菅首相が民主党代表を辞任した。
代表選に立候補する人間たちがマスコミに取り沙汰されている。雨後の竹の子のようだ。.
朝日新聞(H21年8月26日付け、朝刊)の投書欄(埼玉県の進藤幸枝さん61歳)に『次の首相にしたい人、いない』があり共感して読んだ。
保育士だった進藤さんは『子どもや孫たちの未来までを想像して、いまを考えている人が見当たらない。権力欲をむき出しに動いている人たちには次の首相になって欲しくない。』と痛恨の思いを述べておられる。全く同感である。
國分功一朗氏(74年生まれ。高崎経済大準教授。専門は仏近代思想)が興味在ることを述べていた。(朝日新聞 H23年8月11日付け)
『菅さんは常識外れに見えるが、その根っこには思想がある。』というのである。國分はここで哲学者のヒュームを登場させる。
人間はホッブスらが論じたよう、にエゴイストであるから「社会契約(論)」が必用かも知れない。しかし、親は子に共感し手助けをするではないかと反論する。
だから共感して手助けが出来る「制度」を政治が社会に作れば良いとするのである。なるほどと思いイワン・アサノヴィッチは読み続けた。
『菅さんは就任当時”最小不幸社会”を実現すると言っていた。その具体的成果が今回の「再生エネルギー特別措置法」にある。すなわち自然エネルギーの普及の実現を促す制度を導入しようという考えだ。』
イワン・アサノヴィッチは國分の”巧みな三段論法”に取り込まれようとしているのか、段々と納得してきた。
國分は『民主主義というなら、行政権に市民が公式に関われる制度をきちんとつくっていくべきではないか。』という。たしかに市民は数年に一度の選挙に参加できる程度の民主主義しか保持していない。
しかし、いまの被災地では市民が主権者として”立法権のみではなく、行政権”にも公式に関われることが必用だと教えてくれている。
そんなこんなで、菅さんは政治世界では一見すると常識外れだが、根底には思想があるという結論にいたるのである。
菅直人は永田町では”常識外れ”の首相で終わりそうだが、考えてみれば、彼は永田町の育ちが長くなったが”永田町生まれ”ではなかった。
さりとて世の中がもて囃すほどの”市民活動家”ではないと、予てからイワン・アサノヴィッチは思っていた。しかし、権力欲渦巻く”永田町生まれ”でなかったことだけは幸いしている。
折しもジャリタレの島田紳助が25日、暴力団との関係が原因で芸能界を引退したが、記者会見では『自分なりの”美学”を通させてください。』なんてことを勝手に喋っていった。いまの世、「地位とカネ=高給」によって多くの人間が堕落させられている。
モトイ。しかし、こうやって常識外れの菅直人の首相引退劇を見てみると、ジャリタレの引退などとは違って、なんとなく”美学”らしきものが感じられる。好きではなかった菅直人であっただけに、美学もこういう時にはひとしおのものとなるみたいだ。
最後になるが、菅直人は永田町ひいては政治世界の中枢から「政治業界の常識」を破る”パイオニア”になるのかも知れない。