イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

また、春が巡ってきた

2014-04-01 14:26:47 | 日記・エッセイ・コラム

  とうとう春がやって来た。”68回目の春”だ。
しかし、まだ68回目なのかと自問してしまう。
3月中旬から暖かい日が続いていたが、4月になればこの暖かさも本物だ。思い起こせば子どもの頃は、学校は春休みで、寒くも無く暑くもない気候温暖の時期を満喫していた。
家は貧乏で親はやっと三食だけは保証してくれていたものの、あとはホッタラカシ同然の養育であった。
男三人兄弟は朝から晩まで、下町・江戸川の近所のガキ仲間と遊んだものだ。

町田に引っ越してからも生活は全く同様で親は共働き。ホッタラカシはひどくなりこそすれ改善されることなど望むべくもなかった。
終戦と同時に中国・北京から引き揚げて来た親には、文字通り家土地財産・家財など一切なかったのである。
誇張ではなく「赤貧洗うが如し」そのまんまであった。
良くしたものである。
そのぶん隣近所にはアソビ友達のガキタレがたくさん居た。異年齢のアニキ分も居たりで子ども社会・ヒエラルキーが確立されていた。
そのアニキ分達と一緒に20km離れた相模川にボロ自転車を駆って水泳に出かけたりしたこともある。
勿論のこと自転車は中古の実用車であり、サイクリング車でないことは自明のことである。
小学生だったから、今の時代では想像出来ない”アソビ”だった。
しかし、大きなリスクはありながらも冒険とロマンと創意と工夫、決断や実践に充ち満ちた貴重な時間だったと思える。
この時代の経験が若し無かったら、たぶん成人して以降いまに至るまでの自分のような存在はしなかっただろうと言っても過言ではない。
この”ボロ自転車部隊”は中学になってからも続き、50km離れた湘南・江ノ島海岸まで踏破することになる。…我ながら良くやったものだと感心してしまう。そこには”アソビ”と言うよりも”人生体験”そのものみたようなものが存在していた。子どもの頃のそんな強烈な春休みの記憶は、脳裏を離れず今も鮮明に残っている。それどころか今も春が来ると再び脈々と流れ始めるのである。
…畢竟、50~60年前の子どもの頃の情操は、大人になったからと言って、乗り越えられるようなものでは決して無かった。
ノスタルジーとは少し違う。再認識というのであろうか…。いま、そこへ立ち帰ろうとしている。