しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

カストリ雑誌③仙花紙盛衰記

2020年09月21日 | 昭和21年~25年


「カストリ雑誌にみる戦後史」 山岡明著 オリオン出版 昭和45年発行



仙花紙盛衰記 
昭和22年初めに「猟奇」2号が、拡大強化された≪刑法175条≫の適用を受ける最初の雑誌になった。
そのため世間の注目を集めたのか、3号から売り上げも伸びた。
それなのに、発行を続けられなくなった。

悪性インフレの激流に呑み込まれてしまった。
定価も高すぎた。
手もちの印刷用紙が底をついた。

昭和23年3月、いわゆる「低俗・不良出版物」は用紙の割り当てをもらえなかった。
自由売買の「仙花紙」に切り替えるしか仕方なくなっていた。
仙花紙は、チリ紙を転用したもので和紙の一種。
昭和42年ごろにはトイレット・ペーパーなど本来の姿に戻った。


「平凡」にはじまる芸能話題誌
昭和20年12月に創刊号。
昭和23年に、編集内容を変えて芸能話題誌への道をあゆむことになった。
なおこの系列の「明星」が創刊されたのは昭和27年だった。

ヒロイン「夜の女」
敗戦日本の売笑婦は貧農の出ではなく、むしろ都会の中小業者、小市民層である事は注目すべき新事実である。
「夜の女」は、戦後混乱期を象徴する一つの存在になった。
いまならキャバレーやバーに勤めるだけですむが、そのころは肉体の切り売りをするより仕方なかった。
あるものは、街角に立ち、またあるものは、赤線とか青線とか呼ばれていた世界に身を沈めていった。

「夫婦生活」へ
「夫婦生活」創刊号は昭和24年6月、取次店の予想を裏切って即日売り切れてしまった。
性医学、
絵入り川柳は多色刷り、
大日本印刷で印刷。
グラフはヌードで、二色刷りの川柳は夏姿夫婦草子。
内容は今の婦人雑誌とあまり変わらない。
昭和25年「夫婦生活」1月号は35万部売れた。
その部数は文芸春秋より上であった。
当時、中央公論・世界・改造が8万部、文春は20万部くらいだった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする