野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

「KX40周年を祝う有志の会」・・・その1(動画追加)

2013-11-18 11:47:34 | 二輪事業
「KX40周年を祝う有志の会」・・その1」

     「届いた花輪・・KMJと鈴木都良夫氏から」
16日、「KX40周年を祝う有志の会」をカワサキモトクロスOB会(仮称)が立ち上げた。実は、今年がKX40周年と知ったのは、5月末の「Kawasaki racing」と「KMJ」のFacebookだった。カワサキの二輪車の中で、開発、生産、販売そしてレース活動を41年間も絶えることなく続けてきた唯一のモデルが”KXシリーズ”。1972年に技術部に開発1班が結成され、始めて名付けられたモトクロス専用車”KX”、その機種名を一度も変える事なく続いた41年間だ。こんな機種をカワサキでは他を知らない。言い換えれば、カワサキのリーディングモーターサイクルである、その”KX”が40周年となった。祝うに値する出来事。モトクロスOB会で祝う会をやるべきか迷ったが、誰かがやらねば・・・と。しかも、KX立上げで苦労された先輩達がお元気なうちに祝う会をやらねば後輩として後悔しないうちにと、それこそ「隗より始めよ」ではないが、OB会の一部メンバーが会を立ち上げた。全くの内輪の会に、当初50名程度を考えていたが、KX40周年をやろうと話しが表に出てくると、一挙に100人を超える人が賛同してくれることになったが、当初計画は多くとも60名。で、結局ワークス、工場側に近い人から出席者を選ばざるを得なくなり、それでも九州、関東からも馳せ参じてくれた出席者は結局80名を越すこととなった。加えて嬉しい事に、KX立上げに苦労した先輩諸氏から、当時の思い出寄稿を寄せて頂き、寄稿集として纏める事ができたので出席者全員に配布することができた。

多くの祝電に加え、嬉しかったと言うか、泣けてきたと言うか、KMCからビデオレターが来た。Weinert、 Ward、Carmichael、 Lechien、Emig、VIllopoto、Matiasevich 等々に加え、多くのKMC関係者のビデオメッセージが収録されているもの。笑えたのは、Jeff Wardは肥って別人のようにみえたし、Ron Lechienも肥えてた。だが、皆元気そのもので良かった。AMAが誇る最高のライダー達から、「KX40周年を祝う有志の会」にコメントを寄せてくれたわけだ。日本とAMAのカワサキトップライダーとの密接度を示す好例だろう。だけど、KMCとのメイルやり取りは前日遅くまで続いたようで、バラバラな形でメイル送付されてくるビデオレターを、会に合わせべく世話人の和田さんと増田さんは当日朝まで大変苦労したようだった。

会が始まり、先輩諸氏の挨拶までは皆静かに聞いているものの、その後は相変わらずの賑やかさで笑声と大声の喧騒の中、会は進む。これは何時ものことだ。狭い懇親会会場、全員集まると座る場所も少なく、あちこちに行っては立って大声で話し、司会進行役の安井さん、増田さんは纏めるのに大変だった様子。いつもは、ブログ用にきちんと写真をとる和田さんも写真を撮る暇もなかったようだ。更には娘の結婚式を終えて最終時間ぎりぎり会場にかけつけてきた山田(栄)さんもにこやか。開始時間を勘違いして遅れて会場に来た花田さんは九州から車を運転してきたが、皆にもみくしゃにされながらも集合写真に間に合って嬉しそうだった。次は、カワサキモトクロス会ゴルフ部会の開催をと何処からか声が飛んできた。


当日配布された「KX40周年を祝う有志の会」資料:
        
        「40周年記念限定Tシャツとステッカー」
        
        「寄稿集」
                                
                                「出席者名簿、但し実質出席者は80名+」


         追加:「KX40周年懇親会」に寄せられたKMCからのビデオメッセージ動画

参考:「KX40周年を祝う有志の会」に関するブログ
 ①山本隆さんのブログ:60おじさん!Part Ⅱ「KX40周年を祝う会!
 ②和田修さんのブログ:Sam'sダイアリー 「KX40周年懇親会@イベント
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「KX40周年を祝う有志の会」は明日開宴

2013-11-15 06:11:03 | 二輪事業
「KX40周年を祝う有志の会」は明日(16日)開宴・・・・
 
         
        「1973年にデビュー以来、数多くの勝利とタイトルを獲得し続け、その評判を揺ぎ無いものとした、
         カワサキの輝かしいモトクロッサーブランド「KX」が40周年を迎えました。
         以来41年、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、
         一度たりともレースを止めることもなかった40周年です。
         この間、モトクロッサーの最適技術を開発し続け、世界中のモトクロスファンに愛され、
         多くのチャンピオンシップでチャンピオンを勝ち取りながらKXは改良されてきました。
         これもひとえに多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた結果であり、
         そして現在も進化し続けている歴史がKXの40周年だと思います。
         そこでKXを誕生させ育しみ、その時代々に活躍した開発担当者やレース関係者が集まり、
         昔を懐かしみ敬愛し、次の世代に期待して懇親を深めようと有志の会を立ち上げました」
  
                

有志の会と言う、全くの内輪の会に、KXの開発部隊創設以来の多くの関係者が集まってくれるらしい。
永年会っていないメンバーも多くいるので、さながらカワサキモトクロスOB会のようになるのかもしれない。
一度でもカワサキに関係したライダーや開発関係者もカワサキだった事実は変わらないので好き嫌いせず知っている範囲で参加を呼び掛けた。
呼びかけると、当初想定したよりかなり多くの賛同者が集まることになり熟慮した結果、ワークスに近い関係者からに絞らざるを得なくなり、
参加できない多くの出席希望者に迷惑をかけることになったようだ。そこで、会の模様は追ってブログにて紹介していく事としたい。

                            
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こんな方法で利潤を上げる術があるのか?

2013-11-13 06:25:34 | その他
日本有数の酒どころ、神戸灘五郷酒造組合に加盟する老舗メーカー「富久娘酒造」が、大阪国税局から「純米酒にアルコールが混入している」との指摘を受けたと、12日の新聞にあった。
同社のHP」によると、「醸造アルコールの不適切な使用、規格外米の不適切な使用があり、特定名称酒(吟醸酒、純米酒、本醸造酒)に該当しない清酒に特定名称酒と表示違反し、
また、米だけの酒にも表示違反し、販売していた事実が判明いたしました。つきましては、下記の対象商品を自主回収させていただきます。」とひっそりと説明されている。
社長記者会見では、「「故意でないとは否定できない」と言葉に詰まったとあった。つまり、事前に分かっていながら純米酒にアルコールを混ぜてアルコール度数を調整したようだ。
酒については国税が定期的に調査しているのだから、直ぐに違反がわかることを何故したのか不思議な会社だ。
神戸灘の清酒は、我々神戸の住民にとって自慢の清酒で、九州に帰省する際に、焼酎しか飲まない田舎の親戚に神戸土産として車に積んだものだ。
灘の清酒だから一度で良いから飲んでみてと勧めていたものが今になって思うと愕然とする。神戸自慢の清酒だったのが、一変した。
これで、「やっぱ焼酎がよか!」となってしまう。まー正月以外に清酒を自分で購うことは今までもなかったので、これからますます焼酎一本にしよう。


また、今日(12日)の日経Web刊に、「牛脂注入肉って何? 似た技法フランス料理にも 」と面白い記事があった。
所謂、牛のかたまり肉に注射針のような針を刺して調味液を注入し、肉質を軟くして美味しくなるように細工した牛肉だそうだ。
注射するのは、牛脂そのものではなく、ピックル液という液体で、様々な添加物を加えたものらしい。
大きな針が60~100本ほど付いた機械に入れ、肉のかたまりにピックル液を注入していく。こうすると、
硬い赤身肉であっても軟らかくなるとのこと。かつ牛脂を注入することでサシが入り、霜降り状の肉に生まれ変わるのだそうだ。
ひょっとしたら、我々が美味しい美味しいとして今まで食べていた「サシ入り牛肉」は加工された牛肉物もあったかもしれないと言うことかな。
まー今ではサシ入り牛肉など買うことはまず無いし、高級ホテルや百貨店で外食することもないので気にすることもない。
本物でも偽物でも何の食材であれ、腹がすいておれば何でも美味しい美味しいと食べていたので、産地偽装など気にすることもなく、
ましてや高級料理屋など行くこともなかったので別に気にもしていないが、こんなところでしっかりと利潤を得るのかと感心してしまう。
しかし、下表にもあるように、所謂高級ホテルで使用されている牛肉は元々が安価な加工肉だった可能性もあると言われると「おもてなし」なんぞあったものではない。
高級店で食べることが出来て満足したから良いではないかと言われても、ふに落ちない類のものだ。
               「日経Web刊」 

同じく日経に「神戸といえば神戸牛という先入観」という記事もあった。それによると、
『この秋、所用で神戸を訪れる機会があった。たまたま食品スーパーの業界団体の会合があり、取材がてらにホテルでのレセプションパーティーに顔を出した。
 関係者のあいさつの最中、知り合いから「あそこにあるローストビーフは神戸牛かもしれない。真っ先に食べに行こう」と誘われた。
 普段はパーティー取材で食べ物を口にすることはないが、神戸ビーフにつられて乾杯が終わるやいなやそそくさとローストビーフのコーナーに足が向かってしまった。
 「これ神戸ビーフですよね」と知人がたずねると、「いやーっ、国産牛なんです」と申し訳なさそうなシェフの答え。
 「そりゃそうだ。1000人も集まるパーティーで神戸牛を出していたら協会も破産しちゃうよね」と納得しつつ、友人が国産牛に舌鼓を打つ姿を眺めていた。
 これは正直なケース。原材料をきちんと告知したシェフは誠実だし、「神戸=神戸ビーフ」という先入観や期待が入り交じった筆者たちも代表的な消費者像そのものといえるだろう。
  ・・・(略)
 心理学でよく知られた「ハロー効果」という現象がある。ある対象を評価する際、際立った特徴があると、そのイメージで他の面まで評価してしまうことを指すものだ。
 日本人のブランド志向を説明するのによく使われる理論だ。つまり、「老舗」や「一流」「大手」といった権威に対して、無条件に受け入れてしまう消費者心理があるというわけだ。』

一昔前の「船場吉兆事件」もひどい事件で、過剰ともいえる採算重視の方針がそうさせたと言う事だったが、こんなものは繰り返されるものなんだな~。
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今年の干し柿

2013-11-11 06:23:14 | 日常生活
      「今年は一階の物干し竿も占拠した干し柿」
今年も、沢山の「渋柿」をもらった。おおかた150個程の渋柿だったが、これを数時間かけて皮向きして干した。
150個もあると、渋が手にこびり付き、爪の垢が黒く変わり、包丁は切れなくなるわで包丁研ぎしながらの作業だった。
なかには、これ以上日を置くと熟してしまいそうな物もあり、干し柿にするには良い時だったかもしれない。
熟す寸前の柿の皮をむくのは正直難しい。手がべたついて滑り易く、タオルでぬめりを取りながらの作業となる。
昨年は、70個だったのが、今年はその倍。干す場所も二階のベランダだけでは足りず、一階の物干も占拠することになった。
二階のベランダは日当たりも風通しも最高なので、10日も天日にあてると赤みを帯びて柔らかくなり始めると思っているが、
一階はどうだろう。風通しは良いものの日照時間が二階に比べやや短い。
      「昨年同様に二階のベランダも一部を占拠」
これから徐々に赤く変色しながら、2週間もたつとベッーとするぐらいの渋さがウソみたいに甘くなり、
そこから暫く放置し、やや乾燥が進み硬くなった頃にビニール袋で密閉して冷凍すると長期保存が効くので正月まで持つはず。
もともと栄養価の高い生柿を干すことでぎゅっと濃縮されるわけだから、当然干柿も非常に健康的な食品になるはずで、
昔から二日酔い防止、高血圧予防に効果的といわれてきたし、食物繊維は整腸作用に優れていると聞いたこともある。
加えて保存も効くので最高のおやつだ。で、正月までの間、たぶん一個減りまた一個減りし、元旦雑煮にまでに半分持つかどうかだが。

甘ガキも結構貰った。
 
色んな方からの貰いものなので、大きさや種類も様々だが、どれをとっても甘く美味しい柿だった。
今年も良い柿に巡り合えたが、こういう年が二年も続いた。
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こんなマシン(Jeff Matiasevich's 1997 factory Kawasaki )で全日本を走らせていた

2013-11-09 06:13:03 | モータースポーツ
Facebook友達の Jeff Matiasevich がシェア投稿している写真の中に、何処かで見た覚えがあり、気になったので同じくシェアした。
オリジナルFacebookの写真コメントには「Jeff Matiasevich's 1997 factory Kawasaki KX/SR 250」と解説がある。
’ 95~97年と3年連続全日本チャンピオンのJeff Matiasevichはカワサキワークスで全日本を走っていたので写真の記憶だけは残っていた。
        
Facebookにシェアしてすぐに、Facebook友達が色々教えてくれたので当時の記憶がおぼろげに浮かんできたが、
以下はFacebook友達との会話。
             
            「岩木さんは元カワサキデザイナーで現デザインファクトリー(株)社長」
            「Haraさんは雑誌編集者で当時サイクルサウンズの編集担当」


それで、日の丸グラフィックのシュラウドで走らせたマシンもあるとのことで探したらあった。
多分、熱心なカワサキファンの方だと思うが、'97年全日本モトクロス選手権広島世羅のグリーンパーク弘楽園でのレースシーンだそうだ。
こんな余裕のあるワークス時代もあったんだろう。
        「泣き笑いハスクバーナ日記」より。
            「Jeff Matiasevich選手」                              「榎本正則選手」
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「神戸ファッション造形大学」の解体工事は殆ど終了

2013-11-08 06:18:50 | 野々池周辺
野々池貯水池に隣接している「神戸ファッション造形大学は解体作業中」と8月30日の本ブログに書いた。
野々池貯水池回りの約2/3が明石市と神戸市の学校区で、その唯一の大学だった「神戸ファッション造形大学」が閉学し、なくなってしまう。もともと短期大学を4年生大学にしたのが無理があったのだろうか。本当かどうか確認していないが、8月末当時、近くで見物していた職人らしき人から聞いた話では「入学希望者はいるにはいるが大学を卒業しても就職先を見つけるのが難しいらしい。明石市に相談したが、市も対処できず、結局建売住宅になる」と言うことだった。その後、5棟もある立派な建屋を、中には6階もある高層建物をどのように解体するのか興味があり、近くをウォーキングする度に見物してきた。これらの解体工事は興味を引くようで、何時行っても何人かの見物客がいた。以下の二枚の写真は8月中旬頃で、まず最初の工事は体育館(講堂)の解体工事から始まった。
  

それから数カ月後、10月2日頃の解体工事。体育館解体の殆どは終了し、一部の壁と大きな基礎土台の一部が残っていた。
べた基礎構造になってはおらず、どでかい基礎で鉄筋構造が構成され、これを取り出すのが大変だったようで一塊を取り出すのに一週間程掛っていた。やっと掘りおこしても、今度は大きなコンクリ塊を細かく砕く作業が続き、鉄筋、コンクリ、土砂とに種分けされる。6階もある高層まで届くユンボがあるのか思っていたら、先に解体した土砂を高く積んで、その上にユンボが乗る。すると以外と簡単にユンボ先端ハサミが届く。ハサミが届くと上から順に砕いていく。外見を見るとまだまだ立派な建屋で、これから何年も使えそうに思えたが、壊し始めると幽霊屋敷にみえてしまう。
                 
                 
                 

10月末、殆どの解体工事は終了し、事務所棟の外壁のみとなった。
解体工事ででた、コンクリートの塊を細かく粉砕し、鉄筋は鉄筋のみに集約、砕いたコンクリートの塊を更に細かくふるいにかけて仕分けし、トラックで外に搬送する。工事中にでる細かい土砂ほこりが住宅地に飛散しないよう常に水を掛けながらの作業だが、風向きが悪いと見物している野々池貯水池側にも土砂埃が飛んでくる。解体した土砂の搬送にも気を配り、大学の出口門近くでトラックタイヤの泥を水洗浄で落し、外の公道に土砂がこぼれない様に配慮されている。
                 
                 

11月始め、全ての建屋は解体され、残った土砂を専用バケットで更に細かく選別中。残った鉄筋も見事に振い分けされトラックでの搬送待ち状態。予定表では、12月中には解体作業は終了する予定となっているが、思ったより意外と早く済みそうだ。その後は建売住居に変貌するらしい。8月初旬の解体初めには、あんな高層をどのように解体するのか不思議だったが、現場工事の進捗は見事で、終わってみると簡単だった。大学敷地内にあった、多くの植木は一部を引き抜いたものの、殆どは残している。この方が野々池貯水池周辺の景色とより適合するので良かった。
                 
                 
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柊(ヒイラギ)の芳香

2013-11-06 06:16:15 | 
 「玄関横の夏のヒイラギ」
11月になって、金木犀と一味違う変わった芳香がするなと思っていたら、ヒイラギの花が咲いていた。
毎年そうだが、金木犀の頭痛がするような強烈な匂いが過ぎて一週間もすると、ヒイラギの芳香、いかにも自然な香りが漂ってくる。
金木犀の匂いに良く似ているのは金木犀と同じ仲間に属しているとのことだが、ヒイラギの芳香の方がいかにも上品な香りだと思う。
加えて、純白の花には何とも言えない清楚な美しさがあって、ほのかな香りとともに捨てがたい魅力でもある。
今年は例年になく一面に白い花を咲かせているのを、甘い香りが漂ってきたので直ぐわかった。多分、夏の剪定に仕方が良かったのだろう。

ヒイラギもここに植えてから25年程経つ。家を建ててから、玄関脇の植木を探しに近くの植木屋周りをしていたのだが、
近くの大久保松陰にあった造園の傍をたまたま通りかかったところ、丸く剪定されたヒイラギが二本あって、気に入った一本を購入した。
ヒイラギには棘があり古くから邪鬼を払うと教えられたので玄関脇に打って付けだと思った。これでも毎年、盆と正月前の二回、剪定している。
そうしないと葉が一面に茂り樹形を整えるためには剪定が欠かせない。何時だったか、剪定せずにそのまま放置したらスズメバチの格好の巣になった経験もあって、
ズーット剪定を続けている。 今年の夏の選定時期と剪定程度が良かったのだろうか、今までこんなに多くの白い花を咲かせたことはなかった。
                      
要注意は、このヒイラギの幼葉はテントウムシに良く似た害虫ハ虫に食害され易い。
春に新葉が出始める頃になると、葉の裏から幼虫が入り込み食害され、葉っぱを丸めて新芽を潰してしまう。
食害された葉は枯れたり、食されたまま葉は成長しない。従って、春の幼虫の食害前に、スミチオンで葉の消毒を毎年欠かせない。
一応、このヒイラギには手を掛けてきただけに、多くの白い花から好きな香りを漂わせていると嬉しくなった。
                
                

裏庭に、イモカタバミが咲いている。確か、夏ごろも咲いていたはずだが、また咲き始めた。
ほっとくと直ぐに繁殖するので、都度整理するのだが、きりがない。
フジバカマも、シュウメイギクももう終わり。小菊の蕾も膨らんできたが、花の端境期に桃色イモカタバミは丁度よい。
                           「イモカタバミ」
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野々池貯水池のリンドウ

2013-11-04 07:00:25 | 野々池周辺
  野々池貯水池で最も端正で秋らしい山野草はどれかと言うと・・リンドウがそうだ。
一昨年、野々池貯水池でリンドウを初めて見たときは本当にビックリした。多分、随分と昔から咲いていたのだろうけど知らなかった。
ジョギングコースを利用する殆どのジョガーやウォーキングする人達は早足で通りすぎるので、草むらに埋もれたリンドウなどに気付くことはない。
西明石駅から歩いても約30分、車でも10分ぐらいの距離にある明石市の貯水地に、何故リンドウが咲くのか良く分かないが、始めてみるとこんな所に何故と一瞬驚く。
花屋に売っているリンドウと異なり本当に小さな花だが、その花姿の端正さと言い、濃い群青の色合いと言い、暫し見とれてしまうほどだが、
らせん状に閉じている状態も、また味わい深い姿をしている。
    
    
    
                           
リンドウがしっかりと根付いているのは、定期的に草刈りや樹木の選定等で貯水池周辺整備が丁寧に行われている効果だろうと思っている。
そして今年は、10月29日に咲いているのを見つけ、その後確認するとポツンポツン次第に花数が増えつつあった。
しかし、残念ながら、全体的にみるとリンドウの花数が昨年に比べて、更にもっと多かった一昨年に比べても、次第に減少しつつある。その理由もはっきりしている。
一昨年始めてリンドウを見た時は、咲いている領域も結構広かったが、昨年かなりの数の「リンドウが盗掘」にあって、今は一部領域にしか咲かない。
草むらの中に、群青のリンドウの花がハッとするような綺麗さがあるのも、この場所にあってこそだと思う。
綺麗な山野草の花摘んで持ち帰るのはOK範囲だと思う。が、根こそぎ掘って持ち帰られたら、根を張ることもなく、増える事もなく、もう二度と咲くことはない。
野々池貯水池からリンドウが消えつつある。山野草の栽培には、温度、湿度、土壌等の条件が整った環境が必要だそうで、一般自宅の庭などで簡単に栽培できるものでは多分ないと思うが、
美しい野生の草花は公共の財産だから、その美しさを将来にわたって継承していけるよう、一人ひとりがモラルとマナーをもって、野生植物の保護を心がけたいものだ。
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神戸ワイナリーに行ってきた

2013-11-02 06:23:51 | その他
  2013年、今年の神戸ワインの新酒まつりは10月26日と27日。
今年収穫した、できたての神戸ワインの新酒が味わえるので、今年も早速出かけることに。
                
天候も良く、快晴。少し遅めの時間帯に着いたが、自宅と同じ西区、車で約30分弱の距離。
入口付近で、新酒販売(25日から発売開始らしい)とこの時期にしか味わうことのできない醗酵初期のワイン「ホイリゲ」の無料試飲もあった。
運転手はワイン城入り口で渡された「ドライバーワッペン」を胸元に張りつけるので誰も試飲を勧めない。
新酒ワイン一杯200円だが飲めないのをしり目に、女房は飲んでいた。仕方なく、新酒”みのり”2本を買うことに。
この日は、中央広場で、ちびっこストリートダンスやビンゴゲームが行われ、屋台などもあった。
ビンゴゲームの司会者は何処かのラジオ番組を担当していると言っていたが、なかなか巧い司会で観客を楽しませていたのは見事だった。
ビンゴゲームの一等賞品は神戸ワイン7本、二等は神戸牛、小さな子供が獲得した。私の家族は7等にも当らずじまいに帰宅。
           
           
           

                 

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1972年にスタートしたKX

2013-11-01 06:15:30 | 二輪事業
今月中旬、「KX40周年を祝う会」を有志でやろうと計画している。
40周年と言うことは、カワサキ初の本格的モトクロッサー「KX」の販売開始が1973年。
モトクロッサー等のレース車を専任で開発する新組織(開発1班)が結成されたのがその前年の1972年。
その1973年頃当時の開発1班構成員の写真が当時の開発班長の百合草さんから送付されてきた。
会の当日、会場に掲示してくれと10枚近い雑誌コピーの中の一枚にあった。雑誌コピーによると、当時の国内のレース活動は、
ロードレースがH2Rで和田、杉本、大本、トライアルがKT250で山本、加藤、山田、モトクロスがKX125/KX250で竹沢、川崎、安井とある。
    

今度の有志の会では、当時の開発担当や米国R&Dおよび協力社の担当者達が当時の事を思い出しながら寄稿してくれると言う。
どんな寄稿が出てくるのか非常な楽しみでもあるが、40周年、41年間も同じ単一機種名で開発し生産販売し続けているモデルは、カワサキではKX以外は知らない。
おそらく、KXは今後ともカワサキの重要な地位を占めながら開発生産販売を継続していくであろうから、カワサキの中で最も長命な機種になるのだろう。
40周年のスタートは1972年。上記のメンバーで始まった。
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