野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

「Team Kawasaki」ワークスチームの始まり

2015-04-25 06:20:27 | 二輪事業
今日(24日)のFB「Kawasaki USA」にはこう書いてある。
「The 1973 season saw Team Kawasaki's factory race teams ready to go!
 The team is full of racing legends both riders and tuners! PC: Kawasaki Heritage Hall Museum in Irvine, CA. 」
1973年のKMC(米国カワサキ)レースチームの写真で、当時は、ロードレース、モトクロス、トライアルのワークスチームで構成されていた。
当時、アメリカ二輪レース界に強烈なインパクトを与えた「Team Kawasaki」のワークスチームは、モトクロス(MX)ではJ.Weinert、B.Lackey、
ロードレース(RR)ではY.Duhamel、G. Nixon、A.Burmann等の著名な優秀ライダーを抱えていた。



当時、特に1970年代のUSカワサキ・ロードレースチームがアメリカ二輪市場に与えた強烈さ加減は度を超えていた。その効果もあってか、
時々出張するロスアンゼル移民局での通関時、カワサキステッカーを貼ったバッグを持ちバイクテストと言えば、職員は「カワサキ!」といってニコッとして0Kだった。
また、当時の関係者も健在で、一昨年「KX40周年」ビデオにも元気な姿を見せてくれた。
 「KX40周年を祝う有志の会」・・・番外編(2)
 「KX40周年を祝う有志の会」・・・その1

一方、日本では1972年、技術部内にレースマシンを専任で開発担当する部門 ”開発1班”が結成された。
当時、雑誌に載った写真を当時の班長の百合草さんが送付してくれたが、雑誌コピーによると、当時の国内のレース活動は、
ロードレースがH2Rで和田、杉本、大本、トライアルがKT250で山本、加藤、山田、モトクロスがKX125/250で竹沢、川崎、安井とある。
 

「Kawasaki Racing Team」と言う、所謂カワサキMXのワークスチームは1972年から始まった。
1972年当時から「Team Kawasaki」ワークスチームは、日本では技術部が、アメリカではKMC内に設置された技術部の出先機関 ”KMC R&D”が担当した。
当時から技術部が二輪開発を目的としてマシン開発とレース運営を担当しつい最近まで至ってきたと聞いているが、現在はどうなっているのだろう。

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