旅限無(りょげむ)

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冗談も過ぎるとホラーになる 其の四

2012-03-04 10:45:53 | 政治
■3月3日の雛祭りの日にクラッシャー小沢がテレビ東京の『田勢康弘の週刊ニュース新書』に緊急出演!しておりましたが、落ち着いた口調ながら野田・谷垣の(皆が知っている)秘密会談に対抗するには嫌いなテレビ局にでも我慢して顔を出して泰然自若としている姿を見せなければならない苦しい「台所事情」があるのでしょうなあ、と邪推したくなる薄味の緊急ナマ出演でありました。話題は党首討論の4日前に与野党党首が密談を交わしていたという確度の高い「噂」と小沢グループの離党の可能性が中心でしたが、久し振りに民放テレビに出たのに冴えない表情に見えたのは、クラッシャー小沢に関して田中角栄元総理大臣と比較した興味深い記事を見付けていたからかも知れません。

……「今年は大変な年になるぞ」。年明け早々の1月2日夜、民主党の小沢一郎元代表は岩手県久慈市のすし店で、同県の達増拓也知事らとの会食で、こう述べたという。翌3日、小沢氏は大津波の被害を受けた岩手県沿岸部の都市を一気に視察した。久慈→宮古→釜石→大船渡→陸前高田。走行距離約220キロ。「大変な年」発言は地元・岩手、東北の復興への決意の表れだったのか。ところが、視察先で小沢氏の口から出てくるのは、永田町にいるときと変わらぬ政権批判ばかりだった。……小沢氏の被災地入りは、これが2度目。最初は昨年3月28日に県庁を訪問、沿岸部には足を踏み入れなかった。この間、小沢氏は達増知事と頻繁に連絡を取っていたというが、菅首相(当時)の不信任案に同調する動きを見せて揺さぶりをかけ、首相退陣後は、野田佳彦現首相への対抗馬擁立など、政局の主役として脚光を浴び続けていた。…… 

■クラッシャー小沢は東日本大震災が発生する前に民主党内の特に小沢嫌い議員達が好む「政治とカネ」という黒い看板を振りかざし検察に対する全国的な不信感が渦巻く中で飛び出した政治資金規正法違反罪での強制起訴というちょっと強引な判断に誰かさん達は小躍りして喜び2月の段階で妙にテキパキと党員資格停止処分を決めていたのでした。そして大震災と原発大事故が起こった3月に、クラッシャー小沢は党倫理規則に基づいて不服を申し立てて党の執行部と睨み合いになったものの、「却下」の決定が下ったのは何と夏の7月20日のことでした。それも「判決確定まで」はずっと党員資格停止だぞ!という御丁寧な条件まで付いていたのでした。

■遅々として進まない震災からの復興に苛立ちが募っていた時期でもあり、宮城県仙台辺りにさっさと復興庁を設置して、「東北の帝王」だの「ゼネコンの総元締め」だのと政界に流布する黒い噂を逆手に取って、クラッシャー小沢に全権を預けて豪腕・辣腕を振るわせようなどという非常の決断を下せるような民主党政権ではありませんでした。片方ではクラッシャー小沢を座敷牢に放り込んで放置し、また片方では力強さに欠けるハリボテの復興庁を立ち上げるのにさえ11箇月もの無駄な時を費やしてしまったのですから、ロッキード裁判で手足を縛られながらも「闇将軍」として隠然たる力を持ち続けた田中角栄さんと比較するのは酷だったような気もするのですが……。


……昭和59年、新潟県中部で発生した大水害。田中角栄元首相は地滑りが起きた長岡市の現場に急行した。「すぐやる。全部やるから心配するな」。住民たちを励ます田中氏の姿を後援会「越山会」で青年部長を務めた星野伊佐夫新潟県議(72)は鮮明に覚えている。当時、田中氏はロッキード事件の渦中にいながら、なお大きな影響力を保持し、「闇将軍」と称されていた。政界一の実力者が「すぐやる」と宣言した通り、地滑り現場では2、3日後には、復旧工事の着工日が決まっていた。「カネは後で何とかする。まず取りかかれ」。これが田中氏の口癖だった。田中氏は、復興の支障になると思えば、法や制度を変えることをためらわなかった。39年の新潟地震を契機に政府と損保会社が共同運営する地震保険制度を確立。42年8月の新潟県北部の集中豪雨で死者が100人を超える水害が起きた際には、堤防決壊で、甚大な被害を引き起こした荒川を、河川法で管理主体が県単位となっていた2級河川から国が直轄する1級河川に昇格させた。 

■田中角栄さんと言えば抜群の記憶力と絶大な実行力は今でも語り草になっておりますが、それ以上に「人たらし」の天災だったと専らの評判であります。この才能がクラッシャー小沢には欠けているのかも知れませんなあ。


小沢氏は、その田中氏のまな弟子とされている。ともに長く政界で影響力を持ち、自らの「政治とカネ」にまつわる疑惑で法廷に立ち、批判が多い点まで共通している。しかし、地元を大災害が襲ったときにとった行動は対照的だった。……被災地でボランティア活動に励む一方で、永田町では政局三昧。この1年間、与野党問わずに見せた国会議員の二つの顔が、そのまま被災地と永田町の間に横たわる大きなギャップとして表れた。
2012年3月1日 産経新聞 

■「壊し屋」の異名を持つクラッシャー小沢ですから、ちょっと動けば「すわ離党か?!」と政治記者達の飯の種にされ、あれこれ憶測をたっぷりと塗り込んだ怪しげな記事を書き立てられるのは仕方がないことなのでしょうが、無理スジの裁判を陰湿に利用して手足を縛られている身としては表立っての行動は慎まざるを得ない立場である事実を無視して、復興に努力せず政局遊戯に血道を上げている困った無能な政治家達の親玉に仕立て上げるのは、日本の政治を停滞させ復興の邪魔をする結果になるだけのような気もします。政権交代が実現した直後から幼稚な内輪揉めばかりしている民主党に震災からの復興も原発問題の解決も最初から荷が勝ちすぎていたのでしょう。ましてや財政再建と年金医療制度とを両立させる大改革など下手をすれば政治的理由で日本が世界的大恐慌の引き金を引く役を演じることになる可能性さえある危険な火遊びも同然と申せましょうなあ。「政権交代」が悪い冗談だったのか、憲政史上最悪のホラーだったのか、そろそろ結論が出る頃かも知れません。

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