旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

4日間のお休み

2009-06-06 07:05:16 | お知らせ
第二次天安門事件の「記念日」について考えようかと思っていたら、四川省成都で爆発!不満と批判を抑えれば何処かで火を噴く今のチャイナであります。米国のオバマ大統領はエジプトのカイロに乗り込んで、またまた歴史的な演説を行い、洋の東西は大きく揺れております。日本はひたすら解散総選挙を先送りし続けている間に、政府の内外で小さな波紋が広がってはうやむやの内に消えておりましたが、悪評高い「裁判員制度」が始まった途端に最高裁の判断が完全に覆される大冤罪(えんざい)事件が発覚!「17年間を返せ!人生を返せ!」という被害者の悲痛な叫びを裁判員の立場で聞かねばならない恐ろしさをよくよく考えねばなりません。そして、日本の大学が変だなあ、と感じる奇妙な事件が続発しているのも気になります。そんなこんなを考えねばならない時ではありますが、旅限無は数日間、インターネットが使えない場所に行くことになってしまいました。来週の半ばくらいまで、新しいエントリー記事は掲載できないことになりそうです。読者の皆様には、前に書いた北朝鮮関連やチャイナ関連の記事などを中心に、読み漏らした分をのんびりと?読み返して頂ければ幸いです。何やら東京都下では結婚式の2次会・3次会で新型インフルエンザに感染する「事故」が起こっているとか……皆さまにおかれましても、油断は禁物、こまめに手洗い・うがい、発熱を感じたら早めの受診を心がけましょう。

小休止です。

2007-11-01 10:01:28 | お知らせ
■しばらくブログはお休みです。最近、新たに拙著『チベ坊』に熱烈な書評が寄せられまして、ブログを続けて来た意義を改めて感じているとこでもあり、内外に山積している問題をあれこれと考えたいのは山々なのですが……。拙著の内容に直結する日本の「教育」問題が、迷走と言うよりも漂流しながら解体しつつあるのが非常に気になります。案外、NOVA騒動も国の教育行政に開いている大穴が原因かも知れません。そのNOVA事件も所管する厚生労働省の問題となったら、更に目が離せません。名前が消えたはずのミドリ十字が蘇り、731部隊の亡霊は今も官僚組織の何処かに巣食っているようです。
 
■国際問題の方は、第一次大戦直後から欧州列強(特に大英帝国)が知らん振りして来たクルド問題が、ブッシュ政権の正義の戦争によって封印が解かれてしまいましたから、この方面の記事も準備しているところであります。そして、今月にはダライ・ラマ猊下の来日も予定されています。そのような実に面白い時期ではありますが、雑事が重なりまして実に残念ながら、1週間ほど記事のアップは止まります。過去の記事を掘り起こして熱心にお読み下さる読者の多い事も承知しております。できますれば、読み飛ばした記事などございましたら、この機会?に読み直して頂ければ幸いです。

松山上陸作戦

2007-03-06 16:42:11 | お知らせ
2月11日の朝日新聞『天声人語』でも取上げられましたが、拙著『チベット語になった坊っちゃん』に登場していた生徒達と一緒に、関西「汽船」のフェリーで四国の松山を訪れます。3月10日の日曜日に愛媛大学の大教室にて、本に書いた通りの翻訳を実演します。講演会とシンポジウムもあります。午後1時からですからなので、お近く?の方は覗いて見て下さい。参加費は無料とのことです。イベントの様子は、ブログで紹介する予定であります。さて、どうなることやら……。楽しみなような怖いような……。でも、精一杯頑張ってみようとは思っています。

2月11日(日)朝日新聞 天声人語にご注目!

2007-02-10 00:16:26 | お知らせ
読者の皆様へ。出版以来1年を経ました拙著『チベット語になった「坊っちゃん」』が一部の?熱烈な読者を得ることが出来ました!これに関しましては、物書き冥利に尽きる思いであります。感謝の言葉もございませんが、皆様のお蔭様とお釈迦様のお助けも有ったのか、来る2月11日(日)朝日新聞全国版第1面の『天声人語』に分不相応ながら、重要な「小さな心温まる話」が取り上げられる運びとなりました。朝日新聞をご購読でない向きには、何かの機会を得まして一瞥して頂ければ幸甚に存じます。詳細は後日。

人もすなる講演会なるものを…

2006-05-20 12:34:54 | お知らせ
■世の中は、捨てる神あれば拾う神あり、と申しますが、拙著『チベ坊』を拾って大切に思って下さるご奇特な方がいらっしゃいまして、有りがたい事に、講演会なるものを開いて下さる運びとなりました。連休初日の4月29日に、本に登場していた生徒本人からブログに書き込みが舞い込むという椿事が発生しまして、ノンフィクション作品とは申せ、少々、出来過ぎとも思える物語の印象も無きにしも非ず……という恐れも有ったかと気にもなっておりましたが、事実はノンフィクション本よりも奇なり、とでも申しましょうか、事態は拙著に書いた夢や希望が実現する方向に進んでいたのでございます。

■講演会のお話が進みまして、いよいよ期日が近づいて来たなあ、と記録映像の編集や、講演でお話する内容の整理などを始めたところに生徒からのコメントが来ましたので、後援者の中からも「是非、この話も入れて下さいな」との御希望で、さてさて、講演会のツカミに置くべきか、最後の盛り上げに使うべきか、などと贅沢な悩みを楽しんでおります。『坊っちゃん』をチベット語に翻訳している記録映像には、その生徒が写っているのですから、編集作業を忘れて画面に釘付けになって困っております。昨年1月に地平線会議で発表の機会を与えて頂きまして、とんとん拍子に本の出版が実現したのは年末でした。新聞社の取材でも、ブログ読者のコメントでも、「その後の生徒達はどうなった?」と問い詰められて答えに窮しておりましたが、生徒自身からの「草原に撒かれた日本語の種は育っている」との書き込みを読んで、あまりの事に呆然自失、感謝や喜びの言葉を忘れておろおろするばかりであります。

■5月20日の日曜日午後2時より、四国松山の正岡子規記念博物館などという、由緒正しい子規ファンにとっては聖地にも等しい場所を汚します。どうかファンの皆様にはご容赦をお願い申し上げます。と同時に、お近くの方は「どんな野郎なんだ?」と見物にいらっしゃって下さい。無料ですが朝日新聞松山総局に参加御希望の方はちょっと申し込んで頂く事になっております。さて、どんな交流が出来ますやら、楽しみなような、怖いような……。

■5月28日の日曜日は、同じく午後2時より、福島県いわき市の草野心平記念文学館にて、講演会を開催いたします。カエルの詩で有名な草野心平さんは、若い時に上海に語学留学してその後は日本語講師を務めたのだそうです。誰かさんと同じような事をしてのですなあ。勿論、両者を同格になど扱っては行けません。文学館では、有名な作品をパネルにして展示してありまして、その前に立つと同時に心平さんご自身の声で朗読が始まります。晩年、ご自身の朗読を熱心に録音して音源を保存すうる努力をした成果です。有名な「カエル語」の詩も楽しめますぞ。ちょっとアクセスに難がある立地なのですが、心平さんの生家と心平さんが愛したモリアオガエルの生息地の近くに建設したので、これは仕方が無いのです。

■国語の教科書にも作品が掲載されていたので、随分と遠方からも見学者がいらっしゃるそうですなあ。偉大な詩人を記念した文学館ですから、あまり大きな恥は掻きたくないものです。草野心平記念文学館を訪れたいと念じておられた向きは、この機会にどうぞお運び下されば幸いです。新緑の季節、小高い文学館からの風景はなかなかのものですぞ。有名な湯本温泉郷、否、今年封切られるハワイアン・センター(今はスパ・リゾート・ハワイアン)も近いですから、沢山の人に来て欲しいなあ、と主催者も申しております。そう言えば、四国松山も名湯の道後温泉が有りまして、日本三大名湯の二つで『チベ坊』の講演会をするわけですなあ。後に残るは有馬温泉だけだ!と別に力むこともありませんが、中国奥地で起こった出来事を多くの人に知っていただ機会が増えることを念願しております。

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『チベット語になった『坊っちゃん』』発売中!
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ウェブ言論誌 論泉2006年4月11日書評

2006-04-11 10:07:31 | お知らせ
ウェブ言論誌 論泉

読書案内 中村吉広『チベット語になった『坊っちゃん』』/高坂相 平成18年4月11日

山と溪谷社、平成17年12月15日、定價1600圓(税別)

これは現代のチベットについて書かれた本である(※注)。チベットのチャプチャにある教員養成機關、青海民族師範專科學校にチベット語を學ぶために留學した著者が、やがて日本語教師としてチベットの若者たちに日本語を教へることになる。本書はその時の記録である。著者の經歴を見ると、自由な生き方をしてきた人のやうだ。昭和三十三年福島縣生まれ、東洋大學哲學科に學び、在學中にイスラエルのキブツでの生活を體驗してゐる。その後も海外放浪を續け、日本で塾の先生などを經て、日本語教師になる。チベットに留學したのが1998年、その留學先の學校で日本語を教へることになるのは2001年のことである。

著者は政治的にチベット獨立運動にコミットしようとしてゐるわけではないが、眼前でチベットの民族文化が衰亡しつつある樣を見て、チベット語を守ることに少しでも寄與したいと考へる。言葉さへ殘すことができれば、民族の將來に希望がつなげる。著者によれば、チベット語は古典語がそのまま現代に生きてをり、日本語が平安時代に停止してゐるやうなものだといふ。したがつて、それをそのまま殘すだけでは現代的要請に應へることはできないので、チベット語を保存するだけではなく、チベット語の近代化といふことも同時に考へなくてはならない。そのために著者が目を付けたのが飜譯事業である。それも、日本語文獻の飜譯である。

チベット語は孤立語に分類されてゐるが、膠着語的性格を持つてをり、チベット人が日本語を學ぶのは容易であるといふ。特に「てにをは」の使ひ方はぴたりと重なるといふ。著者によれば、日本語を學ぶことは日本語文法と對照させてチベット語文法を學ぶ機會にもなる。チベットでは北京語を通じて現代文明を吸收してゐるが、中國政府の見解ではチベット語は古臭い言語であり、やがて滅び去るものと見做されてゐる。支配者と被支配者の關係において、チベット人自身がこのやうな支配者の價値觀を内面化することにもなるし、現實に北京語を通して近代化することはチベット語を放棄していく過程でもある。チベット人が日本語を學ぶ場合にも、これまでは北京語版の教科書『標準日本語』をテキストにしてゐた。これは日本人が韓國語を學ぶのにフランス語の教科書を使つてゐるやうなものであるといふ。チベット人が日本語を學ぶ場合に、北京語といふ迂囘路を通る必要はなく、直接日本語を學べばよいのである。

多くのチベットの若者たちが、近代化に成功した先進國であり、文法的に共通性を持つた日本語を學べば、大量に日本語文獻を飜譯することを通じてチベットの近代化に資するとともに、日本語と對照させてチベット語の文法を學ぶ機會にもなり、チベット語を現代に通用する言語として新たに形成する過程にもなり得る。日本語を支へとしてチベット語を強化することは、支配者の言語を相對化し、そこから自由になる道でもあらう。日本語學習と日本語飜譯は、いはばチベットの國學運動に發展し得るものである。著者はそこまで書いてゐないが、構想はさういふことであらう。

日本語授業の鍵となる、表音文字、「てにをは」、辞書という三つの共通項が浮かび上がった時から、最終的な準備が急速に整って行った。チベット文字の一覧表は日本語の「アイウエオ」と同じくインドの文字一覧表を踏襲している事を確認した時に、自分の計画の有効性に確信が持てたのだが、更にこの文字列に従って辞書が編纂されているので、チベット人達が日本語の辞書を使えるようになるのに時間は掛からない事も容易に想像出来た。そして、日本語の「てにをは」の対応を習得する為には、チベット人は自分達の文法学を完全に習得していなければならない事に思い至って、私の授業の最終目的は日本語で書かれた本の翻訳に定まったのである。

彼等の祖先が一〇〇〇年以上も前に、まったく異なる種類のインドの言葉を翻訳して独自の文化を築き上げたように、今度は多くの共通性の有る日本語を翻訳して新しい知識を吸収し、学ぶべき課題が有るのならば、日本に留学して存分に研究してその成果をチベット語に写し取って戻って来れば良い。嘗て、インド文明の全てを翻訳して仏教を中心に芸術も医学も天文学さえも学び取ったチベット語が、今度は世界一の翻訳文化を持っている日本語から、世界中の知識を吸収する時代が始まるかも知れない。そう思った時から、私の生活は急に忙しくなった。

(162~163頁)

飜譯作業は日本語中心(センター)といふ機關を作り、日本語ができる教師たちと日本語を學ぶ生徒たちによる一種のボランティアグループによつて始められた。飜譯する文獻は、學校の圖書館に死藏されてゐたものを中心に、佛教關係のものと日本の近代化に關するもの、それにチベット人に親しみやすいと思はれる文學作品から選ばれた。まづ教師たちが飜譯したのは、芥川龍之介『蜘蛛の絲』、狂言『附子』、柳田國男『國語成長の樂しみ』、山口瑞鳳『「三十頌」「性入法」の成立時期をめぐって』である。そして標題にもある夏目漱石の『坊つちやん』は、最初は教師たちが飜譯に着手し、途中から生徒の中から優秀者を選拔して飜譯作業を進めた。『坊つちやん』をテキストに選んだのは、近代化の嵐の中の人間を描いてゐること、學校を舞臺にしてゐること、人間が良く描けてゐる名作であることによる。實際に『坊つちやん』はチベット人にとつても親しめる作品であり、生徒たちは飜譯に夢中になる。『坊つちやん』飜譯の場面は本書の白眉である。

附け加へておけば、著者のチベットでの活動は必ずしも順調だつたわけではない。漢人や共産黨の監視もある。チベット人の利己的な立身出世主義や無氣力もある。共産黨の密告獎勵の分斷統治の結果、チベット人は連帶感が乏しく共同作業が難しいといふこともある。また、著者自身が日本語とチベット語の文法比較の研究をし、日本語教師として正規の授業も受け持ちながら、ボランティアで飜譯作業に取り組んでゐることから、時間的・體力的な限界もあつた。さうした状況の中で情熱的に教へる著者とそれに應へて學ぶチベットの若者たちの姿は感動的である。しかし、彼らに民族としての未來があるかどうかはわからないといふのが現實である。

本書はチベット民族の置かれてゐる現状の中でチベット語について實踐的に考へた軌跡を辿つたものであるが、日本語の置かれてゐる状況についても考へさせられる本でもある。著者の日本語についての考へ方も興味深い。たとへば外國人の學習者にとつて日本語を理解するのに最も必要になるのは助詞や助動詞を區別することであり、漢字を制限してやたらと平假名だらけの文章にすることは助詞や助動詞を區別することを妨げ、外國人には讀みにくいので、なるべく漢字を使ふやうにしてルビを振ればいいと提言してゐる。この指摘は日本人自身の國語習得についても當て嵌まることだらう。また、語學學習における會話重視の風潮にたいして文法重視の重要性を説き、少數民族の言語や方言の大切さを説いてゐる。日本語を貧しくしてきた國語政策や日本語の現状、すなはち現代日本人の日本語にたいする態度への見方も嚴しい。

無知な若者は「通じれば良いではないか」と放言するものだが、こうした文法軽視の態度を放置すると、複雑な議論や文章を受け付けない頭脳が完成してしまう。そして、古典どころか現代文も敬遠する文化的国籍不明者が増殖する事になる。日本では、学力低下を心配する声がマスコミに溢れているが、本当に低下しているのは日本語を使いこなす能力なのである。

(122頁)

言語についての考察を中心に書評してきたが、チベットの人々との交流が非常に面白く描かれてをり、それらのエピソードも樂しい。言葉に關心を持つてゐる人には必讀の一册である。

(高坂相)

※注
▼チベットとはチベット高原を中心にした地名でもあり、民族の名稱でもある。民族の起原は傳説の彼方にあるが、七世紀には統一國家を樹てたやうだ。その後はモンゴルや支那、イギリスなどと外交關係を持ちながら生き延びてきた。現在、チベット民族は中國・ブータン・インド・ネパールの四ヶ國にまたがつて居住し、そのうちブータンのみはチベット民族による獨立國であるが、チベットの大部分は中國が實效支配してゐる。中國は1950年にチベットを侵略し(中國共産黨によれば「解放」)、翌51年に實質的に併合した。現在、チベット高原の一部に西藏自治區を設けてチベット民族の自治區とし、あとはチベット人から奪ひ取つて中國の本土に省として組み入れてゐる。獨立を求めるチベット人たちやチベット佛教の僧侶たちは何度も激しい彈壓をうけてきた。59年にチベット蜂起が發生し、中國はそれにたいして大虐殺を行なつた。この時、ダライ・ラマとともに八萬人の難民がインドに亡命し、ラサにチベット亡命政府を樹立した。チベット亡命政府は今も中國に意義を申し立てて獨立運動を行なつてゐるが、中國はチベット人への彈壓・虐殺を繰り返し、チベットに漢民族を大量に入植させ、同化政策と相俟つて、チベットの状況は民族淨化の樣相を呈してゐる。

2006年4月8日 朝日新聞be掲載記事

2006-04-08 12:57:27 | お知らせ
「坊っちゃん」100年の遺産 町おこしや日本語の可能性

http://be.asahi.com/20060408/W13/20060329TBEH0013A.html

 今年は夏目漱石の「坊っちゃん」誕生100年の年だ。「親譲りの無鉄砲」な坊っちゃんの物語ほど、多くの人に親しまれた近代文芸はない。べらんめえや方言を駆使して日本語表現を豊かに広げ、物語を読む快感を味わわせてくれた。文芸による町おこしの元祖でもある。「坊っちゃん」の意義、新しい読み方を探った。

 夏目漱石は1906年3月10日過ぎ、東京・千駄木の家で「坊っちゃん」を書き始めた。それからちょうど100年後の3月19日、ゆかりの松山市で「『坊っちゃん』新世紀へ」(愛媛大学主催)と題するシンポジウムがあった。

 高校時代を松山で過ごしたコラムニスト天野祐吉・子規記念博物館長や観光協会、熊本・鎌倉の漱石の会の関係者らが出席した。「坊っちゃんとは友達になりたくないが」と笑わせた天野さんは「子規と漱石は、現代に通じる日本語を作った」と評価し、地元関係者は「松山に大変な恩恵をもたらした」と述べた。

 確かに四国の地方都市・松山は「坊っちゃんの町」として知られている。すでに大正時代に、旧松山中学の漱石の同僚教師らによって登場人物のモデル詮議(せんぎ)がなされ、昭和30年ごろから松山市道後温泉で「坊っちゃん団子」が売られ名物に。「坊っちゃん列車」が走り、「坊っちゃんスタジアム」もできた。

 だが小説では松山らしき町は「野蛮な所だ」などと悪口を書かれる。松山坊っちゃん会の頼本冨夫会長は「あくまでフィクションですから。作品のおかげで、ご当地ソング的に松山が全国に知られました」とおおらかに言う。同会は漱石の教え子らで発足、頼本さんは6代目会長だ。

 今月、道後温泉に碑が建ち、同温泉の全客室に「坊っちゃん」の文庫本が備わるという。すぐ隣の東温(とうおん)市には「坊っちゃん劇場」もできる。6月に永六輔さんらを招き俳句大会を開く。松山市の担当課は「イベントを重ねていけば観光客も増え、経済効果もでよう」と期待する。同市は最近、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも町おこしをはかっているが、まだ「坊っちゃん」には及ばないようだ。

■チベット語に翻訳も

 表のように、「坊っちゃん」人気は根強い。「勧善懲悪で痛快」「江戸、会津の佐幕派の敗北物語」「家族崩壊の話」。いろんな読み方がされる小説だが、新しい読み方として、自筆原稿の研究がある。佐藤栄作・愛媛大学教授らが進め、今回のシンポでも発表された。

 自筆原稿の複写を精査し、推敲(すいこう)のあとを探る。問題は本人だけではなく、掲載した雑誌「ホトトギス」の編集者・高浜虚子の手がはいっていることだ。漱石は虚子への手紙で、方言の手直しを依頼しているから、予想されたことだが、原稿の複写が公になってから研究が進んだ。02年の漱石全集(岩波書店)で、加除訂正一覧として掲載された。

 佐藤教授は2人の筆跡の違いから、「なもし」など松山弁のかなりは、虚子が書き加えたと推定する。例えば、下宿の萩野のばあさんの話す言葉。カッコ内が変更前。

 遠山の御嬢さんを御存知かなもし(知りかな)

 先生はもう、御嫁が御有りなさるに極つとらい。私はちやんと、もう、睨(ね)らんどるぞなもし(御有りるに極つとる。私はちやんと、さう、見て取つた)

 「坊っちゃん」の魅力のひとつは、江戸っ子のべらんめえ調と、のんびりした松山弁の対比、豊かな日本語表現にあるが、虚子の存在は案外大きかったようだ。佐藤教授は「虚子の直しは作品全体からみて決定的なものではない」とした上で、「方言以外にも虚子が手を入れたと思われる部分があり、今後の研究課題だ」と指摘する。

 「坊っちゃん」は最近、チベット語にも翻訳された。中国・青海省で、チベット青年たちに日本語を教えた中村吉広さんは、昨年、「チベット語になった『坊っちゃん』」(山と渓谷社)を出版した。生徒たちに日本語を教えつつ「坊っちゃん」をチベット語に翻訳した記録だ。

 中村さんは「漱石はあの時代に、新しい日本語を作った先頭のひとり。チベット語は文語体はあるが、各地域のチベット人に共通する口語体とその書き方はきちっとできていない。チベット語をとりまく状況は漱石出現の前の日本語と似ている」という。

 うらなり 作家小林信彦が「文学界」2月号に掲載した小説。「坊っちゃん」の後日談で、初老になった「うらなり」が東京・銀座で「山嵐」に会い、その後を語り合う。「うらなり」は以前「マドンナ」に会い、幻滅していた。彼は「堀田と同僚だった数学の教師の名は、どうしても思いだせない」のだった。

(牧村健一郎)

■井上ひさしさん

「坊っちゃん」は3年に1度くらい読んでいます。何度読んでも面白い。
 文章に文語体と口語体が入り交じり、ついに口語体が生きた言葉として完成した時代の作品です。漱石はそこで落語を採り入れました。長年、日本人に親しまれてきた落語のボキャブラリーとリズムを生かし、多くの人に開かれた文章を提示しました。

 ぼくはこの作品に、子規の影を感じます。子規と漱石の出会いは日本文学史最大の出会い。丸谷才一さんが「漱石は子規を知って、自分の運命と出会った」という趣旨を述べています。子規は漱石と会わなくても子規だったでしょうが、漱石は子規がいなければ作家になったでしょうか。

 松山を一見悪く書いていますが、子規と彼を生んだ松山への敬意を感じます。大江健三郎さんと伊丹十三さんも松山の縁ですね。この2組の関係を考えます。

 さびしい結末ですね。「坊っちゃん」は松山でエネルギーを使い果たしたのでしょうか。街鉄(がいてつ)の技手時代の「坊っちゃん」を書こうとしましたが、難しく断念しました。いつか書きたいと思います。(談)

2006年3月25日 朝日新聞夕刊

2006-03-25 19:46:08 | お知らせ
■拙著が3月25日朝日新聞夕刊で紹介されました。

チベット人学生勉強わずか半年 「坊っちゃん」を翻訳「先生」が交流つづる

日本語を学び始めてわずか半年のチベット人学生たちが、夏目漱石の名作「坊っちゃん」をチベット語に翻訳した。「奇跡ではない。チベット人ならできるのです」中国青海省のチベット人師範学校で、彼らに日本語を教えた中村吉広さん(47)は語る。その顛末と、学生との心の交流を「チベット語になった『坊っちゃん』」(山と渓谷社刊)でつづった。チベット語は日本語と語順がほぼ同じ膠着語。「てにをは」も驚くほど対応しており、学生には「チベット語の文法の上に北京語の漢字を乗せれば日本語になる」と説明したという。
「坊っちゃん」を選んだのは学生たちも小説と同じ全寮制で、話が分りやすかったから。登場人物に似た先生は彼らの身近にもいた。
 東洋大で西洋哲学を学んだが、チベット仏教にひかれ、その言葉を学ぼうと決意。留学先に選んだ師範学校で、在学中に日本語学科が創設されることに。「頼まれての日本語教師への転身が。得がたい体験となりました」(清水勝彦)

朝日新聞書評 2月5日

2006-02-06 13:39:18 | お知らせ
■著者はチベット仏教の研究を進めるうちに、中国・青海省のチャプチャにある青海民族師範高等専科学校に留学しチベット語を学んだ。やがて、逆にチベットの学生に日本語を教えることになる。
■日本から学校に寄贈されていた書籍の中より、夏目漱石の『坊っちゃん』を選んで翻訳させた。チベット語文法と日本語文法の共通点を利用した著者の教授法は、チベット語教育を高めることに通じると、漢族への同化を進める中国共産サイドから警戒される。しかし著者は「チベット語が秘める可能性を広げ、生徒の能力を伸ばしたい」と孤軍奮闘を続けたのだった。
■漱石が日本語に埋め込んだウイットに、学生は翻訳の最中に大笑いし即興芝居まで演じる。生き生きとした授業の様子は、まるで奇跡を見るようで感動を呼ぶ。情熱にあふれた講師の姿勢と、それを見事に受け止めた生徒たちは、共に称賛に値するのではないか。
多賀幹子(フリージャーナリスト)

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『チベット語になった『坊っちゃん』』発売中!
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日経新聞2006年1月8日書評

2006-01-09 20:23:41 | お知らせ
■中国・青海省の小さな町で、日本語教師を務めた日本人によるノンフィクション。チベット仏教を学ぶつもりで現地に留学した著者は、日本語とチベット語の類似性に注目し、全くの偶然からチベット人学生に日本語を教えることになる。学生たちは三カ月後には夏目漱石の『坊っちゃん』を翻訳するまでに。孤軍奮闘する著者と学生たちの熱っぽいやりとり、存亡の危機にひんするチベット語の現状など、チベットの生の姿を伝える。

★『チベット語になった『坊っちゃん』』発売中

2005-12-31 23:58:00 | お知らせ
昨年、暮れ忙しい最中に、旅限無は『チベット語になった『坊っちゃん』』という本を山と渓谷社より出版しました。業界の力関係で、全国の書店で簡単に入手できる状況には無いのが、実に心苦しいのですが、旧弊に安住している配本体制を乗り越えつつあるネット通販で、何と海外在住の方にも御購入いただいている由。便利な世の中になったものです。今年は『坊っちゃん』100周年とも仄聞(そくぶん)いたしました。是非、漱石が残した財産を再読して頂きたい。そして、関連本として拙著も手に取っていただけますれば、望外の幸せと存じます。以下に、恥を忍んで中身をおずおずと紹介させていただきます。

旅限無は1998年から2000年まで中国・青海省でチベット語を学び、2001年の1年間はチベット人学生にチベット語で日本語を教えておりました。この本はその時の体験・思索をまとめたものです。

■本の概要

本の最初はチベット留学の動機から始まります。奇縁で入学したのが、パンチェン・ラマが設立した中国青海省の民族学校で、その内部で起こっている諸問題のレポート部分が続きます。
「チベット語の蘇生」の試みについて可能な限り詳細に述べましたが、鍵となるのが仮名文字と文法です。作中の授業を一緒に受けて頂きますと、実際に生徒達が体験した興奮を共有できます。さだまさし氏の歌が、冒頭と最後に登場して重要な役を演じます。チベット語と日本語の共通性が「奇跡」の種なのですが、授業内容・教授法を詳細に記述してその種明かしをしまして、後は一気に『坊っちゃん』翻訳の山場へと向います。
日本人にとっての夏目漱石が、今のチベット人にとっても重要な人物になって行く物語は、教育や日本語に危機感を持っている方々に訴えるものが有ると思います。チベットと日本の「近さと遠さ」を考える様々なエピソードは、今までに無かった視点から、チベットやアジアを考える多くのヒントになるでしょう。チベット人を大いに助けた「振り仮名」の効用を再確認しようと、多めにルビが振られているのも特徴です。

■章立て

巻頭 チベットの海
序章 拝啓、さだまさし様
第一章 チベットとの出会い
第二章 チベット留学
第三章 チベット語の可能性
第四章 チベットの坊っちゃん先生
第五章 息を吹き返したチベット語
第六章 別れの時
巻末  膠着語回廊

■宣伝

・どうしてチベット人学生達は日本語を学習して半年『坊っちゃん』翻訳できるようになったのか――チベット文化圏の青海省の山奥で起こった「奇跡」の物語!

チベットの歴史・文化,仏教,中国の少数民族政策,膠着語(日本語,チベット語,朝鮮語,トルコ語,モンゴル語等)に興味のある方必読の書!

『チベット語になった『坊っちゃん』』(定価:1600円)山と渓谷社より発売中!

どうぞ宜しくお願いいたします。

愛媛新聞2005年12月11日

2005-12-12 19:52:37 | お知らせ

■チベット仏教に深い興味を抱いた著者は、現地で仏教の研究を進めようとチベットの青海省の小さな町チャプチャに留学。パンチェン・ラマ十世が設立した、日本の短大にあたる「青海民族師範高等専科学校」で、初の外国人留学生として滞在中、日本語を教えていた教師の後任として、チベット人学生に日本語を教える。
■留学前からチベット語と日本語の文法の近似性を知っていた著者は、現地の学生に日本語をチベット語に翻訳させていく。五十音の学習から三カ月後には、さだまさしの「防人の詩」の聞き取りをさせた。さらに、夏目漱石の「坊っちゃん」の翻訳に挑んでいく。
■本書によれば、学校での公用語は北京語はだという。中国側が定める指導書に従い、授業中は、チベット伝統文化の否定と共産党への称賛がなされるともいう。そんな状態にあるチベット人たちが、日本文学を通じて日本とチベットの文化的な差異や共通性に興味を持ち、日本語学習を続けていこうとする姿は感慨深い。(山と溪谷社)

★旅限無よりお知らせ

2005-05-28 10:14:07 | お知らせ
いつもご愛読頂き有難うございます。山篭り中の主人・旅限無より、どっさり記事が届きましたので今日・明日は集中的に記事をUPすることにいたします。長い記事ですが気長に読んで頂けますと幸いです。なお、眼精疲労を感じたら、蒸しタオルで目と首の後ろを湿布することをお勧めします。

★蒸しタオルの作り方と使用法
1.タオルを水で濡らし、緩めに水を絞る。
2.電子レンジ暖める(500Wで1分30秒程度)。加熱後はかなり熱くなるのでご注意ください。
3.手で持てる程度の温度になったら、目や首の後ろを湿布する。

疲労が激しいときは、上記1~3を何度か繰り返すと良いでしょう。
お体を労わりつつお付き合い頂けます様お願いいたします。

旅限無の留守番係より。