昨日は、我が岩見沢市長選挙の投票日であった。
前回は合併直後ということもあり、市長選挙としては久方ぶりの無投票であった。今回はもと市議長が対抗馬で出たが、現職が倍の得票で三選した。
わたしは市長選挙として初めて投票に行ったが、12時半ごろ出向くと、数人投票に来ていた。それでも投票率は五十数パーセントである。
都道府県と市町村の首長公選は、1947年に始まった。任期は4年なので、本来ならば来年が改選である。しかし、途中で辞任等があると、選挙の日から4年が任期となり、今や地方選挙はちっとも「統一」されていないが、岩見沢もその例にもれず、統一地方選の約半年前の選挙である。
岩見沢の市長は、村長・町長を経て就任した高柳翁が初代。その後川村市長が就任するが、公職追放のために1年半で辞職。公選初代は山本市長が就任した。
その山本氏、統一地方選の場合は4月に選挙が行なわれ、予算を新市長の下でもう1度編成しなければならない。ならばと1954年の9月に自ら辞職し、前倒しの市長選に出馬。しかし対抗の川村前市長に大敗し、引退。以降、選挙日である統一地方選前年の10月20日から4年間が、市長任期となっている。
その後國兼・能勢と助役の後継指名が続いていたが、前々回の選挙で、四選を目指した能勢前市長を、渡邊省一もと科技長官の子息である歯科医の孝一現市長が下し、山本→川村以来の政権交代を果たした。
そういう歴史があるものの、岩見沢市は中心部のスーパーが撤退したままで市街地は寂れ、ほかにも数々の問題がある。体制を一新し、市長には国政にでも打って出てもらいたいところだったが、選挙で選ばれたのだからしょうがない。
市議補選も同時に行なわれたが、こちらは白票を投じた。候補者を全く知らないし、市議会は解散したことがないので、任期は来年四月までである。どう選ぼうというのか(もと国会議員秘書が、共産党候補を撃破)。
せいぜい頑張ってもらいましょう。
前回は合併直後ということもあり、市長選挙としては久方ぶりの無投票であった。今回はもと市議長が対抗馬で出たが、現職が倍の得票で三選した。
わたしは市長選挙として初めて投票に行ったが、12時半ごろ出向くと、数人投票に来ていた。それでも投票率は五十数パーセントである。
都道府県と市町村の首長公選は、1947年に始まった。任期は4年なので、本来ならば来年が改選である。しかし、途中で辞任等があると、選挙の日から4年が任期となり、今や地方選挙はちっとも「統一」されていないが、岩見沢もその例にもれず、統一地方選の約半年前の選挙である。
岩見沢の市長は、村長・町長を経て就任した高柳翁が初代。その後川村市長が就任するが、公職追放のために1年半で辞職。公選初代は山本市長が就任した。
その山本氏、統一地方選の場合は4月に選挙が行なわれ、予算を新市長の下でもう1度編成しなければならない。ならばと1954年の9月に自ら辞職し、前倒しの市長選に出馬。しかし対抗の川村前市長に大敗し、引退。以降、選挙日である統一地方選前年の10月20日から4年間が、市長任期となっている。
その後國兼・能勢と助役の後継指名が続いていたが、前々回の選挙で、四選を目指した能勢前市長を、渡邊省一もと科技長官の子息である歯科医の孝一現市長が下し、山本→川村以来の政権交代を果たした。
そういう歴史があるものの、岩見沢市は中心部のスーパーが撤退したままで市街地は寂れ、ほかにも数々の問題がある。体制を一新し、市長には国政にでも打って出てもらいたいところだったが、選挙で選ばれたのだからしょうがない。
市議補選も同時に行なわれたが、こちらは白票を投じた。候補者を全く知らないし、市議会は解散したことがないので、任期は来年四月までである。どう選ぼうというのか(もと国会議員秘書が、共産党候補を撃破)。
せいぜい頑張ってもらいましょう。
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