The Wine Heat!

オテル・ド・ヤマダ ワインフォーラムの主催者であるDr.ヤマダのワインな日々の記録です。

好き者親父の持ち寄りワイン会、事後報告。

2018-03-18 15:41:46 | ワイン
腕の骨折以来、書き込み頻度が激減しております。
まあ折った人なら説明せずとも分るでしょうが、とにかく4週間はギブスなのですから・・・
で、4週間経って、ギブスは外れましたが、キモチはイマイチ。
なのでこの際前回のパパジイくらいは写真だけでも乗っけておこう、てなことでお許しくだされ。
まずはこんな感じでしたが、いかがでしょうか?
↓↓↓





お題ですか?
ええ、ピノ・ノワールでした。
でもこの会は必ずオキテ破りが登場するものですから、あしからず。
まあどれがピノでないのか?なぞ、当てっこしてもらったりなんかして・・・(笑)

この中で『81’ポマール・エプノ ミュッシー』はすでにコメント書かせてもらってます。
ですから、近いうちにまたそれ以外のものを、と思っていますのでヨロシク!

ということで、また!

1981 ポマール・エプノ ドメーヌ・ミュシィ

2018-03-11 21:33:05 | ワイン
誰にも思い出に残るワインはあるものだ。
特にもワインに嵌りこむキッカケになったワインならなおさらだと思う。
そんなワインはワタクシにも幾つかあるけれど、この『ドメーヌ・ミュシィ』もそんなワインの一本と言ってもいいのだろう。
このワインに、どんな物語があるかについては、ここでは割愛させてもらうが、その昔とある所で随分飲んだ事だけは確かだ。

ミュシィはポマール村にある1650年から3世紀半続く家族経営のドメーヌとのこと。
そのことは第9代目のアンドレ・ミュシィが2000年に大往生するまで続き、いまは娘婿の10代目が継承しているとのことだ。

そして特筆すべきことは、ここのワインはその年の生産量の半分を販売せず、地下の大規模カーヴに保存熟成させ、飲みごろを迎えた時期を見計らってリリースをするということ。
いわゆるここのドメーヌは、数少ないエイジング・ドメーヌとしてヨーロッパでは名を馳せているのだ。




だから日本にいるワイン・ヒートは、それを知っているいないに関わらず、ミュシィを手にした時には、そのワインは熟成された飲み頃のミュシィということなのだ。
表題のワインも正にそう!
実に旨みタップリなジャストミートな飲み口であることは、その日参加した皆さんも異論はないのだろうと思う。

ここのドメーヌの造りはクラシックで力強いポマールであるけれど、好環境のカーヴでシッカリと練れて、プラムやラズベリーの香る果実味豊かな優しいポマールで門出を迎える、とゆうわけなのだ。

すなわち、伝統あるワイン大国フランスならではの造り!
もし見つけられれば、四の五の言わずにまずは一本買っておくべきだと思う。

VA⇒FM

2018-03-04 18:00:37 | ワイン
キュウザ・スパニョーラを飲んだその日に、同じ場所でVA(ヴィーニャ・アルテ)とFM(フェウド・ディ・メッツォ)を飲んだ。
この2本は当日の抜栓とのこと。
したがって両者飲み口にパンチとダイナミズムがある。

特にもVAには目の覚めるような果実の勢いがあって、それはさながら夜空に向かってファンファーレを鳴らすトランペットの隊列をも連想させるのだ。
正しくその佇まいはブルゴーニュのグランクリュの偉大さを感じさせると言っても過言ではないのだろう。
聞くところに寄れば、VAは古木であり、標高の高いパーセルであるとのこと。
これ以外の2つのパーセルよりも、より凝縮して、それに見合うだけの品格を備えているのは、テロワールの成せる業と言うことなのだと思う。



最後に頂いたFMを飲んで思うことは、VAの偉大さや強いダイナミズムは無いけれど、いわゆるピノ的エレガンスを好む飲み手には、むしろこちらに軍配を上げるのだろうと言うことだ。
ここのパーセルはパッソピシャーロの標高580~640mに広がる比較的標高の低い区画で、その樹齢は40~60年とのこと。
すなわちテロワ的に言えば、特段優れているとは言えないけれど、しっかりとしたフィネスが備わっており、底味には旨みも大いに潜ませているパーセルなのだ。
だから実はこのFMこそ、ジックリと熟成させれば、オフヴィンテージのDRCを彷彿とさせる、エロ・ブルゴーニュにメタモするのでは?と密かに期待を寄せている。



ということで、あっという間にムンジェベルのシリーズを飲み込んだのだけれど、いずれも数年、もしくは何十年の熟成期間を待って、また飲んでみたいワインだった。
まあそれはイロイロな意味合いでムリだけど、コアなナチュールの早飲みは、ココにきて考えるべきことが多くなって来た、とだけ付け加えておこうと思う。
まずはこのような貴重な機会を作ってくれた、ドゥエ・マーニの皆さんには心より感謝を申し上げる。