MOONIE'S TEA ROOM

大好きな読書や言葉、料理のコトなど。

どう生きる、どう育てる

2012年02月21日 | 一考察
 昨日最高裁判決があった事件は、被害者の年齢・家族構成が当時の私たち家族と似ていて、事件報道から今まで報道されるたびに胸が痛く苦しくなる事件でした。
 私も小さい赤ちゃんを抱いて夫の帰りを待っていたあの頃。
 どれだけ、恐ろしかったか。

 死刑判決という結果。
 でも、私はそれすら恐いのです。
 必要以上の想像だと分かってはいるけれど、私が被害者だったら加害者が死の国に来ることさえ恐い。
 「天国と地獄に分かれるから大丈夫」「ご先祖様が守ってくれる」なんて、死んだこともない私は納得できなくて、まだ力のある状態の加害者が死の国へゆくことが恐い。生きていることも恐い。
 極刑だからといって満足できない重苦しさが残って、落ち着きません。

何百年の禁固刑とか、恩赦・仮釈放の可能性のない絶対的終身刑とかだとしても、きっとどんな刑でも納得なんてできないのです。



 一方で、母として「少年」である子どもたちを育てている人間として、どうしてあんな事件が起こるのか、どうやって加害者が育ってきたのか、環境・精神的なことなど、とても気にかかっています。
 特殊? そうじゃないと思います。
 育児放棄も、暴力も、自殺も、残虐な妄想を誘うような書籍やゲームだって、今も変わらず存在します。
この10年間で社会環境が大きく改善したとは思えませんし、「子どもと触れ合う機会の少ないまま親になった世代による子育て」だとか、現代の子育てを嘆く報道も以前より多くなってきている気がします。
悩んでいる親も、本当に多いです。
 子育て本はたくさんありますが、「子どもが必ず犯罪を起こさない子どもに育つ子育ての王道」なんてものがあったら、とっくに全世界が平和になっているはずです。
 
 「いつ加害者になるかもしれない、いつ被害者になるかもしれない。」
 子どもたちを信じている。それでも、常に模索中の子育てです。


 狂気に取り付かれた自分が加害者になることだって、私は想像できてしまって重たい気持ちになります。
 その時に、「悲しむ家族の顔」を思い出せるか……。
 想像力がプラスのほうに働いて、抑止力になってくれると思ってはいるのですが、いつでも可能性はゼロでないのです。

「悪」の素は、「弱さ」でしょうか、「無知」でしょうか。
「絆のない寂しさ」でしょうか、「想像力の欠如」でしょうか、何かに対する「怒り」でしょうか。

 誰もみんな、初めは小さな赤ちゃんです。
 どう関わって、心の中の「善」を育てていけるか。
悲惨な事件から目を背けるのでなく、私も「元少年」である大人・親として考えていきたいと思います。
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