童謡「牛若丸」で有名な五条大橋。
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京の五条の橋の上
大のおとこの弁慶は
長い薙刀ふりあげて
牛若めがけて切りかかる
歌の他にも
児童図書・絵本・漫画・紙芝居・映画・歌舞伎・絵画等、
日本人なら知らぬ人はいないほど有名なお話し。
「義経記」では、
当日、弁慶は「五条」を出て、「堀河通」で牛若丸と出会い、「清水寺」で対決した。
当時、五条に「五条大橋」は架かってなかったそうだ。
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旅の場所・京都市東山区五条通鴨川
旅の日・2016年12月2日
書名・「義経記」
原作者・不詳
現代訳・「義経記曽我物ほか」 世界文化社 1976年発行
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訳者・井口樹生
弁慶義経に君臣の契約申す事
弁慶が考えたのには、およそ人の重宝は数を千揃えて持つものだ。
奥州の秀衡は名馬を千疋、鎧を千領揃え持ち、
肥前の国の松浦の太夫は胡籬千腰、弓千張揃え持っているという。
このように重宝を揃えて持つには、我等法師にとっては代金がないからして、買って持つべき方法がない。
つまるところは京都の街中にたたずみ、人がいている太刀千振をとって自分の重宝にしようと思い立ち、夜な夜な人の太刀を奪い取る。
しばらくすると、
「このごろ洛中に背丈一丈ばかりもある天狗のような法師がのし歩いて、人の太刀を取る」
という噂が立った。
かくてその年も暮れて、次の年の五月末、六月の初までに、数おびただしい太刀をとった。
それをば樋口烏丸の六条御堂の天井に隠し置いたが、ある日数えてみると 既に九百九十九振取っていた。
趣深い笛の音が聞えてきた。
弁慶これを聞いて、風流なことよ、このような夜更けに天神に参る人が吹く笛か、法師であろうか、男であろうか、
立派な太刀を持っていたらば取り上げようと思って、笛の音の方に近づいて行き、かがみ腰してみると、
白い垂直に、白い胸板のある腹巻(鎧の一種)を着け、黄金造りの太刀の思いもよらず立派なのを帯いたまだ若い男であった。
弁慶これを見て、ああ何とも良い太刀だ、どうともあれ、あの太刀取らずにおくものかと思って、待った。
こうして弁慶は義経の黄金造りの太刀欲しさにうちかかったが、
義経は六韜の兵法により九尺の築地を飛び上がり、あまつさえ弁慶の太刀を折りまげてしまった。