しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

田舎の映画館主の仕事

2020年09月10日 | 暮らし
町の映画館は昼夜上映し、同じ映画が1週間つづいた。
田舎の映画館は夜だけ上映し、映画は日替わり。

以前、元・映画館主さんと話したら
仕事の大半はポスター張りだったそうだ。
決まった場所にポスターを持っていって、毎日張り替える。
(盆正月のみ2~3日、同じ映画をすることがあった)

フィルムは自転車で運んできてくれ、終わったら自転車に積んで返しに行ったそうだ。




(2016.5.15 福山市船町)



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「新修 倉敷市史 6近代」

映画館

映画フィルムの流通は、映画会社が直営館を持ち自社の作品を上映した。
洋画の場合は日本支社の営業部員がフィルムの選定を館主と交渉したり、あるいは館主が東京や大阪へ行き、自分の目で確かめる時代もあった。
現在では情報が早く、地方も都会もなく、電話一本で取り決めることができる。

我が国の映画の配給ルートは日活系と松竹系に分れ、館はいずれかに組み込まれ、両方からは買えない。
各館には序列があり、低位の館は順番待ちで遅くなる。
低位館同士で上映時間をずらし、フィルムを自転車で運ぶなどの苦労もかつてはあった。
第二次世界大戦後、昭和25~40年が映画の全盛期で、県下の常設館は137を数えた。
現在と比較して、映画は大衆娯楽の主流を占めていた。


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屋根の葺き替え

2020年09月10日 | 暮らし
家は麦藁屋根だった。
子どもの時、葺き替え工事があった。
手伝いをしたわ訳ではないが、古い藁にさわったのか、こすったのか・・・
工事の期間中、着ている服も、顔も煤だらけになった記憶がある。

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「新修 倉敷市史8」

屋根葺き

かつての倉敷の農村では、麦藁葺き屋根や葭葺き屋根が主流を占めていた。

二毛作として麦作り盛んであった。
一般の農家では、屋根材料の小麦藁は、自家製麦で賄われていた。
葭(よし)は、用水や干拓地や高梁川の中州などから購入された。
麦藁に比べて葭の方が耐用年数は長いが、費用は葭の方がかさんだ。
県北では萱(かや)を使うが、県南では葭(よし)を使う。また一緒に使う場合もある。




手順
丸太を使った足場作りから始まる。
長い丸太を屋根の垂木に縄でくくりつけ、およそ2m間隔に置き、上に板を渡し、作業の通路を作る。

垂木の上には桟竹を並べて屋根の下地とする。
古屋根の修理の時には、腐ったり虫食いした竹や、屋根の扠首(さす)組みの取替や補修が行われる。

次に、屋根に葭を挿す作業にかかる。
屋根の下地に使う葭は、傷みの少ないものを再利用した。
新しい葭に比べ、古い葭は長さが短くなっているので、新しい葭と交互に挿すことで、葭の傾斜が屋根の外側で緩やかになり、葭が滑り落ちることが防げる。
もちろん予算の面から、新品ばかりでなく、古い葭の再利用も行われた。

昔は、倉敷周辺にも、草葺き屋根職人が30人ほどいたが、今では都窪郡早島町に、明石芳行がいるだけである。
屋根屋は、親方に弟子入りし、技術を覚え、設計・足場・葺き手間・手伝いの見積もりができなければならなかった。
普通家屋で2~3にん、下働きが3~5人。
農村の場合は「モヤイ」として近隣・親類の手助けがおこなわれた。

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桃娘とマスカット娘

2020年09月10日 | 昭和26年~30年
昭和30年前後、岡山駅の桃娘やマスカット娘はどのようにして乗客に売っていたのだろう?


下りの「博多行」の列車。
汽車が止まると同時に窓に寄りアピール。
売れると、品物を渡し、お金を受けとり、おつりを差し出す。
2~3人目の客になると、発車時間が迫り、時にはおつりをもって走りながら手渡しか。




こちらマスカット娘。
桃娘と同じで、売るのは特急または急行に限定された。
特急に庶民が乗ることは稀でなく、ありえない時代だった。
季節は夏。このため窓が開いているのが助かる。(当時は特急でも窓が開閉できたのだろう)






プラットホームでの、一般的な売り子は「弁当売り」で、駅弁をおじさんが売っていた。
慣れた動きと声で販売していた。



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「目で見る岡山の昭和」 蓬郷巌著 岡山文庫 昭和62年発行


昭和4年

高松稲荷のケーブルカー開通
備中高松最上稲荷と山上の奥の院を結ぶケーブルカーが開通した。
(昭和19年廃止)


昭和27年

岡山駅に桃娘が登場(7月)
旭川で鵜飼い舟開始(9月)
順宮厚子内親王と池田隆政氏と結婚
玉島市や笠岡市が誕生


昭和31年
岡山駅にマスカット娘登場

コメント (1)
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