
ベルリン市内を走る路面電車 アレクサンダープラッツにて
←遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 8、再びV2からの続き
2012年1月2日
今日は、ベルリン滞在の最終日。明日には日本に帰る。
旅の最後の一日は、特に予定を入れていない。のんびり気ままに、ベルリンで休日を楽しむつもりだ。
ホテルを出て、冷たい小雨の降るベルリン市街をぶらつく。
キリスト教圏の西ヨーロッパではクリスマスが終わってしまうと冬の休暇シーズンはもう終わりという感じらしく、新年2日目だというのに街は既に平日の装いに戻りつつある。
Sバーン(ベルリン市街・近郊電車)に乗って、デパートや大型書店の立ち並ぶフリードリヒシュトラーセ駅周辺でお土産物やドイツ語の本の買い物を楽しんでから、アレクサンダープラッツ駅へ。
一昨日の年越しの晩には、花火と爆竹が打ち鳴らされ狂乱騒ぎの場だったアレクサンダー広場も、今日はしっとりと小雨に沈んで落ち着いた佇まいだ。
アレクサンダー広場周辺はドイツ鉄道(DB)の駅を中心にSバーンやUバーン(地下鉄)そしてトラム(路面電車)が集まるベルリンの交通の要衝である。特にトラムはアレクサンダー広場の中にまで入ってくるのでよく目立つし、何だか乗ってみたくなった。
インターシティホテルで貰ったベルリン市内公共交通乗り放題パスは勿論トラムも使えるので、早速いま来た路面電車に飛び乗ってみる。


トラムの車内は、近代的な超低床式。日本でもよく見かけるタイプで、地元で乗り慣れた熊本市電の超低床電車とよく似ている。
アレクサンダー広場の停留所から乗ったトラムはMetroTramのM2系統という路線らしいが、手許のガイドブックにもトラムの路線図は何故か載っておらず、ベルリンの街のどこへ行く路線なのかよく分からない。
とりあえず終点に着いたらそのまま折り返して帰ってくればいいやと、目的のない路面電車のベルリン散歩を楽しむことにした。
現存するベルリン市内のトラムはすべて、かつての東ベルリン地区で運行されているらしい。
車窓には、特に華やかでもない東独の街並みが流れていく。


終点のAm Steinberg停留所は、郊外の工場や自動車ディーラーなどが並ぶ殺風景な場所だった。
近所の住人といった感じの人達が乗り降りして、トラムは繁華街のアレクサンダー広場に向かい折り返す。


これといって見所がある訳でもなかったが、
生活路線のトラムに乗ってベルリンの市井の風景を眺めることが出来たので面白かった。
アレクサンダー広場に着いたら今度はUバーンに乗って、ポツダム広場へ。
ここはかつてベルリンの壁が通っていた地区を統一後に再開発して生まれた区画であり、美術館やベルリン・フィルハーモニーをはじめとする各種の文化施設が集積しているベルリンの新しい顔である。
ポツダム広場の一角には、ベルリンの壁の遺構が展示されていた。

イデオロギーが都市を、国家を、そして人々の生活を引き裂いていた歴史の遺産は、
今ではコンクリートの塊と化して近代的な街の中に骸を晒していた。

ポツダム広場の象徴ともいうべき場所がここ、ソニーセンター。
巨大なテントの下の空間にはどうやらつい今しがたまでクリスマスツリーがあったようなのだが、ちょうど撤去が終わったばかりのようで、樅の木を積んだトラックや高所作業車が撤収準備をしていた。
ベルリンがクリスマス休暇の装いを脱いで普段着に戻るのに合わせるかのように、僕の旅も終わりが近づいていた。
真冬の短い日はもう傾き、街は旅の最後の夜に包まれようとしている。

ホテルに戻る前に立ち寄ったベルリンost駅には、西ドイツ方面へと向かう超高速列車ICEが停車していた。
「そう言えば、今回はこいつに乗れなかったなぁ…」
この次は、この列車にも乗ろう。そして、もっとドイツを駆け巡ろう。鉄道の旅をしよう…
2012年1月3日

昼前にベルリン・テーゲル空港を飛び立ったルフトハンザ航空国内線LH185便は、平原に風力発電の大風車が林立する風景を翼の下に眺めながら小一時間でフランクフルト国際空港に到着した。
フランクフルト空港で、日本に直行する長距離便に乗り換え。帰りは関西空港経由、LH740便 ボーイングB747-400。
この路線は、最近ではあまり見かけなくなってきたジャンボジェットを使用している。


離陸して機内食の食事を済ませ、一眠りして目を覚ますと、ジャンボ機はもうシベリアのこちら側、アジアの入り口を飛行していた。
眼下には朝陽に染まる雲海が広がる。ドイツも、ポーランドも、ヨーロッパはもう遙か彼方の空の向こうだ。

空と雲を見ながら、考えていた。
「ロケットなら、ヨーロッパからここまで数十分で来れるな… そろそろ、第一段目を切り離す頃かな?」
僕の瞼の裏には、
ペーネミュンデから打ち上げられた、V2によく似たロケットが高度を上げていく様子が浮かんだ。
ロケットはどんどん翔んでいく。決して、無様に墜ちるようなことはない。

ロケットは、すべての人から笑顔で祝福されて、宇宙に行くんだ…
そこには、戦争や報復なんて哀しく惨めな考えは微塵もない。
人類の飽くなき宙(そら)への想いを乗せて、煌めきながらロケットは翔ぶ。

「きっと、あなたもそのことをいつも心の底から願ったんでしょう?
たとえ、大いなる夢を成し遂げるために、
悪魔のように冷酷な覚悟と揺るぎようのない信念をもって、
そして或いは諦観の境地にいたとしても。
そうではないですか?ヴェルナー・フォン・ブラウン…」

ロケットは何故、おぞましい殺戮の道具として生れなければならなかったのか。
フォン・ブラウンは何故、悪魔と契約を結んでまで宇宙を目指そうとしたのか。
宇宙が好きで、そこを目指す宇宙機・探査機・衛星たち“宇宙の子”を載せて翔び立つロケットが好きで、そのことに情熱を燃やす人たちが好きな僕の中でそれは大きな謎で在り続けた。
そして、そんなロケットが初めて宇宙へ旅立った地…遙かバルト海の沿岸、かつてV2の秘密基地が建設されたペーネミュンデに自分の足で立ち、自分の目で見て確かめたかった。
大いなる謎を秘めたロケットの聖地を目指す旅を終えようとしている今、僕なりに謎は解け始めたと感じている。
これからもロケットが決して墜ちることなく翔び続けるよう見守ること、それが僕たちの義務。

画像提供:JAXA
記事一覧
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 1、プロローグ ベルリン
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 2、ベルリン発ペーネミュンデ
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 3、廃墟のエネルギーセンター
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 4、博物館
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 5、国境の港街
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 6、プラハ行き国際列車
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遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 8、再びV2
遙かなり、ペーネミュンデ 2011-2012東ドイツ・ポーランド紀行 9、ベルリンの休日 エピローグ
僕がペーネミュンデへの旅に出るきっかけとなった著書
「月をめざした二人の科学者 アポロとスプートニクの軌跡」を書かれた
的川泰宣先生に感謝致します。
ありがとうございました。 天燈茶房亭主mitsuto1976 拝
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