イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

人生即別離 春は、別れの季節

2016-04-10 12:40:36 | 日記・エッセイ・コラム
 毎月第四水曜日は ジジババの月例の飲み会(四水会)がある。
1人だけ、50代の女性が居て「私とは一緒にしないでください。」と冗談が出される。
全く任意の飲み会だから集まる人数も5人~10人と毎回不定である。
ただ、この飲み会に集う人たちの共通点は、過って市民派市長の小池正孝さんを僅か140票差で当選誕生させたという時の雄々しき戦士たちなのである。
メンバーの経歴は種々であり市民運動のベテランなどは居ない。
そして、メンバーが支持する政党・会派も様々である。
因みに政党で言えば、まさに自民党から共産党までが網羅されている。
「街づくりに政党・会派は関係ない」がこのメンバーの合言葉となっている。
イワン・アサノヴィッチがこの会に初参加してから7年目になる。
メンバーも今は中高年層が多いこともあって新旧の入れ替わりで、比較的に新しい人も居ればOBとなった人も居る。
 今回、89歳のNKさんが、大阪の娘さん一家のもとに引っ越すことになった。
NKさんは実に矍鑠(かくしゃく)とした方で、19歳年下のイワン・アサノヴィッチは「70歳はまだ小僧、“終活”なんて10年早いヨ。」 と発破を掛けられてしまったりする。
かといって、年少者を押さえつける言い方ではなく、勇気づけるような清々しい目付きで、少年のような目で言ってくれる。
NKさんは奥さんに先立たれ、いわゆる“独居老人”の身で生活していたのであるが、冬場あたりからさすがに臥せることが多くなり、四水会も欠席がちだった。
周囲、とりわけ遠方で暮らして居る家族の方々からすれば心配となり、大阪のお子さん一家の元に転居となったのである。
旧農林省の職員として、戦後間もなく印旛沼干拓事業にも携わり、県職員として印旛沼の土地改良事業に携わったイワン・アサノヴィッチとは妙な縁があったのだなぁ、とお別れを前にして感慨に耽ったりする。
唐代の詞に「歓飲」という作がある。その中で “人生即別離” という一節がある。
高校の漢文の授業で、 人生即別離の解釈について教師は井伏鱒二の訳を語った。
「さよならだけが 人生さ」 と。
10代のイワン・アサノヴィッチにとっては、余りにも儚(はかな)さ過ぎる言葉と思った。しかし、妙に心に響き50年経った今でも鮮明に覚えている言葉なのである。
NKさんは、友人知人の見送りを固持して先週、大阪へ旅立った。
別れがたい人々との別れなればこそ、見送りは要らなかったのだろう。
NKさんらしい。