旅限無(りょげむ)

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最近のチャイナ 一触即発 其の伍

2006-12-06 13:39:39 | 外交・情勢(アジア)
■精密な地図が無ければ陸軍が戦争出来ないように、海軍には詳細な「海図」が無ければ困ります。かつて嘉永年間に襲来した黒船も、沖縄周辺や江戸湾沿岸を熱心に測量していたのは有名な話で、それは「戦争準備」を意味しますから、江戸幕府が真っ青になったのも当然です。近年に至るまでの中華人民共和国は、「第一列島線」内の海洋調査に熱心に取り組んでいたのですが、それが終了したらしく、この頃は第二列島線付近でも調査を行っているのが確認されていますなあ。海洋調査というのは、他国の「排他的経済水域(EEZ)」では行えないので、日本にとっても第二列島線付近にある沖ノ鳥島辺りをうろうろされるのは目障りです!日本が大金を掛けて波除け設備を完成させているのに、「あれはただの岩だ!島じゃない!」と言い張っているのは北京政府です。その理由は明らかでしょう。

■そればかりでなく、現在の中国海軍はインド洋に面するミャンマーと軍事協力関係を結び、バングラデシュとの国境近くに有るシュトウェ港と、アンダマン諸島に接する大ココ島の港湾を借りて、海軍基地を置いているのです。これでインド洋への足がかりはバッチリですなあ。念の入った事に、更に西、つまりパキスタンとも怪しげな軍事協力関係を持って、オマーン湾の入口に当たるグワダル港を借用して、何と、パキスタンを南北に貫通してカラコルム山脈を越え、自国の新疆ウイグル自治区へと通じる物流ルートを開こうとしているとの情報も有るそうです。これはフビライ時代の再現ですぞ!何処かの暢気な国とは違って、このパキスタンのグワダル港には必ず自国の艦船を「防衛するために」軍艦を並べる日が間も無くやって来ます。

■「列島線」がどういう経緯で考え出されたのかも確認しておきましょう。人民解放軍を完全に掌握して2度も失脚から復活した小平さんが、大規模な軍の改革を進めていた頃、人海戦術を前提として維持されていた数ばかり多い旧式の陸軍を縮小し、兵器や装備の近代化を急ぐ中で人民解放軍の世界戦略が決定します。小平さんの腹心の劉華清提督(1997年まで中央軍事委員会福主席)が命じられて『人民解放軍近代化計画』をまとめたのが1982年で、その中に「列島線」という新しい概念が盛り込まれていたそうです。当時は一種の夢物語同然でしかありませんでした。元々、一つの国が大海軍と大陸軍の両方は持てない、というのが国家論の歴史的な鉄則ですから、広大な国境線を接していたソ連への備えが最優先で、中国人民解放軍は陸軍を中心として組織されていました。海軍の比重は軽くて、沿岸防備を行う程度の沿岸海軍でした。ところが、冷戦が終結してソ連が崩壊、東欧の衛星国を失ったロシアが中国との関係改善を決断したことから事態は大きく変化します。

■プーチン政権と続けた交渉がまとまり、国境問題が解決した結果、中国人民解放軍の課題は台湾問題になります。江沢民時代の事です。どうやら本気で自分の政権で台湾を飲み込もうと思っていたようですが、台湾の後ろには太平洋の覇権を握っている米国が控えていました。ソ連との対決がなくなると、自動的に第一潜在仮想敵国は米国に変わりました。1993年には、李鵬首相が人民代表会議で「防御の対象に海洋権益を含める」と表明し、1997年に石雲生が海軍司令に就任して、中国海軍は沿岸海軍から「近海海軍」への変革を本格化させたのです。その時に注目を集めたのが、「海軍発展戦略」の骨子となる「第一列島線」と「第二列島線」の概念だったというわけです。

■それは軍備増強計画の目標であるばかりでなく、「中華」の膨張を海へと広げる恐るべき国家思想の中核ともなって、1992年に尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土と規定した「領海法」を施行しましたし、1997年には国防の範囲に海洋権益の維持を明記した「国防法」を施行したのでした。こうして理念として法律を定め、具体的な実行力としての海軍力が整備される流れの中で、尖閣諸島への露骨な干渉が続けられていると認識しておかねばなりませんぞ!「第一列島線」が制海権を確保する仮想的な境界線となると、南シナ海・東シナ海・日本海に米空母や原潜が侵入させない実力が必要となります。

■そのためには国内の軍港に高性能の艦船を配備するのは勿論の事、「列島線」で結ばれている島々を天然の防波堤として利用する設備も欠かせなくなります。単なる弾除けの楯とするだけでなく、武器や食料・医薬品などの物資を備蓄したり、艦船の応急修理も出来る拠点が幾つも必要となるわけです。しかし、迷惑千万なことに、人民解放軍が想定した島嶼線は日本・台湾・フィリピン・インドネシアの領土と領海なのです!ですから、中国人民解放軍を統帥する国家中央軍事委員会の副主席で、中国海軍を掌握している劉華清提督がこうした「内部国防方針」を発表した時には、名指しされた国々からは困惑と抗議の声が上がったのは当然です。初めから戦争する気の無い日本が本気で怒るはずもなく、争いごとは常に遠い場所で起こる事で、日本の領海は平穏無事だと、多くの人が何の根拠も無く信じているのですから、ちょっと驚いてしまいます。

■「第一列島線」の内側には、南沙諸島問題、尖閣諸島問題や東シナ海ガス田問題などが発生していますが、中国は当該地域を「海洋領土」と勝手に呼んで澄ましています。何を言われようと、1980年代から、自国の海洋調査船をどんどん送り出して、「第一列島線」区域内の海底の地形や水温などの緻密な海洋調査が実施され、本格的な海戦や潜水艦戦の準備が整ったとも言われています。特に、海底地形、海水温分布、海水密度分布などのデータは、機雷戦を含む潜水艦戦を有利に進めるために必須ですから、着々と「有事」に対する備えは整って来ていると考えるべきでしょう。

■2004年に漢級原子力潜水艦が起こした領海侵犯事件では、浮上航行している無様な姿を日本の海上保安庁に写真を撮られ、領海侵犯後は海上自衛隊の対潜哨戒機と護衛艦に追跡され続けるという潜水艦としては最低最悪の失態を演じています。この事から、実際に対米戦争を引き起こせるほどの実力は持っていないと推測されますが、時を味方にして盗んででも軍事技術を向上させ続けている事には変わりは有りませんぞ。

最近のチャイナ 一触即発 其の四

2006-12-06 11:08:38 | 外交・情勢(アジア)
■再び、10月に起こった「一触即発」疑惑に戻ります。
13日付の米紙ワシントン・タイムズは国防当局者の話として、中国の潜水艦が10月26日、太平洋上で米海軍横須賀基地配備の空母「キティホーク」を追尾し、探知されずに魚雷や対艦ミサイルの射程内で海上に浮上したと伝えた。同紙は、米政府が中国軍部との関係改善に取り組んでいる中、潜水艦の接近は中国が将来起こり得る米国との衝突に向け、継続的に準備を整えている事実を浮き彫りにしたと強調。中国との軍事交流を推進するファロン太平洋軍司令官の体面を傷つけることにもなったと指摘している。

■これが問題の「ワシントン・タイムズ」の記事という事になります。タカ派の新聞ですから、少々、衝撃的に書きたてた節は有りますが、事実を捏造したというわけではなさそうです。


追尾したのは中国の「宋級」攻撃型潜水艦で、ロシア製の魚雷や対艦巡航ミサイルを搭載。キティホークから8キロ以内の海上に浮上した。監視飛行を行っていたキティホーク戦闘群の航空機が発見して追尾の事実が明らかになったという。キティホーク戦闘群には、潜水艦からの攻撃を防ぐため、攻撃型潜水艦や対潜水艦ヘリコプターが含まれている。
2006年11月14日 AFP=時事

■「宋級」はディーゼル潜水艦ですから、日本の海上自衛隊が保有している物と同種の兵器という事になりますが、バッテリー推進時の静穏性が非常に優れていて探知が難しいと評判の高性能潜水艦だそうです。飛行機が「目視」して発見したというのですから、実戦ならば撃沈は確実でしょうなあ。確かに、米国海軍の面子は丸潰れです。何よりも事件が起こったのが、「沖縄沖の東シナ海」というのが大問題でしょうなあ。どうしてそれが大問題なのか?と言うと、「第一列島線」が簡単に破られると「第二列島線」という太平洋への障壁が形骸化してしまうからです。東アジアの地図を北京側から見ると、日本列島から南に延びる島嶼の列が目障りな壁になっているのが分かります。

■「第一列島線」は、千島列島を起点に、北海道、本州、九州、沖縄、台湾(中華民国)、フィリピン、スラウェシ島、ジャワ島、スマトラ島にいたるラインを指します。勿論、こんな地図上に引かれただけの架空の線には国際法上の効力も意味も有りませんから、言うのは勝手です。しかし、これが北京政府によって策定されている「有事」を想定した軍事的概念だというのは問題です。北京政府によれば、この線の内側は中国海軍と空軍の作戦区域で、何よりも対米国防ラインなのだそうです。もっと分かり易く言えば、来る対米戦闘の主戦場はここだ!と言う意味で、この広大な領域を縦横無尽に走り回る海軍力を整備するぞ!という意味でもあります。因みに、さり気なく「沖縄、台湾…」と書かれていますが、日中間で懸案になっている尖閣諸島はこの「第一列島線の内側」に取り込まれているのです!

■「第二列島線」は、伊豆諸島を起点に、小笠原諸島、グアム・サイパン、パプアニューギニア、オーストラリア西海岸に至るラインなのだそうでする。件の「キティホーク追尾事件」が起こったのはこの線上なのですなあ。この第二列島線にはどんな意味が有るかと言うと、「台湾有事」の際にアメリカ海軍の増援を阻止して、中国海軍が好き放題に「作戦」を実施できる環境を保障するラインなのだそうです。空母やら長距離爆撃機やら、景気の良い整備計画がぽんぽんと打ち出されるのも、この「第二列島線」という目標が有るからです。チャイナの地を支配した王朝は、伝統的に強大な陸軍を保有して来ました。北方民族との絶え間ない抗争の中で馬に引かせる戦車や騎馬軍団の戦術を取り入れ、明の時代からは大砲も整備して欧州の近代戦争を勝ち抜いたナポレオンさえも「眠れる獅子」と怖れたのも、チャイナの大陸軍でした。

■元朝のフビライが草原の道・シルクロードを抑えてユーラシア大陸を東西に貫く権力を構築した上に、アラビア海からインド洋を経て広州、そして北京(大都)までを結ぶ長大な海のシルクロードを加えて、ユーラシアを丸ごと支配しようとしたのは有名な話です。元朝を倒した明王朝も、フビライの構想を受け継いでイスラム教徒の鄭和に大艦隊を率いさせてアフリカ大陸沿岸まで到達したのでした。しかし、大海軍を持とうとしたのはずっと後の話で、清末の「北洋艦隊」の出現まで待たねばなりませんでした。ところが、莫大な予算を注ぎ込んで作った東洋一の大艦隊が、一回りも二回りも小さな大日本帝国の艦隊によって壊滅されてから、中華人民共和国になってからも海軍の増強は行われて来なかったのです。

■中華人民共和国にはソ連という陸上の宿敵が居ましたから、北側に延びる長い国境線を守るのに必死で、海からの脅威を心配する余裕は無く、ほんの100キロ沖合いに浮かんでいる台湾にさえも自慢の陸軍部隊を上陸させる事さえも出来なかったのでした。しかし、ソ連との国境紛争が解決して軍事衝突の危険が去るのと、ほぼ同時に改革開放政策によって海外との貿易が急速に増加するようにもなって、北京政府は史上初の外洋での活動が可能な大海軍を持つ決意をしたというわけです。ですから、この「列島線」というアイデアも小平さんの遺産なのあります。中国海軍は、「第二列島線」を2020年までに完成させるぞ!と息巻いていまして、2040~2050年までには西太平洋とインド洋で米海軍に対抗できる海軍を建設するぞ!とまで言っているそうです。

■自分の国では無謀とも思える大軍拡を続けながら、時々、「日本は軍備を増強して軍国主義に向かっている!」とイチャモンを付けて来るのも、こうした大計画が控えているからでしょう。日本の海上自衛隊は非常に有能な米国海軍の「パートナー」ですから、これが共同作戦を展開したら、ちょっと面倒ですからなあ。丁度、リバウ軍港を発したバルチック艦隊を迎え撃つ時の大日本海軍が、旅順港とウラジオストク港に配備されていたロシア太平洋艦隊との合体を何よりも怖れたのと似ています。日本には「集団的自衛権」など持たれては困りますし、出来れば横須賀・佐世保・沖縄に駐留している米国海軍と空軍にはグアムに引き上げて貰いたいでしょうなあ。そうなれば「第二列島線」の内側はすっきりして気持ちが良いでしょうから……。

最近のチャイナ 一触即発 其の参

2006-12-06 08:38:15 | 外交・情勢(アジア)

ラフェッド司令官は、「(中国の潜水艦は)どの艦艇とも危険な事態や問題を起こす航行状況ではなかった」と指摘。米中両軍間での透明性確保が重要だと語った。司令官は米中艦艇の合同救難訓練のため13日から訪中していた。今回の事態について、クアラルンプールを訪れていたファロン米太平洋軍司令官は14日、「中国の潜水艦が訓練水域の中にまで入っていれば、不測の事態にエスカレートすることもあった」と危険性を指摘していた。
産経新聞 - 11月19日

■この記事が唐突に現れてから、まったく続報にお目に掛かれないので怪訝に思っておりました。何せ、チャイナの軍事増強は瞠目すべき勢いで進んでいる実態が、時々、その片鱗がちらちらと報道されいるのに、日本側は相変わらず友好ムードにしがみ付いているような印象が強いのが気になって仕方がないのです。


10日付中国系香港紙、文匯報によると、中国人民解放軍総装備部の汪致遠中将は9日、中国初となる国産空母の建造を計画していることを明らかにした。中将は「今後5年以内に完了するような短期的計画ではない」としつつ、空母本体に先立ち艦載機や護衛艦艇の製造が完了間近であると述べた。国産空母建造は中国の“悲願”とされるが、軍当局者が計画の存在を確認したのは初めて。
2006年3月10日  日本経済新聞

■ロシアから老朽空母を「スクラップ用」「観光用」の名目で買い取って現物を徹底的に調べ尽くしている国であります。かつての「元寇」や「鄭和の大艦隊」というお手本も有ることですし、何よりも「日清戦争」での大敗北を忘れていない国ですからなあ。日本の若者は、宇宙戦艦ヤマトは知っていてもに戦艦「鎮遠」などは全然知らないのですから、情報の不均衡は目を覆うばかりです。因みに、「未だ沈まずや鎮遠は」で有名だった日本の軍歌『勇敢なる水兵』が消えても、大清帝国が東アジアの海を圧倒した東洋最大の戦艦の歴史は、現代の人民解放軍の中に決して消えない屈辱感と共に脈々と息づいているに違いないのですから、ウィキベディアを参考にして簡単にオサライしておきます。


1881年に ドイツ・シュテッティン(現・ポーランド領シュチェチン)のフルカン造船所で起工。1885年に竣工して清国に廻航されて主力艦として就航。
1886年8月には日清親善のため、巡洋艦済遠と、砲艦威遠を従え、長崎に入港。泥酔した乗員が鎮遠騒動を起こす。
1895年9月17日の黄海海戦で、日本の旗艦松島に直撃弾を与える。

■ここまでは栄光の歴史と申せましょうなあ。長崎に入港した時に日本中の注目を浴びて、軍関係者ばかりでなく国民全員がその威容に度肝を抜かれ、非常に心配したのだそうです。それを肌で感じたアホな乗員が「野蛮国」と侮って暴れたというわけです。アジアで最初の近代海戦となった黄海海戦は、実質的には5隻を失った清側の敗北でしたが、旗艦に大穴を空けられた日本海軍は1隻も失わなかったとは言え、決戦を挑むのを断念して泡を食って逃げる敵を見送りました。海の要衝、威海衛の軍港に逃げ込んだ鎮遠は既に戦艦としては終わっておりました。


1895年12月24日に威海衛沖で座礁し、1896年2月17日には日本海軍によって捕獲され、「二等戦艦」に類別編入。1904年の日露戦争に参加して、黄海海戦、日本海海戦、旅順攻略戦に参加。
1905年12月11日には「一等海防艦」になり、1908年5月1日には「運用術練習艦」に指定され、1911年4月1日に除籍となって同年11月24日に装甲巡洋艦鞍馬の射撃の標的にされて破壊。
1912年4月6日に売却されて横浜にて解体。


■何だか後の戦艦「長門」みたいですなあ。日露戦争で日本海軍の船として参加して、射撃練習の的になった後に鉄くずになったのですから、誇り高いチャイナの軍人は絶対に忘れないでしょうなあ。何故か日本では、ビキニ島で水爆実験のモルモットにされた我らが戦艦長門はきれいに忘れるように、誰かさんが仕組んだとしか思えません。そんな平和な海洋国家の日本ですから、庭先で外国の潜水艦や軍艦が何をしていようと、まったく興味は無いようです。「蟻の一穴」とも言いますし、「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」という諺も有りますが、最近の『ゆとり教科書』では削除されているのでしょうなあ。