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初ハワイ③~パールハーバー アリゾナ記念館~

2018年04月21日 09時56分21秒 |  -旅で漂う


ハワイいったら真珠湾いってくる。
といったら、何しにいくの?と友達の何人かにきかれましたが、ハワイといったらまず普通ここ思いつきません?

ちなみにオプショナルツアーもありますが、異常に早い出発の上、半日コースとかがほとんど。
時間や値段もイマイチだけど、ここに半日とか絶対足りなく無い?そうおもって、The Busで個人訪問。

ちなみに戦争については、いろいろな立場や見方とかがあって、一概にいいや悪いで語られないけど、ここほいろんな意味でハワイの中で行っておいていいところでした。

正直いうと、同行者の価値観でアリゾナ記念館には今回はいっていません。
ほんとは、はいりたかったし、なんなら次回ハワイにいくことがあったら、もう一度1日かけてゆっくりみたいところです。

ここのことを語るとだいぶ熱く語れる自信があるんだけど、とりあえずかんじたことをいくつか。。。

やっぱり、ここへの攻撃で亡くなった人がいることは事実だし、それを偲ぶ場所だから日本人は冷たくあしらわれるかと或る意味覚悟していたけど、全然そんなことなかった。「○○ニーズ?」って、よそのアジア人かと聞かれた時、「ノー、ジャパニーズ」っていったときと、「oh、ジャパニーズ!」っていってもらえたし、こういう施設に来ると、日本にある施設でさえ、過去の日本人が行ったことに対して心苦しくなるのに、すごく客観的に公平に扱ってくれてることに感激しました。
ちゃんと日本の技術が優れていたことや、お互い国を背負って戦ったと、敬意を払って説明してくれてたことも、日本のこういう施設にもないことかもしれません。

あと、ミズリー号もインパクト強かった。第二次世界大戦から湾岸戦争までずっと現役だったっていうことも、見越した技術にびっくりしたし、ここでポーツマス条約が結ばれてて、そのときの写真がカラーであって、この時期の写真、日本では白黒のものしかみたことないなー。これが国力の差なんだなーとおもったり。

またポーツマス条約がペルーが浦賀に来航したときの場所とまったく同じ緯度と経度のところで結ばれ、それが日本に一番ダメージを与える地点だったってことも初めて知ったし。

あと、ミズリー号には神風アタック(=特攻隊)の跡もありました。
命をかけて体当りしてこの程度の凹みにしかならないんだ。という衝撃に正視することごできませんでした。
そして、爆発後投げ出された隊員が、甲板に投げ出されて、船員がいきり立って足蹴にしたエピソードも。
敵ですもの、状況が悪ければ自分たちが殺されたかもしれない相手ですもの、その気持ちは分かります。
でも、それを上官が止めて、「この人も国を背負って命をかけた我々と同じ兵士なんだから」と敬意を払って、その後
1晩かけて日章旗を作ってそれに包んで、海軍の正式埋葬である海に返した。とかいうエピソードをきくと、戦争時という異常事態にそういう対応をとってくれと米軍に感謝の気持ちをもつことになりました。

とにかく、自分がいままで思っていた以上の経験と感銘を受けていい訪問となりました。

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