しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

発動機とバーチカルポンプ

2020年09月09日 | 暮らし
子どもの時、家にある唯一ともいえる近代的な農具は発動機だった。
発動機で脱穀したり、
畑や田んぼの灌漑にはバーチカルポンプとに使用していた。

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「目で見る岡山の昭和」 蓬郷巌著 岡山文庫 昭和62年発行

農発とバーチカルポンプの普及

昭和2年
石油発動機の大量生産が昭和時代に入るとともに増えて、県内の普及台数は25.000台で全国第一位。
昭和12年の「岡山農発」の生産は17.000台で、全国60%のシェアを誇った。
かんがい専用のバーチカルポンプも全国に先がけて普及し、機械化農業の先進県になった。



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和服の女子・洋服の男子 (昭和4年の城見小)

2020年09月09日 | 昭和元年~10年
父の小田郡城見村立「城見尋常小学校」の卒業記念写真。

男子児童数が37人・・・全員学帽・学生服
女子児童数が38人・・・1名が洋服、37人が和服。

この2年後くらいには女子も全員洋服になったと思われる。




父の話などで推測すると、
男子はこのうち、半数が高等小学校、半数が中等へ進学。
中等学校進学の半数が神辺実業。残りは笠岡商・金光中・福山中(誠之館)。
高等教育は、大学なし。陸軍士官学校1~2名。

※管理人の卒業写真は父と同じ場所。最前列がイス、男女は右・左だった。驚くのが、父の方が生徒数が多い。


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「目で見る岡山の昭和」 蓬郷巌著 岡山文庫 昭和62年発行

昭和2年 学童服が普及

大正末期から児島で始まった学生服の大量生産で、学童たちの服装が、和服から学童服へと急速に変わっていった。
昭和13年ごろには10.000.000着と、全国の90%のシェアを誇り「学生服王国」となった。

女子学童の和服姿も少し遅れて洋服への転換が進み、昭和4年ごろにはほとんどが洋服になった。


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