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追憶の線路を求めて ~廃線探訪 島原鉄道南線編~

2008-05-12 | 鉄道
写真:廃止から1ヶ月経過し、赤錆の浮き始めた島原鉄道南線の線路

平成20年4月26日

今日からゴールデンウィーク休暇なので、青森県七戸まで「レールバス」に会いに行こうかなと思う。
平成9年に運行休止され、その後廃止された青森県の野辺地と七戸を結ぶ「南部縦貫鉄道」で走っていた、バス用の部品で作られた小さくて可愛らしい「レールバス」。鉄道廃止後も「レールバス愛好会」有志の方々の手で保存・保守され、年に1回乗車イベントが行われる南部縦貫鉄道のレールバス、ここ数年は乗りに行っていないので久し振りに会いたくなったのだ。

とりあえず、今夜の東京行き寝台特急「はやぶさ」の予約を取っているが、「はやぶさ」の熊本発車時刻は15:57。せっかくの休暇初日に、夕方まで何もしないで夜行列車の出発を待っているのもつまらない。
「そうだ!先月廃止された島原鉄道南線のその後の様子を見て来よう!」


という訳で、早朝6時半に鹿児島本線の普通列車に乗って熊本駅へと向かう。
熊本駅到着前に、前面かぶりつきの車窓にチラリと見えた熊本車両センターの一隅に待機しているこの編成は、3月に廃止された熊本と京都を結んでいた寝台特急「なは」として使われていた車輌。
「なは」ファイナルランの夜に僕が乗車した個室寝台車「ソロ」や「デュエット」を抜いて、2段式B寝台車と電源車だけのシンプルな編成に組み直されている模様。

折りしも明日(4月27日)、この「元・なは編成」は九州鉄道記念館開館5周年と北九州市制45周年記念の臨時列車として、門司港から日田彦山線経由で久大本線の豊後森まで走行する予定になっている。
現役時代の「なは」とは全然関係ない区間での運行だが、これが事実上最後の花道となり、そのまま廃車・解体されるのだろうと思う。
「いよいよ本当に最期か…明日はいい旅を!ありがとう、『なは』。」

熊本駅前のバス停から熊本港行きのバスに乗り、島原外港行きの九商フェリーに乗船。
先月まで、島原鉄道南線に乗る為に何度も通い慣れたルートを辿って、有明海の対岸の島原半島を目指す。
島原外港フェリーターミナルに着いても、今日は今までのように横断歩道を2つ渡って島原鉄道の島原外港駅へは向かわず、ターミナル前のバス停から島原鉄道バスに乗り込む。


島原鉄道南線廃止後、その後を引き継ぎ国道251号線を走る島原鉄道バスの車窓には、南線の遺構が見え隠れする。尤も、廃止からまだひと月も経っていないので、見た目は現役の鉄道路線と変わらない。


島原外港から乗車した島鉄バスは南線の終点加津佐へは行かず、途中の須川港が終点。
南線の西有家駅跡地近くで線路を渡り、バスは鄙びた海沿いの集落を走る。




終点の須川港は海風の吹き付ける漁港だった。

「風が強くなってきたな…帰りの熊本港行きフェリー航路が休航しないといいけれど…」

漁村の中を歩いて、島原鉄道南線沿いの国道251号線へと戻る。
さっきバスが渡った踏み切りは、南線終焉の夜に僕が歩いた35.3キロの野辺送りの途中で小休止して写真を撮ったまさにその場所だった。



遮断棹が抜かれ、警報機が簀巻きにされた踏み切りは廃止の夜から変わっていない。
線路も変わらず敷かれたままで、まるであの夜から時間が静止したままのような、島原鉄道南線のその後の姿。


しかし、線路に近づいてよく見てみると既にレールの表面には赤錆が浮き始めている。
運行が行われ列車が行き来し「生きている」鉄道なら、例え列車の本数が極度に少なく土砂や草に埋もれていても、レールの表面は鈍くとも必ず光っている。
光を失ったレールは、この鉄道が確実に過去のものになってしまったという事実を、静かにそして残酷に物語っているようだった。


せっかくなので、少し線路を歩いてみた。
有明海沿いのとても景色が良くて気持ちがいい区間なので、晴れていれば快適なウォーキング…の筈なのだが、どんより曇った空と容赦なく吹き付ける海風のせいで「南線四十九日の葬列」というような雰囲気になってきて気が滅入る。
「やっぱり、鉄道は『列車が走っててナンボ、乗ってナンボ』だな。廃線跡歩きは寂しいよ…」




足許に注意して、歩くこと暫し。駅が見えてきた。
「ここは…龍石駅か。ここにも野辺送りの夜に立ち寄ったなぁ!」






「ここも最期の夜から何も変わってないね。」
本当に今にもキハ20がエンジン音を響かせながら到着しそうな、そしてそれが却って哀しい海沿いの廃駅。

駅前のバス停から島鉄バスに乗り、南線の終点だった加津佐駅跡を目指す。
バスの終点は「加津佐海水浴場前」だが、そこはまさに加津佐駅の駅前。加津佐は海水浴場の目の前の駅だったのだ。




加津佐駅の駅舎は変わらずそこに建っていた。入り口のドアは施錠されていたが。
中を覗いてみると、やはりここにも「あの夜以来、静止したままの時間」。





駅の裏手にある海水浴場へと行ってみると、鉛の空の有明海からの海風と海鳴り、打ち寄せる波頭。
とてもじゃないが、ひねもす春の海という気分ではない。

この砂浜が夏の陽光と青く輝く海と、海水浴客の歓声に包まれる頃には、島原鉄道南線も夏草に覆われて野辺に還っているのだろうか…


春は名のみの海を見ていたら、何となく自分なりに気持ちの整理ができた気がしてきた。そろそろ加津佐を後にする。
駅前の海水浴場前バス停から島原市内行きの島鉄バスに乗って、今来た路を引き返す。
「しかし…案外と加津佐から島原までは遠いなぁ!我ながらよくもこんな道程を歩いたもんだ。。。」


口之津では天草航路のフェリーに接続。ここからフェリーに乗ると、先日USACO一緒に行った本渡近郊の鬼池港に行くことができます。
USACOは以前、この航路に乗ったことがあるそうな。「この辺の海は新鮮な鯛や平目が舞い踊ってるので有名なのよ~」とか言ってたなぁ。
「鯛や平目の舞い踊る生け作りか…そう云えば、僕の旅には御当地グルメを楽しむ要素が完全に抜け落ちてるなぁ…今日の昼飯も加津佐駅裏のコンビニで買ったコッペパンに海を見ながらかぶりついただけだし」
何か侘しいなあ。我ながら、いつもいつも男ひとりで孤独に歩きまわってるよ。やれやれ。。。







かくして35.3キロを再び辿り、ああバスは楽だなぁ歩かなくてもいいからなぁとか考えているうちに島原外港に戻ってきた。

幸い天候も回復し風も収まって、熊本港行きフェリーも支障なく通常運航しているので一安心。
ああよかった、これで予定通りに今夜のブルートレイン「はやぶさ」に乗ることが出来る。


熊本港行き便の出航まで少し時間があるので、横断歩道を2つ渡って島原鉄道の島原外港駅を見に行ってみた。


南線廃止以降、島原鉄道の終着駅になった島原外港駅。
今までずっと廃線となった南線の遺構ばかり見ていたので、生きている鉄道を見ると何だか嬉しい。
島原外港駅のプラットホームには、折り返し諫早行きの列車が停車していた。
驚いたことに、「下り 加津佐・有家方面のりば」の案内看板がそのまま残されている。
「事情を知らない人が見たら、今でも加津佐まで列車でいけると思うだろうな…」


加津佐まで続く線路も、車止めも何も置かれず、つながったままで残る。
本当に「その気になれば、このまま加津佐まで走っていけそう」な状態なのだ。

「運転士さん、ちょっと…今から、この黄色いキハで水無川の鉄橋を越えて、加津佐の海水浴場に冷たい春の海を見に行きませんか?
今ならまだ行けますよ、僕たった今見てきたんですよ…どうです?」

 …なんてね。


熊本港行きの超高速カーフェリー「オーシャンアロー」は、見る見る島原外港から離れていく。春霞の向こうに、すぐに普賢岳も見えなくなった。

遠ざかっていく島原半島を見やりながら、僕は想った。
島原鉄道がいつまで南線をこのままの状態で残しておくのかは分からないが、出来ることならば線路が夏草に覆われ土に埋もれ、少しずつ自然に還って往くのに任せて欲しいな、と。
島原半島南部を結び、人々の心をつないで走り続けた南線は、島原半島の土となりこの地の自然の一部となり、歴史になる。
そしていつまでも沿線の人々の心に語り継がれる。


それが郷土の鉄道の最期にふさわしいような、そんな気がしたんだ。

さようなら、島原鉄道南線。
僕は忘れない。かつてこの地に在り、そしてこれからも人々の心の中を永久に走り続ける35.3キロの鉄路を。
ありがとう…


追憶の線路を求めて ~廃線探訪 島原鉄道南線編~ 終

追憶の線路を求めて ~去り往くブルートレイン 寝台特急「はやぶさ」編~に続く



小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
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はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
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2 コメント

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特攻野郎Aチーム (bbsawa)
2008-05-13 21:39:57
こんばんは、特攻野郎Aチーム並みのDIY力があれば軌陸車を作って、走りたい線路が続いてますね。安全確保に難しさはあるでしょうが、空いた線路を活用する方法は無いでしょうか?
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地に還る線路 (天燈茶房亭主mitsuto1976)
2008-05-13 22:48:17
bbsawaさん、おばんです。

>特攻野郎Aチーム並みのDIY力があれば軌陸車を作って
面白そう!
ハンニバル大佐並みの技術力と行動力がある友人Kに頼んで1067mmゲージの足漕ぎ台車でも作ってもらおうかな。。。

>空いた線路を活用する方法
長野新幹線開通で廃止された信越本線の碓氷峠区間を「トロッコ観光鉄道」として復活させようという計画もありますが、鉄道施設の再利用は安全対策や法律対策があって実現は大変みたいです。
実現しているのは京都・保津峡の山陰本線旧線を走る「嵯峨野観光鉄道」位ではないでしょうか。
線路をそのまま朽ちさせるのは、もったいないんですけどねぇ。。。
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