裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

生命って

2018年04月05日 09時47分03秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
水中を漂うあぶくになった「彼」なわけだけど、その場から主体的に移動しよう、なんて野心はまだない。
なぜなら彼は、「広さ」という概念を持ってないんだから。
ちょうど、人類が天動説を信じきってたように、自分の周囲がこんなにも広がってるなんて、思いもしないわけだ。
周囲の抵抗物(水)がゆらゆらとうごめく中で、視覚を持たない彼は、自分がただそこに「在る」としか感じることができない。
しかし、自分が移動「させられて」いることは感知しようがなくても、自分の周囲の環境全体が動いていることは理解できそうだ。
ということは、彼が方向という感覚を持つことはあり得る。
彼が身を置く水とは流体であり、外界からの抵抗と刺激は、いつも球体の全面均一にはやってきてはくれない。
取り込むべき要素が接触してくれる箇所にも、偏りがある。
つまり、水が流れてくる方向から、常に欲しいものはやってくる。
その位置に、外界との出入り口を集中させることは可能だ。
彼は、効率という概念を獲得する。
こうして新陳代謝を重ね、彼は体内の平衡を保つわけだが、この作業がこなれてくると、やがて当たり前のアイデアがひらめく。
すなわち、このやり方で、自分の中に自分をつくれるぞ!というわけだ。
この様式を取り入れれば、自分の体内においてもまた同様の小さな化学反応実験室をつくれる理屈だ。
つまり、あぶくの体内に、入れ子構造のようにして相似形のあぶくをつくり、そこでもまた要素の出し入れをすれば、より濃密な小部屋ができる。
こうして、今もって有機物のあぶくであるにすぎない彼は、知性を持つことなしに、構造を複雑化させ、機能の効率をアップさせていく。
あるいはこのとき彼は、周囲から勝手にやってくるエネルギーを取り込むよりも効率的な、自家栽培エネルギーを獲得してしまったかもしれない。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園