MOONIE'S TEA ROOM

大好きな読書や言葉、料理のコトなど。

オルテクサーロ?オルテクサー!

2023年12月24日 | 一考察
口内炎がなかなか治らないので病院で相談したら、薬を処方していただきました。

薬の名前を初め「オルテクサーロ」だと思ったのですが、
「オルテクサー」+「口腔用軟膏」の「口腔」部分の「口」をカタカナの「ロ」と見間違えていたことに後から気がつきました。

薬局の袋の文字のフォントだと文字サイズが同じだったので、カタカナの「ロ(ろ)」と漢字の「口(くち)」って見分けがつきにくかったんです。
(軟膏の容器を見れば、フォントサイズが違うから一目瞭然ですが)
ちゃんと考えれば「オルテクサーロ」+「腔用軟膏」なんて分け方は変なんですが、つい「カタカナ」と「漢字」で分けてしまうクセが私の頭の中にあるようです。

そういえば、「第二中学校」も漢数字で「二中」と書いてもカタカナで「ニ中」と書いてもフォントによっては気がつかないこともありますよね。
熟語で漢字変換するときは大丈夫ですが、漢字一文字で変換するときは気をつけないといけませんね。
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「1時間弱」と「震度5弱」

2023年06月13日 | 一考察
『変わる日本語、それでも変わらない日本語』(塩田雄大(著)世界文化社グループ)を読んで、「最近の若い人は『1時間弱』という言葉を『1時間と少し』という意味だと思っている」ということを知って、高校生の娘に確認。

娘:「『1時間弱』は『1時間プラスアルファ』で『1時間10分ぐらい?』かな」
私:「そうなんだ・・・」(驚き!)
娘:「え、だって『震度5弱』は『震度5』の中で弱い方だよね?」

つまり、
「震度5弱=震度5を超えている+震度6には近くはない」
「1時間弱=1時間を超えている+2時間に近くはない」
「震度5強=震度5を超えている+『弱』よりも震度6に近い」
「1時間強=1時間を超えている+『弱』よりも2時間に近い」
という考え方だったみたい。

「1時間弱」が「1時間よりも少し少ない」という意味で、「私の感覚では50〜55分くらい」と伝えたらビックリしてました。
私が子どもの頃、震度ってそんなに身近じゃなかったけれど、今はニュースでも頻繁に見聞きする言葉になっていて、「1時間弱」という言葉よりも使う言葉なのかもしれないですね。

<参考リンク>
「1時間弱」は、1時間よりも長い?短い?|NHK放送文化研究所
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「コウテンが続きます」

2023年04月13日 | 一考察
テレビに背を向けて天気予報を聞いていた時、
「週末にかけてコウテンが続きます」と、気象予報士さん。

今日はいいお天気だったので「好天」だと思ったら、別の地域の予報で「荒天」でした。

夫が「『コウテンがコウテンしてコウテンに』というのもあるもんなぁ」と一言。
この場合、言葉のつながりを考えたら「荒天が好転して好天に」と分かるけれど、天気予報では「コウテンが続きます」は「荒れた天気が続きます」か「良いお天気が続きます」のほうが分かりやすいですね。
でも、パソコンも「荒天が好転して好天に」と一発変換できるのには驚きました。
同じように打ち込んでみる人が多いのかもしれないなぁ。
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「DX」と「X-Men」

2021年02月18日 | 一考察
 最近話題の「DX」=「デジタル トランスフォーメーション」。
 「新しいデジタル技術を活用した大規模な事業の改革」ということのようです。
 経済産業省の『DXレポート~ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~』という報告書を読んでみましたが、「最新技術を導入したDXが達成されないため、企業の競争力が下がる危険性」という「2025年の崖」まで、たった4年しかありません。
 新しい技術の大きな波が押し寄せる中、どう その波に乗るか、のまれるか。ちょっと恐ろしい報告書でした。

 さて、「DX」という言葉を調べてみて、「X」が「transformation」の「trans」を示すということを初めて知りました。
 パソコン用語の「送信=XMIT= transmit」,「変換・データ転送=XFER=transfer」もそうだったんですね。
(「エクスミット」と「エクスファー」じゃなかったんですね…)
 「trans」の持つ「越える・横切る」の意味が、「X」という文字が持つ「十字」「cross(横切る)」の意味と共通するため、略字として使われているようです。

 そこで、ひらめいたのが「『X-Men』の『X』って『Transformation』?」という思いつき。
 「突然変異で超人的能力を持ったミュータント集団」の「突然変異」が「Transformation」ではないかと…。
 そう思って調べてみたのですが…、違いました。
 「X-Men」の「X」は、「extra power」のようです。

 英語版ウィキペディア「X-Men - Wikipedeia」によると、主要登場人物「プロフェッサーX(Professor Xavier )に ちなんで名付けられたと見なされている」という文とともに、『The X-Men #1 』(1963)のプロフェッサーXの セリフが紹介されています。

   "possess an extra power ... one which ordinary humans do not!! That is why I call my students ... X-Men, for EX-tra power!"
     意訳:「普通の人間が持たない『EX-tra power(「超-能力」)』を持つ、だから私の生徒たちを『X-Men』と呼ぶのです。」

 「extra」を「X」と略すのは、ブランデーの等級でもありますね。
 「X」で表す、「extra」も「trans」も「cross」も「越える・超える」イメージだということを知ると、
「1本の線を越える」「X」の字形が、まるで象形文字のように見えてきます。
 

<おまけ>
 「プロフェッサーX」は「謎の人物X」を示す「X」ではなくて、教授の苗字が「X」で始まる「Xavier 」ということも初めて知りました! 
 (実は ちゃんと原作を読んだことも、映画を見たこともなくて…)
 そして、フルネームは「Charles Francis Xavier (チャールズ・フランシス・エグザビア)」。
 ミドルネームとファミリーネームが、日本でもおなじみの「フランシスコ・ザビエル」と同じ…。知らなかったです。

<参考>
X-メン(エックスメン) - Wikipedia(日本語)

 
 

 
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アニメ映画における「母親不在」

2016年10月04日 | 一考察
 映画「君の名は。」を見てきました。
 映画を見てしばらくしてから、アニメ映画には「母親不在」が多いことに改めて気がつきました。

 「君の名は。」も、主人公2人の母親は登場しません。
 そう考えると、「天空の城ラピュタ」などの宮崎アニメも母親が登場しないことが多いですね。
 または、母親との物理的な距離が遠かったり、一緒に暮らしていても母親にも自分の世界があって子どもと適度な距離感があるケースだったりします。
 子どもに関わりすぎている母親の出てくるアニメ映画をあまり思い出すことができません。
 (「ちびまるこちゃん」とか「ドラえもん」にはお母さんが出てきますけれど、けっして「関わり過ぎ」ではないですよね)

 子どもたち、とくに思春期の少年少女は、この「適度な距離感」を必要としているのでしょう。
 「自立」「成長」「冒険」「恋愛」にとって、母親の存在が「足かせ」や「ハードル」「壁」になってしまうことがあるのは、紛れもない事実なのだと思います。
 映画における「母親不在」は、主人公が自由に活躍するための条件になっているといったらおおげさでしょうか。

 映画の中で、子どもたちは、母親がいなくてもきちんと生活しています。
 主人公の多くは、「幼い頃に必要なしつけをちゃんと受けた子ども」「親だけでない周りの大人たちにもきちんと叱ってもらって育った子ども」に見えます。
 本当は、母親にとっても、「自分がいなくなった世界で、子どもが周りに迷惑をかけず愛されて生きていく」ということは、なによりも理想的ですし、ありがたいことです。
 でも実際は、信じて離れて見守るのは難しくて、過干渉だったり、過保護だったりするんじゃないでしょうか。

 思春期、親がほっといてくれたことが、私にとっても大きな力になった気がします。
 離れていても「愛されている」という自覚と「いざという時は家族に支えてもらえる」という安心感を持って新しいことにチャレンジする自由がありました。
 自立にも恋愛にも、「大人になる」過程の全てのことで、過干渉がなかったことに感謝しています。

 だからこそ、「今度は自分がちゃんと子離れしないといけない」「自分が今までしてきた子育てを信じよう」、そう言い聞かせている今日この頃です。


 余談ですが、映画の中の「母親不在」を、観客として「ありがたいなぁ」と思うことがあります。
 どうしても「母親」が登場すると、「母親」の目線で映画を見てしまうきっかけになってしまうので、主人公に感情移入したいときは「母親不在」のほうがいいのかもしれません。
 今回の「君の名は。」は「母親不在」だからこそ、楽しめた気がします。
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「燃費が倍」反対の意味もある?!

2016年08月29日 | 一考察
 「燃費が倍に」と聞いたら、皆さんどちらの意味に取りますか?
 「燃費が良くなった」or「燃費が悪くなった」。
 ちょっと気になって調べてみました。

燃費 (1) 機械がある仕事をするのに必要な燃料の量
    「燃料消費率」の略。原動機の単位時間、単位出力当りの燃料消費量。
     ふつう1時間、1馬力あたりのグラム数で表す。単位は「g/PS・h」や「g/kW・h」。
   (2) 自動車における一定の燃料あたりの走行距離
     日本では、「km/L」=「1リットルの燃料で何キロメートル走れるか」を示す「燃料消費率」。
   (3) あることに使用する燃料の費用。燃料費。 
    <使用例>「燃費がかさむ」

(2)の意味だと、「燃費が倍に」は「1リットル当りの走行距離が倍に=燃費が良くなった」
(1)(3)の意味だと、「燃費が倍に」は「燃料の量が倍に・燃料費が倍に=燃費が悪くなった」
 両方の意味に取れるわけです。一つの単語で、意味が矛盾してますよね。

 もともとは(1)の意味で使っていた単語を、自動車が一般的になって(2)の意味・使い方が主流になったからこその矛盾でしょうか。
 
 わが家にある辞書6冊を調べたところ、(1)と(2)の意味での「燃料消費率」を載せている辞書が多かったです。
( (3)の意味を載せていたのは『大辞泉』のみ)
 「燃料の量」と「走行距離」では文章の意味合いが大きく変わってしまう可能性があるにもかかわらず、(1)と(2)の意味は分けられずまとめて書かれている辞書が多く、機械音痴の私としては混乱してしまいました。
 車のニュースで「燃費が倍に」と言ったら「燃費が良くなった」ってことなんでしょうけれど、なんだか不親切な気もします。

 私の場合、(3)の意味でとらえることが多かったのですけれど、普段の生活で「低燃費」という言葉の意味を「燃料費が低い・燃料費を低く安くおさえられる」だと思って使っているからなんじゃないかと思います。
( 本来は(1)の意味で「燃料の量が節約できる」という意味かもしれません。「低燃費車」は(1)でも(3)でも矛盾しないですよね)

 「燃費が良くなった」という言葉の意味も、(1)(2)(3)それぞれで少しずつ意味合いが変わります。
(1)燃料の量が少なくて済むようになった
(2)走行距離が長くなった
(3)燃料費が安く済むようになった
 (1)(2)は「(性能の向上で)燃料消費の効率がよくなった」ということですし、(3)は「(性能の向上で)経済的メリットが増えた」ということになるでしょうか。 (1)と(2)の意味の違いもまるごと受け止めてしまう「良い」って便利な言葉ですねぇ。

 今日テレビで見たニュースは「燃費を倍に 新しい仕組みのエンジン 燃焼実験に成功」というニュース。
 少しの燃料でたくさん走れる環境に優しい車が、早く実現するといいですね。


<追記>
 和英の辞書で「燃費」を調べてみたら、(3)の意味で「fuel expenses(燃料代・燃料費)」が一番に載っていました。
 (1)の意味だったら、「fuel consumption(燃料消費)」
 (2)の意味だったら、「fuel economy(燃費節約)」や「fuel-efficiency(燃費効率の良さ)」になるでしょうか。

 例文で、「この車は燃費が良い = This car gets good mileage.」とありました。
 カタカナ語でいうところの「マイレージ」、英語の「mileage(milage)」は「1ガロン(1リッター)の石油で走れるマイル数」を表すんだそうです。これも (2)の意味の「燃費」ですね。
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気になる「様」の書き方

2015年12月13日 | 一考察
 年賀状を用意する季節になりました。

 年賀状といえば、毎年気になってしまうのが、宛名の「様」の字。
 フォント(字体)によって、違う「様」が印刷されているのに、お気づきでしょうか?
 私は学生の頃、「様」の字の書き間違いを指摘してもらって恥ずかしかったことがあって、ついつい書き方が気になってしまいます。

 
 旁(つくり)のほうの真ん中の縦棒が下まで貫いている「様」が、小学校で習う書き方です。
 「木(木偏)」に「ソ」を書いて、「三」を書いて、縦棒が下まで貫いてからはね、左側に「ン」を書いてから、右側に短い左はらい(永字八法の「啄」)と右はらい(永字八法の「磔」)を書きます。
画数は14画です。

 
 そして、この「様」は、旁(つくり)の下が「水」という字になっています。(「木」+「羊」+「水」)
 私はこう書いていて「間違っている」と言われて、以後気を付けているのですが、これもあながち「間違い」と思うようになりました。

 じつは、この部分を「水」でなく「永」の字を書いた「樣」という字があるのです。
 広辞苑によると、「永」を使った「樣」の字は「えいさま」と呼ばれて「貴人に送る書状に用い、もっとも丁寧な書き方」なのだそうです。
ほかにも旁を「美」と書く「美様 びさま」や、目下に使う「平様 ひらさま(つくばいさま)」といった草書の書体もあるそうです。
 これらの字を見ると、上下に分けて書く書き方も使われていたことが想像できます。

 学校で教える「正しい書き方」というものが「いつでも絶対正しい!」というわけではなくて、漢字には長い歴史と、いろいろな書き方があるらこそ面白いのかもしれません。

 とりあえず、学生時代の恩師にも送りますから、学校で習う「正しい書き方」の字体で年賀状を作ろうと思います。


<参考>
「様」の書き方 - 漢字の正しい書き順(筆順)
 アニメーションで書き順を確認できます。
 子どもに聞かれて自信がないときなど、便利です。
永字八法 - Wikipedia
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弱者を守る遺伝子(DNA)検査に

2014年02月05日 | 一考察
 遺伝子検査で、一番傷つくのは誰なのか。一番得をするのは誰なのか。

 もしも新聞やニュースで、次のような見出しが見られたとしたらどうだろう?

・乳がんリスク回避のための乳房切除後、DNA検査結果がインチキだったと判明
・DNA格付けで「遺伝子差別」
・子どもの才能に関するDNA情報 児童売買のブローカーが利用し誘拐
・検査で子どもの将来を悲観 育児放棄・子どもを捨てる親が増加
・美肌のための検査のはずがDNAデータ流出 探偵の調査で婚約解消に
・DNA検査会社の社員 DNA情報からストーカー
・親の婚活代行 釣書(身上書)の代わりにDNAデータで婚活
・DNA情報付き精子・卵子バンクで理想の子どもを計画

 SF(サイエンス・フィクション)の世界だけで済まない時代が、気がつけば「今」なのかもしれない。


 最近、遺伝子検査に関するニュース・記事を相次いで目にする機会があった。(参考:下記リンク)
 自分自身も遺伝子検査について多くのことを知っているわけではないけれど、報道を見ていると、遺伝子検査・DNA検査の持つ危険性に日本という国が鈍感なのじゃないかという不安を感じてしまう。
 「知る権利」だけではなく、今こそ「知りたくないことを知らないでいる権利」「自分以外に知られない権利」を、きっちりと議論しなければ、検査によって人生を狂わされる人も出てきてしまうだろう。

 今、もっとも気になっているのは以下の3つ。
・子ども本人の同意なしに、親がDNAを検査する権利はあるのか?
・DNA検査の結果が検査した機関から情報流出する危険性はないのか?悪用される可能性はないのか?
・検査結果が、本当に信頼できるものなのか?


 DNAによって、親子関係だけでなく、将来かかる病気、芸術やスポーツの素質、美容的な傾向などまで分かるのだとか。
けれど、その膨大な情報を持つ遺伝子を検査することによって、誰にでも見ることができるデータにしてしまうことの危険性は、まだ十分に議論されていないように思う。
 私は、検査データを扱う人に知られることに嫌悪感を覚え、ましてや、それがデータとしてパソコンに保存されることには不安と恐怖を感じるのだけれど、多くの皆さんの意見はどうだろう。
 また、たとえ実の親子であっても、子どもの遺伝子に関して「検査する権利」「情報を見る権利」があるのか、非常にデリケートな問題ではないだろうか。(誰にでも「親にも知られたくないこと」は確実に存在するはず。)一人検査しただけでも、親子だけではなく血のつながりのある多くの人に少なからず波紋を起こす可能性のあるのが遺伝子検査であることも、少し想像すれば分かるはずだ。
 究極の「個人情報」なのだから、検査をする側・検査される側の双方が、究極の危機意識を持つべきであるのは間違いない。現在の検査ビジネスは「遺伝子のデータ化」のはらむ危険性に、あまりにも無頓着であり無防備ではないだろうか。

 たしかに、遺伝子検査がもたらすメリット・利点も、たしかに存在する。
 将来の病気のリスクに備えることもできるだろう。
 しかし、検査の精度に対する国の認定制度の整備や、情報流出の防止に関する罰則など法的な整備、検査前のカウンセリングの徹底(カウンセラーの養成)など、遺伝子検査の分野にはまだまだ課題が山積している。

 弱者を傷つける・誰かが困るような可能性が少しでもあるならば、夢のような技術であっても、しばらく寝かせておいてもよいのではないだろうか。



<関連ニュース>
“遺伝子検査”その広がりと課題
NHKニュース おはよう日本 2014年1月27日(月)

「遺伝子ビジネス:ルール作りに着手 経産省が研究会」
毎日新聞 2014年01月23日

「特集ワイド:DNA 親子鑑定最前線
毎日新聞 2014年01月20日 東京夕刊
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猫は「にょ」と鳴くか

2012年07月21日 | 一考察
 時刻表に載っていた「じゃらん」の広告。

 猫の横に、「おトクなにょだ」と書いてあります。

 なんだか違和感を感じて考えたところ、「にゃのだ」じゃなくって「なにょだ」であることがひっかかるのだと気付きました。

 「にゃのだ」は、猫が「にゃー」って鳴くんですから、まぁ納得。
 「なにょだ」は、……。

 猫って、「にょ」って鳴きますか?


 もちろん、「にゃん」だとか「みゅー」だとか、いろんな鳴き声があるのは承知なのだけど、「にょ」とか「みょ」とか「O音」でなくイメージができません。

 うむむ?これは是非猫を飼っておられる方に教えていただきたい!
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どう生きる、どう育てる

2012年02月21日 | 一考察
 昨日最高裁判決があった事件は、被害者の年齢・家族構成が当時の私たち家族と似ていて、事件報道から今まで報道されるたびに胸が痛く苦しくなる事件でした。
 私も小さい赤ちゃんを抱いて夫の帰りを待っていたあの頃。
 どれだけ、恐ろしかったか。

 死刑判決という結果。
 でも、私はそれすら恐いのです。
 必要以上の想像だと分かってはいるけれど、私が被害者だったら加害者が死の国に来ることさえ恐い。
 「天国と地獄に分かれるから大丈夫」「ご先祖様が守ってくれる」なんて、死んだこともない私は納得できなくて、まだ力のある状態の加害者が死の国へゆくことが恐い。生きていることも恐い。
 極刑だからといって満足できない重苦しさが残って、落ち着きません。

何百年の禁固刑とか、恩赦・仮釈放の可能性のない絶対的終身刑とかだとしても、きっとどんな刑でも納得なんてできないのです。



 一方で、母として「少年」である子どもたちを育てている人間として、どうしてあんな事件が起こるのか、どうやって加害者が育ってきたのか、環境・精神的なことなど、とても気にかかっています。
 特殊? そうじゃないと思います。
 育児放棄も、暴力も、自殺も、残虐な妄想を誘うような書籍やゲームだって、今も変わらず存在します。
この10年間で社会環境が大きく改善したとは思えませんし、「子どもと触れ合う機会の少ないまま親になった世代による子育て」だとか、現代の子育てを嘆く報道も以前より多くなってきている気がします。
悩んでいる親も、本当に多いです。
 子育て本はたくさんありますが、「子どもが必ず犯罪を起こさない子どもに育つ子育ての王道」なんてものがあったら、とっくに全世界が平和になっているはずです。
 
 「いつ加害者になるかもしれない、いつ被害者になるかもしれない。」
 子どもたちを信じている。それでも、常に模索中の子育てです。


 狂気に取り付かれた自分が加害者になることだって、私は想像できてしまって重たい気持ちになります。
 その時に、「悲しむ家族の顔」を思い出せるか……。
 想像力がプラスのほうに働いて、抑止力になってくれると思ってはいるのですが、いつでも可能性はゼロでないのです。

「悪」の素は、「弱さ」でしょうか、「無知」でしょうか。
「絆のない寂しさ」でしょうか、「想像力の欠如」でしょうか、何かに対する「怒り」でしょうか。

 誰もみんな、初めは小さな赤ちゃんです。
 どう関わって、心の中の「善」を育てていけるか。
悲惨な事件から目を背けるのでなく、私も「元少年」である大人・親として考えていきたいと思います。
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