は『ゴジラ』映画であると共に、『トラ!トラ!トラ!』の姉妹作品でもあります。米国側にもちゃんと監督が着いて、日米の映画作りの違いが画面にも現れて、敵と味方の対立関係が分かり易く表現されています。
個人的に難点を指摘すれば、最後の戦場に終結する米国海軍の布陣は現実離れした密集隊形で、まるで『三国志演義』の「赤壁の戦い」のようです。確かに同士討ちを避ける為にイ507の決死の砲撃を傍観せざるを得ないという設定は理解するにしても、「そんな馬鹿な」という感想を持ちました。ガダルカナル島の争奪戦の後、南洋の多島海は、大艦隊が展開できない不便な戦場となって、馬鹿馬鹿しい撃沈が続きました。狭い海峡には戦力を集中できないからです。
この映画を切っ掛けにして、「エッ!日本が昔、アメリカと戦争したの?マジ?マジ?それでどっちが勝ったの?」という名言を電車の中で吐いて、まさか、戦時中に米国を震え上がらせた撃墜王の坂井三郎(大空の侍)さんが、隣で呆然としていたことにも気付かなかったという、嘘のような本当の話が有るそうで、石原新太郎さんがすっかり持ちネタにしています。そんな若者の数が、一人でも減ってくれることを切に祈って映画館を出たのでした。


第二次大戦時の日本軍潜水艦を発見 オアフ島沖
2005.03.21- CNN/AP
ホノルル──米ハワイの研究チームがオアフ島沖で17日、第二次世界大戦中の旧日本軍の潜水艦を発見したと発表した。当時の世界最大だった潜水艦「伊401」の状態は良好で、司令塔に描かれた「イ401」という文字もはっきりと見え、高射砲もほぼ完全な形で残っているという。
「伊401」」をオアフ島沖水深820メートルの海底発見したのは、ハワイ大学の海洋調査研究所(HURL)の潜水チーム。伊401は、全長約122メートル、高さ約12メートルの大型戦艦で、乗員144人が乗船可能。1960年代に原子力潜水艦が登場するまで、最大の潜水艦だった。

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黒澤映画の復習と予習 その9

2005-03-28 00:35:11 | 映画
1954年 『七人の侍』公開。

■ハリウッドで、大ヒットした『荒野の七人』と、ぜんぜんヒットしなかったSF映画『宇宙の七人』にリメイクされた、何を今更、と言われそうな黒澤映画の代表作です。以前、日本の映画関係者が実施した大規模なアンケート調査でも、これまでに公開された日本製の劇場映画ベスト10で、堂々の一位になったりもしました。
 誰も調べていないようですが、香港で量産され続けた功夫(カンフー)映画の中には、この作品の無断リメイクとしか思えない物が結構沢山あるように思えますし、細かい部分を捜してみれば、呆れ返るほどのオマージュが見つかるでしょう。去年もNHKの大河ドラマ『武蔵』の盗作騒ぎがあったばかりです。黒澤監督も錦之助も、草場の陰で泣いているのやら、苦笑しているのやらは分かりませんが、つい引用したくなる名シーンの宝庫である事は確かでしょうな。
 一度観ただけで、すっかり惚れ込んだユル・ブリンナーが、きちんとした契約を結んでリメイクした気分も良く分かります。実は、彼は西部劇に出演した経験が無かったのに、初めから自分が主演、つまり軍師・勘兵衛役を演じる心算で契約を結んでいます。張り切って撮影が始まったら、準主役のスティーブ・マックィーンの特訓に耐え切れずに制作を断念しようとした事があったそうですな。
 本当は泣きっ面で演じていたんだ、と思いながら、黒尽くめの服を着たスキン・ヘッドのクリスの勇姿を楽しむのも一興です。晩年に、日本製写真フィルムのCMで両手を叩いて、抜き打ちの速さを試すシーンを引用してファンを楽しませてくれました。若しかしたら、あれもマックィーンの特訓の中にあったのかも知れませんなあ。
 日米作品を比較すると、「専守防衛」と「全面対決」との戦略の違いが目立ちます。『七人の侍』では、七人全員の生涯とその背景を詳細に書き込んだノートが一冊ずつ用意され、主要な農民のキャラクターもきちんと書き込まれたシナリオが完成していたのに対して、襲い来る「野伏せり」集団のメンバーは顔も名前も性格もぜんぜん分かりません。一種の天災のように彼らは現れて襲って来るだけです。しかし、『荒野の七人』では一度観たら忘れられないイーライ・ウォラックが演じた盗賊の親玉が、主役を食ってしまう勢いでアップの連続でした。今、この作品を制作したら、断然、ゲイリー・オールドマンに白羽の矢が立つでしょうなあ。顔も良く似ていますし……。

■この娯楽大作の原案を手に入れる前に、黒澤監督は江戸時代の侍の一日を丹念に描く映画を構想していたのだそうです。ところが、当時の日本では、たった百数十年前の暮らしぶりがさっぱり分からなかったのです。芝居を元にした所謂(いわゆる)チャンバラ映画は、実は全部チョンマゲ姿の現代劇なのでして、そんな物を何百本観ても、歴史の勉強には役立たないのですなあ。案外、その点を誤解している人が多いようです。有名な話で、「カッパ絡(から)げて三度笠」が定番の渡世人スタイルも大ウソだというのがございますな。本当は筵(むしろ)を体に巻いて旅をしたのだそうで、次郎長ものから木枯らし紋次郎まで、絵になるヤクザ姿は撮影用のフィクションです。
 江戸時代の侍を描くには、食生活から四季折々の決まりごと、日常の立ち居振る舞いから、心理の動き、ちょっとした所作から話し方、それらが明確にならないと一つのカットも撮影できないのです。黒澤監督は膨大な文献を漁ったのですが、絵コンテも描けないしシナリオも書けなくて、本当に困ったようです。しかし、当時は、マルクス主義全盛で、日本の歴史を見てきたように分析してくれた本や大学講義が大流行していたのでした。あれは一体何だったのでしょうか?打倒すべき「封建制社会構造」の中身が、実はさっぱり分からなかったのです。

■困り果てている黒澤監督に、脚本家の橋本忍さんが、戦国時代に浪人を雇って夜盗と戦った村の伝説を見つけた話をして、空前のスケールで描くアクション大作のアイデアが固まったのだそうです。

カツ丼にビフテキを載せて、その上に蜂蜜とアイスクリームをぶっ掛けたような大御馳走みたいな、贅沢な娯楽作品にしてやろうと思った。

記憶が不正確で申し訳ありませんが、これに似たような事を監督ご自身がインタビューで応えていました。ですから、シナリオは緻密な上に豪華絢爛で、あらゆるテーマを鏤(ちりば)めながらも、一つのストーリーとしてまとまっている物でなければならなくなって、黒澤監督・橋本忍・小国英雄の三人は熱海の旅館に40日間籠もって神経を病みながら、シナリオを練り上げます。監督自身は、大量の睡眠薬と強い酒を飲み続けて、本当に病気になりかけてしまいました。

「映画はシナリオだ。」

と、事ある毎に語っていた黒澤監督ですから、シナリオを書きながら死んでも本望だと思っていたのかも知れませんが、薬と酒で命を落とした芸術家は多いので、まかり間違ってこの時に万一の事が起こっていたら、これ以降の傑作は生まれなかったのですから、恐ろしいことでございますなあ。

■撮影所の存続も危ぶまれた大規模な争議がやっと終って、古巣の東宝に戻って最初に制作した作品で、しかも初の時代劇でしたから、黒澤監督の興奮と緊張は頂点に達していたでしょう。
 1953年の5月27日に『七人の侍』はクランク・インして、1954年3月16日にクランク・アップしています。実働撮影日数148日間という記録的な日数を掛けて『七人の侍』は完成したのですが、途中で何度も制作中止の危機が起こり続けました。
 制作費2億1千万円、前半107分、休憩5分、後半95分という未曾有の長さで、『忠臣蔵』のような定番映画ではなく、名も無い浪人と農民の話ですから、会社側は、一体、何を撮っているんだ?と怒り出すのは当然でしょう。現場からは制作費の追加の要請と、骨折5人、怪我人続出などという知らせが入るのですから、「もう止めろ!」と言う会社の声も理解出来ます。現場からの苦情を抑え込みながら、会社側が中止命令を下すタイミングを見切って、豪雨の中の決戦シーン以外のシークエンスを丁寧に撮影し続ける戦術を取った黒澤監督でした。

■予定の撮影日数は終了し、制作費も使い切った時、黒澤監督が撮り上げていたのは、シナリオの三分の一だけという秘密がバレて、東宝の重役は激怒して、「撮影中断」を指令します。
 どうなることか、と心配した平八役の千秋実さんが黒澤監督を自宅に訪ねると、またしても「多摩川鯉釣り会」会長に戻った監督は、暢気に釣りをしていたそうです。


「資本家というものは、いったん出した金は、必ず回収するもんだ。まあ、釣りでもしてろ」

と言って泰然自若だったそうです。「とにかく、撮影済みのラッシュを見てから結論を出そう」という事になって、黒澤監督が呼び出されて試写会が催されまして、農民が浪人を探して村に連れて来る、臨戦態勢となって農民の訓練や村の要塞化が進みまして、平八・千秋実が作った「○○○○○○△た」の旗を菊千代・三船敏郎が茅葺(かやぶき)屋根のテッペンに突き立てて、「オヒャアア!来やがった。来やがったああい。」と変な叫び声を上げて、手に唾をペッと吐いて屋根を滑り下りる。……そこで、スクリーンは真っ白になって、カラカラとフィルム・リールが虚しく回転。試写室の照明が点いて、

「この先は?」
「これだけです」
「エッ、うーむ」


という事になって、最後の大乱闘の撮影続行が決定されたという次第ですが、黒澤監督の作戦の勝利のような面白い話になっているのは、少し違っているようです。
 どうやら、丹念に作った大セットは、豪雨と乱闘を撮影すれば、廃墟同然になるのは誰にでも分かっていたから、戦闘シーンは最後に撮影するとうプランが元々決められていたとうのが真相のようです。
以下、「黒澤映画の復習と予習 その10」にて、

黒澤映画の復習と予習 その8

2005-03-27 12:14:14 | 映画
1952年 『生きる』

■ヴェネチア映画祭グランプリ受賞で復活した黒澤監督が世に問うた作品です。そのテーマが「死」だったというのは、『羅生門』と『白痴』を評価しない日本という国の中で、何を考えていたのか、多摩川の鯉釣りに熱中して目的を「何も考えない」ためだと言っていた事からも、ぞっとするほど明らかではないでしょうか?
 余命数ヶ月と知った一人の男を凝視する作品は、最終的に「死ぬ為に善く生きる」ことを決意するに至ります。では、現実の社会の中に居る我々が、善く生きるにはどうしたら良いのか?
 この映画を始めて観た時、「こんな映画を日本中の人が観たら、国中から地方公務員志望者が激減して、地方自治体の行政サービスが機能不全を起こしてしまうに違いない」などと本気で心配したものでしたが、21世紀に入った日本の若者が最も就きたい職業は「公務員」なのだそうです。一体、どうしたことでしょう?
 まあ、『醜聞 スキャンダル』が封切られたからといって、週刊誌の芸能記者やテレビの芸能レポーターが絶滅するような現象も見られませんでしたから、映画には人生を根本的に変える力は無いのかも知れませんなあ。残念なことではございます。黒澤作品には『悪い奴ほどよく眠る』という国家権力の裏を抉(えぐ)る作品も有るので、社会問題に大して強烈なメッセージをフィルムに刻んでくれた事を忘れては行けませんぞ。

■脚本は黒澤明・橋本忍・小国英雄の黄金トリオです。映画の冒頭に一枚のレントゲン写真が出て来ます。乱暴に言ってしまえば、そこに映っている「胃袋」が映画の主人公です。この胃袋の持ち主が、胃袋に発生した癌細胞と競争しながら死んでいく数ヶ月の物語なのですから……。

■この作品は、映画が光と音の芸術なのだという事をしっかり教えてくれます。光では、「パン・フォーカス」撮影に注目です。
 1941年、監督・制作・脚本・主演オーソン・ウェルズの『市民ケーン』が最初に試みたのが最初ですが、焦点距離を極限まで伸ばして近景から遠景までにピントを合わせる「縦のパン」を手に入れるためには、カメラを絞りに絞るので、眼も眩(くら)むような照明装置が必要です。ですから、電気が有り余っているような国でなければ、とても使える手法ではないのです。『市民ケーン』の馬鹿でかいセットと無数の小道具を見れば、何でも余っている事は分かりますが、太平洋戦争を始める直前にこんな贅沢三昧映画を作っているのですからなあ。
 日本もやっと社会インフラが回復して来まして、この『生きる』で黒澤監督は念願の「パン・フォーカス」効果を、作品の要所要所に活かせるようになりました。
 音という点では、志村喬が「ゴンドラの歌」を黒澤監督の「この世のものとは思えない声」という注文通りの声で歌い、それを録音の矢野口文雄のマイクが見事に捉えました。志村喬さんは、晩年に肺気腫に苦しみましたが、全盛期には、日活映画で競演した大物歌手ディック・ミネ直々の推薦でレコード会社にスカウトされたほどの歌唱力をもっている人なのです。癌患者を演じる内に、本当に胃潰瘍になってしまった志村さんが、この世に残す最後の歌として『ゴンドラの歌』を唄いました。

■共演者の中で注目は、息子役の金子信雄さんでしょう。奥さんと同居中の父親が邪魔だと話しながら茶の間の電燈を点けると、その暗闇の中には癌を宣告されて絶望して正座している父がいた!という場面で、バツが悪そうな顔をして誤魔化す表情は、後の『仁義なき戦い』を中心にして極端な裏と表の顔を使い分けるヤクザの親分や議員の役に直結しているような気がします。
 それに負けずに重要なのが、日本映画界の至宝・伊藤雄之助さんです。謎の小説家で、市役所の市民課で無遅刻無欠勤で勤続三十年、妻に先立たれて二十年間、子育てを最優先に禁酒禁煙を続けていた志村さんを怪しげなネオン街に案内する重要な役でした。バーで一杯引っ掛けて、ダンス・ホールで大騒ぎしたら、ストリップ劇場で女性の裸体を堪能し、おネエちゃん達とキャバレーで「乾杯!」という楽しくも虚しい一夜をリアルに見せたのは伊藤雄之助の演技でした。
 このキャバレーは立派なスタジオ・セットだそうです。本職のおネエちゃん250人に自前の衣装持参で来て貰い、男はエキストラで同数の250人、本格的な生バンドと天井からはミラー・ボールがぶら下っていました。画面を見ているだけで悪酔いしそうな酒臭い熱気が見事に表現されました。名作映画というのは、大概、「臭い」を感じさせるものですなあ。

■志村喬さんが、生まれた初めて見つけた「生きがい」については書かない方が良いでしょう。
 黒澤映画の特徴である自然でリアルな集団シーンを二つ紹介しましょう。爆撃の後遺症なのか、急速な人口増加の影響なのか、スラム化した住宅地に汚濁した下水が溢れていて、お母ちゃん軍団が市役所に陳情に行きます。そこに待ち構えているのはお馴染みの「縦割り断層」と密林の中に埋もれている「担当部署」です。巧みなカット編集で、振り出しに戻る怒りの喜劇が楽しめます。
 そして、お通夜のシーンです!伊丹十三監督は『お葬式』で日本の家族を描きましたが、黒澤監督は死者を弔う席で「社会」を描き切ります。千秋実さんの悲憤慷慨、感涙にむせぶ故人への過剰な礼賛、そして、「僕はやるよ!明日からの僕を見てくれ!」の虚しい絶叫が素晴らしい!これに付和雷同する同僚の公務員、止めが冷水を浴びせる上役の「お役所言葉」が絶品ですなあ。嗚呼、役人だけにはなるまい、とこの映画を観て決断していては、やっぱり世の中を渡って行けないのかなあ?
 最後に一言。作品の中にちょっと出て来る痩せっぽちのヤクザが、妙に恐いのですが、良く観ると後に『七人の侍』で真剣を使って剣の達人・久蔵を演じた宮口精二さんではありませんか!お見逃し無く。

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関野吉晴さんの報告を拝聴しました

2005-03-26 15:49:23 | 著書・講演会

■関野吉晴さんの「グレート・ジャーニー」の続編!と言うので、大勢のファンが詰め掛けました。
1993年から2000年まで、人類の大いなる旅路を逆に辿るという空前絶後の人力旅行を敢行した関野さんは、語り口は温厚で、その視点は優しさに満ちています。様々なメディアで取り上げられたこの大旅行(グレート・ジャーニー)も、元はと言えば仲良くなった南米大陸の原住民の顔を見ているうちに、「この人達は、人類の中で最も遠くまで旅した人の子孫なんだなあ」と思ったのが発端だったそうです。それが、彼らの御先祖様が歩いた道を逆に辿って「故郷」を見てみたいという企画になって、10万年に亘る人類最大の旅を追体験する事になってしまったようです。
 私事ながら、かつてイスラエルのキブツで仲良くなった老人達が「捨てた」故郷を、一人勝手に訪ねたことが有りました。そこはチェコの片田舎で、何の変哲も無い地方都市でしたが、再訪した折に平凡な風景写真を土産に差し出すと、珍しくも無い「石造りの橋」が、思い出が限り無く湧き出す世界にたった一つの「貴重な橋」になり、貧弱な花壇に疎(まば)らに咲いている薔薇の花の写真が、「最上の花園」になってしまう経験をした事があります。古ぼけた路面電車、公園のベンチ、面白くも可笑しくもない写真が、何よりも土産になったのでした。故郷とはそういうものです。

■医師でもある関野さんは、遺伝学調査の結果を踏まえながら、人類学や考古学等の「日本人のルーツ」に関する諸説を比較検討して下さって、「日本人はあちこちから集まった」事実をさり気なく示しました。御自身のグレート・ジャーニーのコースから枝分かれする形で、我ら日本人の御先祖様の旅路を三方向から追体験しようと、手始めにシベリアを貫通する北方ルートを旅して来た体験を発表しました。詳しい内容は、『地平線会議』の公式サイトにレポートが掲載されるので、ここでは当ブログと関連の有るポイントを並べてみます。
北から渡って来た御先祖様、朝鮮半島から渡って来た御先祖様、南の島伝いに渡って来た御先祖様、これが主要な三つの経路です。
 三万年前に、最初の御先祖様がこの「オノコロ島」(『古事記』より)に辿り着いたようですが、その理由は「好奇心」や「冒険心」よりも、止むに止まれぬ事情が有って、一大決心をして家族を連れて渡って来たのではないか?という世界の少数民族と深い交流を重ねて来た関野さんの指摘は印象的でした。
 山田洋二監督が作った『家族』や『故郷』に描かれた家族の移住物語に通じる無数の人間ドラマが、三万年前から日本列島を舞台として続いているのです。
 長い氷河期には世界中の海の水位は下がって、ほとんどの海峡は陸地になっていました。モーゼが紅海を割る『旧約聖書』を思い出します。北海道までシベリアのマンモスはとことこ歩いて来ましたから、それを追いかけてグルメな御先祖様がやって来たのかも知れませんが、関野さんは、御自身の体験から「トナカイ」の方が、ずっと重要な意味を持つ、と断言しておりました。これには同感します。長野県の野尻湖周辺からも巨大な角を持った鹿の化石が大量に出土しますし、何よりも「鹿」を日本語で「シシ」と読んでいたり、長らく「肉」を「シシ」と読んでいた習慣が気になります。今でも日本語に通じている人は痩せていない様子を「太りジシ」と言います。

■馬を家畜化したことで、恐るべき機動力と攻撃力を手に入れた人類は、幾つも古代王国や帝国を造りましたが、北方ではトナカイを家畜化することで文化が発達したようです。但し、食料と交易品としてトナカイを飼う場合には、数千頭規模の群れでないと生活は安定しない事を、関野さんは教えて下さいました。それが許される広大な土地が有るのは、シベリアの西北端と東北端だけだそうです。その間の広大な地域では、財産と移動手段として数十頭のトナカイを飼いながら、野生動物の狩猟を主な生業として暮らしているとの事で、大河の流域では漁労が中心となるそうです。その現場となっているロシアのサハ地方に行った記録が発表されましたが、スライドで紹介されたオーロラの美しさに場内はドヨメキました。
 面白いのは、アイヌの人々も含まれるシベリアの東端で、アシカやラッコなど、多くの海獣がいるので、たっぷりと肉と毛皮が得られるのでトナカイは飼わなくても良いとの指摘でした。この件は、当ブログの『板橋と云えばアイヌ』を御覧下さい。

■「膠着語回廊」に関連付けますと、三万年前からの二万年間に、日本列島に辿り着いた御先祖様達は、ほぼ全員が「てにをは」の原型を使っていたはずです。御先祖様たちとは逆方向の西へ向かった親戚たちは、フィンランドやハンガリーに定着しました。
 この謎の二万年間に御先祖様たちが「てにをは」を共通化させた過程は、まったく記録が無いのでさっぱり分かりません。その後、地球は温暖化して海峡が出来て、雨が沢山降って鬱蒼とした森林が現れまして、我が国は縄文時代に入ります。この1万年近い豊かな時代に、日本海を囲む「てにをは」の輪が出来ていたようですが、NHKも文部省も無いので、地方色豊かな幾種類もの「てにをは」体系が使われていたはずです。基本単語は「二音節」にまとめる癖は共有されていたようですが、北から広まっていた言語に、やや遅れて入ってきた朝鮮半島経由の言語が楔(くさび)を打ち込む形で北九州から入って来まして、アイヌと沖縄が切り離され始めます。
 ここに、東南アジアの島々から、次の御先祖様たちが島伝いにやって来ました。「てにをは」を使わず、基本単語が「一音節」の言葉を持った人たちです。日常会話で多用されるのが、肉体に関連した単語ですから、「手」「目」「歯」「身」などの便利な単語が流行したようです。彼らは、今のASEAN諸国の国民とは違う人種だったようです。
 そして、秦の始皇帝が「天下統一」などという空前絶後の大事業を完成してしまったので、長江以南の楚の国と呼ばれていた場所から、大挙して渡って来たボート・ピープルがいたようです。彼らは稲作という最先端のバイオ技術と土木技術を持ち、恐るべき植物学の知識を持っていました。日本語の植物と農業関連の単語が急に豊かになります。
 仕上げが、大唐帝国の出現です。古代国家の基礎を固めていた日本列島の豪族たちは、北九州・出雲・近畿・北陸・関東などに王国を築き、近畿と北九州が最終的な覇権を競う段階で、運命の「白村江の戦」が勃発します。日本初の連合艦隊と陸軍が展開しましたが、結果は大敗北。唐を中心とする半島の新羅に連なる日本の誕生です。チャイナの公式歴史書に「日本」が登場します。この漢籍ネット・ワークに乗って、政治や文化の中核となる抽象概念を表す膨大な数の「漢字」が雪崩込んで来ました。
 時代を一気に飛び越えますが、大東亜戦争が最終的に「太平洋戦争」という対米戦争の形で終了した後、現在も続くカタカナ外来語の氾濫が始まりました。きっと御先祖様たちは、同じ事が繰り返されている様子を見て苦笑していることでしょう。

■結論としまして、最初にやって来た御先祖様たちが残した「てにをは」という言葉の土台だけは、今でも残っているということです。
そして、古代国家の日本を誕生させた大唐帝国の出現が、バイカル湖周辺にいたトルコ系民族を西に動かす原因となって、途中イスラム教に改宗しながら、とうとうオスマン・トルコ帝国を建ててボスポラス海峡を渡ってしまいました。こうして、日本列島からボスポラス海峡までの「膠着語回廊」が出来上がったというわけです。残念ながら、日本人は「てにをは」を大事にしようと意識するのが遅過ぎました。1400年前にサンスクリット文法を手本にして「てにをは」文法を学問レベルにしてしまったチベット語を見習おう、というのが1月の報告会の趣旨でした。

今回の関野さんの報告会では、ネパールで試みた「ホメオパシー」治療の奇跡的効果の話が、一番好評だったようですが、医学については、当ブログでも間も無く扱うことになると思います。

関野さん、どうも有難うございました。そして、いつまでも無事な旅を続けられることをお祈り申し上げます。「無事、是、名馬」
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イラン戦、負けは負けです

2005-03-26 03:36:38 | 日記・雑学
悔しいけれど、負けは負け。

日本人は、大きな誤解をしています。個人が記録を争う競技と、団体競技とはまったく別物である上に、全員が仕切りの無い「戦場」に放り込まれる競技の本質が分かっていないのではなかろうか?
 野球の次にはサッカーで、世界を目指すという「体育教育」と「プロ・スポーツ振興策」は結構なことでしょう。しかし、サッカーの野蛮さと偽善としか思えない競技規則を見れば、プロ・リーグを根付かせてから10年や20年で、世界の強豪の仲間入り出来ると考えるのが間違っています。

■四半世紀も前の経験ですが、当時の日本はサッカー熱はそれほど高くはありませんでした。気候に恵まれて、地元の事情も有って静岡県だけは、サッカーに力を入れていたようです。偶々、イスラエルのキブツ(集団農場)で、日本の静岡人が「人生の決断」をする場面に立ち会ってから、サッカーに対する固定観念が出来上がってしまいました。小柄ながら、素人目には見事な動きを見せる静岡のM君は、語学力の不足を充分に補って欧州人らとサッカー交流をしておりました。一緒に練習をしたり、模擬試合をしたりして、「スポーツは言葉の壁を越える」というスポーツ新聞が得意とする精神を地で行ったのでした。
 ところが、彼がぱたりと自由時間のサッカーを止めてしまったのでした。当時の日本ではサッカーのメッカとされていた静岡でも、ちょっと活躍した経験の有る彼が、英国人の一言で、打ちのめされたのです。それは、気持ちよく汗をかいて、シャワー室に行く途中での簡単な英会話だったそうです。
「ヘイ、○○、今日もナイス・キック、ナイス・プレイ、イェーイ」
「オウ、お前も、ナイス・プレイ!ハハハ、楽しかったぜ」
「お前は、とても、サッカー、上手、何故、プロにならないの?」
「ヒエー、プロ?プロだって?悪い冗談だぜ。俺の百倍も上手い友達も、プロには行けなかったんだぜ。」
「でも、お前は、子供の時から、サッカー、熱心に、やってたんだろ?」
「オフ・コース、俺のパパ、俺の乳母車の中にサッカー・ボールを入れたから、俺は乳母車の中でボールを蹴っていたんだぜ。」

幾多の少年サッカー・チームの中の一つに所属して、中学生の頃に少しばかり良い思い出を作った彼は、この英国人の言葉で、自分が妄想した思春期の夢を、粉々に砕かれたのでした。今にして思えば、古代ローマ帝国のグラディエイター(剣闘士)と、日本の田舎で京の貴族を真似て田んぼの泥で「蹴鞠(けまり)」をして遊んでいる農民の子供との差を実感したんだと思います。

■乳母車の中でボールを蹴り始めた男の太腿と尻の巨大さは、多少格闘技や長距離自転車旅行をした経験を持つ者にも脅威に見えましたから、それを隣で並んでボールを取り合った同士となれば、20代か30代前の祖先から負けているような気分になったでしょう。今でも厳しい身分制度が残る英国で、サッカーが異様な熱狂の中で愛好されている理由は、世界のベッカム君が時々聞かせてくれる、ロンドン下町言葉の発音が教えてくれます。

「貧しさは、最大の武器だ」

という言葉が、延々と生きている国と、「全てが平等」を信じ込んでいる国とはサッカーの試合で見(まみ)えてはいけません。
 もっと、恐ろしい言葉も紹介しましょう。米国で少しばかりカレッジで英語を勉強していた時のことです。専門は中世イタリア語という先生が、我ら多国籍軍クラスを指導して下さり、上品な物腰、発言の中に輝く良識、出身各国の強い訛(なま)りを含んだ英語を聞き取る抜群の能力、我ら多国籍軍生徒は、先生を尊敬する従順な
生徒でありました。その先生が、我らの耳を馴らすために、毎回雑談をして下さったのですが、息子さんが大学で運動部のレギュラー選手になった思い出話をした時でした。

「私の息子は、○○大学のフット・ボールの正選手でした。練習と試合のたびに怪我をするので、母親の私は、とても心配していました。でも、試合が始まると、オウ、あのチームは私のチーム!私のチームは必ず勝ちます!私は神に祈りながら、全部の試合を見に行きました。それ以来、私はフット・ボールを愛しています。
 正直に申しますと、野球は駄目です。試合はだらだらしていますし、休みが多いのです。のんびり投手が投げたボールを、打者が打って走る。そのボールを一人の選手が取って投げる。他は皆、休んでいるように見えますね。
 オウ!でもフット・ボールは違いますね!全員が、一斉に(武装して)激突して、走って、追って、衝突して、全員が走り回ります!オウ、オウ!何と素敵なんでしょう。……」

先生が興奮しているのは、勿論ヘルメットに全身プロテクターを着けて戦うアメリカン・フット・ボールです。武装無しのラグビーやサッカーは、「平和を愛する米国人」には野蛮に見えるらしいのです。万全の装備をしてから、存分に暴れる…、何だか太平洋戦争の話のようですが、他の人がこういう愛国心を吐露するなら宜しいのですが、
アア!私は、ホラー映画とか凶悪犯罪の映画は大嫌いです!毎日、新聞や、テレビで、残虐で悲しい事件が報道されているじゃないですか?私は、それを少しだけ聞いただけで、イナフ(充分)、イナフ、イナフなのです!アア、何と恐ろしいことでしょうか?私は、そんな恐ろしい出来事を、再び映画館で観たくはないのです。皆さん、お分かりでしょ?と言っていた人が、先の言葉を口にするのです。聞いている方の頭が混乱します。

■かつての十字軍対イスラム帝国に始まって、第一次世界大戦の世界分割、第二次世界大戦後の冷戦大理戦争、エネルギー資源の争奪戦、文化的侵略戦争……それらの怨念が、手さえ使わなければ、基本的には何をしても許される「戦争」をするのが、サッカーの試合です。英国内では、サッカーに関しては今でも「内戦」が続いていますし、欧州大陸ではEU統合など放り投げて、歴史の怨念を晴らそうと競技場は熱狂しています。
 米国にねじ伏せられたら、「終戦」してしまうような国が、のこのこ参加するような場所ではないです。サッカーの強い国というのは、国の内外に恐るべき矛盾と怨念を溜め込んだエネルギーを持っている国なのです。

※米国が、欧州育ちのサッカーに熱心でない歴史の悪戯に感謝しましょう。イラン戦に「惜敗」などと書きたているようでは、日本は世界大会に「参加する事に意義がある」と言い続ける時代が続くでしょうなあ。サッカーもラグビーもアメリカン・フットボールも、「領土」の奪い合いのスポーツです。日露戦争の203高地でも思い出さないと、とても日本には勝ち目は有りません。

日本人になるということ

2005-03-26 01:55:19 | 外交・情勢(アジア)

以下のニュースは、どの媒体でも非常に小さく扱われました。その理由がまったく分かりません。タラップを降りて来た蓮池・地村両夫妻と曽我ひとみさんの姿や、その曽我さん家族の再会ばかりを繰り返し報道していたのに、反して、最も重大な局面であるはずの「日本人」の選択と決断が軽く扱われるのは、それこそが重大な事ではないでしょうか?

地村さんら3家族、日本に永住の意思を表明
 北朝鮮による拉致被害者で福井県小浜市の地村保志さん(49)、新潟県柏崎市の蓮池薫さん(47)、佐渡市の曽我ひとみさん(45)の3家族が18日、政府に対し日本永住の意思を表明した。地村さんと蓮池さんの子供の帰国から10カ月、曽我さんの子供の帰国から8カ月。表明までにかかった時間は、北朝鮮で生まれ育った子供たちを気遣う時間でもあった。
 表明により現在、拉致被害者支援法に基づき、国から3家族に毎月支払われている滞在援助金は「給付金」に切り替わる。援助金は被害者本人を対象に毎月支給され、地村さん夫妻と蓮池さん夫妻にそれぞれ24万円、曽我さんに17万円が支援法が成立した03年1月以降支払われてきた。4月からは給付金として地村さん一家に33万円、蓮池さんと曽我さん一家にそれぞれ30万円が支給される。
 支援法は拉致被害者の自立促進などが目的で、給付金は5年間を限度に支給される。ただ、法律は3年ごとに検討が加えられる。
 地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、曽我さんの計5人は02年10月に拉致から24年ぶりに帰国。地村さんと蓮池さんの子供は昨年5月の小泉純一郎首相の再訪朝で帰国、ジェンキンスさんと子供はインドネシアで家族の再会を果たし同7月、帰国・来日した。
 3家族は「被害者本人は全員就業し、家族も就学や就職が決まるなど今後の生活の見通しがつくようになりました。これからは完全な自立のための道をさらに加速させるとともに拉致問題の進展のためにできる限りのことをしたい」などとするコメントを発表した。
 永住表明は、拉致被害者の3家族が自立への一歩を踏み出したという意味を持つ。それには子供たちの帰国から10~8カ月の時間がかかった。子供たちは北朝鮮で教育を受けてきた。そして、友人らも残したままでの突然の帰国だった。
 蓮池薫さんが子供たちの帰国3カ月の昨年8月の会見で「行動などを見極め『(永住が)間違いない』と確信できないうちに、子供たちに『(北朝鮮へ)帰らない』と言わせてもかえってマイナスになる」と語っていたことに複雑な事情が見て取れた。
 表明に時間がかかったことについて、政府の拉致被害者・家族支援室の職員は「異文化の地に突然来た子供たちが『自分は日本人だ』と心から理解するために必要だった」と説明している。

 ◇4月からの拉致被害者家族の状況◇
地村保志さん(49)  小浜市嘱託職員
 妻富貴恵さん(49) 福井県嘱託職員
 長女恵未さん(23) 小浜信用金庫職員
 長男保彦さん(21) 福井大工学部2年編入
 二男清志さん(17) 県立若狭高入学
…………………………………………………………
蓮池薫さん(47)   新潟産業大嘱託職員
 妻祐木子さん(48) 柏崎市非常勤職員
 長女重代さん(23) 新潟産業大人文学部4年
 長男克也さん(20) 新潟産業大で日本語勉強
…………………………………………………………
曽我ひとみさん(45)  佐渡市嘱託職員
ジェンキンスさん(65) 近く米国訪問予定
 長女美花さん(21)   新潟大で日本語勉強
 二女ブリンダさん(19) 新潟大で日本語勉強

毎日新聞 2005年3月18日 20時00分

■憲法草案に「愛国心」を盛り込むかどうか、民族の誇りを教育の主要課題にするかどうか、遅まきながらも東シナ海の国益を主張すべきかどうか、竹島をどうするか……
 全ては、内向きの「日本人と生まれついた日本人」の「日本人とは何かを考えたこともない日本人」による、「日本は空気のように存在していると思い込んでいる日本人」のための議論ではないでしょうか?
 今回の拉致被害者の「帰国」「定住」「復帰(帰化ではない!)」問題に対する、政府と政治家、それ以上に世論とマスコミの動き方は、1972年の小野田寛郎少尉がルバング島から「復員」した時の動きとそっくりで、その後の中国残留孤児(この命名からして厄介者扱い!)に対する処遇、こうした絶好の学習機会を無にし続けた結果ではなかろうか?
 小野田さんを「復員」させたのは、1952年に「戦争は終わりました。出てきてください」と叫びながらジャングルを歩き回った朝日新聞の辻豊記者、1959年に戦闘発生の知らせを聞いて駆けつけた小野田さんのお兄さん(この段階で日本政府は小野田少尉戦死を発表しようとしました)、1972年に再び銃撃事件が起きて、冒険家の鈴木紀夫さんが奇跡を起こしました。この一連の出来事こそ、小中学生の教科書に載せるべき話でしょう。
「日本」を愛し、「日本人」を守るのは、悲しいことに政府ではなく民間の「日本人」だけなのだ!この恥ずかしくも感動的な現実を、日本の将来を背負う若者に、正直に伝えるべきなのです。

※ジェンキンスさんは、マスコミの暴走で混乱していますが、日本人の曽我ひとみさんの夫ですから。「日本人」になるのかどうかは、これからの話です。ワイド・ショーや軟らかめの週刊誌が騒ぎ立てると、日々の暮らしに忙しい「日本人」が誤解するような雰囲気が先行しがちで、「あれは、一体どうなったんだろう?」と思った時には、すっかり頬被りという事になってしまいますから、マスコミ・メディアの利用方法には、充分な注意が必要です。

■「極東の平和」と「世界の平和」を優先して、拉致被害者家族を10日間の滞在の後に、アノ国に帰すんだ、と頑張った外務官僚の田中某氏は、タラップを降りて来た五人を「日本人ではない」と判断していたはずです。まさか、日本人と認識していながら、憲法第九条のために「死んでくれ」と、胸の中で血の涙を流して手を合わせていたのではありますまいな?
 それを決定するのは主権を有する国民ですから、是非とも、

「貴方は、平和憲法のために、死んでくれますか?」

という全国的な国民調査を、外務省は即刻実施すべきでしょう。

※蓮池さん御一家、並びに地村さん御一家と曽我さん母子の皆さん、お帰りなさい。まともな外務省を持たず、作らず、暢気に過ごしていた私たちを、どうか許して下さい。
「二度とあやまちはおかしませんから」とは、まだまだ言えない日本人を、時々叱って下さい。敬白


『官僚病の起源』

2005-03-26 01:14:10 | 書想(その他)
『官僚病の起源』岸田秀著 新書館1300円 1997年 第2刷

 岸田さんは、『ものぐさ精神分析』という本を出して以来、専門の精神分析学の手法で歴史上の人物を解釈したり、歴史的事象を分析したり、或いは現在進行中の社会問題に関して新聞や週刊誌でも発言している人です。

■この『官僚病の起源』いう本は、『大航海』という雑誌に連載した連載した歴史を精神分析してみようというエッセイをまとめた物です。本の題名は、巻頭の章の題名から付けられているので、一冊丸ごと官僚病を述べているのではありません。
 その第一章は「官僚病の起源――自閉的共同体の病Ⅰ」となっていて、更にその中身が「官僚で滅んだ大日本帝国」「言い逃れの共通パターン」に分けられて、帝国陸海軍部が深刻な官僚病に冒されて自滅した歴史とこの十数年間の、大蔵省・厚生省・文部省が犯した失策とを比較して、何も変わっていない事を指摘します。


……官僚だってはじめから、人が何百人、何千人、何万人戦死しようがエイズになろうが、気にならなくて自分と自分の仲間のことしか考えない悪鬼のごとき人間ではなかったはずで、省庁に入ると、もちろん全員ではないであろうが、そういう人間になるらしいのである。問題は、彼らを非難するより、それはなぜかを解明することである。


■第二章は第一章をそのまま受け継いで「聖人幻想」を追跡します。その中で、昭和22年に東京地裁の山口良忠判事が闇米を食べずに餓死した事件を取り上げています。「山口判事」という名は、長い間巷間に流布していましたし、名前が忘れられてしまっても「闇米を食べずに餓死した裁判官」という言い回しで伝承されていました。


……闇米で露命をつなぎ忸怩たる思いをしていた国民はそのことを知って感動と讃嘆の念に打たれ、彼は、一種の聖人か英雄のような存在になったのではあるが、この話はどこかおかしくはないであろうか。……もしほんとうの話だとしても、彼は人間の生命よりも法を優先する堅苦しい一種の変人に過ぎなかったのではないか。
……国民は敗戦まで頼っていた「生命を捨てて天皇のため国のために尽くす有能で清潔な軍人」という幻想を失ってその後釜を必死に求めていたのである。


 つまり、上の官僚と下の国民が同じ幻想を共有する関係にあるという事で、その起源を日本の特殊な建国事情に求めて、「自閉的共同体の談合」体質を掘り出します。大陸に対抗するために、習俗や価値観の違いを放置したまま、天孫降臨神話の嘘で国家を偽造したというわけです。
 人間の精神分析では、その人の過去を詳しく調べて再構成し、問題の核心となる出来事を探し出しますが、岸田さんは同じ手法で国を見ているわけです。


……インディアンを大虐殺し、そのことを文明の名において正当化するという欺瞞を出発点として始まった国家であるアメリカが、ときどき文明の名において、「野蛮な」他民族(日本、ベトナム、イラクなど)を虐殺するということを繰り返さざるを得ない(反復強迫)のと同じである。


 日本人が作り出す組織や集団は、常に自閉的共同体になっているから、これらが構造的統一性を持たないままに連合する時には、一つの集団から傑出した人物を選出することは絶対にせず、互いの自閉性を傷つけない「和」を心がける気配りに優れた凡庸な人物しか選ばれない。
 そして、共通目標も問題解決能力も持たない自閉的共同体の集合体は必ず大失敗を仕出かす。すると、犠牲者として代表者が辞任・自決・降格などの儀式を挙行して一件落着となる。この人物は組織内では自己犠牲の英雄・聖人として尊敬され、下部組織は腹の虫が治まって満足する。だから、何の解決にもならず、同じ失敗が繰り返されるというわけです。
 神話による建国以来、日本史は同じ構造を保持し続けた論述が続いて、「官僚病」を治癒させるためには、再び鎖国して廃県置藩を断行して人口三千万の暢気で貧しい藩を自閉的共同体として暮らせば、強大な権力を持つ中央政府の官僚は不要となる。それが嫌なら官僚たちが後生大事にしている現行の特権構造を総て解体・解消するしかない。「天下り」全面禁止で待遇向上、東大閥解消、入省時選別停止で入省後の働きによって人事を行う、人権制限して世襲を禁止、等等。
 そして、最も大切なのは「有能で清潔な支配者」幻想を捨てることで、そのためには1853年のペリー・ショックによって生じた日本人の外的自己と内的自己の分裂状態を克服するという難しいリハビリが必要となると岸田さんは繰り返し主張しています。

■世界中のどの国も、自己欺瞞の建国神話を持っていて、常にそれが国の行動パターンを規定している例が沢山出て来ます。一番面白かったのが、「自由・平等・博愛」を旗印に市民革命を成功させたと胸を張っているフランス人が、実は絶対権力者のナポレオンが大好きという本音を持ち続けているという指摘でした。
 もともと無いものを、「有る」と信じ込むのを幻想というのですが、歴史もこの幻想の上に載って、進歩などせず同じ事を繰り返す人間集団によって続いていることが良く分かります。

※「ペリー・ショック」というのは、「日本はペリーに強姦された」という岸田さんの主張を簡潔に表現したものです。どうしても幸せになれない女性を治療する時の手法から出て来た解釈で、最初の不幸な性体験(強姦)が女性の一生を歪めてしまう症例を日本の近代史に適応したものです。
 強姦された女性が心の痛手を癒すために、「あの人は本当は良い人なんだ」と自分に言い聞かせてしまうと、何度も悪い男に騙され続けてしまい、「悪いのは自分の方なのだ」という袋小路に追い込まれてしまう場合、最初の男を正真正銘の大馬鹿野郎だと解釈し直すことからしか治療は始まらないそうで、同様に、ペリーは決して近代日本の恩人なのではない、という所から反省しないと、ぺりーが率いてきた軍艦の数(4隻)と同数の軍艦を真珠湾で沈めたら、分裂した内的自己が満足し、劣勢になって再び強姦されそうになると、無意味な自殺攻撃をして見せて外的自己は奇妙な合理化を試みるような愚行が繰り返されますよ、というお話です。


宣伝についての講釈

2005-03-25 12:01:58 | マスメディア
ちょっとばかり、宣伝ってぇものを講釈しようと存じます。

■暗黙の約束ってぇことで、民放テレビは番組時間枠の26%以上の「宣伝」はしねぇえって事になっているらしいんで御座います。ですから、自分が見ようかなっていう番組の時間を円(まる)で描くと、四分の一は頼みもしない宣伝を観ているわけですね。では、名曲『鉄人28号』の主題歌で繰り返される「♪グリコ♪♪グリコ♪♪グリコオオ!」は何なんだ?と突っ込みたくなるのは山々なんですけれど、私ら庶民には窺(うかが)い知れねぇ所で、こうした紳士協定が決められていて、今も有効らしいんですけどね……。

■これをテレビに捻じ込むには、遠い昔の藤田マコトさんが白黒テレビで見栄(みえ)を切った「当たり前田のクラッカアーア~」に負けない工夫が必要で、無闇(むやみ)(矢鱈(やたら)に惨(むご)たらしい殺人事件が起こる「○○観光ホテル」を舞台にする傑作ミステリー劇場の名物料理と、お決まりの名所巡りコースに従った、強引な謎解き話に勝(まさ)る必殺技を考えあぐねた揚げ句に、番組丸ごとコマーシャルという奇策を考えた人がいるらしいですね。
 因みに「テレフォン・ショッピング」(別に電話機を売っているんじゃありませんよ)なんて呼ばれる番組は、コマーシャルの間にお買い得?商品の押し売りをしているだけなんですがね、あれは歴(れっき)とした良質の「情報番組」なのだそうですよ。だって、テレビのエライ人と政治家の先生方が集まって(何処でしょうかねえ?)紳士的にお決めになったんですから……。
 それも、普通の人間の生活をしていたら酒か寝惚(ねぼ)けで判断能力が減退する深夜や早朝の時間帯を利用するという憎い段取りですから、うっかり注文しても諦(あきら)めも付くのでしょうなあ。

■誰でも、思い詰めて深夜に書いた「ラブレター」を、朝になってから念のために封をする前に読み返して蒼褪(あおざ)めた経験の一回や二回は有るでしょう?エッ、ぜんぜん無いって?あなたは天井知らずのナルシスト(自分が世界一と信じ込んでいる馬鹿)か、「文字を知って書物を知らない」、と幕末に刑死した吉田松陰先生に出会ったら即座にクーポール砲とミゲール銃の的にされてしまうような日本人ですぞ。
 昔から、夜になると妙な気分になってしまうのは人類共通の体験で、月が人を狂わせるってんで、ルナティックなんていう素敵な言葉が有るくらいですが、実際には脳内物質とホルモン・バランスの狂いで頭の螺子(ねじ)がちょいとばかり緩んだり外れたりするだけの事らしうございます。ですから、買い物は、お天道様が見ている時にしましょう。

■ラジオはもっと露骨で、数時間も喋り続けるパーソナリティ(正確な日本語訳は未だに無いもんですから、落語にはぜんぜん出て来ない言葉です)が、泣かせる人情話の後で、突然「○○でお困りではありませんか?」なんて、もの柔らかに語り掛け始めるってえと、「それなら△△社の××がお勧めです。」と平気でやっておりますなあ。あんなのは、押し売りの基礎の基礎、単純な泣き落としってえ奴でしてね。情に絆(ほだ)されて、うっかり「可愛そうに」なんてガマグチを出したら、ハイ、それまでヨってな算段です。
 最近は、日本中の人が欲の皮がツッ張っちまって、皺(しわ)を隠す白粉(おしろい)売りが困っちゃっているぐらいですけどね、「もっと綺麗になれます」だの「健康な老後を送れます」だのって、爺と婆が何時までも綺麗で元気で色気づいてちゃあ、いい若ぇもんは純情ぶっていられなくなっちまって、色魔(しきま)や変態の真似でもしねえと格好が付かねえんじゃないですかねえ?何事も、年相応ってもんが有るですよ。「御年(おんとし)取って九十と八歳!未だに衰えぬ爆乳ボデエのヨネさん!秘蔵のビキニ写真集」なんてえ物を見たいですか?エッ観たい?御苦労様でした、お帰りはあちらです。おおい、塩。そうそう塩だよ。お清めね。お清め。

■失礼しました。枯れた美しさってぇものが有りますでしょ?ちょっと派手な色使いの小物をあしらって、落ち着いた柄の着物できちんと座った白髪のご婦人を見て、文句が言える奴ぁ日本男児の風上にも置けねえトンチキですぜ。そんな奴ぁ、まだ男でも女でもねえ餓鬼に欲情するような病気持ちの成れの果てと同(おんな)じ馬鹿野郎でしょうねえ。可哀想にねえ。
 これはもうお医者様の領分ですから、素人がトヤカク言うことでは御座いません。とは申しましても、江戸の粋(いき)ってぇのと、上方京都の「はんなり」とは随分違うようです。それでも、暴力的な若作りやら、年端もいかない子供相手に……!という感覚は同じですよね?今更、東京の多摩と奈良の病人を引っ張り出して品評会をしても仕方がないでしょうから、この話題は打ち切りです。

■人間は、品物より偉いんだと思っていましたが、機械や玩具(おもちゃ)は簡単に修理も効きますが、一旦壊れちまった人間を修理するのは至難の技らしいですね。いろいろ便利に働いている脳味噌の中がどうなっているんだか、エライ先生達にもさっぱり分からないらしいですから、くれぐれも可愛い我が子の脳味噌を壊さないようにお願いしますよ。
 直し方はさっぱり分かりませんが、壊し方は簡単らしう御座います。そりゃもう、馬鹿馬鹿しいぐらいに簡単で、親の気分次第で殴ったり蹴ったり、面倒臭い時には餌(えさ)も遣らずに放っておく、オシメなんか用意しない。泣いている内はまだ元気が有りますから、布団でも被せておいて半日も放っとく。パチンコして帰って来れば静かになってますよ。それでも心配だと言う人は、止(とど)めを刺したきゃあ、炎天下のパチンコ屋の駐車場に置いた車の中に棄てておけば、うっかり事故死で無罪放免、刑務所にも行かずに済みますよ。
 その後、ずっと化けて出て来られても誰も同情や心配はしませんがね。でも、折角化けて出て、恨み辛みを喋ろうかと思っても、柳の木は無いし、町中朝まで照明が点いているし、長い日本語は聞いて貰えないって、この前会った馴染みの幽霊が泣いてましたよ。
 男も女も、年相応の美しさってぇもんが有るじゃあねぇでしょうか?それが分かんなきゃあ、万葉集も古今和歌集も、西鶴も近松も、数ある恋愛小説も無駄になっちゃいますでしょうに。

■まあ、テレフォン・ショッピングを神様仏様と信心すると、ただでも狭い家の中がエライことになりますし、「便利です」「お得です」の呪文に酔っ払うと、何でも他人の責任にする根性になりますから、ありゃ、イケマセンよ。「いくら食べても太らない」なんて、飢え死にしそうな赤ん坊を抱いている母ちゃん達があちこちに居る地球の上で、公共の電波で放送しちゃあ、やっぱりイケねえんじゃないですかねえ?とんでも無い場所まで泥水を汲みに毎日歩いている人が何億人もいるんでしょうに、腰周りの脂身を落とすのに、知恵と技術を使っている様子はオゾマシイだけじゃないですかな?太りたい人は、あんまり動かないで沢山食べてごろごろしてれば良いし、痩せたいのなら、喰わなきゃ良いだけの話を、何で○○博士やら△△研究所が小難しく「講義」しなくちゃならないんですかねえ?
 余(あんま)り嫌らしい宣伝をしていると嫌われますよ。でも、金髪白人が無茶な事を言っても、日本人は誰も怒らないんですから面白いですよねえ。

■隣の大きな国では、怪しげな「平仮名」を箱に印刷した化粧品や健康と美容に役立つ商品を白人が売りつける番組を放送しているのに、日本のジャーナリスト(これも未だ日本語になってませんなあ)は、ぜんぜん報道しません。日本の歴史的過ちを糾弾(きゅうだん)し続ける13億の人民の半分を占めている女性は、[本物の]資生堂の化粧品やら[本物の]日本製美容クリームを探し求めているんですよ。「痩せ薬」なんてケチな物ではなくて、不老長寿の秘薬だの万病に効く神秘の丸薬を何万種類も調合して、散々に珍本奇書の類(たぐい)を後生大事に伝承して来た人たちは、少しでも現世で楽をしたいと文字通り藁(わら)に縋(す)って生き延びて来たのですが、残念ながら無知で善意の犠牲者の山を築いた歴史を持っているだけです。「副作用」なんてぇ物は誰も気にしませんし、大韓民国経由で流れ込む日本女性の美しさを鬼のように追い求めているのがアノ国の成金達です。

■不自然に日焼けした、みのもんたさんが、「お知らせ」と呼ぶ番組制作費を出している資金提供企業の宣伝時間は、CMという外来語と外国の文字の音読「しいえむ」で下品さを糊塗(こと)しておりましたが、知恵者みのさんは、「お知らせ」と言い換えた!この知恵は、ご自身の辛い過去の苦労から生み出されたに違いない。
 面白くも無い語り口で、時ならぬ深夜放送ブームの勢いで「若者のアイドル」になったと勘違いしていた若いアナウンサー時代、熱し易く冷め易い国民性のしっぺ返しで、徹底的に干された後でお払い箱、御実家の水道器具の会社を手伝っていたそうですが、それがバブルのお気楽気分満開の日本に丁度良いフジテレビの『プロ野球好プレー珍プレー』というゲテモノ企画のナレーション(声だけの出演)で息を吹き返したみの様だからこそ、毒には毒で毒消しする荒業(あらわざ)が使えるのでしょうなあ。

■下らない事をやってないで、早く「私は現場を知っている」と一言発して、地方自治体が仕切っている水道行政の談合構造を事細かに報道すべきでしょう?イザヤ・ベンダサンこと山本七平さんが「水と安全はタダ」という絶品のコピーを作って以来、本当に日本人は「安全」と「きれいな水」は無料だと信じ込んだままなのですから、「安全」となると、人目を忍ぶ恋人同士が安心して夜の散歩を楽しめる国ではなかった事実とか、「地上の楽園」がテロの温床で、ヤミの核兵器の卸し問屋だったなんていうデッカイ問題が有りますが、ちょっとみの様には荷が勝ち過ぎています。
 ですから、せめて日本の「水」はタダどころか世界有数の高額商品として扱われているにも拘(かかわ)らず、「公共料金」の美名の下で、お役人と御用達業者が上前(うわまえ)を撥(は)ねては山分けしている現場に、貴方は尊敬する父親と一緒にいたんでしょうから、世のため人のため、日本国のために、早く『実録スペシャル体験者が語る、私だけが知っている公共事業の闇!今だから語れる業界のタブー!皆様のみのもんたが、芸能界生命を賭して赤裸々に語る水道料金のカラクリ!明日、私は変死する?』ぐらいの番組を作って頂きたいなあ。「お知らせ」の間に小便しに行く人たちもきっと画面に釘付けですぞ。
 農薬だらけの野菜やら、放って置いても週に一度や二度は口にする飲食物の効用を殊更(ことさら)に言い立てて、日本中のスーパーマーケットの仕入れ部の皆さんを走り回らせるような悪い遊びはもう止めた方が好いですぞ。これから米国を見習って、法学部卒業者の大半を弁護士にしようと日本政府が決めたのですから、昼飯後の暇つぶしで番組を観ているオバチャン達を舐めていると、「効果が無い!」「掛かり付けの医者に怒られた。」「病気になった!」「体質に合わない!」「周りの店で売り切れていて精神的被害を受けた。」などなど、毎日毎晩、訴訟の嵐が日本テレビに吹き荒れますぞ!そうなる頃には、引退して悠々自適?それなら厚生労働省の役人より悪いでしょうに!嗚呼。

■週刊新潮 3月31日号によると、みのもんたさんがTBSの早朝番組に出るのを幸いに、マンネリ気味の昼のワイド・ショーから外す段取りが付いている由、本当なら残念です。頑張れ!みのもんた!


黒澤映画の復習と予習 その7

2005-03-25 11:43:59 | 映画
1951年 『白痴』

■歴史の皮肉、それは時として人間の悲喜劇となって現れます。この文芸大作を黒澤監督が撮影していた1950年6月25日未明、朝鮮半島を分断していた38度線を「北から」砲撃が始まり、ソ連製戦車を先頭に朝鮮民主主義人民共和国の軍隊が大挙して南下し、一週間で半島のほとんどを占領してしまったのです。朝鮮戦争勃発ですね。
 対岸の火事と眺めていた多くの日本人はまだ空腹と生活の不安の中でしたが、昔取った杵柄(きねづか)で、かつての軍関連産業が米軍の発注で時ならぬ「特需」に息を吹き返して沸き返る。旧軍人も呼び戻されるし、内務省や特高警察で辣腕を振るった人々も米軍指導の「レッド・パージ」に張り切り始めるのでした。
 映画産業界の「レッド・パージ」は、1991年の米国映画『真実の瞬間』が我が身の罪を自ら告発しましたなあ。これだから米国映画ファンは止められません。米国の「赤狩り」はチャップリンを英国に追い返し、国内でのチクリ合戦の傷を残しました。有名な話では、スターリング・ヘイドンがその時に仲間を売った罪滅ぼしに、傑作『博士の異常なる愛情』で核戦争を始める発狂将軍を熱演しました。
 でも、何事も「水に流してしまう」日本では、「まあまあ」「なあなあ」で恩讐の彼方でありますなあ。盛り上がっていた東宝争議に対しても朝鮮戦争開始の2ヵ月後に、共産党東宝撮影所細胞に対してGHQは解散命令が下りましたし、続いて9月22日には「レッド・パージ」もやりなさいとの御下命でした。こういう時に、妙に張り切って「御注進!御注進!」と喚き出す日本人がいるもので、まったくの濡れ衣を着せられて酷い目に遭った人も沢山いたようですなあ。ハア……


ドストエフスキーは「白痴」を計画するに当たって、真に善良な人間を描きたいのだと言っている。
 しかし、この世の中にそういう人間を登場させるためには、この人物を白痴のような病的な存在にせざるを得なかった。全く、こんな皮肉な悲しい話はないが、この世の中では真に善良であるという事は馬鹿に等しい。……しかし本当は、そいういう世の中が病気にかかっているのだ。どうして人間は、そんな世の中を作ってしまったのだろう。どうして人間は、自分の善意を殺し、ひとの善意を踏みにじらなければ生きてゆけないのだろう。…原作者に対する尊敬と、映画に対する愛情を傾けて、せい一ぱい努力するつもりだ。


こんなメモを残して撮影に入った黒澤監督が、毎日の朝鮮戦争の戦況報道をどんな思いで眺めていたのか、想像するだけでも嫌になりますなあ。正確な日時を追えば、『羅生門』のクランク・インがほぼ朝鮮戦争勃発と時期が重なりますから、応仁の乱で荒れ果てた京の都を再現した巨大なセットは朝鮮半島の風景に重なって見えて来ますよ。

■大長編の原作を熟読して練り上げた大冊脚本を準備した黒澤監督と、制作契約を結んだ松竹の城戸四郎所長とが撮影開始後に衝突します。御本人も脚本家であった城戸さんが、この長大なドラマに対して「内容が暗い」などと素人みたいな文句を言い出したそうですな。どうせ制作費をケチる目的でしょうが、「長過ぎる」と言い出したのですから、黒澤監督が激怒するのも当然です。
 『白痴』の内容を、ワイド・ショーの下手な司会者のように「一言でお願いします」と聞かれたら、「寒い国の馬鹿の話」とでも答えねばならないのでしょうか?大作の『ディア・ハンター』を「鹿の話」だと言うようなものですな。前編と後編に分けて合計4時間半の大作だったものが、何と2時間46分に縮められてしまいました。余ほど奇怪な交渉が有ったらしく、その詳細は一切不明のようですが、


「カットするなら、縦に切ってくれ!」

という黒澤監督の絶叫は本当の話です。編集作業でフィルムを縦に切ったら映写機に掛かりませんから、ボツにしてしまえ、という意味ですな。

■ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』という傑作長編小説は、実際には三部作の第一部として書かれたそうで、完成していたら『大菩薩峠』みたいな本になったのでしょうかね?でも、これは構想した作品の三分の一の分量でも、世界中が感動する完成度を持っています。必要不可欠な部品で組み立てられた作品を「半分」にするのとはわけが違います。
 何があったのかは分かりませんが、黒澤監督は苦渋の決断で、完成品から二時間分の削除を行いました。後々まで、「すごく良いシーンがいっぱいあったんだ」と事あるごとに残念がっていた黒澤監督でしたから、幻の完全版を何周忌かの供養として是非上映して貰いたいものです!
 実は、封切り前に一度だけ上映されたという伝説が有るのです。更に驚くべきことに、某所にそのフィルムが秘蔵されているらしいのですよ。故人を忍んで荒稼ぎしていたマスコミの中から、このフィルムを発掘しよう、という声は上がらなかったようです。「偉大な監督」だの「不世出の大監督」だのとマイク片手に涙ぐんでいた連中は、実は碌に黒澤映画を観ていないし愛してもいないというのが日本の現実でしょうなあ。地道な評論活動をしている佐藤忠男さんにして


「……観客たちに戸惑いを感じさせたのは、主人公たちが美とか、愛とか、真実とか、苦悩とか、純粋さとかいったイデー(観念)を語ることによって恍惚たる陶酔に浸ってゆくこと……日本人にとって、それらの言葉は軽々に口にすべきものではなく、言葉で言わないでそれが相手に伝わるのがよいのである。」


などと訳の分からない評価をしているようです。シェークスピア劇の過剰な台詞も以心伝心の禅問答みたいに書き換えて上演するのでしょうかいなあ?ドストエフスキーがキリスト教の神に縋(すが)って、現実社会の中にキリストを復活させる小説ですから、「美」「愛」「真実」「苦悩」「純粋」を能や狂言の所作のように暗示するような映画にしてしまったら、何が何だか分かんなくなるでしょうに!

■ナスターシャが「那須妙子(ナス・たえこ)」という名前になっているのを笑った愚かな後輩を怒鳴りつけた個人的な経験も有りますが、この作品の主人公はドストエフスキーの世界、直裁に言えばドストエフスキー本人なのです。ですから、原作を事前に読むか、映画に導かれて読み始めるかするような人でなければ、この作品に関してあれこれ言ってはいけません。文句を言いたい人は、宝塚歌劇団の公演会場に行って「日本人のくせに金髪・厚化粧して、毛唐の名前を呼び合って、『美』だの『愛』だのと恥ずかしくって観てられないぞお!」と、狂信的なファンの皆さんの前で、どうぞ心行くまで叫んで下さい。それがどういう行為が、どういう意味を持っているのか、宝塚信者の皆さんが、肉体的かつ精神的に、みっちりと教えて下さるでしょう。

■父に作家の有島武郎を持つ森雅之がムイシュキン公爵を熱演します。『羅生門』で縛り上げられて眼だけで心の動きを演じた森さんが、この作品では全身で善良な白痴を演じていました。三船敏郎のラゴージンこと赤間伝吉も、雪の札幌を暴れまわりました。ロシア人の血を引く原節子、お公家さんの血を引く久我美子の上品な台詞回しを堪能しましょう。

ゆとり教育のツボ

2005-03-24 23:22:34 | 社会問題・事件
和田秀樹論文と朝日の記事から

■正論3月号掲載、和田秀樹さんの『学問への過信が国を滅ぼす』から日本の学力崩壊までの年表を作ってみました。この論文は第5回「正論新風賞」受賞記念論文として書かれた物です。精神科医と受験勉強法の通信教育企業の代表も務めている方なので、日本の教育制度と医療制度の、現場無視と調査軽視の姿勢を並べて四つ斬りにした痛快で示唆に富む論文です。
 ここでは教育改革に関して論じた箇所にか書かれたいた年号を並べて読み易くしたものです。この期間に起こった教育史上の出来事を網羅すると、非常に煩雑で専門家以外の、概略を知りたいと思っている向きにはとても不便ですから、このくらいが便利だと思います。


米国で1960年代半ばから80年代半ばまで、個性・自主性重視の教育改革が実施された。
1967(昭和42)年学校群制度実施
1968(昭和43)年東大合格者数トップが、日比谷高校から灘高校に変わる。
1970年学校群制度初の卒業生が大学受験。
1971年~75年第二次ベビーブーム世代が毎年200万人以上のペースで誕生。
1977(昭和52)年学習指導要領改訂。
1980年代半ば、米国で学力低下、犯罪の急増、青少年の自殺が三倍に急増。
1980年代後半 第二次ベビーブーム世代が高校受験を迎えて、新設公立普通科高校と入学定員を増やす。私立学校は、将来の少子化を前提に新設も増員もしなかった。公立実業高校も不人気で新設せず。
 この頃、新生児出生数は150万人に減少。
1989(平成元)年学習指導要領、授業内容削減の改訂。
1990年代初頭 第二次ベビーブーム世代が大学受験を迎えて受験熱が上がって、全国的な中高の学力低下問題が隠される。東京で「お受験」「中高一貫校」が話題となる。大学受験で「日東駒専」の偏差値が地方の国公立大学を抜いたが、合格最低点は以前と変わっていなかった。
1992(平成4)年新学習指導要領施行で史上二回目のカリキュラム削減。
1995(平成7)年NEETの多くは中2だった頃。TIMSS調査で中2の28%が校外では塾を含めて勉強をまったくしていない実態が明らかとなる。
1990年代後半 三番手普通科以下の受験生は学習意欲を失っていたが、教育学者・有識者は「ゆとり教育」「個性・創造性」重視の教育政策を推進。
1996年『受験勉強は子供を救う』和田秀樹著、出版。
1998(平成10)年 10月教育課程審議会が提出した新学習指導要領は「ゆとり教育」を全面的に謳う。
1999(平成11)年『学力崩壊』和田秀樹著、『分数のできない大学生』岡部恒治著、両書の出版で学力低下論争始まる。大学生の数学力は中国を大きく下回る調査結果。TIMSSの調査で、中2の41%が校外で全く勉強しない。
2000(平成12)年経済協力開発機構(OECD)の15歳生徒の学習到達度調査(PISA)。12月、江崎玲於奈議長の教育改革国民会議が17提案の報告書で「人間性」「創造性」「新しい形の学校」を提案。
2002(平成14)年「ゆとり教育」の新学習指導要領施行。
2003(平成15)年経済協力開発機構(OECD)の15歳生徒の学習到達度調査(PISA)の結果、数学的リテラシー1位から6位で香港と韓国の下、科学的リテラシー2位のまま、読解力8位から14位にそれぞれ落ちて、参加国中最大の下げ幅。国語数学・理科教育動向調査(TIMSS)中2理科4位から6位、中2数学5位のままだが、シンガポール、韓国、香港、台湾の下。
2004年TOEFL平均点は北朝鮮と並ぶ東アジア最低。

何かと「教育学者・有識者」という名称が便利に使われますが、一体、それは誰のことなのか、と新聞等で報道される審議会名簿などを見ても、そこから問題の人物は浮かび上がっては来ません。政府(という印籠を使う官僚)が任命する名の通った委員というのは、官僚が作った文書を読み合わせして、「御説明」を聞いて、予定の期日に承認のハンコを捺くのが仕事で、官僚が想定していない論点やデータを独自に提出するような人は委員にはなれません。

■先日も、2月27日の朝日新聞に『審議会見えぬ人選』という全面特集が掲載されました。樹海かジャングルみたいに絡み合って実態がさっぱり分からない分野なので、大いに参考になりました。


2月27日 朝日新聞17面より
・審議会・分科会・部会の委員ポストは1万6212も有る。
・最多は経済産業省の3239ポストで、第二位は3201ポストの文部科学省。この二つの省が全委員の4割を占める。
・産業構造審議会は、10分科会、10部会、46の小委員会・ワーキンググループが連なる。
・文部科学省の大学設置許可に携わる分科会に370人、文化財選定の分科会には170人の専門委員がいる。
・名簿が確認できた1万4029ポスト中、5484ポストは掛け持ち委員
・リクルートの会長は12ポストを掛け持ちし、読売新聞論説副委員長は18ポストを掛け持ちしている。
・官僚出身の委員は861ポスト、その内244ポストは経済産業省関連
・文部科学省出身の一人は、4つの分科会・部会で副会長を務める
・昨年7月1日時点で最多の5審議会を兼任していた委員は、17ポストに座り、2審議会と3分科会と4部会・小委員会の会長を兼任していた。委員長・委員ともに、月給は114万6千円也。
・ワタミフードサービスの渡辺美樹社長(45)は、東京都内の本社に訪ねて来た官僚から、内定していた審議会委員の辞任を迫られた。 内閣府所管の「規制改革・民間開放推進会議」。渡辺社長は昨年夏、株式会社が学校経営に参入することの是非を話し合う「教育・研究ワーキンググループ」の専門委員への就任を依頼されていた。私立中高一貫教育の学校法人を経営する経験を買われたようだった。 正式な辞令を受ける前に、参考人として初会合に出席。他の委員が参入に賛成意見を述べる中、渡辺社長は「株式会社が補助金をもらって学校経営をすることには反対だ」などと述べた。後日、推進会議側から「意見を変えてほしい」と求められ、「そのつもりはない。変えなければならないなら委員を辞めたい」と言ったところ、役10日後に辞任を求められた。


■以前に、道路公団民営化に関してマスコミを賑わせた審議会が空中分解を起こしそうになって、衆目を集めましたが、大きな改革を断行しようとする真摯な意見が提出されれば、当然、「前例死守」の官僚軍団と正面から激突するのですから、目立った騒動が起きていない審議会は単なる飾りでしょう。少しばかり有名人を混ぜ込むのは、マスコミ対策、露骨に言えば広告塔として利用するためでしょう。世間の目が集まれば、票の亡者になっている国会議員も寄って来ますから、予算分捕り合戦の加勢も頼めるので一石二鳥でしょうし、関連業界団体の有力者の肩書きを増やしておけば、「天下り」先の確保には最も有効な御機嫌取りですから、これはもう一石三鳥です。

■官僚群の中核は、勿論東京大学の一大派閥によって構成されています。そして、全国の大学教授や助教授などの職員も、師匠と弟子の関係で東大閥に関係する人が非常に多く、学内政治力も強いようです。海外に研究の場所を求める優秀な人材の中に、大学内の人事を巡る政治を嫌って飛び出して行く人が多いのは確かです。恐ろしいことに、研究の結果、師匠筋の見解を否定するような業績が得られても発表は不可能の場合も多いようです。それも怜悧な数値を扱う理系の現場でも、同じ事が起こっているようですから、恐ろしい限りです。子供でも知っているコペルニクスやガリレオの戦いを、偉い教授たちは知らないようですし、20世紀の大哲学者の中での美談も知らない御様子です。
 カルナップという伝統的な論理学をひっくり返した大学者がいまして、この方が分厚い著書を出版しました時、何とゲラの校正も無事に終わり、後は印刷するばかりという時に、ラッセルという学者から一通の手紙が届きます。その中に、カルナップ先生が犯した重大な間違いの指摘が書いて有りました。しかし、大先生は少しも慌てず、急いで印刷にかかっていた著作の前書きに、この事実をちゃんと書いて出版したのでした。
 そのラッセル先生も、今度は自分が書いた有名な論文の中に間違いが有ることを、ウィトゲンシュタインという研究者に指摘されてしまうのですが、さすがは大先生で、少しも腐らず、自分の間違いとウィトゲンシュタインの指摘が正しいことを公表しました。
 自分の学内や学界での権力を使って、「生意気な奴」と逆恨みすることもなく、況(ま)して豪腕でひねり潰して口を塞いだり、学者生命を絶ってしまうようなことはしなかったというお話なのですが、考えて見ますと、これが百年経っても「美談」として語り継がれているという事実が、こうした事は起こり得ない一つの奇跡だと、皆が思っている証拠なのかも知れません。恐ろしいことです。

■これは私見であり、暴論に近い可能性もあるのですが、私自身がかつて某国立大学の留学生の研究を手伝っていた経験から申し上げるものですから、大間違いではないと思います。
 日本の教育学の研究分野には、だいたい三つの「流派」が有るようです。一つは、海外や国内の教育機関の現状を調査して、こつこつと比較研究を続けるものです。しかし、この流派は余り大きな力を持っていませんから、国の教育行政に対して意見を言う場が無いのも同然のようです。先に紹介した和田秀樹さんの主張を裏付けるように、数値を並べる分析は地味な上に官僚の仕事と衝突する性質のものです。
 あと二つの流派が問題で、日本中の大学に弟子筋を就職させて強固なネットワークを築いているようです。一つは、経済学や哲学の分野から放逐されたように見えるマルクス主義を基盤とする革命教育を主題とする流派で、もう一つは幕末以来の伝統を誇る「国学」を高く評価する流派です。今でも、師匠筋が権威として崇拝している大先生の著作は「不磨の大典」のように扱われている様子でした。これを引用して批判するような所行は断じて許されないらしく、論文のチェックの際には厳しく削除か書き直しを指導されます。
 大学内のネットパークは、教え子が働く文部科学省のネットワークに直結していますから、素人が見ても「時代錯誤」としか思えない意見が出て来るのは当然なのです。そして、時々、地に足の着いていない天駆けるような理想主義が飛び出して来るのも、実はマルクス主義や国学思想から流れ出したアイデアである場合が多いと思われます。

■国学とマルクス主義、残念ながら明治維新と敗戦という二度の歴史的節目に大きな影響を残した学問上の財産は、今でも教育学の裏側に脈々と伝わっているのですが、これに代わる思想的基盤はまだ見つかっていないようなのです。苦し紛れに、「今、アメリカでは……」とか「EUでは……」とか騒ぎ出してみても、教育というものは土着性の高い分野なので、異国の大地から引っこ抜いて来て移植しても、混乱を招くだけです。今は、単なる予算の奪い合いをしている段階ですが、中央集権型の教育行政自体が見直されねばならないという気運が、各地方から盛り上がって来れば、突破口が見つかるかも知れません。
 江戸時代には日本全国に、多種多様の民間教育と藩ごとの学校が在りました。明治維新を成し遂げた人材は降って涌いて来たのではありません。蘭学にしたところで、東北と九州を代表とする各地の教育機関で養成された英才達によって発展したのです。
 全国どこでも「東京並み」という発想を捨てて、そもそも我がクニは……という考え方をする時になっているということでしょう。


黒澤映画の復習と予習 その6

2005-03-24 23:16:27 | 映画
1950年 『羅生門』

■ヴェネチア映画祭グランプリ受賞作品!日本映画史に輝く不滅の金字塔!等等、お決まりのキャッチ・フレーズがビデオやDVDのパッケージに印刷されていますし、黒澤明の代表作品として既に歴史の教科書に載るレベルの定着率と知名度の高さは改めて書く必要もないのですが、実際の裏事情は、宣伝文句とは随分と違っているようです。
 年表だけ見ていれば、大映資本で『羅生門』を作り、続いて松竹で大作『白痴』を作った絶好調の黒澤監督の姿を思い浮かべますが、二本連続で文芸大作を発表してみたら、日本のお客はソッポを向いてしまって、業界では頑固で扱い辛い厄介者の映画監督という烙印(らくいん)が捺されてしまうし、気楽な観客の方からも難解な映画ばかり作る自己満足気味の嫌な監督、そんな受け取り方が定着していたようです。
 何も考えたくなくなった黒澤監督の友達は、御自宅近くの多摩川に棲むという体長1メートルを超える伝説の巨鯉(川の主)だけだったようです。毎日河原に行っては、鯉釣りに没頭していたので、「多摩川鯉釣りの会」の会長に選ばれてしまった時の心境はどんなものだったのでしょうか?いつもの鯉釣りから帰宅した時に受賞の電話を受けていた奥さんが玄関に飛び出して来たとか、奥さんが多摩川堤防を走って来たとか、諸説あるようですが、文字通りの「晴天の霹靂(へきれき)」だった事だけは確かです。

■それもそのはずで、当時の日本で外国の映画賞についての知識を持っている人はほとんど居なかったし、海外市場を意識している映画人も居なかったのです。周辺のアジア諸国では玉石混交の国策映画を押し付けてしまった後悔の念は強かったし、あちら側も反日気分で独立に燃えていたのですから、売るほうも買うほうも、文化交流など考えようもなかったし、欧米諸国となれば、商売になりそうなところは連合国陣営ですから、こちらは「鬼畜米英」の大宣伝をすれば、あちらは「黄色い野蛮人」を言い立てていたのですから、日本の文化を遣り取り出来る時代ではなかったのですなあ。
 それ以上に、「日本語」という財産の扱いを失敗した事も大きな負債となっているのです。明治維新以来、侵略か進出か、どちらの名前を付けるかはイデオロギーの問題ですが、「日本語通用圏」が拡大して東アジアの共通語として機能した半世紀に亘る歴史的財産を大切にする文化戦略を持たなかったばかりに、その後の空白の半世紀を過ごさざるを得なくなったのでした。
 この日本映画史上初の海外映画祭での受賞という快挙も、日本側の努力が実ったというわけではなかったのでした。国内で散々な評価しか受けられなかった中で、「世間様」の御意向など一切気にしない欧米人らしく、ジュリアーナ・ストラミジョリという名のイタリア人女性が『羅生門』に惚れ込んで、自費で英語訳テロップを焼き付けた上でヴェンチア映画祭に勝手に出品しちゃったのでした。ですから、当時の大映社長の永田さんも黒澤監督もぜんぜん知らなかったも当然で、大映社員の極僅かな人だけが出品を知っていたようですが、勿論、受賞するとは思いもしませんから、宣伝も公表も控えていたのでした。

■黒澤監督の受賞後のコメントが残っていますが、精一杯、冷静さを装っていますが、本当は御本人もさっぱり事情が飲み込めていなかったに違い有りません。


エキゾティズムや敗戦日本に対する同情があって受賞したもので、私自身はグランプリなど予想もしていませんでした。

「エキゾティズム」というのは「物珍しさ」のことですし、「敗戦日本」の本音は、かつての「三国同盟のよしみ」を予想しているようです。「予想」も何も、出品されていることさえ知らなかったのですから、その場の間に合わせで用意したコメントだと分かります。「世界のクロサワ」の誕生を知らせる大ニュースは、すぐに「日本のクロサワ」を称賛する声を煽りました。まったく現金なものであります。
 この『羅生門』の扱いばかりでなく、続いて作って大不評だった『白痴』も原作者ドストエフスキーの祖国・ソ連では最大級の評価を得ているのに、日本では拒絶されたも同然の扱いを受けていたのです。それが、「外圧」そのものの海外からの称賛の声によって、「日本の誇り」「日本文化の功労者」にしてしまう日本人を反省する必要が有るでしょうなあ。

■『羅生門』は、黒澤監督と脚本家の橋本忍さんとが出会った記念すべき作品です。橋本さんは、脚本家として大御所になってしまったので、元々才能豊かな文筆家志望の方だったのかと思ったら、実は姫路の自転車会社の課長さんだったのです。戦時召集されて大陸に送られると、武運拙く結核に罹患(りかん)して長期入院生活を強いられている間に伊丹万作(伊丹十三さんの父上)の映画を観て感動の余りに自分でもシナリオを書き始めてしまったという人です。戦争は人類最悪の災厄ですが、こういうのを怪我の功名と言うのでしょうなあ。
 橋本さんは熱心にシナリオを書き続けて、伊丹監督の指導を受けるほど深入りしていました。伊丹監督の死後、直弟子の紹介で黒澤監督との知己を得たようです。
 芥川龍之介の『藪の中』を下敷きに『雌雄』という映画シナリオを書いた橋本さんは、それを大映に持ち込んでいた時に、『醜聞』の後の大映作品を探していた黒澤監督が、このシナリオを気に入ったのでした。しかし、「時代劇」「強盗殺人強姦事件」「裁判」と並べれば、当然、勧善懲悪を期待する人達は、「推理・探索」「犯人確定」「派手な斬り合い」「一件落着」という流れを期待します。ところが、『羅生門』は映画冒頭から「分からねえ。まったく、さっぱり分からねえ。」と杣(そま)売りの志村喬が苦しげに吐いた台詞が、そのまま観客を深い森の中に引き込み、更に深い人の心という闇の中に引き摺り込んで行きます。

■逮捕された野獣のような男、被害者の妻であり強姦の被害者でもある女、事件直後に現場に居合わせた目撃者、そして霊媒師に呼び出された被害者の声、四者四様の証言が乱暴に投げ出されて観客を混乱させる。「分かんない。さっぱり分かんない」物語です。誰かが真実を語っているのかと思えば、崩れかけた羅生門で雨宿りしている下人が暇潰しに話を聞いた後で、一番本当らしい証言の矛盾点を突いて、せっかく整理されかけた観客の頭は再び大混乱して物語は真相を解明しないまま終ってしまいます。
 困ったのは観客だけではありませんでした。三人の助監督は、撮影に入る前に、渡されたシナリオを読んで頭を抱えてしまって、監督に談判に行きました。「さっぱり分かりません」「その分からないところが良いんだ」と監督は平然と答えたそうです。
 戦後の欧州で大流行した「不条理小説」は、日本の大衆文化には入り込んでいなかったのでしょう。カミュが書いた『異邦人』の殺人犯は、「太陽が犯人だ」と言いましたが、『羅生門』の殺人犯・多襄丸は「あの風さえ吹かなければ、あの男も殺されずにすんだものを」と嘯(うそぶ)きます。それを楽しめない観客には、我慢ならない作品です。

■高層建築物が無かった当時の京都市内の何処からでも見えたという伝説が残る羅生門の巨大なセットと、効果を高めるために水タンクに墨汁を入れたと噂される豪雨、その映像を楽しむだけでも価値の有る作品ですし、演技の参考にしろ、と黒澤監督からアフリカで撮影された野生の豹のドキュメント映画を渡された三船敏郎の「野獣演技」を堪能するも良し、艶(なまめ)かしい京マチ子さんの肢体に見惚れるのも良し、ちょっとマニアックに、欧州が腰を抜かした太陽を直視するレンズを我がことのように誇って観るのも良し、「カメラの魔術師」の異名を取った森の中を自由自在に歩き回るカメラを楽しむのも良いでしょう。
 この作品の唯一の難点は、「台詞が聞き辛い」ことです。一般には三船敏郎の声質が原因とされていますが、本当は大映で起こった二回の火災事故で音入れ済みのフィルムが水を被(かぶ)った不運と、瞬間的な演技を追った黒澤監督が録音係の苦労も知らずに、突然「スタート!」の号令を掛けてしまった事が大きな原因だったようです。
 当時の巨大なデンスケ(オープン・リール式録音機)の操作は、大変な肉体労働でしたし、機械自体のレスポンス能力は今から想像も出来ないほど鈍いものでしたから、テープの走行速度が安定するのに少し時間が必要なので、突然の録音開始命令には応じられなかったのです。台詞の頭が波打つような音になってしまうと、とても聞き辛い作品になります。
 DVDに焼き付けられた新しい作品集は、音声のデジタル処理を施しているのかも知れませんが、光のマジックと称賛された画像に負けない鮮明な音に直して作品を完成させて欲しいものですなあ。


そんなに大事か?フジテレビ!

2005-03-24 09:03:51 | マスメディア
[東京 23日 ロイター] ニッポン放送<4660.T>のフジテレビ<4676.T>に対する新株予約権発行を差し止めた東京地裁の仮処分決定について、東京高裁はライブドア<4753.T>の申請を認めた東京地裁の決定を支持し、ニッポン放送の抗告を棄却した。これに対し財界では、これにより敵対的買収の防衛策に対する一定の基準が確立したと受け止めている。

 日本経団連の奥田会長はコメントで、「高裁においても、地裁の判断基準が支持されたものと理解している」と述べた。また、経済同友会の北城代表幹事は、「ニッポン放送の抗告棄却は、このような形で新株予約権の発行による第三者割当増資を行うことの是非について、司法判断が定着したのではないか」と述べた。

■明けても暮れても、マスコミは「ホリエモン」と「株業界の符牒(ふちょう)」の講釈で稼いでいる。何を今更という絵に描いたような後追い報道をしているマスコミは、株の世界に封じ込められていたタブーと腐臭を、今まで一切報道して来なかった自らの怠慢を棚に上げて、実質的には白状しているだけではないのか?
「法律の改正が必要だ」と急に騒ぎ出した国会での質疑も、時代錯誤を露呈している。橋本政権時代の「ビッグ・バン」や、それに続いた「国際化」の大合唱は何だったんだ?それにしても、世論を構成して誘導扇動する役割を担っているマスコミの無責任さは酷過ぎる。「政商」だの「フィクサー」だのと、東映のヤクザ映画に一切を丸投げしておいて、自分達のマスコミ企業自体が歪んだ株の持ち合い構造の「株式会社」である事実には頬かぶりして、一連の西武帝国の崩壊劇を囃子立てて商売していながら、まったく同じ仕組みの「小が大を支配する」奇怪な経営形態をまったく問題視しなかった。堤義明氏を天から地面に引きずり下ろして叩き続けて投げ付けた悪口雑言は、そのまま我が身に突き刺さる。
 大体、「近鉄バッファローズ」の存亡を懸けた大騒動の時に登場したホリエモン君を時代の風雲児扱いして、対岸の火事を眺めていたマスコミが、いざ「マスコミ株買収」となったら一夜にして豹変して「金さえ有れば何をしても良いのか?」という森前総理のちっぽけな発言を何度も繰り返して報道して、英雄転じて腹黒い「銭ゲバ」扱いして、騒ぎ立てているのはオカシイ。

■株を上場しているという事は、フリー・マーケットの敷物の上に売り物を並べているのと変わらない。ふらりとやって来て、胸ポケットから札束を出して「全部(半分)買おう」というお客が出現したと言って、上を下への大騒ぎするのは、それこそ異常である。
 値札を付けて、マーケット(市場)に並べておいて、「買うな」というのは理不尽だろう。「マスコミ会社」は、特別だとは、何を根拠に言っているのやら、遠くはロッキード事件、近くは年金不払い騒動まで、世論が沸騰してから、「そんな事は知っていた」と嘯(うそぶ)いていたのは日本のマスコミ会社ではなかったか?必要な事を、必要になる前に伝えておくのが「公器・木鐸」たるマスコミの使命であるはずが、年がら年中、「国家存亡の一大事」を商売種にしている姿は、

「本当の名選手は、素人にも分かるファインプレーはしないものだ。彼は、常に事前に予測して突発的な変化に余裕を持って対処するから、素人目には、常に平凡に見えるものだ。」
というよな格言に反している。
 裁判所が二度も提示した「当たり前の判断」に関する報道も、我が身可愛さと唯我独尊の姿勢が明らかに漂っている。それは明らかに司法に対する圧力を意図して行なわれていたとしか思えない。「時間外取引」にしても、サービス業全体が24時間営業へとシフトしている時代に、もともと電話一本で売買出来る株券の取り引きに時間制限を課するのはイカガナものか?インターネットは24時間、地球を何周もするネットワークを作ってしまった時代には適合しない議論だが、買いたい株を買い、売りたい時に売る、それが問題と言い立てるのは間違いである。
「敵対的買収」などと言うのも、善悪の判断など一切無い欲得ずくの株の世界には適さない話であろう。株主が自分の利益のためだけに株券を買い、まったく同じ理由で売るだけのことである。出資者としての株主と、利益を出す任務を命じられた経営者という関係が存在していなかった日本が、「国際化」の荒波に翻弄されている姿を高みの見物していたマスコミが、自分の足元を同じ波が洗い始めたら大騒ぎを始める、これは実に卑怯な報道姿勢だ!そんな不公正で頼りないマスコミなら、他国の資本が買ってしまっても誰も残念には思わないんじゃないか?

■後発ラジオ局だったニッポン放送も頑張ったし、フジテレビも手段を選ばぬ視聴率競争で大活躍しているのであろうが、仮に米国資本に買収されたとして、一体どんな問題が起こるのだろう?意地悪くフジテレビのコンテンツを斬ってみれば、特に困ることは無さそうなのだが、どうだろう?
 今回の株式買収騒動が火を噴く直前に、看板番組の『報道2001』をワシントンのスタジオから放送して、竹村健一御大が「ワシントンは重要人物に一度に会える場所」だとご満悦だったではないか?それなら、本社がワシントンに移れば万々歳ではないのか?コリン・パウエル前国務長官をスペシャル・ゲストとして生出演させて大はしゃぎしていたんじゃないか!
 ワシントンに本局を移してしまえば、日本の運命を握っている政財界の重要人物が毎日毎週、スタジオに車で乗り付けてくれるという夢のような報道番組が楽々と作れるのだから、経営者も制作者も随喜の涙を流すのではないのか?日本の「支局」と結べば、時差の関係で自動的に24時間の報道が実現するし、芸能・スポーツ番組の取材も安く済んでしまうだろう。
「では、ワシントンを呼んでみましょう」と言わずに、「今日は」や「今晩は」の一言で済むだろうし、「東京を呼んで見ましょう」という場面は、きっと激減する。それこそ本格的な「日本の常識は、世界の非常識」を実践する報道番組の実現そのものだろう。どうせ、朝から晩まで東京に本社を置いているテレビ局が送り出す「情報」は、横並びの金太郎飴状態で、チャンネルを変えてもまったく同じネタを流している。NHKと二つの地方局のテレビ放送しか視聴できない広大な地域で、特に不便を感じていないという事実は、「日本のテレビ局は多過ぎる」という寒々とした真実を証拠立てているのではないか?民放の一つが米国資本傘下に移って、放送事業の実質的中心を米国に置いてしまっても、嘆き悲しむ視聴者は皆無に違いない。

■かつては若者に支持されて一世を風靡したラジオの深夜放送は、年寄りと長距離トラックの運転手さんを客としている時代だから、一局減っても困らないし、フジテレビの人気番組の多くは、アメリカのテレビからパテントを購入して製作していたのではないのか?懐かしい『オレたちひょうきん族』にしても、往年の『サタデー・ナイト・ライブ』を、日本の売れない芸人を集めてパクッタだけだし、「ギネス・ブック」に載るとか載らないとか、兎に角、日本の昼時を長年支配しているという『笑っていいとも!』にしても、タモリさんの百倍も面白い芸達者のボードビリアンが、米国には掃いて捨てるほど居る。歌番組など、米国資本で「本物」を出演させれば、何度も「アメリカ・デビュー」に失敗している日本の歌手を使うよりも、遥かに耳の肥えた若い連中を惹き付けるだろう。
発言の最後に「じゃないですか」ばかり付ける小倉さんが仕切っている朝のワイド・ショーだって、本場米国のヴォイス・トレーニングを積んだ安いアナウンサーを使えば、番組の音声も格調もぐんと上がるのは間違いないだろう。
衛星放送やケーブルTVで、欧米のアナウンサーの質の高さを知ってしまった日本の視聴者は、外見以上に聴いて心地良い「声」と「発音」を渇望しているのだ。

■可愛いハーフ(正確には両親が別民族)の娘さんを「アナウンサー」に採用したフジテレビが、「美しい東海岸の米語」で金髪(茶髪ではない!)の専属アナウンサーを起用して報道番組を作って、「正確な日本語」のテロップを流し続けるのに、どんな不都合が有るのだろう?副音声で「正確で美しい同時通訳」を流せば尚結構。
 一日の疲れを癒す夜のスポーツ番組(スポルトと呼ぶらしい)のメインは、米国のメジャー・リーグ野球と欧州のサッカーではないのか?下手な日本人アナウンサーよりも真面目に日本語を学んだ米国のアナウンサーを起用して、現地からのリポートや生中継をすれば番組制作の効率は上がるし、番組の質も改善されるだろう。
 本物の「日本語アナウンサー」を育てなかった放送企業が、中途半端な「国際化」の文化的な負債を払う時が来た、と考えてみたらどうだろう?「米国一番、日本は二番」の報道をしているのはフジテレビだけではないが、率先して対米融和(従属?)を主張していたのがフジ・サンケイ・グループではなかったのか?いよいよ、憧れの米国が資本傘下に収めて下さるというのだから、満願成就で赤飯でも炊いて振舞ったらどうなのだ?フジ・サンケイ・グループが狙われたのは、他のテレビ局やラジオ局には「買収の価値」が認められない事の裏返しだろう。喜ぶべき話ではないのか?

■マスコミが外国資本(米国と言った方が分かり易い)に乗っ取られる!と、本気で国益を考えて、マスコミは騒いでいるのか?
既に歴史となった米国の国際戦略の中にあった『オレンジ作戦』が発動されてから、日本の占領政策と戦後の世論操作はワシントンからの意図に常に左右されていたのではないのか?いつから日本のマスコミは米国に対して「独立」したのか、それを先に明らかにしなければなるまい。
毎朝、毎晩、「明日のニューヨークの天気は…」だの、深夜番組で「最近のニューヨークの流行」を衛星放送で流しているテレビ局が、米国資本に買われると騒ぐのは、小さなプロ野球業界の田舎臭い内輪の空騒ぎよりも古臭いように見える。
 ホリエモン君が「テレビは無くなる」と予言・断言したと、青筋立てて怒っている人をテレビ画面で散見したが、マスコミのネタを少しばかり加工して成り立っているのがネットの世界なのだから、ホリエモン君は確かに間違っている。彼は、どうも東大に合格するための受験勉強に役立たない本は一切読まなかった節が有る。それこそ、文部科学省の大臣や役人が対談すべき「学力低下」の権化のような人物である可能性もあるのだけれど、「テレビが無くなる」と言われて怒るテレビ人の方も可笑しい。畏(かしこ)まってテレビの番組を有り難く視聴する日本人がいなくなって久しい。仮に、テレビ全局が消失しても、ラジオ、活字メディア、口コミで人々は暮らして行ける。そもそも、業界や政界のトップは、テレビは必要どころか、邪魔扱いしているのではないのか?

■戦後のテレビ史の中で、「テレビさえ無ければ、これは起きなかった」と思える凶悪犯罪が多数起こったのではないのか?冤罪事件を幾つも作り出したし、昨年の鳥インフルエンザ騒動だって、テレビ関係者が現地に乗り込んでうろつき回って、靴の下に付着したウィルス入りの泥を運び回ったから感染が広がったとの説も有る。
奇妙な「日本語口語」を流行させたのもテレビだし、小中学生に「イジメ方」を教授したのもテレビのドラマとワイド・ショーだった。オウムを全国区に押し出したのもテレビの「功績」だろう。「援助交際」などという「売春」を言い換えた表現を採用して全国に広めたのもテレビである。米国の放送コードは日本とは比べようもないほど保守的で厳しいのだから、米国に拠点を置いたテレビ局経営が実現するのなら、日本語のためにも良い影響が期待できる。

まあ、今回のニッポン放送株の買収騒動は国民に「株」について考える好機となったことが一番の幸運であろう。そして、第二の収穫は、東大中退の100億稼ぐホリエモン君が「正しい日本語」を急速に学んだことだろう。