一寸法師は、親に半ば棄てられ、家出同然で京都に行った。
三条の宰相に雇われ、背丈は小さいが姫に恋した。
姫を手に入れるため謀をし、まんまと流浪の身に落とさせた。
なかなか煮ても焼いても食えない「小男」で、
自己の欲求のためには臆面もない行動をして結婚。
そして昇進を果たし、家は末長く栄えた。
それもこれも住吉大明神のご加護によるところ、だそうだ。
旅の場所・大阪府大阪市住吉区住吉「住吉大社」
旅の日・2021年12月1日
書名・「お伽草子」
著者・作者未詳
現代訳・「日本の古典・お伽草子」 世界文化社 1976年発行
「日本の古典・お伽草子」 世界文化社 1976年発行
今を去ること、ほど遠からぬ頃、摂津の国は難波の里に、老人夫婦が住んでいた。
この夫婦は四十の年まで子供に恵まれないのを、大そう悲しんで、住吉の大明神に参詣、
「なにとぞ子供を授け給え」と、一心にお祈りした。
その甲斐あって、大明神も哀れに思われたのか、妻は翌年、のぞみ通りにみごもった。
夫ももとより手放しの喜びようである。
やがて十月の月が満ちると、玉のような男の子が生まれた。
だが、どうしたことか、この子は身の丈が一寸しかない。そこで二人は、この子を「寸法師」と名づけた。
いつしか年月が経って、一寸法師は早くも十二、三歳 になったが、相変わらず背丈は一向に伸びない。
「この子はただ者ではあるまい。
化け物なのだ。
情ない、何の因果でこんな子を授かったのだろう」と、
老夫婦の嘆きは、端の見る目も痛ましい。
揚句のはて、思い余った二人が、「いっそいずこへなりと、あの子が出て行ってくれたら」と話し合っていると、
このことは、すぐにも一寸法師の耳に入ってしまった。
一寸法師は、「親にまで、そんなに 思われるとは情ない。いずこへでも出て行こう」と心に 決めた。
さて、身一つで旅に出るにも、刀がなくては何としよう。
母に針一本を所望すると、喜んで出してくれたので、先ずは麦藁で柄と鞘をこしらえた。
さて、都へ上ることにしたが、今度は舟がない。
またまた母に、お椀と箸を所望して、しきりに引き留めるのを振り切って、旅に出た。
一寸法師は、住吉の浦からお椀の舟に乗り込んで、都を目指して漕ぎ出した。
住みなれし難波の浦を立ちいでて
都へいそぐわが心かな
こうして鳥羽の渡りに着いたので、そこでお椀の舟は乗り捨てて、
いよいよ都に入り、あちらこちらと見て廻ったが、四条五条の賑わいは、口にも筆にも尽せない。
さて、一寸法師は、三条の宰相殿と申す人のお屋敷をたずね、
「お願い申す」と案内を請うた。
宰相殿は、面白い声がすると思って、縁先に出て御覧になったが、影もない。
一寸法師は、うっかり人に踏み殺されては叶わないと、足駄の下から案内を請うたのである。
(以下略)
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