写真:最後の列車を送り出した島原鉄道南線加津佐駅の構内
←「島原鉄道 南線最期の夜」からの続き
平成20年3月31日夜23時。
この日限りで廃止となる島原鉄道南線の終着駅加津佐に最終列車で到着して、南線と加津佐駅の最期を見届けた僕は、熊本県八代市の自宅に帰ることにした。
…島原外港まで歩いて。
島原鉄道南線無き後、加津佐と島原の間は島原鉄道のバスが代替運行されることになっている。
しかし、既に夜半近くなったこの時間にはバスが動いている訳も無く、それなら歩いて帰るまでさ、加津佐駅と島原外港駅の間の島鉄南線廃止区間は全長35.3キロか、それ位なら何とか一晩で歩いて行けるな。
それに、これは僕だけの島鉄南線の葬列なんだ。今夜一晩、35.3キロを寄り添って歩く、これは僕なりの野辺送りなんだ。
という訳で、すっかり人けが無くなり閑散とした「加津佐駅だった場所」を後に、さっき最終列車に乗って走ってきた区間に沿って国道251号線を歩く。
歩き出してすぐに気が付いたが、島原半島は火山帯のせいかやたらと地形のアップダウンが激しい。道路も坂の連続で、案外消耗する。
「大丈夫かな…?」
それでも暫く歩くと坂道にも慣れ、加津佐を出る前に買った水を飲みパンを齧ると体力も回復して歩く気力が出てきた。この調子なら大丈夫だ。
暗い有明海の潮騒を聞いて、対岸の天草の島影と町明かりを眺めながら歩く。
歩き始めて1時間もしないうちに、割と大きな集落と港に辿り着く。口之津だ。
口之津の町中で、ほんの数時間前まで現役で作動していた踏み切りには早くもカバーが掛けられ、遮断棹は抜き取られていた。
口之津を過ぎると国道251号は海沿いの峠を越える。街灯一つない真っ暗な峠道を過ぎて、町灯りが見えてくるとやはりホッとする。
「島原鉄道南線の沿線には、こんなに険しい地形もあったのか~」
歩き始めて約2時間、原城駅跡の前に到着。
島原鉄道南線の列車交換が行われていたこの駅に、ちょっと寄り道してみる。
真っ暗なプラットホームと、待合室。
この写真は原城駅の同じ場所で、さっき乗車した下り加津佐行き最終列車を撮影したもの。
つい数時間前まで対向列車待ちのキハ20が停車してエンジン音を響かせていたプラットホーム。
朝になっても、もう二度とこの駅に列車は来ない。…そう考えると、寂しさがこみ上げてきた。
「何て悲しいことなんだろう。増してや、毎日この駅で列車に乗っていた地元の人たちは、どんな気分で列車の来ない朝を迎えるんだろう…」
鉄道の廃止とは、こういうことなのか…
闇に沈んだ原城駅跡のプラットホームからは、まだ赤く点燈したままの信号機と鈍く輝き続けるレールが見えた。ここは駅だったんだ、忘れないでくれと、それは僕に訴えかけているようだった。
さらに歩いて、島原外港を目指す。
国道251号線は島原鉄道南線と時に離れ時に寄り添い、時に交差して島原へと続く。
島原鉄道南線は最終列車の通過直後から速やかに廃線処理が行われているようで、全ての踏切にカバーが掛けられ機能停止されている他に、踏み切りの設備そのものが撤去されている箇所もあった。
引き抜かれた、元は農道の踏み切りだったと思われる棒杭が線路沿いの草むらに横たわり、独り星空を見上げていた。
全ての赤色燈を塞がれた警報機。
鉄道の安全運行という重任を解かれ、この鉄道が廃止となったことを宣言するかのような残酷で哀しい姿となり、夜明けを待つ。
歩き始めて3時間ほど経っただろうか。
国道251号線と島原鉄道南線が寄り添うようにして最も海に近づく区間にある、龍石駅の脇を通る。
国道の歩道のすぐ隣がプラットホームになっているので、暗い階段を恐る恐る登ってみると、線路の向こうに有明海の潮騒だけが響いていた。
遥かな昔、雲仙火山の噴火活動でこの半島が生まれて以来ここにあった海と寄せる波音、磯の香り。
海と火山の悠久の歴史から見れば、ここに島原鉄道南線という鉄路が走っていた日々はほんの一瞬の出来事なのかも知れない。
それでもここに鉄道があり多くの人を乗せて列車が走っていたという記憶は、鉄路が地に還り全てが消え去った後も旅人の心に刻まれいつまでも残る。
そう信じたい。
有明海に昇る紅い月を眺め、駅跡に立ち寄りながら、島原鉄道南線の孤独な野辺送りを続ける。
途中、コンビニで水や夜食を補給しながら国道251号線を歩き続ける。流石に歩き疲れてきたし、そろそろ足の裏にマメが出来たらしく軽い疼痛を感じ始めた頃、夜が明けた。
夜明けの水無川導流提を渡り、雲仙普賢岳を眺める。
普賢岳噴火災害からの復興のシンボルであった島原鉄道の安新大橋が見えた。今日からは島原鉄道南線の記念碑として、その雄姿を留めることになるのだろうか。
島原鉄道南線の終着駅加津佐から歩き始めて7時間。
とうとう島原外港駅に到着した。
「ああ、着いた、帰って来た…どうにか、消える鉄路を野辺送りしてやることが出来たな。」
自己満足だということは解っている。
それでも僕は、疲労困憊していたがスッキリとした気分で朝を迎えることが出来た。自分なりのやり方で、島原鉄道南線への想いを表わすことが出来たという気がしていた。
今日、平成20年4月1日から島原鉄道の終着駅となった島原外港駅は、無人化され窓口が閉鎖されていたが、プラットホームには「加津佐・有家方面」の表示がそのまま残され、鉄路も変わらず加津佐へと延びて続いていた。
しかし今日からは、この駅の先へと列車が向かうことはない。
暫く島原外港駅の待合室に佇んでいると、初めてこの駅を訪れて南線に乗り加津佐まで行ったときの想い出が鮮やかに甦ってきた。
あれは大学2年生の夏休みだった。同級の友人Iと連れ立って乗り鉄しに来たのだ。
夏の盛りでとにかく暑かったのと、強烈な陽射しにギラギラ輝く車窓の有明海の水面、加津佐駅に着いてもやる事がなくて途方にくれたことが印象に残っている。
「Iは鉄っちゃんでもないのに、よくあんな乗って帰るだけの日帰り旅行に付き合ってくれたな…Iとはここ数年会ってないな。もう結婚してるかもな」
そう云えば、今座ってるこのベンチにあの日も並んで座って加津佐行きの列車を待ったなぁ…
「久し振りにIの声が聞きたくなったな。今度、電話してみようかな。『島原鉄道南線に乗った夏休みを憶えてるかい?』ってね」
島原鉄道南線は駆け抜けた。
それは消えることなく、人々の記憶の中を走り続ける。僕の心の中にも、友との夏の日の想い出と一緒に。
ありがとう、島原鉄道南線。島原外港―加津佐の35.3キロの鉄路を、僕は忘れない。
→「島原鉄道 旧型車輌で冬の旅」(2007年12月16日付)
→「島原鉄道 冬の海」(2008年02月17日付)
→「島原鉄道 涙雨」(2008年03月30日付)
→「島原鉄道 南線最期の夜」(2008年04月06日付)
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
はやぶさ2・はやぶさマーク2 ‐はやぶさまとめ‐
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
日本の小惑星探査機「はやぶさ」の同型機「はやぶさ2」と後継機「はやぶさマーク2」を応援しています
←「島原鉄道 南線最期の夜」からの続き
平成20年3月31日夜23時。
この日限りで廃止となる島原鉄道南線の終着駅加津佐に最終列車で到着して、南線と加津佐駅の最期を見届けた僕は、熊本県八代市の自宅に帰ることにした。
…島原外港まで歩いて。
島原鉄道南線無き後、加津佐と島原の間は島原鉄道のバスが代替運行されることになっている。
しかし、既に夜半近くなったこの時間にはバスが動いている訳も無く、それなら歩いて帰るまでさ、加津佐駅と島原外港駅の間の島鉄南線廃止区間は全長35.3キロか、それ位なら何とか一晩で歩いて行けるな。
それに、これは僕だけの島鉄南線の葬列なんだ。今夜一晩、35.3キロを寄り添って歩く、これは僕なりの野辺送りなんだ。
という訳で、すっかり人けが無くなり閑散とした「加津佐駅だった場所」を後に、さっき最終列車に乗って走ってきた区間に沿って国道251号線を歩く。
歩き出してすぐに気が付いたが、島原半島は火山帯のせいかやたらと地形のアップダウンが激しい。道路も坂の連続で、案外消耗する。
「大丈夫かな…?」
それでも暫く歩くと坂道にも慣れ、加津佐を出る前に買った水を飲みパンを齧ると体力も回復して歩く気力が出てきた。この調子なら大丈夫だ。
暗い有明海の潮騒を聞いて、対岸の天草の島影と町明かりを眺めながら歩く。
歩き始めて1時間もしないうちに、割と大きな集落と港に辿り着く。口之津だ。
口之津の町中で、ほんの数時間前まで現役で作動していた踏み切りには早くもカバーが掛けられ、遮断棹は抜き取られていた。
口之津を過ぎると国道251号は海沿いの峠を越える。街灯一つない真っ暗な峠道を過ぎて、町灯りが見えてくるとやはりホッとする。
「島原鉄道南線の沿線には、こんなに険しい地形もあったのか~」
歩き始めて約2時間、原城駅跡の前に到着。
島原鉄道南線の列車交換が行われていたこの駅に、ちょっと寄り道してみる。
真っ暗なプラットホームと、待合室。
この写真は原城駅の同じ場所で、さっき乗車した下り加津佐行き最終列車を撮影したもの。
つい数時間前まで対向列車待ちのキハ20が停車してエンジン音を響かせていたプラットホーム。
朝になっても、もう二度とこの駅に列車は来ない。…そう考えると、寂しさがこみ上げてきた。
「何て悲しいことなんだろう。増してや、毎日この駅で列車に乗っていた地元の人たちは、どんな気分で列車の来ない朝を迎えるんだろう…」
鉄道の廃止とは、こういうことなのか…
闇に沈んだ原城駅跡のプラットホームからは、まだ赤く点燈したままの信号機と鈍く輝き続けるレールが見えた。ここは駅だったんだ、忘れないでくれと、それは僕に訴えかけているようだった。
さらに歩いて、島原外港を目指す。
国道251号線は島原鉄道南線と時に離れ時に寄り添い、時に交差して島原へと続く。
島原鉄道南線は最終列車の通過直後から速やかに廃線処理が行われているようで、全ての踏切にカバーが掛けられ機能停止されている他に、踏み切りの設備そのものが撤去されている箇所もあった。
引き抜かれた、元は農道の踏み切りだったと思われる棒杭が線路沿いの草むらに横たわり、独り星空を見上げていた。
全ての赤色燈を塞がれた警報機。
鉄道の安全運行という重任を解かれ、この鉄道が廃止となったことを宣言するかのような残酷で哀しい姿となり、夜明けを待つ。
歩き始めて3時間ほど経っただろうか。
国道251号線と島原鉄道南線が寄り添うようにして最も海に近づく区間にある、龍石駅の脇を通る。
国道の歩道のすぐ隣がプラットホームになっているので、暗い階段を恐る恐る登ってみると、線路の向こうに有明海の潮騒だけが響いていた。
遥かな昔、雲仙火山の噴火活動でこの半島が生まれて以来ここにあった海と寄せる波音、磯の香り。
海と火山の悠久の歴史から見れば、ここに島原鉄道南線という鉄路が走っていた日々はほんの一瞬の出来事なのかも知れない。
それでもここに鉄道があり多くの人を乗せて列車が走っていたという記憶は、鉄路が地に還り全てが消え去った後も旅人の心に刻まれいつまでも残る。
そう信じたい。
有明海に昇る紅い月を眺め、駅跡に立ち寄りながら、島原鉄道南線の孤独な野辺送りを続ける。
途中、コンビニで水や夜食を補給しながら国道251号線を歩き続ける。流石に歩き疲れてきたし、そろそろ足の裏にマメが出来たらしく軽い疼痛を感じ始めた頃、夜が明けた。
夜明けの水無川導流提を渡り、雲仙普賢岳を眺める。
普賢岳噴火災害からの復興のシンボルであった島原鉄道の安新大橋が見えた。今日からは島原鉄道南線の記念碑として、その雄姿を留めることになるのだろうか。
島原鉄道南線の終着駅加津佐から歩き始めて7時間。
とうとう島原外港駅に到着した。
「ああ、着いた、帰って来た…どうにか、消える鉄路を野辺送りしてやることが出来たな。」
自己満足だということは解っている。
それでも僕は、疲労困憊していたがスッキリとした気分で朝を迎えることが出来た。自分なりのやり方で、島原鉄道南線への想いを表わすことが出来たという気がしていた。
今日、平成20年4月1日から島原鉄道の終着駅となった島原外港駅は、無人化され窓口が閉鎖されていたが、プラットホームには「加津佐・有家方面」の表示がそのまま残され、鉄路も変わらず加津佐へと延びて続いていた。
しかし今日からは、この駅の先へと列車が向かうことはない。
暫く島原外港駅の待合室に佇んでいると、初めてこの駅を訪れて南線に乗り加津佐まで行ったときの想い出が鮮やかに甦ってきた。
あれは大学2年生の夏休みだった。同級の友人Iと連れ立って乗り鉄しに来たのだ。
夏の盛りでとにかく暑かったのと、強烈な陽射しにギラギラ輝く車窓の有明海の水面、加津佐駅に着いてもやる事がなくて途方にくれたことが印象に残っている。
「Iは鉄っちゃんでもないのに、よくあんな乗って帰るだけの日帰り旅行に付き合ってくれたな…Iとはここ数年会ってないな。もう結婚してるかもな」
そう云えば、今座ってるこのベンチにあの日も並んで座って加津佐行きの列車を待ったなぁ…
「久し振りにIの声が聞きたくなったな。今度、電話してみようかな。『島原鉄道南線に乗った夏休みを憶えてるかい?』ってね」
島原鉄道南線は駆け抜けた。
それは消えることなく、人々の記憶の中を走り続ける。僕の心の中にも、友との夏の日の想い出と一緒に。
ありがとう、島原鉄道南線。島原外港―加津佐の35.3キロの鉄路を、僕は忘れない。
→「島原鉄道 旧型車輌で冬の旅」(2007年12月16日付)
→「島原鉄道 冬の海」(2008年02月17日付)
→「島原鉄道 涙雨」(2008年03月30日付)
→「島原鉄道 南線最期の夜」(2008年04月06日付)
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFE/mitsuto1976は
2010年6月の地球帰還を目指す日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
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まさか、こんな展開になるとは予想外です。趣味を極めるためには体力が必要ですね。
では、出勤します。
最近鉄道に偏ったマニアックな記事ばかりだけど、いつも読んで頂いてありがとうございます!
励みになります。
僕も「猫と惑星系」毎日チェックしてます。
桜の写真には癒されてますヽ(´ー`)ノ
以前、種子島にH-IIAロケット12号機の打ち上げを見に行ったときに宇宙センター近くから西之表港まで40キロ歩いたことがあるので、
(http://blog.goo.ne.jp/mitsuto1976/e/4483a9f86443e09fbd45670fdb12055b)
今回も「35.3キロなら大丈夫だな」と軽く考えて歩いて帰りました。
それに、廃止間際に駆けつける鉄道ファンのことを「葬式鉄」と揶揄することがあるので、それなら本当に葬送してやれ、という気分で歩いて来ました。
スミマセン、原城駅跡まで歩いたところで記事が切れてますが、まだ続きがあります。書いてるうちに眠くなって、書きかけのまま寝てしまいました。
今から続きを書きます。
日曜日にお仕事ご苦労様です。行ってらっしゃい。