イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

自助・共助・公助‥論のまやかし

2020-10-25 00:18:46 | うんちく・小ネタ
「新自由主義」たる社会は自己責任を強調し今般、何方か新米首相の迷言にもある通り「自助・共助・公助」の順で競争社会を生きていけ!としている。
加えて自民政権は『「格差はあって当たり前:小泉純一元首相言』だ!と声高にそして執拗に宣わっている。
確かにアメリカに在っては多民族国家なるがゆえに、人種・肌の色・言葉・宗教・主食などなどが千差万別・格差の存在は当たり前のようになっているのは至極当然であろう。
しかし、ここ日本に在っては人種としてはモンゴロイド(一部アイヌ民族が北海道に伝統的に存在)、主食はコメで漢字圏、宗教としては何となくお釈迦様を敬愛している・・というのが日本国民一般の実態である。
即ち、どこぞの総理が声高に宣う「格差」など、日本には明確には存在しない、存在させる必要も見当たらないのである。
日本の政官財癒着ムラの住民らの政策によって意図的に「雇用形態差別化」がもたらす恒久的な賃金格差が今や経済格差を生み、そしていわゆる貧困層が生まれて固定化されつつあるのである。
それは、意図的な政策の結果であるから政府もダンマリで、世に言う日本には7人に1人の子供が夕食を抜いていると言う忌まわしき事態が現出するようになってきたのである。大人の貧困は兎も角として、子供への貧困連鎖は絶対に認めるわけにはいかない!切なすぎる!
 私にも4人の孫が居るが、育ち盛りの彼らが毎晩、食事が無く臍(ほぞ)を噛むだけの夕食なんて、とうてい許せない。

敬愛する歌手の藤圭子氏の自死は、彼女所有の数十億円と言われていた財産では、決して幸福になれないという事実を知らされたからであろうと推慮する。
世は「今だけカネだけ自分だけ」思考に侵された日本社会ではあるが、そんな物とカネに狂奔されない国民社会の構築こそが真の幸せをもたらすと確信する。
「フツーで良い、健康であれば」・・これは50歳をすぎた頃から気づき始めた私のチッポケな人生訓の一つである。
35年前から始めた家庭菜園(120坪)は定年退職後の今でも日課となっている。「太陽と土と水の世界」、だれかに忖度したり阿(おもね)る必要も無い、純粋で確実な自然とのヤリトリの世界である。
そして今は、こども時代の泥遊びの延長線上に生きているのである。