大統領や首相が暗殺されることは、世界でもたまにある。
しかし国の首相が暗殺され、その犯人にたいして
助命嘆願とか、求婚をする国民がいただろうか?
残念ながら、それが昭和7年の日本であり、しかも一等国を自認する国民であった。
いったい昭和7年とは、どんな時代だったのだろう。
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「1億人の昭和史」 毎日新聞 1975年発行
少壮軍人が前年に計画したクーデター「三月事件」と「十月事件」はともに未然に発覚したが
この年2月に井上準之助
3月に團琢磨が”一人一殺”を唱える血盟団員の手で暗殺され
5月15日
陸海軍人が首相官邸を襲い 犬養首相を殺害した
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2023年4月1日 岡山市北区吉備津・吉備津神社
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とどめを刺された 政党内閣
血盟団事件の記憶もなまなましい五月一五日の白昼、
四班にわかれた 海将兵の一隊が、首相官邸、牧野内大臣邸、警視庁、政友会本部、日本銀行、三菱銀行本店などを襲撃した。
この事件に参加した勢力は、古賀清志、三上卓海軍中尉を中心とする10名の海軍青年士官、陸軍士官候補生11名からなる行動隊、
愛鄉塾頭橘孝三郎を主領とする農民決死隊、大川周明、本間憲一郎(紫山塾頭)、頭山勇 (天行会長、頭山満の三男)、長野朗ら民間における援助者であった。
クーデター全体の指揮は古賀中尉が当たることとなり、
第一段の行動として、三上以下の第一組が首相官邸と日本銀行を、
古賀以下の第二組が牧野大臣邸を、
中村らの第三組が政友会本部を、
明大生二名の第四組が三菱銀行を襲撃、
さらに第二段の行動として、第一~三組が集合して、警視庁を襲撃、
他方、別動隊として農民決死隊が日没ごろから市内の変電所を襲撃して東京を暗黒化する。
また川崎長光が「裏切者」の西田税を射殺する。
こうして東京を混乱におとしいれ、戒厳令下に、荒木貞夫陸相を首班とする軍部政権を樹立しようというものであった。
この計画で完全に成功したのは、犬養首相の暗殺だけであった。
首相官邸にいた犬養は「話せばわかる」といって制止したが、「問答無用!」のことばとともに拳銃で射殺された。
その他の各所では拳銃を発射して手榴弾を門前に投げるなどの示威を行なったのち、憲兵隊へ自首。
事件の公判は翌年7月から開かれた。9月にはいって下された判決は、
「青年将校決起機は諒とする」との理由で、意外に軽く、陸軍側10名はいずれも禁固4年、海軍側は古賀、三上の禁固15年を最高に、13年1名、2年2名、1年11名という結果であった。
これに対して民間側20名は、橘の無期を筆頭に、大川・後藤・池松武志各15年、最低3年6ヶ月となった。
橘は下獄にさいし、「自分に与えられた無期の判決は青年将校の身代りになりえた」 と洩らした。
首相を失った犬養内閣は事件の翌16日総辞職した。
軍部は事件の結果を最大限に利用し、
それを政党攻撃のプロバガンダとするとともに、
「純真なる青年将校」を政治圧力として自己の発言権をいっそう強化することに成功した。
「教養人の昭和史5」 現代教養文庫 昭和42年発行
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昭和7年は今でも有名な事件が目白押しだが、
やはり「満州国」に関する事が目につく。
前年度(昭和6年=1931)に柳条湖事件勃発、15年戦争が始まっている。
その流れの延長で昭和12年に、日中戦争が起こり、
昭和16年には太平洋戦争。
昭和20年に敗戦。
昭和7年は15年戦争の2年目、
以後、日本は発狂したかのように神国化したが、国土は焼け野原になって終わった。
こうしてみると、
木堂先生が満州国を認めようとしなかったのは、
自己の命を懸けてでも国を護るという、本当の”国士”だったとも思われる。
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■昭和7年の出来事
1月8日 李奉昌 桜田門外で天皇の馬車に爆弾を投げる
1月26日 相撲界の革新を叫び天竜ら脱退
1月28日 上海事変
2月9日 前蔵相・井上準之助暗殺
2月22日 肉弾三勇士の戦死を軍部が発表
2月2日 リットン調査団来日
3月1日 満州国の建国宣言
3月5日 三井合名理事長・團琢磨暗殺
3月24日 中野重治らプロレタリア作家検挙される
4月2日 東京の上野駅が新築落成
4月18日 浅草の活弁・楽士3千人がトキー映画に反対してストライキ
5月9日 大磯・坂田山心中事件
5月1日 チャップリン来日
5月13日 五・一五事件 犬養首相殺害
5月26日 斎藤実内閣成立
6月22日 警視庁特高警察部を設置
7月24日 全国労農大衆党と社会民衆党が合同社会大衆党を結成
7月27日 文部省農漁村に20万人の欠食児童と発表
8月7日 ロスアンジェルス・オリンピックの実況放送が行われる
10月1日 東京市の人口497万人余 世界第2位の大都市となる
10月1日 リットン調査団報告書が届く
10月3日 満州へ武装移民団410人出発
11月1日 大日本国防婦人会が発足
11月10日 日本橋・白木屋デパートで火災
「1億人の昭和史」 毎日新聞 1975年発行
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