■とかく低俗番組の代表にされるワイド・ショーですが、昼時の視聴率を争うには、NHKでも似たような趣向の番組を作る必要に迫られたようです。それが山川さんが担当した週5日の帯番組「ひるのプレゼント」でした。昭和45年に始まったこの目玉商品は、何と企画段階で民放から構成作家を招聘(しょうへい)したという驚くべき事実をこの本で知りました。白羽の矢が立ったのは、大橋巨泉さんと前田武彦さんが司会を務めて大人気となった「ゲバゲバ90分」という番組だったのですから、驚きですなあ。
因みに、大橋巨泉さんと前田武彦さんの御二人は、小さな事件が運命の分かれ道となって、本来の立場が入れ替わってしまったのでした。私見ながら、時が満ちて国会議員に立候補すべきだったのは巨泉さんではなくて前田さんであるべきでした。
■小さな事件というのは、「トイレで弁当を食べようと思った」と御本人が証言しているほどの売れっ子だった前田武彦さんが、得意の生放送番組に出演していた時に起こりました。放送時間と衆議院選挙の開票速報がぶつかって、或る共産党候補の当選確実が出たので、鎌倉アカデミー出身の前田さんは、その速報を読み上げると同時に当選を祝って「万歳」をしてしまったのでした。これに対して、与党政府や公安関係、保守的な視聴者などから猛烈な抗議と圧力が加えられて前田武彦さんは一夜にして全てのレギュラー番組から下ろされたのでした。その後、ほとぼりが冷めた頃に、天気予報コーナーに顔を出したり、映画のチョイ役をしたりして過ごしてから、森本毅朗さんのワイド・ショーに出るようにもなったのですが長いブランクを克服するまでには至りませんでしたなあ。
■この本にも、アナウンサーと国会議員との関係が出て来ます。NHKの名物アナウンサー出身の国会議員は二人しかいませんから、お分かりでしょうが、宮田輝さんの話です。
地方では、テレビやテレビタレントは手のとどかない雲の上の存在だと思い込んでいたとき、宮田輝さんは、「ふるさとの歌まつり」とともに農村に分け入り、「おばんです」を合言葉として、自分の手で、自分の足で、根気よく取材し、その土地の風土や人の気質を、おどろくほどのエネルギーで消化吸収し、番組にのせた。
「ふるさとの歌まつり」の舞台となるその土地にとって、テルさんはカリスマ的な存在となり、それまでは片田舎の一地方人だと諦観していた寡黙な善男善女は、テルさんにふれたとたん、誰もが超人的な力をもったスーパースターのごとく、舞台でよくしゃべり、華麗に舞い、踊った。……宮田輝黄金時代だったのである。「ミヤタ・アキラ」という正式の呼び方など、誰も知らないだろう。
■小生も知りませんでした。確かに、ミヤタ・アキラさんは、日本の地方文化を大きく変えました。そして、この貴重な遺産を民放もNHKも食い潰してしまったように見えます。地方に残っていた貴重な風習や味わい深い方言に対して、ミヤタ・アキラさんは正真正銘の敬意と愛情を持っていることが画面を通して伝わりましたが、その後のテレビは、地方蔑視(軽視)の姿勢に転じて、方言や風習を笑いのネタにしてしまいました。取材の浅さと自らの教養の無さを曝(さら)け出して、「東京=日本」という歪んだ国家像を全国にばら撒いて、それに洗脳された若者がテレビ業界に就職する悪循環が始まったのです。その証拠に、ミタタ・アキラさんが参議院全国区に出馬した時の得票数は化け物じみていました。その勢いは新党結成だって夢ではなかったくらいに驚異的でしたなあ。
……この人気に目をつけたのが自民党であった。……しかし、あれほどの人気を維持しつづけた「ふるさとの歌まつり」も、時代の変化とともに多少のかげりを見せはじめ、テルさん自身も次ぎの対応を考えざるを得なかった。そして、やっと重い腰をあげ、出馬を決意した。
こうして政界入りしたテルさんだったが、ストレスの多い日々が続いた。たとえ前身がアナウンサーでも、議員となれば特殊あつかいはされたくない。勉強家のテルさんは、自らにきびしく鞭うって永田町の水になじもうと努力したにちがいない。
ところが、こと志とちがって、自民党幹部は“司会者・宮田輝”として利用することばかり考えたふしがある。選挙の応援、パーティの司会……いくらなんでもそりゃちがうよと心の中で叫ぶ輝さんを知ってか知らずか。テルさんは次第に鬱積(うっせき)していく。その揚句の比例代表制の名簿順位であった。ここに至ってテルさんの怒りは頂点に達した。そして、おそらく政界入りを心底から悔やんだにちがいない。
テルさんが逝って今、テルさんが生命をかけてやりとげたかったのは、やっぱり放送の仕事ではなかったかという気がしてならないのである。……大先輩の宮田輝さんから、アナウンス技術について「ああしなさい」「こうしなさい」と指導をうけたことはほとんどなかったことに私は気がつく。たった一度だけ、「ひるのプレゼント」の司会で私がさかんに駄ジャレをとばしてナンセンスだとひとり面白がっていた頃、テルさんが私に近づいてきて、もそりとこんなことを言った。
「山川君、ナンセンスというのはセンスがないということじゃないよ。むしろセンスを一番必要とするものなんだ」それだけ言って、消えてしまった。宮田輝さんという人はそんな人だった。
■全盛期の紅白歌合戦の白組司会を直接継承した山川さん、偉大な先輩に対する畏敬の念が噴出すような文章ですなあ。最後の助言などは、全国のテレビ放送局に大書して貼り出して頂きたいような名言ですぞ!これは、「親しみ易さ」を「馴れ馴れしさ」と取り違えたり、「身近な情報提供」がやたらに物を喰ら醜悪な映像の垂れ流しや、演技過剰の押し売り仕事に流れてしまうテレビの現状に対する警鐘ともなりますなあ。この本には、現場の生々しい歴史的証言だけでなく、NHK特有の苦悩も書き込まれているので、今のNHKに受信料を払うべきか払わざるべきかを考えるヒントも得られます。最後の方にまとめて書かれているNHKに対する抗議や指摘の羅列は、笑いながらもNHKの立場を理解するのに役立ちます。
■最後に、後進の者達に対するグサリと突き刺さる苦言を紹介しておきましょう。
だが、はっきり言って、今のアナウンサーの感覚や教育は、手順を間違えている。マイクになれ切った現代の若者は、マイクを持ちさえすれば、もう一人前だという思いあがった人間が多い。知識や経験が少なすぎる。礼節も欠いている。更に、一つのものに時間をかける耐久力も不足している。それなのに、目標はジャーナリストでありキャスターである。
■山川さんは本の最後で、アナウンサーは「個」なのだ、「職人」なのだ、と断言しています。自分の眼で、自分の手で、自分の足で、美しいものやレベルの高いものを見聞し、コツコツとセンスや個性を磨いていけるかどうかが勝負なのだ、とかつての名人達を思い出しながら結んでいます。
そんなわけで、お勧めの一冊、長々とお読み下さって、有難う御座いました。
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五劫の切れ端(ごこうのきれはし)仏教の支流と源流のつまみ食い
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因みに、大橋巨泉さんと前田武彦さんの御二人は、小さな事件が運命の分かれ道となって、本来の立場が入れ替わってしまったのでした。私見ながら、時が満ちて国会議員に立候補すべきだったのは巨泉さんではなくて前田さんであるべきでした。
■小さな事件というのは、「トイレで弁当を食べようと思った」と御本人が証言しているほどの売れっ子だった前田武彦さんが、得意の生放送番組に出演していた時に起こりました。放送時間と衆議院選挙の開票速報がぶつかって、或る共産党候補の当選確実が出たので、鎌倉アカデミー出身の前田さんは、その速報を読み上げると同時に当選を祝って「万歳」をしてしまったのでした。これに対して、与党政府や公安関係、保守的な視聴者などから猛烈な抗議と圧力が加えられて前田武彦さんは一夜にして全てのレギュラー番組から下ろされたのでした。その後、ほとぼりが冷めた頃に、天気予報コーナーに顔を出したり、映画のチョイ役をしたりして過ごしてから、森本毅朗さんのワイド・ショーに出るようにもなったのですが長いブランクを克服するまでには至りませんでしたなあ。
■この本にも、アナウンサーと国会議員との関係が出て来ます。NHKの名物アナウンサー出身の国会議員は二人しかいませんから、お分かりでしょうが、宮田輝さんの話です。
地方では、テレビやテレビタレントは手のとどかない雲の上の存在だと思い込んでいたとき、宮田輝さんは、「ふるさとの歌まつり」とともに農村に分け入り、「おばんです」を合言葉として、自分の手で、自分の足で、根気よく取材し、その土地の風土や人の気質を、おどろくほどのエネルギーで消化吸収し、番組にのせた。
「ふるさとの歌まつり」の舞台となるその土地にとって、テルさんはカリスマ的な存在となり、それまでは片田舎の一地方人だと諦観していた寡黙な善男善女は、テルさんにふれたとたん、誰もが超人的な力をもったスーパースターのごとく、舞台でよくしゃべり、華麗に舞い、踊った。……宮田輝黄金時代だったのである。「ミヤタ・アキラ」という正式の呼び方など、誰も知らないだろう。
■小生も知りませんでした。確かに、ミヤタ・アキラさんは、日本の地方文化を大きく変えました。そして、この貴重な遺産を民放もNHKも食い潰してしまったように見えます。地方に残っていた貴重な風習や味わい深い方言に対して、ミヤタ・アキラさんは正真正銘の敬意と愛情を持っていることが画面を通して伝わりましたが、その後のテレビは、地方蔑視(軽視)の姿勢に転じて、方言や風習を笑いのネタにしてしまいました。取材の浅さと自らの教養の無さを曝(さら)け出して、「東京=日本」という歪んだ国家像を全国にばら撒いて、それに洗脳された若者がテレビ業界に就職する悪循環が始まったのです。その証拠に、ミタタ・アキラさんが参議院全国区に出馬した時の得票数は化け物じみていました。その勢いは新党結成だって夢ではなかったくらいに驚異的でしたなあ。
……この人気に目をつけたのが自民党であった。……しかし、あれほどの人気を維持しつづけた「ふるさとの歌まつり」も、時代の変化とともに多少のかげりを見せはじめ、テルさん自身も次ぎの対応を考えざるを得なかった。そして、やっと重い腰をあげ、出馬を決意した。
こうして政界入りしたテルさんだったが、ストレスの多い日々が続いた。たとえ前身がアナウンサーでも、議員となれば特殊あつかいはされたくない。勉強家のテルさんは、自らにきびしく鞭うって永田町の水になじもうと努力したにちがいない。
ところが、こと志とちがって、自民党幹部は“司会者・宮田輝”として利用することばかり考えたふしがある。選挙の応援、パーティの司会……いくらなんでもそりゃちがうよと心の中で叫ぶ輝さんを知ってか知らずか。テルさんは次第に鬱積(うっせき)していく。その揚句の比例代表制の名簿順位であった。ここに至ってテルさんの怒りは頂点に達した。そして、おそらく政界入りを心底から悔やんだにちがいない。
テルさんが逝って今、テルさんが生命をかけてやりとげたかったのは、やっぱり放送の仕事ではなかったかという気がしてならないのである。……大先輩の宮田輝さんから、アナウンス技術について「ああしなさい」「こうしなさい」と指導をうけたことはほとんどなかったことに私は気がつく。たった一度だけ、「ひるのプレゼント」の司会で私がさかんに駄ジャレをとばしてナンセンスだとひとり面白がっていた頃、テルさんが私に近づいてきて、もそりとこんなことを言った。
「山川君、ナンセンスというのはセンスがないということじゃないよ。むしろセンスを一番必要とするものなんだ」それだけ言って、消えてしまった。宮田輝さんという人はそんな人だった。
■全盛期の紅白歌合戦の白組司会を直接継承した山川さん、偉大な先輩に対する畏敬の念が噴出すような文章ですなあ。最後の助言などは、全国のテレビ放送局に大書して貼り出して頂きたいような名言ですぞ!これは、「親しみ易さ」を「馴れ馴れしさ」と取り違えたり、「身近な情報提供」がやたらに物を喰ら醜悪な映像の垂れ流しや、演技過剰の押し売り仕事に流れてしまうテレビの現状に対する警鐘ともなりますなあ。この本には、現場の生々しい歴史的証言だけでなく、NHK特有の苦悩も書き込まれているので、今のNHKに受信料を払うべきか払わざるべきかを考えるヒントも得られます。最後の方にまとめて書かれているNHKに対する抗議や指摘の羅列は、笑いながらもNHKの立場を理解するのに役立ちます。
■最後に、後進の者達に対するグサリと突き刺さる苦言を紹介しておきましょう。
だが、はっきり言って、今のアナウンサーの感覚や教育は、手順を間違えている。マイクになれ切った現代の若者は、マイクを持ちさえすれば、もう一人前だという思いあがった人間が多い。知識や経験が少なすぎる。礼節も欠いている。更に、一つのものに時間をかける耐久力も不足している。それなのに、目標はジャーナリストでありキャスターである。
■山川さんは本の最後で、アナウンサーは「個」なのだ、「職人」なのだ、と断言しています。自分の眼で、自分の手で、自分の足で、美しいものやレベルの高いものを見聞し、コツコツとセンスや個性を磨いていけるかどうかが勝負なのだ、とかつての名人達を思い出しながら結んでいます。
そんなわけで、お勧めの一冊、長々とお読み下さって、有難う御座いました。
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