その1の続き。
■拉致犯罪一つに関しても、最後は「九条」問題に引き込まれて、結論を言わない「慎重な対応」という魔法の言葉で商売が成り立つ気楽なテレビや新聞の業界人が、議論を滅茶苦茶にしてしまいます。視聴率商売と支持率商売の手前、「被害者家族は、全面解決など諦めなさい」「国民の総意として見棄てましょう」とは口が裂けても言えないのでしょうが、それ以外の意味は汲み取れない言い回しが横行してしまいますなあ。
そこで、政治家もマスコミ人も学者も参加する分かり易い選挙を実施したらどうかと妄想します。
題して『第三被曝(爆)都市宣言』選挙です。日本国内を旅すると『非核都市宣言』などという意味不明の看板が立っている風景に出っくわして、暫く意味を考えて佇(たたず)んでしまいます。これは、日本の核武装を断固として拒否する、つまり、万一国会で核武装が議決された場合には、手持ちの道具を武器として(馬具を外して振り回す沖縄のヌンチャクのように)内戦覚悟で抵抗する、という意味なのか?それとも、原子力発電の電気は、1ワットも要らない!薪とランプで暮らしています!という意味なのか?さっぱり分からないまま、風雨に晒されて塗り替えが必要なのに、何故か放置されているような大きな看板を後にするようなことがしばしばなのです。
『第三被曝都市宣言』は、もっと単純で分かり易い宣言です。舞台となる選挙区は京都市が最適だと思います。それには明確な理由と根拠が有ります。ここを選挙区として長らく政治活動をしていた大御所が、保守・革新の両派にいらっしゃるからなのです。何故か、お二人とも朝鮮民主主義人民共和国にただならぬ思い入れが有るかのように、漏れ伺(うかが)っていることも理由になります。平和国家日本の為に最後の御奉公になりますし、万一当選して目出度く京都市が「第3被曝都市宣言」が成立すれば、二人の大御所のどちらが当選しようと、感涙に咽(むせ)んで、大向こうを唸らせる一世一代の珍妙なる歴史的演説をして下さるに違いありません。
■世界中の国々の「公正と信義に信頼して」第九条を厳守して絶対平和主義を貫くなら、非武装・無抵抗の都市に核ミサイルが打ち込まれるような場合には、人類に対する絶望のどん底で、第九条の美しさと価値を抱きしめて死ぬしかないでしょう?
ですから、「第九条に指一本触れさせない」と頑張っている有名な方に、京都の市長選挙に立候補して頂きまして、
「戦争を放棄している日本に対して、不法にも核攻撃が加えられるならば、もう人類に絶望するしかありません。そんな地球に生きていても仕方がありません。わたくしが当選した暁(あかつき)には、広島・長崎に続く三番目の核を自らが引き受ける名誉ある地位を、私達の京都市が担うことを宣言いたします。どうか、皆さん、その時はわたくしと一緒に九条を守って殺されましょう。」
と、出馬宣言をして頂きまして、これまで奥歯に物をたっぷり挟み込んで言論商売していたような人々は、旗幟(きし)を明確にして、応援演説に駆けつけるか、反対陣営に加勢して批判を加えるかして貰えば、「本音はそこにあったのか!」と国民は、これまでのモヤモヤした気分がすっかり晴れて、『憲法』議論も本格化するでしょう。事ここに到っても、「他力本願」「責任回避」「敵前逃亡」「夢見る中年」「老醜の極み」の宙ぶらりんのオダイモクでお茶を濁すようならば、これまで書き散らした本や新聞記事、テレビ局に残っているビデオ・テープを山にして火を放ち、どこぞの山奥で謹慎の老後を過ごすべきでしょう。
今のところ、戦力に勝(まさ)る「外交交渉力」を誇示し得る政治家や官僚は見当たりません。もしも、「外交交渉」で核攻撃を阻止できるような、卓越した能力を持っている方が一人でもいらっしゃれば、拉致問題などという単純で小さな問題など、あっと言う間に解決してしまうはずですからなあ。
案外、この宣言が本当に出そうになったら、一番過敏に反応するのが世界唯一の「原爆投下国」だったりするかも知れませんなあ。「九条」を書いた張本人が慌てるのなら、遠慮は要りません、その意味を、徹底的に議論してから、守るか変えるかを考えるべきです。
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■拉致犯罪一つに関しても、最後は「九条」問題に引き込まれて、結論を言わない「慎重な対応」という魔法の言葉で商売が成り立つ気楽なテレビや新聞の業界人が、議論を滅茶苦茶にしてしまいます。視聴率商売と支持率商売の手前、「被害者家族は、全面解決など諦めなさい」「国民の総意として見棄てましょう」とは口が裂けても言えないのでしょうが、それ以外の意味は汲み取れない言い回しが横行してしまいますなあ。
そこで、政治家もマスコミ人も学者も参加する分かり易い選挙を実施したらどうかと妄想します。
題して『第三被曝(爆)都市宣言』選挙です。日本国内を旅すると『非核都市宣言』などという意味不明の看板が立っている風景に出っくわして、暫く意味を考えて佇(たたず)んでしまいます。これは、日本の核武装を断固として拒否する、つまり、万一国会で核武装が議決された場合には、手持ちの道具を武器として(馬具を外して振り回す沖縄のヌンチャクのように)内戦覚悟で抵抗する、という意味なのか?それとも、原子力発電の電気は、1ワットも要らない!薪とランプで暮らしています!という意味なのか?さっぱり分からないまま、風雨に晒されて塗り替えが必要なのに、何故か放置されているような大きな看板を後にするようなことがしばしばなのです。
『第三被曝都市宣言』は、もっと単純で分かり易い宣言です。舞台となる選挙区は京都市が最適だと思います。それには明確な理由と根拠が有ります。ここを選挙区として長らく政治活動をしていた大御所が、保守・革新の両派にいらっしゃるからなのです。何故か、お二人とも朝鮮民主主義人民共和国にただならぬ思い入れが有るかのように、漏れ伺(うかが)っていることも理由になります。平和国家日本の為に最後の御奉公になりますし、万一当選して目出度く京都市が「第3被曝都市宣言」が成立すれば、二人の大御所のどちらが当選しようと、感涙に咽(むせ)んで、大向こうを唸らせる一世一代の珍妙なる歴史的演説をして下さるに違いありません。
■世界中の国々の「公正と信義に信頼して」第九条を厳守して絶対平和主義を貫くなら、非武装・無抵抗の都市に核ミサイルが打ち込まれるような場合には、人類に対する絶望のどん底で、第九条の美しさと価値を抱きしめて死ぬしかないでしょう?
ですから、「第九条に指一本触れさせない」と頑張っている有名な方に、京都の市長選挙に立候補して頂きまして、
「戦争を放棄している日本に対して、不法にも核攻撃が加えられるならば、もう人類に絶望するしかありません。そんな地球に生きていても仕方がありません。わたくしが当選した暁(あかつき)には、広島・長崎に続く三番目の核を自らが引き受ける名誉ある地位を、私達の京都市が担うことを宣言いたします。どうか、皆さん、その時はわたくしと一緒に九条を守って殺されましょう。」
と、出馬宣言をして頂きまして、これまで奥歯に物をたっぷり挟み込んで言論商売していたような人々は、旗幟(きし)を明確にして、応援演説に駆けつけるか、反対陣営に加勢して批判を加えるかして貰えば、「本音はそこにあったのか!」と国民は、これまでのモヤモヤした気分がすっかり晴れて、『憲法』議論も本格化するでしょう。事ここに到っても、「他力本願」「責任回避」「敵前逃亡」「夢見る中年」「老醜の極み」の宙ぶらりんのオダイモクでお茶を濁すようならば、これまで書き散らした本や新聞記事、テレビ局に残っているビデオ・テープを山にして火を放ち、どこぞの山奥で謹慎の老後を過ごすべきでしょう。
今のところ、戦力に勝(まさ)る「外交交渉力」を誇示し得る政治家や官僚は見当たりません。もしも、「外交交渉」で核攻撃を阻止できるような、卓越した能力を持っている方が一人でもいらっしゃれば、拉致問題などという単純で小さな問題など、あっと言う間に解決してしまうはずですからなあ。
案外、この宣言が本当に出そうになったら、一番過敏に反応するのが世界唯一の「原爆投下国」だったりするかも知れませんなあ。「九条」を書いた張本人が慌てるのなら、遠慮は要りません、その意味を、徹底的に議論してから、守るか変えるかを考えるべきです。
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