しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

土佐日記  (高知県南国市)

2024年05月08日 | 旅と文学

現在、高知市から京都市に行くとしたら、何時間かかるか?
飛行機で約4時間。
自動車で約5時間。
電車で約4時間。

ところが、
平安時代の偉い人の場合でさえ、航路を利用して、約2ヶ月かかっている。
しかも、
破天荒よる遭難、沈没。海賊による略奪。
命からがらの旅である。
これでも、これが、1000年前は一番安全な行程だったのだろう。

高知県南国市には紀貫之が国司当時の跡が公園となっていて、
古代「まほろば」の雰囲気がよく漂よっている。

 

旅の場所・高知県南国市市比江    国府史跡跡・ 紀貫之邸跡
旅の日・2018年3月24日              
書名・土佐日記
原作者・紀貫之
現代訳・「義経記 曽我物語ほか」 世界文化社  1976年発行

 

(高知県南国市・国府跡)

 

 

土佐日記   西村亨


男も書くという日記というものを、女のわたしも書いてみよう、というわけで筆をとったのです。
ある年の十二月二十一日の戌の刻(午後八時ごろ)に門出の式をして出発しました。
そのいきさつを少しばかり書きつけておきます。
ある人が地方勤務の四年か五年くらいの年数が終って、決まりの事務の引き継ぎなどもすっかりすませ、
解由状(後任者から前任者に、事務引き継ぎに遅滞のなかったことを証して渡す公文書)など受け取って、
これまで住んでいた国司の館から出て、舟に乗るはずのところへ移りました。
あの人も、この人も知っている人も、知らない人も、みな見送りに付いて来ました。

この幾年親しく付き合っていた人々は別れにくく思って、一日中ひっきりなしにあれこれと別れを惜しみ、大騒ぎをしているうちに夜がふけました。
二十二日に、和泉の国までと、航海の安全を祈って願を立てました。
二十五日、新しい国の守の館から招待に、文を持って人が来ました。
招かれて館に行って、一日中、そして夜も一晩中、詩歌管弦の遊びといったことで明けたことです。
二十六日もまだ守の館でたいそうな饗応が続いて、従者たちにいたるまで心づけの物がありました。 
漢詩を声をあげて朗詠しました。
二十七日、大津から浦戸をさして漕ぎだしました。


・・・・

『土佐日記』は旅の日記で、一日の記事も略さず、次の日記の体裁をとっている。
「六日、 昨日のごとし。」 「十九日、日あしければ舟出ださず。」といった簡単な記述もあるが、ここにはやや内容のまとまった部分を選んで抄出した。
また、この日記は貫之に随従する側近の女性が書いたという体裁をとっている。
しかし、それはおそらく貫之 の擬態で、作者が貫之であることはほぼ動かせないところであろう。
そして、その擬態のかげに貫之自身がしばしば顔をのぞかせている。 この訳もそういうつもりで訳したものである。

 

 

コメント
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