しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「義経記」 弁慶義経に君臣の契約申す事    (京都市五条大橋)

2024年05月16日 | 旅と文学

童謡「牛若丸」で有名な五条大橋。

京の五条の橋の上 
大のおとこの弁慶は 
長い薙刀ふりあげて 
牛若めがけて切りかかる

歌の他にも
児童図書・絵本・漫画・紙芝居・映画・歌舞伎・絵画等、
日本人なら知らぬ人はいないほど有名なお話し。

「義経記」では、
当日、弁慶は「五条」を出て、「堀河通」で牛若丸と出会い、「清水寺」で対決した。
当時、五条に「五条大橋」は架かってなかったそうだ。

 

・・・・

旅の場所・京都市東山区五条通鴨川
旅の日・2016年12月2日
書名・「義経記」
原作者・不詳
現代訳・「義経記曽我物ほか」 世界文化社 1976年発行

・・・

 

 

 

訳者・井口樹生

弁慶義経に君臣の契約申す事

弁慶が考えたのには、およそ人の重宝は数を千揃えて持つものだ。
奥州の秀衡は名馬を千疋、鎧を千領揃え持ち、
肥前の国の松浦の太夫は胡籬千腰、弓千張揃え持っているという。
このように重宝を揃えて持つには、我等法師にとっては代金がないからして、買って持つべき方法がない。
つまるところは京都の街中にたたずみ、人がいている太刀千振をとって自分の重宝にしようと思い立ち、夜な夜な人の太刀を奪い取る。

 しばらくすると、
「このごろ洛中に背丈一丈ばかりもある天狗のような法師がのし歩いて、人の太刀を取る」
という噂が立った。
かくてその年も暮れて、次の年の五月末、六月の初までに、数おびただしい太刀をとった。
それをば樋口烏丸の六条御堂の天井に隠し置いたが、ある日数えてみると 既に九百九十九振取っていた。


趣深い笛の音が聞えてきた。
弁慶これを聞いて、風流なことよ、このような夜更けに天神に参る人が吹く笛か、法師であろうか、男であろうか、
立派な太刀を持っていたらば取り上げようと思って、笛の音の方に近づいて行き、かがみ腰してみると、
白い垂直に、白い胸板のある腹巻(鎧の一種)を着け、黄金造りの太刀の思いもよらず立派なのを帯いたまだ若い男であった。 
弁慶これを見て、ああ何とも良い太刀だ、どうともあれ、あの太刀取らずにおくものかと思って、待った。


こうして弁慶は義経の黄金造りの太刀欲しさにうちかかったが、
義経は六韜の兵法により九尺の築地を飛び上がり、あまつさえ弁慶の太刀を折りまげてしまった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「好色五人女」お夏清十郎物語  (兵庫県室津港)

2024年05月16日 | 旅と文学

お夏清十郎の舞台は姫路城下だが、清十郎の放蕩の始まりが室津港。
お夏は「お夏狂乱」後は子細が不明だが、
備前市片上にお墓がある。

物語りは、歌舞伎に映画に舞台に今も大スターが演じつづけられている。
主な役者に、
水谷八重子、田中絹代、美空ひばり、大原麗子、大地喜和子、
長谷川一夫、市川雷蔵などがいる。

 

 

旅の場所・兵庫県たつの市御津町室津
旅の日・2009年9月6日
書名・「好色五人女」
原作者・井原西鶴 
現代訳・「好色五人女」  世界文化社 1975年発行

・・・

 

 

・・・

「好色五人女」  世界文化社 1975年発行
 


お夏清十郎物語

天下泰平の春の海に、財宝を積んだ船が碇をおろし、播磨の国室津は活気のある豊かな港町である。
この町の造り酒屋で、和泉清左衛門という人物がいた。
家業繁昌で、なんの不足もない身の上である。
その上、清十郎というその息子は、生れついての美男で、写し絵の業平を上まわるくらい、女好きのする姿かたちである。

十四のときから、遊蕩にうちこみ、 室津の遊里にいる八十七人の遊女たちと、ことごとく深い仲になった。 
心中立ての紙は厚い束となり、
遊女の寄越した小指の爪は手箱からあふれるくらい、
遊女が切った黒髪は、太い縄 をなえるくらいの量である。
この縄を見れば、どんなに 嫉妬深い女でも、かえって心をひかれるだろう。
遊女からの手紙が毎日届いて山となり、贈りものの定紋つきの小袖は、積み上げたまま手も触れない。

三途の川のほとりで亡者の着物を剥ぐという鬼婆も、これを見たならば
うんざりするだろうし、
高麗橋筋の古着屋もあまりの数が多さに値段が付けられないだろう。
それらの品物は蔵に詰め込んで、「浮世蔵」と扉に書き記しておいた。

「この馬鹿者めが、こんなに品物を蓄めこんで、値上りするのを待ってでもいるのか。
そのうち勘当される羽目になるだろうに」
と、蔵を見る人はそう言って歎いているが、やめられないのは色の道である。

非難の声や世間の噂などなんともおもわない。
月夜にちょうちんをあかあかとともすような駄々羅あそびをつづけ、
昼間から座敷を閉め切って、昼のない国にして、小ざかしい幇間を沢山集め、夜の気分を出すために、夜番の拍子木をたたかせ、蝙蝠の鳴きまねをさせる。 

今度は世界地図にある裸島の真似をしようと、店中のこらず裸に剥き、
無理矢理着物を脱がせられ女郎たちは、肌の見えるのを羞じらった。

 

・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする