「宇治拾遺物語」は、日本やインドや中国の面白い話を編纂している。
目的が「面白い話」なので、現代でも通用する面白い話が多い。
古典であるが、童話の方で知られる「こぶとりじいさん」や、
芥川龍之介の小説、「芋粥」の原典になっている。
今は死語になりつつある”わいだん”(猥談・Y談)も多く、
この”中納言師時が法師の男根をあらためた事”もソレで、
少年少女にはちょっと話しにくいお話。
旅の場所・京都府宇治市
旅の日・2010.4.8
書名・「宇治拾遺物語」
原作者・不明
現代訳・「今昔物語・宇治拾遺物語」 世界文化社 1975年発行 訳者・野坂昭如
中納言師時が法師の男根をあらためた事
これも今は昔の話だが、中納言師時という方がいらした。
その方のもとへ、ある時、しっ黒の墨染めの衣、丈みじかくまとい、山伏の用いる袈裟をかけ、大きな木練子の数珠をくりつつ、
一人の修行僧があらわれたのだ。
「お前は、何者か」 中納言が、たずねると、修行僧はひどくあわれっぽい声で、
「この世にはかない生命長らえるのは、辛いことです。さらにまた、はかない生命の、
来し方行く末くだらぬ悩みいだいて、無明の闇にふみ迷うのは、無駄なこと。
そこで、悩みの大本を切り捨て、
浮世を超越しようと思い立った者でございます」と答え
「悩みの大本を切り捨てるとは、どういうことなのか」 中納言が、さらにたずねれば、
修行僧えたりとばかり「これ、この通りでございます」衣の前かき上げて、むさくるしいあたりをあらわとなし、
なんと八重むぐらしげるのみにて、男のしるしが見えぬ。
これはまた面妖なことだと、中納言はしげしげながめたあげく、どうも袋のあたりが怪しい感じなので、
「誰かいないか」と人を呼び、出て来た侍二、三人に、「この法師を引きすえろ」と命じた。
修行僧は、空とぼけた様子で、念仏など口にしつつ、
「さあ、どのようにでもお調べ下さい」足を投げ出し、
瞑目したのを、「もっと足を開けさせろ」中納言が命じ、
みんなで寄ってたかって、下半身をあらわにした。
そして、眉目美しい少年を呼び寄せ、
「あの法師の、いちもつのあたりを、やさしくなでさすってやれ」
といいつけ、少年は、おおせにしたがい、やわらかい掌を押し当て、上下にうごかす。
しばらくして修行僧は、なおとぼけたふりはそのままに、「もうよろしいでしょう」 と、許しを乞うたが、
中納言はきかず、「なにやらその気のきざしはじめたようだぞ、もっと念入りに、ほらほら」とそそのかし、
すると、八重むぐらの中から、むらむらと大きな松茸のような男根があらわれ、
あらわれただけでなく、腹にひょこひょこ打ちつける始末、
これには当の修行僧までが、手を打ちころげまわって笑い出した。
なんと男のしるしを、下の袋にもみ入れ、飯粒で毛をそれらしく張り、
あたかも去勢した如く装い、したり気なことをいっては、物乞いをしようとたくらんだので、
いやはや、とんでもない不埒な坊主であった。
(巻一 第六)